デジタル大辞泉
「声明」の意味・読み・例文・類語
せい‐めい【声明】
[名](スル)一定の事項についての意見や意思を世間に対して発表すること。また、その意見。「条約締結に反対の意思を声明する」「共同声明」
[類語]ステートメント・コミュニケ・宣言・覚え書き
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しょう‐みょうシャウミャウ【声明】
(一)〘 名詞 〙 ( [梵語] śabda-vidyā 摂拖苾駄の訳語 ) 仏語。
(二)① 古代インドの五明(ごみょう)の一つ。文字・音韻・語法などを研究する学問。︹南海寄帰伝‐四︺
(三)② 転じて、偈頌(げじゅ)などを歌詠・諷誦(ふじゅ)すること。法要儀式に応じて種々の曲が生まれ、また、宗派によってその誦法に種々の別を生じ、真言声明・天台声明・浄土声明などがある。梵唄(ぼんばい)。
(一)[初出の実例]﹁声明(シャウミャウ)なども、強ちに声明師とも人にしられず﹂(出典‥雑談集︵1305︶五)
(二)﹁太秦(うずまさ)善観房といふ僧、節博士(ふしはかせ)を定めて、声明になせり。﹃一念の念仏﹄の最初なり﹂(出典‥徒然草︵1331頃︶二二七)
声明の語誌
( ②について ) 当初、﹁梵唄(ぼんばい)﹂﹁梵讚﹂などと言われたが、平安時代には、﹁声明﹂と呼ばれるようになる。これは仏教音楽の旋律の基本が詞章のアクセントにあるため、音韻学の学問である①と深く関わっていた証しとも言えよう。ただし、現在も黄檗宗などでは﹁梵唄﹂の語を用いる。
せい‐めい【声明】
- 〘 名詞 〙
- ① 一定の事項についての見解や意見などを不特定多数の人に発表すること。また、その意見。〔英和外交商業字彙(1900)〕
- [初出の実例]「イギリス政府の護謨制限撤廃の声明が」(出典:上海(1928‐31)〈横光利一〉七)
- ② ⇒しょうみょう(声明)
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声明 (しょうみょう)
日本の仏教儀礼で用いられる声楽曲の総称。インドにおける原始仏教教団の成立に伴ってその原型が起こり,仏教の東進に従い中国を経て日本にもたらされた。単旋律による無伴奏の声楽曲で,その理論や旋律様式,声楽的技法は後世のさまざまな声楽分野の形成に多大な影響を与え,日本音楽の源流ともいわれる。声明は本来,古代インドの5種類の学問領域︿五明︵ごみよう︶﹀の一つで,文法学や言語学,訓詁学に関する学問を意味するサンスクリットśabda-vidyāの漢訳にその語源をたどる。中国においては悉曇︵しつたん︶やその音韻・字義に関する学問という意味も加わり,日本へも当初は以上のような学問として声明が請来された。一方,仏教声楽を示す語として︿梵唄︵ぼんばい︶﹀︿梵讃︵ぼんさん︶﹀などの語が用いられていたが,中世初頭ごろから声明の語が仏教声楽を意味するようになった。しかし現在中国や韓国,日本の禅宗などでは梵唄と称し,チベット仏教でも梵唄は歌の意味を含む語として用いられている。
日本で声明が仏教声楽の意をもつようになった理由の一つとして,声明の旋律と詞章の発音との密接な関連が考えられる。つまり声明の旋律は原則的には詞章の言語の高低アクセントが基盤となり,その抑揚がある一定の音高構造の枠組み内で整えられ形成されたものであろうと考えられ,声明が音韻学の理解のうえに成立したことに由来しているといえよう。仏教声楽曲としての声明という語は,広狭2義に用いられる。狭義の声明には,サンスクリット語の音写音,または漢字音による経文中の韻文,つまり偈頌︵げじゆ︶を歌詞とする大陸伝来系の声明曲︵︿梵語讃﹀や︿漢語讃﹀の類,︽如来唄︵によらいばい︶︾︽散花︵さんげ︶︾︽梵音︵ぼんのん︶︾︽錫杖︵しやくじよう︶︾など︶,あるいはその様式に準拠した和製の声明が含まれ,さらに韻文のみならず経文全体に旋律をもつ真言宗の︽中曲理趣経︵ちゆうきよくりしゆきよう︶︾や,天台宗の︽引声阿弥陀経︵いんぜいあみだきよう︶︾などもこれに含まれる。また漢字音により日本で独自に作られた︿伽陀︵かだ︶﹀類や日本語による︿讃嘆︵さんだん︶﹀類,︿訓伽陀﹀類,︿教化︵きようけ︶﹀類なども狭義の声明に準ずるものと認識され,これらを便宜上︿本声明﹀と総称することもある。一方,中世以降に成立した漢文訓読体による︿祭文︵さいもん︶﹀類,︿神分︵じんぶん︶﹀類,︿表白︵ひようびやく︶﹀類,︿経釈︵きようしやく︶﹀類,︿講式﹀類,︿論義﹀類などは上記の声明類とは音楽様式を異にし,本声明に対し︿雑声明﹀と総称される。このほか一般の信徒が唱える︿御詠歌﹀や︿和讃﹀は声明には含めないが,和讃の中でも僧侶が法会の中で唱える真言宗の︿舎利和讃﹀や浄土真宗の︿正信偈和讃﹀などは雑声明に準じて扱われる。
法会において僧侶が唱えるものには経や宗派独自のさまざまな文類などもあり,多岐にわたるので,今日では,声明の範囲についての厳密な境界はとくにないといってよく,全体的に旋律性があり,伝統的な様式の楽譜をもつものが声明として認識されているといえよう。
歴史
インド,中国における声明︵梵唄︶の歴史は現在明らかではなく,数多い経典や論書の中の記述から断片的に推測するのみである。たとえば原始経典中には仏にそなわる三十二相の一つとして梵音清徹ということが述べられていたり,また修行僧が集まり教義の肝要の会得や諸利益のため美しい声で唄を誦することの意義が説かれており,インドにおける声明の原型の存在が想像される。中国においては3世紀初頭の魏の曹植が,魚山︵ぎよさん︶︵山東省泰安府︶へ行ったおりに梵天の響きを聞き,その声節を写して梵唄を作ったと伝えられている。その後,隋・唐時代にいたる間は中国仏教の盛期で,この間に各種の仏教儀式が整い,声明の中国化が進み,やがて日本に請来される。
声明が日本へ初めて伝来した時期は定かでないが,6世紀中葉に仏教が朝鮮を経て渡来した際おそらく仏像や経典とともに若干の声明も付随していたであろうと考えられる。奈良朝に入ると隆盛をきわめる唐の仏教が輸入され,仏教儀式も盛んに行われた。720年︵養老4︶に,唐僧道栄の曲節に従って︿転経唱礼﹀を統一させる詔勅が出され,752年︵天平勝宝4︶の東大寺大仏開眼供養会には数百名の僧侶が四箇法要︵しかほうよう︶︵︽唄︾︽散花︾︽梵音︾︽錫杖︾︶を勤めるなど,この時期に法会の形式がかなり整い,今日に伝わる奈良声明の原型が形成されたと思われる。
平安朝には空海と最澄が804年︵延暦23︶に入唐し,真言,天台両宗をそれぞれ伝え,声明の新たな発展期に入る。空海は梵語讃などを数多く請来し真言声明の祖とされるが,天台声明では838年︵承和5︶に入唐した円仁を事実上の祖とし,両声明はそれぞれ京都の東寺,延暦寺を中心として発展する。真言声明は寛朝︵かんちよう︶により大成するが,その後分派対立し,平安末には4流派に整理統合され,その中の1流派が南山進︵なんざんしん︶流として高野山を中心に今日まで伝承されている。また江戸時代初頭には南山進流の系統から分かれた智山︵ちざん︶派,豊山︵ぶざん︶派の両派が成立し,それぞれ京都の智積︵ちしやく︶院,奈良の長谷︵はせ︶寺を中心に伝統を伝えている。天台声明はやはり円仁以来分派していたが,良忍がこれらを統一して大成した。良忍は1109年︵天仁2︶京都大原に来迎院を建立し,天台声明の中心は爾来大原に移る。なお853年︵仁寿3︶に入唐した円珍の系統は延暦寺から離れて園城︵おんじよう︶寺を中心として独立するが,声明も独自の発達を遂げ,大原を中心とする大原流声明に対して寺門︵じもん︶流声明の伝統が作られた。天台,真言両声明は体系的な音楽理論をもって発展し,奈良声明あるいは鎌倉以後の新仏教の声明に影響を及ぼした。
鎌倉期に興った浄土宗,浄土真宗,日蓮宗などは教義的には天台宗の流れをくむものであり,仏教儀式や声明もそれを基盤としつつ,それぞれ独自に展開していった。また臨済宗,曹洞宗を開いた栄西︵えいさい︶と道元はほかの鎌倉仏教の開祖と同様に一時比叡山に学んでいるが,中国に渡り宋代の禅宗を伝え,その後臨済,曹洞両宗は天台,真言両声明の影響をうけつつ中国的な性格を含んだ仏教儀式を整えていく。江戸初期には明僧隠元が中国臨済宗の系統に属する黄檗︵おうばく︶宗を開き,同時に中国明代の儀式や声明︵梵唄と称す︶がもたらされて,現在でもなお中国的色彩の濃厚な儀式,音楽が行われている。
種類
声明は教理,言語,音楽の各立場からいろいろに分類されるが,詞章の内容,形式は以下のとおりである。
︵1︶詞章の内容 各声明は次のような意味内容をもち,儀式の一定の構成法に基づいて儀式に組み込まれている。︵a︶讃嘆--讃︵梵語讃,漢語讃︶,唄︵ばい︶,伽陀,讃嘆,和讃,陀羅尼︵だらに︶など。︵b︶礼拝--三礼︵さんらい︶,総礼,唱礼,礼仏,念仏,仏名︵ぶつみよう︶,称名︵しようみよう︶など。︵c︶供養--散花,梵音,錫杖,祭文,供養文︵くようもん︶など。︵d︶送迎--勧請︵かんじよう︶,奉送︵ぶそう︶など。︵e︶祈願--対揚︵たいよう︶,回向︵えこう︶など。︵f︶懺悔︵さんげ︶・発願︵ほつがん︶--大懺悔︵おおいさんげ︶,五悔︵ごげ︶/︵ごかい︶,九方便︵くほうべん︶,発願,誓願︵せいがん︶など。︵g︶教義の讃述--経,講式,経釈,論義,教化など。︵h︶法令の趣旨説明--表白,神分など。ただし各声明は以上に分類した意味内容をいくつか合わせもつ場合が多く,たとえば祭文は︵h︶の意味も含み,神分は︵c︶︵d︶︵e︶の意味をもつ。またこれらの意味内容と儀式内における機能とは必ずしも一致せず,たとえば唄は儀式の場を静穏にするなどの機能を果たす。
︵2︶詞章の形式 詞章には梵語,漢語,日本語の3種があり,それぞれが韻文体,散文体に分けられるが,この分類は声明の旋律の成立時期や音楽様式とも関連してくる︵かっこ内は曲名の例︶。︵a︶梵語=韻文--讃︵四智梵語讃︵しちぼんごさん︶,仏讃︵ぶつさん︶︶。︵b︶梵語=散文--陀羅尼︵大悲心陀羅尼︵だいひしんだらに︶︶,呪︵じゆ︶,真言。︵c︶漢語=韻文--唄︵如来唄,云何唄︵うんがばい︶/︵いんがばい︶︶,散花,梵音,錫杖,讃︵四智漢語讃︶,伽陀など。︵d︶漢語=散文--経︵中曲理趣経,引声阿弥陀経︶など。︵e︶日本語=韻文--訓伽陀,讃嘆,和讃,声歌︵じようが︶など。︵f︶日本語=散文--祭文,表白,神分,経釈,講式,論義など。なお︵f︶の日本語は漢文訓読体によるもので,いわゆる和文ではない。以上の分類のうち︵a︶︵c︶は歴史的に古く,多くは中国伝来かあるいはそれに準じて日本で作られたもので,各宗派で共通して用いられ,詞章の各音節を長く引きのばす旋律をもつ。概説で述べた本声明に属するものである。︵b︶と︵d︶以下はすべて日本で旋律が作られており,︵b︶は比較的単純な旋律の場合が多い。︵d︶は曲例が多くなく,とくにかっこ内に示したような全体的に旋律をもつものは稀である。︵e︶は中世に成立し,多くは詞章の各音節を引きのばして歌われる。︵f︶はやはり中世に成立し,︵e︶とは逆に詞章の各音節は謡曲や平曲,浄瑠璃などと同様に原則的には長く引きのばされない。このような様式の音楽を一般に︿語り物﹀といい,︵f︶の声明類は日本の語り物音楽の先駆とされる。これに対して︵f︶以外の声明類の大部分は,︿歌い物﹀として区別されることもある。
楽理
声明,とくに天台,真言両声明は雅楽と並ぶ伝統的な音楽理論をもつが,解釈しがたい部分や現行の旋律とは食い違ってきた部分もある。
︵1︶音律 階名は雅楽と同様に宮︵きゆう︶,商︵しよう︶,角︵かく︶,徴︵ち︶,羽︵う︶の五音︵ごいん︶およびその派生音で示す。声明は音階面から︿呂曲︵りよきよく︶﹀︵呂︶,︿律曲︵りつきよく︶﹀︵律︶,︿中曲︵ちゆうきよく︶﹀の3種に大別されるが,これらの理論上の音階と現実の旋律を構成している音階とは対応しない部分が多い。これは長い伝承の過程で日本人の音階感覚の変遷に従い旋律が漸次変化してきたためとも思われ,今日では呂,律,中曲の区別は旋律法や装飾法の相違としたほうが実際的であろう。また調としては壱越︵いちこつ︶調︵壱越︶,平調︵ひようぢよう︶,下無︵しもむ︶調,双調︵そうぢよう︶,黄鐘︵おうしき︶調︵黄鐘︶,盤渉︵ばんしき︶調︵盤渉︶を用いるが︵真言声明では下無調を欠く︶,実際の演唱ではこの規定はさほど強くなく,演唱者の声域や個々の声明がもつ儀式における役割による傾向がある。このほか西洋音楽における転調や移調に対応する︿反音︵変音︶︵へんのん︶﹀の理論があるが,これも古来論議されるところで共通の解釈がなされていない。一方講式や論義などの声明,あるいは浄土系,禅宗系など鎌倉以後の宗派にそれぞれ独自に作られた声明では,以上と多少異なる理論に基づく。これは︿甲・乙﹀︿上・中・下﹀︿初重︵しよじゆう︶・二重・三重﹀などの用語で音域,旋律形態を指示するもので,中世以後のいわゆる語り物音楽の旋律構造の母胎となっている。
︵2︶リズム 天台声明ではリズムは不等拍のものを︿序曲﹀,等拍のものを︿定曲︵ていきよく︶﹀とし,この両様や中間的なものを,︿俱曲︵ぐきよく︶﹀︿破曲︵はきよく︶﹀と称する。定曲では拍子が4種類に大別され,その中に日本音楽ではたいへん珍しい3拍子が含まれているのが注目される。真言声明では︿只拍子︵ただびようし︶﹀︿楽拍子︵がくびようし︶﹀と大別する場合もあるが,天台声明ほど厳格な規定はない。
︵3︶旋律構造 声明の旋律は原理的にはまず詞章の各字音の︿四声︵ししよう︶﹀︵漢字音のもつ4種の音調︶あるいは中世初頭の日本語のアクセントに従った抑揚が骨組みとなり,それにさまざまな装飾的,声楽的技法が加わり,さらに詞章のフレーズに対応した一種の楽曲構成法が施されたものと考えられる。このように声明は言語のアクセントが基本となっているため,国語学や言語学における貴重な音韻史資料でもある。また︿ユリ﹀︿イロ﹀︿ソリ﹀などに代表される装飾法はほかの声楽諸分野には見られぬ多様性をもち,たとえば真言声明ではユリが20数種に分類されている。
︵4︶記譜法 声明に用いる楽譜は︿博士︵はかせ︶﹀︵墨譜ともいう︶といい,その語源は文法学,音韻学としての声明の指導者の呼称であるとされる。最も古い形態である︿古博士﹀は漢字の四方に配される四声点から発する簡単な直線か屈曲線を用いるが,これが表す旋律は今日には伝わっていない。実際に用いられている博士には︿目安博士︵めやすばかせ︶﹀と︿五音博士︵ごいんばかせ︶﹀の両様があり,前者は旋律の動きを直線や屈曲線で相対的に示すもので,後者は垂直,斜め,水平のそれぞれの方向で五音を示す線分を用い,これによって旋律の音高を順次示すものである。五音博士は今日真言声明で基本となる博士︵本博士︶として用いられ,そのほかでは目安博士を用いている。ただしこれらの博士のみでは旋律を十分に表記できないので,装飾技法や音高の略称を添えるのが普通である。
執筆者‥塚本 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
声明
しょうみょう
サンスクリット語シャブダ・ビディヤーśabda-vidyāの訳語。︹1︺古代インドの学術区分としての五明︵声明・工巧明(くぎょうみょう)・医方明(いほうみょう)・因明(いんみょう)・内明(ないみょう)︶の一つ。文法・音韻に関する学問のこと。︹2︺仏教儀式で経文を諷誦(ふじゅ)すること。中国では梵唄(ぼんばい)、讃(さん)、祭文(さいもん)などとも別称。日本では仏教声楽の全体を声明と総称する。
﹇小川 宏﹈
古代インドでは、聖典ベーダに曲節を付して詠じたことから、バラモン教の音楽が発達したといわれる。仏教でも、当時の諸宗教で行われた定期的な唄誦説法の集会を仏陀(ぶっだ)が聴許した例︵﹃薩婆多毘尼勒伽(さつばたびにろくぎゃ)﹄6︶や、伎楽(ぎがく)による仏僧供養(くよう)を仏陀が勧めた例︵﹃百縁(ひゃくえん)経﹄3︶がある。また﹃賢愚(けんぐ)経﹄11には、美声で国王の軍勢が停止した唄比丘(うたびく)の話がみられる。﹃長阿含(じょうあごん)経﹄5では五種清浄(しょうじょう)あるものを梵音というと説かれ、﹃十誦律(じゅうじゅりつ)﹄37では声唄には五種利益ありと説かれている。ただしバラモン教の曲調は禁じられた︵﹃根本薩婆多部律摂(こんぽんさつばたぶりつしょう)﹄9︶。後代、大乗仏教の馬鳴(めみょう)が仏陀の一代記を詠んだサンスクリット詩﹃ブッダチャリタ︵仏所行讃(ぶっしょぎょうさん)︶﹄などは讃歌の傑作として著名である。
﹇小川 宏﹈
三国時代に来朝した康僧会(こうそうえ)が声明の名手と称せられた。﹃法苑珠林(ほうおんじゅりん)﹄36によると、魏(ぎ)の曹植(そうしょく)が山東省魚山(ぎょさん)で梵音を感得して梵唄を創作したと伝え、それが﹁魚山声明﹂と称する声明の起源とされる。唐代以前には帛法橋(はくほうきょう)、康法平(こうほうへい)が有名で、それ以降には僧弁(そうべん)らがいる。また密教音楽をインド僧善無畏(ぜんむい)が伝えた。しかし845年︵会昌5︶の仏教弾圧で衰滅した。
﹇小川 宏﹈
日本には、552年︵欽明天皇13︶の仏教伝来とともに声明も伝えられたとみられる。﹃続日本紀(しょくにほんぎ)﹄8によると、720年︵養老4︶唐僧道栄(どうえい)の曲節に基づき﹁転経唱礼﹂を統一させる詔(みことのり)が出されている。また﹃東大寺要録﹄12によれば、752年︵天平勝宝4︶に東大寺大仏開眼法会(かいげんほうえ)において種々の音楽が演奏され、そのとき声明も行われた。その導師を勤めたインド僧菩提遷那(ぼだいせんな)や林邑(りんゆう)国︵インドシナ半島にあった国︶の僧仏哲(ぶってつ)は、ともに声明の達人であったという。このときの奈良仏教における声明の一部は、東大寺二月堂修二会(しゅにえ)︵御水取(おみずとり)︶の声明にいまも伝わる。しかし、現行の声明は、ほぼ天台(てんだい)声明と真言(しんごん)声明の流れである。
天台声明は、平安時代の847年︵承知14︶唐から帰国した慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が中国五台山の声明を伝えたのに始まる。これが比叡山(ひえいざん)を中心に広まり5流に分派したが、良源(りょうげん)が中興し、﹁論義﹂という形式を創始した。さらに源信は日本語による声明﹁和讃(わさん)﹂をつくった。また、円仁から9代目の良忍(りょうにん)は5流を統一し、中国に倣って京都大原に、日本の魚山といわれる声明道場﹁来迎院(らいごういん)﹂をおこし、天台声明の大成者となった。その門下に頼澄(らいちょう)と家寛(けかん)がおり、それぞれ流派をおこして2流をなし、現在に及ぶ。天台声明は禅宗、浄土宗、日蓮(にちれん)宗などの声明に影響を与えた。一方、真言声明は、806年︵大同1︶唐より帰朝した弘法(こうぼう)大師空海(くうかい)が伝え、真雅(しんが)、源仁(げんにん)、益信(やくしん)、寛空(かんくう)を経て、寛朝(かんちょう)が大成した。その後は分派したが久安(きゅうあん)年間︵1145~1151︶、仁和(にんな)寺の覚性(かくしょう)法親王が評定会(ひょうじょうえ)を開き、本相応(ほんそうおう)院流、新相応院流、醍醐(だいご)流、進(しん)流の4流が公認された。このうち、進流は貞永(じょうえい)年間︵1232~1233︶に勝心(しょうしん)の要請で高野山(こうやさん)に移され、南山(なんざん)進流となった。正応(しょうおう)年間︵1288~1293︶、紀伊︵和歌山県︶根来(ねごろ)の頼瑜(らいゆ)は南山進流と醍醐流をあわせて新義声明をつくったが、これはのちに智山(ちさん)派と豊山(ぶざん)派に分かれた。現在この2派と南山進流が真言声明として伝わる。
鎌倉時代に、教義的には天台宗の流れをくむ浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などの新仏教がおこり、仏教儀式や声明もそれに多くの影響を受けながらそれぞれ独自の展開をしていった。宋(そう)代の禅宗よりおこった臨済(りんざい)宗と曹洞(そうとう)宗は天台・真言両声明の影響を受けつつ、中国的な性格をもつ儀式や声明を展開させた。今日これらの宗派の声明も格別な位置を占めている。
﹇小川 宏﹈
声明曲はその詞章の形式から、(1)サンスクリット語(梵語(ぼんご))で書かれた梵文(ぼんぶん)系、(2)漢語で書かれた漢文(かんぶん)系、(3)日本語で書かれた和文系、の三つに大別できる。梵文系の曲には『四智梵語讃(しちぼんごさん)』『吉慶(きっきょう)梵語讃』『不動讃』などがあり、漢文系には唄(ばい)、散華(さんげ)、梵音(ぼんのん)、錫丈(しゃくじょう)など、そして和文系には讃嘆(さんだん)、教化(きょうけ)、講式(こうしき)、和讃、論議などがあげられる。
[坂 公道]
声明は、発達した音楽理論をもち、天台声明と真言声明にそれが顕著である。しかし、実際の演唱と理論には食い違った部分もある。また、両宗派の音楽理論は、鎌倉仏教の各宗派にも少なからず影響を及ぼしている。
声明は単旋律音楽であり、その旋律構造は大小の単位の旋律型の連鎖によってできている。このような旋律型の組合せといった現象は、日本の伝統音楽全般に共通している。これらの旋律型には、それぞれに名称がつけられている。講式の旋律型である三重(さんじゅう)の名称は、浄土真宗大谷(おおたに)派の念仏・和讃や、平曲(へいきょく)、浄瑠璃(じょうるり)などにもみられる。拍子は、拍節的リズムと非拍節的リズムの2種類がある。天台宗では前者を定曲(ていきょく)、後者を序曲といい、この中間的のものを倶曲(ぐきょく)︵破曲(はきょく)︶と名づけている。
声明の楽譜は博士(はかせ)︵墨譜(ぼくふ)、節譜(せっぷ)などともよぶ︶といい、文字の右または左に記された記号で表される。博士は宗派や時代によりその形態・名称が異なるが、音高を表す五音(ごいん)博士と、旋律の動きを表す目安(めやす)博士に大別できる。近年では五線譜を用いたものもある。また、早歌(そうが)、謡曲の胡麻点譜(ごまてんふ)は、博士の影響が大きい。
このように声明は、その旋律型、記譜法などの多くの点で、後世の声楽に影響を与えた。つまり、広い意味において日本伝統音楽の源流といえる。
﹇坂 公道﹈
﹃東洋音楽学会編﹃東洋音楽選書6 仏教音楽﹄︵1972・音楽之友社︶﹄▽﹃金田一春彦著﹃四座講式の研究﹄︵1964・三省堂︶﹄▽﹃岩田宗一著﹃声明関係資料年表﹄︵1974・平楽寺書店︶﹄▽﹃横道萬里雄・片岡義道他編﹃声明大系﹄︵レコード・1983・法蔵館︶﹄
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声明
しょうみょう
仏教の法会 (ほうえ) 儀式で僧侶が唱える声楽。﹁声明﹂の語は,もとはインドのバラモンの学修すべき﹁五明﹂の一つで,音韻学の意味であったが,それが日本に入って現在の意味に変化した。音楽としての声明も,インドに起源があると考えられるが,それが実際にどのようなものであったのか知ることができない。また,中国には,魏の曹植が山東省の奥山で天来の妙音を得たという有名な伝説があるが,やはりその伝統は今日に伝わらない。現在大陸において声明の伝統を保持し続けているのは,チベットのラマ教である。ラマ教の僧侶が唱える声明は,きわめて低い音域のもので,一般に低音が少いといわれるアジア音楽にあって特異な存在である。しかしラマ教の声明には,日本の声明と非常に似通った音楽構造も指摘することができる。日本の声明は,仏教とともに中国から伝承したものであるが,仏教そのものと同様に,日本で独自の発達をとげ,これと伴奏に旋律楽器をほとんど用いないことによって,きわめて日本的な声楽に変質した。仏教に宗派ができたのに伴い,声明も各宗派ごとの固有の様式が生じ,同じ宗派のなかでもいくつかの流派に分立するようになった。現在では,天台声明と真言声明の2つが日本の声明の中心を形成するが,両声明ともいくつかの流派に分れ,特に真言声明における﹁南山進流声明﹂と﹁新義声明﹂とは,音楽構造上きわだった対照をみせている。天台,真言両声明のほかには奈良の南都六宗の諸寺院に伝わる声明があり,これを南都声明とか奈良声明などと称する。また,浄土宗系統では,天台声明を受継いだほかに数々の新様式の曲をもち,その教理と同様に,古くから一般信者が身近に接してきた。日蓮宗や禅宗各派にも,それぞれの声明の伝統があり,本格的な儀式には欠かせないものとなっている。これらの声明には,仏や先徳をたたえるもの,その業績を述べるもの,その名を連呼するもの,法会の趣旨を述べるもの,経典に旋律をつけたものなどがあり,詞章は梵語,漢語,日本語のものがある。多くは無伴奏の単旋律音楽で,独唱または独唱と斉唱から成る。伴奏楽器としては,旋律を奏さない打楽器が多く用いられるが,雅楽器によって伴奏される場合もある。声明,特に日本で新作された日本語の声明が,平曲,謡曲,浄瑠璃,民謡など,その後に起った日本音楽に与えた影響も少くない。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
声明【しょうみょう】
︵1︶サンスクリットのシャブダ=ビディヤーの訳。インドで学問区分に関する五明の一つ。言語・文字・音韻に関する学問で,中国では悉曇(しったん)学もこの名で呼んだ。︵2︶仏前で誦する声楽の総称。通俗には梵唄(ぼんばい)とも。僧侶が誦するもののみをさす場合が多い。仏の徳をたたえた内容のもの,特別の法会の意味を伝えるものなどがある。インドの詠法が中国に伝わり,日本へは円仁が伝えたという。それを受けた良忍が大原流として集大成,浄土宗,浄土真宗にも伝えられた。真言系では寛朝を始祖とし,小野・広浄の2流派があるが,ともに中国の魚山に擬して魚山流という。邦楽の成立に大きな影響を及ぼした。→和讃
→関連項目祭文|日本音楽|ネウマ|良忍
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
声明
しょうみょう
仏教行事で僧侶によって唱えられる声楽。本来は古代インドの学問である五明(ごみょう)の一つで言語に関するサンスクリット語のサウダビジャの音写という。日本では梵唄(ぼんばい)や唄匿(ばいのく)とも称され,広義には法会(ほうえ)で唱えられる声楽全般をさす。狭義には四箇(しか)法要の各曲や各種の讃など外来の詞章と音楽形式を有するかそれに準じた和製曲をさし,それらを本声明という。本声明以外は雑声明に分類するが,祭文(さいもん)・表白・講式・論議・教化(きょうけ)などの日本語による伝達を目的にした曲に多い。また宗派によって唱法に真言声明・天台声明・浄土声明などの別を生じた。和讃や御詠歌など,僧侶という専門家ではなく,広く信徒などによって唱えられるものもある。声明は平曲・謡曲・浄瑠璃・長唄など日本の伝統音楽の発生に影響を及ぼし,その母体といえる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
声明
しょうみょう
仏教の儀式などに用いる古典の声楽
経文に高低・抑揚や節をつけたもので,歌詞を梵語のままで歌う「梵讃」,漢語に翻訳した「漢讃」,日本語の「和讃」や講式・論義などがある。平安初期から天台声明と真言声明とがあり,のち浄土声明も発達。平家琵琶や謡曲の源流となった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
普及版 字通
「声明」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の声明の言及
【外交】より
…しかし,重要な国際的約定にこの形式をみることがある(1920年ジュネーブで調印された常設国際司法裁判所設置に関する協定など)。 コミュニケcommuniqué公式会議での経過を発表する政府当局による声明書。外交会議では関係国間の合意による意思表示となり,条約の一種にもなる。…
【寺事】より
…総じて,日々行事,月例行事のように日常性のあるものは小規模・簡略に,特殊な年中行事,臨時的な行事は大規模・盛大に執行される。
[寺事と法要]
寺事の中核となる法要は,何曲かの[声明](しようみよう)と,特定の[修法](しゆほう)や読経などを組み合わせて構成されている。その組合せ方によって種々の意義を表明しうるわけであり,これに[礼拝]や[行道](ぎようどう),呪法([呪師])などの所作を加えて,より意義を鮮明にし,儀礼としてのかたちを整えている。…
【日本音楽】より
…このうち,民俗音楽は広義の︿邦楽﹀に入れることもあるが,唱歌,軍歌,歌謡曲などは︿邦楽﹀には入れないのが普通であるだけではなく,後述のように洋楽に扱うこともある。︿邦楽﹀はさらに狭義に使われることもあって,雅楽,声明︵しようみよう︶(仏教声楽),平曲,能楽,および浪曲などは含まれないこともある。つまり,最狭義の︿邦楽﹀には,三味線,箏︵そう︶,尺八などを使う近世の邦楽(︿近世邦楽﹀としばしばいわれる)だけが含まれるという考え方が行われている。…
【博士】より
…旋律の動きを視覚的にわかりやすく示そうとしたもので,詞章の右または左に書かれる。この呼称は主として[声明]︵しようみよう︶で用いられるほか,雅楽の歌物の楽譜も博士と称することが多い。譜士と書くこともあり,節博士︵ふしはかせ︶,墨譜︵ぼくふ︶,節譜︵せつぷ︶などともいう。…
【ユリ】より
…この容由は,入節(いりぶし)との区別がややあいまいである。[声明](しようみよう)では,多くの流派でユリを用い,もっとも代表的な旋律型となっていて,ユリを用いないところをわざわざ〈スグ〉と明記しなければならないほどである。各種のユリに細分し,それぞれ固有の名称を与えるのがもっとも目立つのもこの分野といえよう。…
【和讃】より
…その後,天台浄土教の人々によって盛んに和讃が制作されはじめる。当時の作品として明証のあるものは少なく,詳細は判明していないが,法会の中で,声明︵しようみよう︶の旋律に乗せて諷誦したのが人々の共感を得たらしい。︽今昔物語集︾は,空也の弟子千観(918‐983)が︿阿弥陀ノ和讃ヲ造ル事,廿余行也,京・田舎ノ老小・貴賤ノ僧,比ノ讃ヲ見テ,興ジ翫テ,常ニ誦スル﹀と伝えている。…
※「声明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」