東インド会社(読み)ヒガシインドガイシャ(英語表記)British East India Company

デジタル大辞泉 「東インド会社」の意味・読み・例文・類語

ひがしインド‐がいしゃ〔‐グワイシヤ〕【東インド会社】

17世紀初頭に、イギリスオランダ・フランス・デンマークスウェーデンがそれぞれ東洋貿易のために設立した独占的特許会社。香料などの輸入が主目的であったが、植民地経営にも深く関与した。

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精選版 日本国語大辞典 「東インド会社」の意味・読み・例文・類語

ひがしインド‐がいしゃ‥グヮイシャ【東インド会社】

 

(一)   貿
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東インド会社」の意味・わかりやすい解説

東インド会社(ひがしいんどがいしゃ)
ひがしいんどがいしゃ

イギリス、オランダ、フランスなどで、東洋貿易実施のため17世紀初めに設立された独占的特許会社。設立の年はイギリスが1600年、オランダが1602年、フランスが1604年であるが、フランスの場合は、1664年に再組織されるまで活動せず、三国のうちでもっとも不振であった。

[永積 昭]

成立の事情


15西貿西便貿()()()16

 貿沿貿貿159516021465

 1616001British East Indian Company貿貿貿2Vereenighde Oost Indisch Compagnie10()18

 

オランダ東インド会社の盛衰


1602西貿1619退1623貿貿貿退17貿西綿()17181725400

 貿貿貿貿

 1741Gustaaf Willem Imhoff170517501792van Hogendorp17611822貿貿17931795()17981799

 

イギリス東インド会社の盛衰


18

 171515John Law167117291719西1723西Compagnie des Indes orientales17591761117731784

 18綿貿1833

 

西19771971 121969

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改訂新版 世界大百科事典 「東インド会社」の意味・わかりやすい解説

東インド会社 (ひがしインドかいしゃ)
British East India Company


16001858貿︿貿貿1600123157退175765

 17731784

 綿1765綿18綿

 18貿貿貿綿退貿1813貿33貿貿58

 



東インド会社 (ひがしインドかいしゃ)
Vereenighde Oost Indische Compagnie


貿11595-9716023621/10726017

 ︿西16094192123貿39綿貿

 貿701755189817992


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山川 世界史小辞典 改訂新版 「東インド会社」の解説

東インド会社(ひがしインドがいしゃ)
East India Company


1719貿綿貿貿160002()貿1799貿(綿())貿()17571810貿14貿34貿58

東インド会社(とうインドがいしゃ)

東(ひがし)インド会社

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旺文社世界史事典 三訂版 「東インド会社」の解説

東インド会社
ひがしインドがいしゃ
East India Company

 
17193
160012貿1623綿貿317571765貿使貿1813貿33貿1858
16021619貿17181799
160464181796
   

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東インド会社」の意味・わかりやすい解説

東インド会社
ひがしインドがいしゃ

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旺文社日本史事典 三訂版 「東インド会社」の解説

東インド会社
ひがしインドがいしゃ

17〜18世紀にかけて西欧諸国が東洋経営のために設立した特許会社
イギリスは1600〜1858年,オランダは1602〜1799年,フランスは1604〜67年の間存続。貿易権のみならず軍事権ももっていた。江戸時代の日蘭貿易もオランダの東インド会社が行い,その総督政庁はバタビア(ジャカルタ)にあった。

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百科事典マイペディア 「東インド会社」の意味・わかりやすい解説

東インド会社【ひがしインドかいしゃ】

イギリス東インド会社オランダ東インド会社

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東インド会社」の解説

東インド会社
ひがしインドがいしゃ

イギリス東インド会社(イギリスひがしインドがいしゃ)オランダ東インド会社(オランダひがしインドがいしゃ)

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世界大百科事典(旧版)内の東インド会社の言及

【アダムズ】より


()25011貿131駿貿

【アヘン(阿片)】より


()
貿
 18綿19貿

【アヘン戦争】より

…イギリスはこれらの関係を形成することにより,(1)自国工業製品の販路開拓,(2)銀を対価としない中国茶輸入の確保,(3)植民地インド政府の財源確立,という課題を果たさんとした。そのため,東インド会社にアヘン貿易独占権を与え,その東インド会社は,アヘン輸入を禁ずる中国に対し,ジャーディン・マセソン商会などの私貿易商人を通じて密輸出するという,中国市場と表裏二層の貿易関係をとり結んだ。したがって,この関係は次の矛盾を内包していた。…

【イギリス】より

…97年成立のブレアTony Blair(1953‐ )政権はEUに対し,国益は守りつつも,より柔軟な対応を採るものと期待されている。
[日英関係]
 イギリスと日本との交渉は,1600年(慶長5)九州豊後海岸にウィリアム・アダムズ(三浦按針)が漂着したことに始まり,徳川家康の許可を得てイギリス東インド会社は13年より平戸に商館を開いて通商を行った。しかしオランダとの競争に敗れて貿易はふるわず,23年(元和9)平戸商館は閉鎖され,両国の関係は絶たれた。…

【イギリス商館】より

…イギリス東インド会社が平戸に設けた商館。1613年(慶長18)イギリス国王の国書を携えたJ.セーリスが来航し,徳川家康から通商の許可を得て,平戸に商館を設置した。…

【インド】より


()

 

【株式会社】より



沿
 (1602)()1807

【カンパニー制度】より

…他方,初期のモスコー会社(Muscovy Company,別名ロシア会社,1555設立)やレバント会社(1581年の創設時から92年まで)は合本制をとった。とくに1600年に成立する東インド会社は合本制会社の典型となった。制規会社の場合,近代の株式会社の諸特徴のうち,(1)個々の商人の寿命をこえて存続しうる永続性など,法人的性格は認められるが,(2)資本の合同が認められないのに対し,合本制会社では(2)の要素も加わる(このため,株式会社の訳語もしばしば与えられる)。…

【香料】より




 17177075

【地主】より

…彼らの中でとくに有力な者はナーヤカと呼ばれ15世紀以降には数県にまたがる地域を一円支配する領主となる者もいたし,また,ナーッタム,パーライヤッカーラン(ポリガール)と呼ばれる地主・小領主層も南インドの南部に現れた。
[イギリス東インド会社]
 18世紀末からインドの直接支配を目ざしたイギリス東インド会社政府は,本国の近代的な地主制の観念を導入し,かつインド古代法典に基づき〈インドでは古来,国家が最高の土地所有権者である〉という論拠に立って新たな徴税制度を実施した。その結果,旧来,土豪地主・領主層であったザミーンダールは,その行政権,軍事権を奪われ,単なる地租徴収請負人の地位に落とされた。…

【商業】より

…他方,中世以来の地中海経由の香料貿易は,急に消滅したのではないが,ポルトガルに代わってオランダがアジア貿易を握る17世紀にはほとんど意味がなくなり,イタリア諸都市も決定的に没落する。 1602年に,これまであった多数の会社を併合して連合東インド会社を設立,圧倒的な資本力によってモルッカ諸島(香料諸島)を含むインドネシアを支配したオランダは,1621年西インド会社をも設立して西半球にも進出した。この結果,17世紀前半には,アントワープに代わってアムステルダムが世界経済の中心となった。…

【スラト】より

…1512年にポルトガル人が来攻し,73年にアクバル大帝が攻略してから,ムガル帝国第一の貿易港,またメッカ巡礼の門戸として栄えた。1612年にはイギリス東インド会社の最初の商館が設置され,87年にボンベイに移るまで同会社のインドにおける拠点となった。当時はキャラコなどの綿布,綿糸を輸出した。…

【茶税法】より

…1700万ポンド(重量)の茶の滞貨で経済的に困窮する東インド会社の救済のため,イギリス議会が1773年5月10日に制定した法律。同法は,北アメリカ植民地向けの茶には本国輸入時の関税を全額東インド会社に払い戻し,かつ,アメリカでは競売ではなく,同社の代理人を通じて直接販売する独占権を与え,オランダの密貿易茶の輸入阻止をも目的とした。…

【プラッシーの戦】より

…1757年に行われたインドのベンガル太守(ナワーブ)とイギリス東インド会社軍との戦闘。東インド会社の得た会社取扱商品の自由通関権と会社職員などによるその乱用は,ベンガル太守の財政収入に打撃を与え,太守シラージュ・ウッダウラと会社との対立が強まっていった。…

【マイソール戦争】より

…アングロ・マイソール戦争とも呼ばれる。南インドの植民地化をねらうイギリス東インド会社軍と,それに抗したマイソール王国のムスリム支配者ハイダル・アーリー,ティプ・スルターン父子との間で続けられた戦争。1767‐69年,80‐84年,90‐92年,99年の4次にわたる戦争の結果,ティプの敗北によってイギリスの南インド支配が決定的となった。…

【マドラス】より

…市の南部には16世紀中期以来ポルトガルのインドにおける根拠地の一つとなったサン・トメSan Thomé(イエスの十二弟子の一人トマスが福音伝道のためインドに来住し,殉教後ここに埋葬されたという伝承をもつ)があるが,現在の市の直接的な起源は1639年に始まる。同年イギリス東インド会社は,コロマンデル海岸における根拠地マスリパタムがゴールコンダ王国に脅かされるに至ったため,同地に代わる新たな根拠地として,マドラサパトナムを取得した。翌40年にはフランシス・デイによって,中央の商館を取り囲む二重の城壁をもつ要塞の建設が開始された。…

【マレーシア】より

…ムラカ王国はジョホールに移り,ジョホール王国となった。ジョホール王国は国際貿易で繁栄したが,この間にポルトガルの植民地であったムラカは1641年にオランダ東インド会社に占領された。18世紀に入るとスラウェシからのブギス族の移住もあって,半島にジョホール,パハン,クランタン,トレンガヌ,ペラ,ケダ,スランゴールの諸王国が分立した。…

【オランダ】より


簿綿2

【オランダ共和国】より

…1585年北ヨーロッパ最大の国際的貿易港アントワープがスペイン軍に占領されると,この港の大商人たちはアムステルダムに移住し,巨額の資本と国際的な取引関係をもたらし,アムステルダムの貿易活動はバルト海に加えて,スペイン,イタリア,レバントへと一挙に拡大した。1602年成立した連合東インド会社はアジア貿易に進出し,ジャワ島のバタビア(現,ジャカルタ)を拠点に,ポルトガル人が1世紀にわたって築き上げたコショウ貿易の独占的地位を奪った。当時の対日貿易においては,ポルトガル,イギリスを抑えたオランダが,ヨーロッパ諸国中,唯一の相手国であった。…

【オランダ商館】より

…江戸時代平戸および長崎にあったオランダ東インド会社の日本支店。1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号が豊後に漂着したが,09年オランダとの国交が開かれたとき商館が平戸に置かれた。…

【オランダ領東インド】より

…オランダがその植民地としていた現在のインドネシア共和国全域(旧ポルトガル領チモールを除く)に与えていた名称(オランダ語ではNederlandsch‐Indiëと書き,多くの場合〈東〉という語は入れない)。すでに18世紀ごろから,オランダ東インド会社の公式文書にこの名称が用いられているが,名実ともにインドネシア全体を含むに至ったのは1915年以後とされる。 東インドに初めて到達したオランダ船は,1596年6月,ジャワ島西部のバンテン港に停泊したコルネリス・ド・ハウトマンの船隊である。…

【株式会社】より



沿
 (1602)()1807

【商業】より

…他方,中世以来の地中海経由の香料貿易は,急に消滅したのではないが,ポルトガルに代わってオランダがアジア貿易を握る17世紀にはほとんど意味がなくなり,イタリア諸都市も決定的に没落する。 1602年に,これまであった多数の会社を併合して連合東インド会社を設立,圧倒的な資本力によってモルッカ諸島(香料諸島)を含むインドネシアを支配したオランダは,1621年西インド会社をも設立して西半球にも進出した。この結果,17世紀前半には,アントワープに代わってアムステルダムが世界経済の中心となった。…

【マレーシア】より

…ムラカ王国はジョホールに移り,ジョホール王国となった。ジョホール王国は国際貿易で繁栄したが,この間にポルトガルの植民地であったムラカは1641年にオランダ東インド会社に占領された。18世紀に入るとスラウェシからのブギス族の移住もあって,半島にジョホール,パハン,クランタン,トレンガヌ,ペラ,ケダ,スランゴールの諸王国が分立した。…

※「東インド会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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