デジタル大辞泉
「大乗仏教」の意味・読み・例文・類語
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だいじょう‐ぶっきょう‥ブッケウ【大乗仏教】
- 〘 名詞 〙 =だいじょう(大乗)①
- [初出の実例]「大乗仏教は著しく古昔の波羅門神話を取り入れてゐるのである」(出典:古寺巡礼(1919)〈和辻哲郎〉一五)
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大乗仏教 (だいじょうぶっきょう)
仏教の二大流派の一つ。釈迦が主唱した,みずみずしい初期仏教も,200年,300年たつうちに,その明快な教えは,アビダルマの発達にともない哲学化し,繁雑化して清新な宗教としての生命を失い,その信仰も枯渇化するようになった。紀元前後ごろから,主として在俗信者たちを中心として,新しい仏教復興運動が展開された。その運動には,彼らの意気ごみに賛同し,旧仏教にあきたりないで,そこを飛び出してきた出家者たちの参画も見のがしてはならない。彼らのうちにはその運動の理論的指導者となった者もいたであろうし,また大乗経典の制作に関して重要な示唆を与えた者もいたと思われる。
これらの人々は,インド各地に散在する仏塔︵ストゥーパ︶を中心に集まり,仏陀を鑽仰︵さんごう︶し,仏陀への熱烈な信仰をもっていた。彼らは仏陀の前生における呼称である︿菩薩﹀︵ボーディサットバbodhisattva。悟りを求める者︶を理想的な人間像とみなし,またこの運動に邁進する者を,老若男女を問わず,︿菩薩﹀と呼んだ。その信仰集団は,在来の出家者中心の教団である︿僧伽﹀︵サンガsaṅgha︶に対して,︿菩薩ガナ﹀︵ボーディサットバ・ガナbodhisattva-gaṇa︶と呼ばれる。
彼らはやがて,自らの思想を表明する手段として,新しい経典を次々と作り出していった。︽般若経︾︽法華経︾︽華厳経︾︽阿弥陀経︾などの経典群である。これらの経典のなかで,彼らは自らの新しい仏教運動を,︿あらゆる人々の救いをめざす大きな乗り物﹀という意味をこめて︿大乗﹀︵マハーヤーナMahāyāna︶と称し,従来の旧仏教を︿限られた出家者だけの小さな乗物﹀という意味で︿小乗﹀︵ヒーナヤーナHīnayāna︶と貶称した。注目すべきは,︿この経典の四行詩でも,受持・読誦︵どくじゆ︶・解説︵げせつ︶し,さらに書写すれば非常な功徳がある﹀という旧仏典には見られなかった︿経典崇拝﹀を強く打ち出していることである。
大乗仏教の基本的理念は,︿慈悲﹀に裏打ちされた︿空︵くう︶﹀--理論的には,あらゆるものはそれ自体の固有の実体をもたない︿無自性﹀なるものであり,それゆえ実践的には,なにものにもとらわれない心で行動する︿無執着﹀であれ--の立場にあるといわれる。また仏に絶対的に帰依し,かつ自己のうちに仏となりうる可能性︵仏性︶を認め,それを体現することを彼らは目ざした。そのためには︿般若︵はんにや︶の智慧﹀と︿方便の慈悲﹀とを兼ね備えることを目ざし,特に他人に対する善きはからい︵利他行︵りたぎよう︶︶を第一の眼目と考えた。
このような大乗仏教運動は,のちに竜樹,無著︵むぢやく︶,世親︵せしん︶らによって,その思想が組織され体系化された。5世紀ごろから密教が盛んになり,ついで7世紀ごろからヒンドゥー教が勢力を盛り返す。そして1203年ベンガルの仏教の中心であったビクラマシラー寺が,イスラムの軍隊に破壊されるにいたり,中央インドから仏教はその姿を消すことになる。
生れ故郷のインドを追われることになった大乗仏教ではあるが,国境を越えてチベットに伝播し,また中央アジアを経て中国,朝鮮,日本に伝わり,それぞれの地で麗しい華を咲かせた。
→仏教
執筆者‥阿部 慈園
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大乗仏教
だいじょうぶっきょう
Mahāyāna Buddhism
1世紀頃に興った仏教の二大流派の一つ。古来の仏陀の教えを拡大し新しい解釈を加えた教派で,自分ひとりの悟りのためではなく,多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ大きなすぐれた乗物という意味で,みずからの立場を大乗仏教と呼んだ。それ以前の釈迦の言行の伝承を中心とした原始仏教ならびに釈迦の法の注釈的研究を主とする保守派をいわゆる小乗仏教と貶称したが,これは適当でないので,上座部仏教,部派仏教などと今日では呼ばれている。この伝統的な部派仏教がセイロン (現スリランカ) ,ビルマ (現ミャンマー) ,タイなど南方に伝播したのに対し,大乗仏教はチベット,中国,日本など北方へ伝わり今日にいたっている。
大乗仏教と部派仏教では,仏陀の本質のとらえ方と,仏教徒として目指す理想が異なる。部派は古来より釈迦すなわち仏陀を真実の師とするのに対し,大乗は仏陀を俗界を解脱した存在であるとして,釈迦はその超絶した天上の存在が地上に現れた仮の姿であると解釈する。大乗からみれば,部派の目指す羅漢は限られた己の目標にすぎず,すべての仏教徒が目指すべき理想は,菩薩すなわち己の悟りを開くのをおいても利他のために奉仕する姿である。したがって,菩薩の徳である憐れみこそ,古来の仏教が強く説いてきた知の徳と同じものであるとする。このような菩薩思想の利点は他に受入れられやすい柔軟性であり,その概念は中国と日本で信仰される浄土教にも伝わっている。今日に伝わるそのほかの大乗派としては,禅宗,日蓮宗,天台宗がある。大乗仏教の経典はおもにサンスクリット語で記されているが,原典が失われチベット語訳や中国語訳のみが伝わるものもある。
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大乗仏教【だいじょうぶっきょう】
ハーヤーナの訳で,大きな乗物の意。1世紀後半―2世紀のインドで起こった社会・思想運動で,仏教の正統学派が煩瑣(はんさ)哲学と個人の救済のみを求めたのに反対した。竜樹によって理論的大系が与えられ,大乗独自の経典として,般若(はんにゃ)経・法華経・維摩(ゆいま)経・華厳(けごん)経等を生んだ。自・他にとらわれぬ自由の境地︵空(くう)︶を尊び,実践の徳目として六波羅蜜(ろくはらみつ)を掲げ,その実践者を菩薩(ぼさつ)と呼んだ。中国・日本に伝わり発展した。
→関連項目インドシナ|大乗起信論|ナーランダー|仏教|維摩|律︵仏教︶
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大乗仏教
だいじょうぶっきょう
大乗はサンスクリット語のマハーヤーナmahāyānaの訳語で、「多数の人々を乗せる広大な乗り物」の意。すなわち一切衆生(いっさいしゅじょう)の済度(さいど)を目ざす仏教という趣旨。仏滅後数百年(紀元前後ごろ)インドにおこった新しい仏教運動は、それまでの諸部派に分かれて各自の教理体系を固めていたあり方を鋭く批判しつつ、幅広い諸活動を展開し、やがて新しい諸経典が成立するなかで、『般若経(はんにゃきょう)』以来この自称が確定した。従来の出家者中心の仏教を一般民衆に開放し、在家(ざいけ)信者を主とする進歩的な考えの仏教徒の間からこの運動はおこり、異民族に支配されて混乱していた、当時の悲惨な社会状勢や、仏教遺跡のストゥーパ崇拝などとも関連が深い。その最大の特徴は、現在多方仏(げんざいたほうぶつ)を認めて利他に向かう多くの菩薩(ぼさつ)をたて、また多くの大乗経典が生まれたことにある。3世紀以降インドに栄えたが、7世紀からは密教化が著しく、それは大乗よりも金剛乗(こんごうじょう)と称した。大乗仏教は、のち中国、日本など、またチベットに伝わり、その主流となる。なお部派仏教に対する小乗(ヒーナヤーナ)の貶称(へんしょう)は、インドには顕著でなく、大乗仏教を根拠とした中国や日本で盛んであった。
[三枝充悳]
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大乗仏教(だいじょうぶっきょう)
Mahāyāna
マハーヤーナ。インドで先行する部派仏教(小乗仏教)の独善性,形式化,保守性を批判して,みずからの立場を普遍性のある﹁大きな乗物(マハーヤーナ)﹂と標榜する,紀元前後頃から興った新しい仏教運動。﹃法華経﹄(ほけきょう)﹃阿弥陀経﹄(あみだきょう)﹃般若経﹄(はんにゃきょう)﹃華厳経﹄(けごんきょう)などの経典にもとづき,空(くう)思想を強調し,肉身を超えた法身(ほっしん)仏を信仰し,人間に本来的な如来蔵(にょらいぞう)の具備を説き,誰にでも実践可能な易行道(いぎょうどう)を説き,仏塔を崇拝し,在家(ざいけ)信者を優先させ,悩み苦しむ大衆の救済を優先する利他と慈悲の菩薩道(ぼさつどう)を説くなど,教理および実践面で数々の特徴がある。ナーガールジュナ(竜樹(りゅうじゅ))の中観(ちゅうがん)派とアサンガ(無著(むじゃく)),ヴァスバンドゥ(世親)の唯識(ゆいしき)派が主流学派を形成した。西域,チベット,ネパール,モンゴル,中国,朝鮮半島,日本などアジアの広範な地域に伝播され,各地で固有の展開を示し,北方仏教の大勢を占めるに至った。
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大乗仏教
だいじょうぶっきょう
サンスクリットのマハーヤーナの訳語。インドで西暦紀元前後におこり自利・利他の菩薩道を標榜した流派が,自力的な解脱(げだつ)を重視する部派仏教を小乗と貶称(へんしょう)し,自派を大乗と称したことに由来する。中国・朝鮮・日本に伝来したのはこの系統である。インドでは竜樹(りゅうじゅ)に始まる中観(ちゅうがん)派,世親(せしん)によって大成された唯識(ゆいしき)派や密教があり,中国では天台・真言・禅・華厳・浄土その他の宗派が競いおこり,日本でもこの影響をうけて奈良時代に三論(さんろん)・法相(ほっそう)・成実(じょうじつ)・倶舎(くしゃ)・華厳・律などが,平安時代以降は天台・真言・浄土・禅・法華などがおこった。即身成仏や他力救済を説く密教経典や法華経・華厳経など,多数の大乗経論がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
大乗仏教
だいじょうぶっきょう
紀元前後に伝統仏教に対する革新運動の中からおこった新仏教
みずからの立場をマハーヤーナ(大きな乗り物の意)と称し,利他主義の立場からいっさいみな成仏 (じようぶつ) すると説き,既成教団を小乗とさげすんで呼んだ。南伝仏教に対して北伝仏教とも呼ばれ,中央アジア・中国・朝鮮・日本・チベット・モンゴルなどに広がった。原典はおもにサンスクリット語で書かれている。
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世界大百科事典(旧版)内の大乗仏教の言及
【インド】より
…その後,1世紀半ばごろバクトリア方面からクシャーナ族が侵入し,中央アジアから中部インドに及ぶ大国家を建設した(~3世紀初め)。[クシャーナ朝]は漢とローマを結ぶ東西交通路の中央をおさえて繁栄し,またこの王朝のもとで大乗仏教の確立とガンダーラ美術の開花とがみられた。 マウリヤ帝国の滅亡からグプタ朝の成立に至る約500年間は,政治的にみれば異民族の侵入が続き諸王国が乱立する不安定な時代であった。…
【密教】より
…第1の雑密とは,世界の女性原理的霊力をそれと同置された呪文,術語でいう[真言](しんごん)(マントラ),明呪(みようじゆ)(ビディヤーvidyā),[陀羅尼](だらに)(ダーラニー)等の誦持によってコントロールし,各種の目的(治痛,息災,財福の獲得など)を達しようとするものである。純密とは《[大日経](だいにちきよう)》と《[金剛頂経](こんごうちようきよう)》のいわゆる両部大経を指すが,前者は大乗仏教,ことに《華厳経》が説くところの世界観,すなわち,世界を宇宙的な仏ビルシャナ([毘盧遮那仏])の内実とみる,あるいは[普賢](ふげん)の衆生利益の行のマンダラ(余すところなき総体の意)とみる世界観を図絵マンダラとして表現し,儀礼的にその世界に参入しようとするもので,高踏的な大乗仏教をシンボリズムによって巧妙に補完したものとなっている。《金剛頂経》はシンボリスティックに表現された仏の世界を人間の世界の外側に実在的に措定し,〈象徴されるものと象徴それ自体は同一である〉というその瑜伽(ヨーガ。…
※「大乗仏教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」