農業(読み)ノウギョウ

デジタル大辞泉 「農業」の意味・読み・例文・類語

のう‐ぎょう〔‐ゲフ〕【農業】

土地を利用して作物を栽培し、また家畜を飼育して衣食住に必要な資材を生産する産業。広義には農産加工・林業も含む。
[類語]農林酪農畜産

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精選版 日本国語大辞典 「農業」の意味・読み・例文・類語

のう‐ぎょう‥ゲフ【農業】

  1. 〘 名詞 〙 栽培・飼育によって作物や家畜などを生産し、それをそのまま、あるいは加工して利用する活動の総称。中世、近世は、特に、耕作をいった。
    1. [初出の実例]「若有身在公庭、心顧私門、妨奪農業、侵蛑万民」(出典:続日本紀‐霊亀元年(715)五月辛巳)
    2. 「むかふより来る、農行(ノウゲウ)の馬によこのりしたる男」(出典:滑稽本・東海道中膝栗毛(1802‐09)五)
    3. [その他の文献]〔漢書‐宣帝紀〕

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改訂新版 世界大百科事典 「農業」の意味・わかりやすい解説

農業 (のうぎょう)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「農業」の意味・わかりやすい解説

農業
のうぎょう
agriculture 英語
agriculture フランス語
Landwirtschaft ドイツ語
Ackerbau ドイツ語

農業とは、土地を利用して作物の栽培または家畜の飼養を行い、衣食住に必要な資材を生産する産業である。しかし、こういっただけでは、ほとんどなにもいったことにはならない。なぜなら、その内容が、時代・地域によって異なるからである。のちに、農業の起源について考察するが、最初の農業はおもに熱帯で行われ、おもな作物はヤムイモとタロイモで、おもな家畜はイヌ、ヤギ、ブタ、ニワトリのような小家畜、その利用方法も肉利用だけ、農具も鍬(くわ)と掘棒(ほりぼう)(その発達したものが踏鋤(ふみずき))だけであった。次期の農業はおもに温帯で行われ、おもな作物は穀物(ムギ、アワ、ヒエ、キビ、イネなど)で、おもな家畜はウマとウシのような大家畜、その利用方法も肉利用のみならず役力利用、乳利用、もっとも重要な農具は犂(すき)で、ウシやウマに引かせて土を耕起した。鍬や踏鋤はおもに園芸に用いられ、農業には用いられなかった。しかし、世界でも特殊な地域(たとえば日本)では、深耕用の犂がない時期が長く続き、鍬や踏鋤が犂にかわって農業に用いられた。このような違いは、どのようにして生じたのであろうか。以下、それを具体的にみてみよう。

[飯沼二郎]

農業と風土

農業は時代や地域によって異なるといったが、それはとくに風土の影響を強く受けるからである。農業には、時代とともに変わっていく面と、変わっていかない面とがある。なぜ変わらないかといえば、その風土が数千年間も変わらないからである。だから正確には、農業は風土という枠のなかで変化するというべきであろう。風土は、たとえば絵画を入れる額縁のようなものである。10号の額縁には10号の絵画なら入るが、10号以上の絵画は入らない。かつてアメリカの西部は不毛の地であった。しかし、19世紀後半に、鉄道が敷かれ、大型農業機械が導入されると、一変して世界第一級のコムギ生産地となった。しかし、それだからといって、西部の風土が変わったわけではない。ただ、その利用方法が変わっただけである。

[飯沼二郎]

乾燥地と湿潤地

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休閑農業と中耕農業

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農業の歴史

農業の起源

農業の起源については、20世紀前半にソ連のN・I・バビロフ、スイスのド・カンドル、アメリカのC・O・サウアー、ドイツのハーンEduard Hahn(1856―1928)などが、それぞれの説を主張したが、それらを集大成したのがドイツのウェルトEmil Werth(1869―1958)である。

 ウェルトは、サウアーの「文化複合」説とハーンの「鍬(くわ)農耕から犂(すき)農耕へ」説を結合して、「鍬農耕文化複合から犂農耕文化複合へ」という学説をつくりあげた。「文化複合」というのは、農業をあらゆる物質文化の複合体として把握する考え方である。人類は採集狩猟段階から、約1万5000年前、熱帯地方で鍬農耕段階に入り、やがて鍬農耕を温帯地方に適合させる努力から犂農耕が生まれた。

 鍬農耕文化複合と犂農耕文化複合の地域は、熱帯と温帯に広範に存在しているが、それらが世界の各地で相互に無関係に発生したと考える人があるかもしれない。しかし、これらの文化複合を構成している要素の一つか二つが、いくつかの地域で偶然に発生するということがあったとしても、これらの構成要素のすべてが、いくつかの地域で相互に無関係に発生するということはありえないから、かならず地球上の1か所で発生し(第一次中心地)、そこから各地に伝播(でんぱ)したものと考えなければならない。伝播の過程で、さらに新しい作物を加えることが考えられるが、とくに新しい作物が多く累積する地域を第二次中心地と名づけよう。ウェルトによれば、その地域と主要な作物は次のようである。

 鍬農耕 第一次中心地(東南アジア)――バナナ、タロイモ、ヤムイモ、パンノキ、サトウキビ
 同 第二次中心地(アメリカ)――トウモロコシ、ナンキンマメ、カンショ、バレイショ、カボチャ、ワタ、トマト、タバコ
 犂農耕 第一次中心地(西南アジア)――オオムギ、コムギ、エンドウ、ブドウ、ナス
 同 第二次中心地(北東アフリカ)――テフ、シコモーレ、コーヒー、トウゴマ
 同 第二次中心地(西南アジア~地中海地方)――ライムギ、エンバク、ニンジン、オリーブ
 同 第二次中心地(東アジア)――キビ、アワ、ダイズ、チャノキ、クワ、ウルシ、ミツマタ
 そして、これらの発生地を異にする作物が、その後、世界各地で混合して今日の農業が形成されたとするのである。

 このウェルトの説は、農業の起源についてもっとも有力な説だが、それ以外にも諸説がないわけではない。たとえば中尾佐助(1916―1993)は、根栽農耕文化、サバナ(サバンナ)農耕文化、地中海農耕文化、新大陸農耕文化がおのおの独立に発生して、のちに混合したと主張する。

 しかし、いずれの説をとるにせよ、今日、熱帯の主作物がタロイモ、ヤムイモであり、温帯の主作物が穀物であることは変わらない。われわれにもっとも関係の深いのは穀物であるから、以下、穀物栽培の歴史について記述する。

[飯沼二郎]

休閑農業の歴史

コムギ、オオムギの発生地が西南アジアであることは前述した。考古学的発掘によれば、これらは、いまから約1万年前、西南アジアの比較的降雨のある冬雨地帯(マルトンヌの年乾燥指数10~20)に二圃(にほ)式農業として成立した。降雨があるといってもわずかであるうえに年の偏差が大きく、収穫がほとんど皆無の年も少なくなかった。それで、収穫を安定させるために、水が利用できる所では灌漑(かんがい)が始まった。まず初め、山間の細流や泉の水を利用して行われた。灌漑は収穫を安定させるだけではなしに、それを2、3倍にする(1960年のイランの農業統計でも平均して灌漑地は非灌漑地の約2.2倍の高い収量を示していた)。

 やがて、このような灌漑技術が、気候の乾燥と低湿地のために居住が不可能であったティグリス、ユーフラテス両川の沖積地帯に導入され彎轅(わんえん)犂が使用された。生産性が高く、安定度の高い灌漑農業の発達は、急激な人口増加をもたらすとともに、農業に従事しない人々――商工業者や一群の支配階級――を生み出す。こうして紀元前三千年紀に、ユーフラテス下流域にまず都市国家群が成立し、やがて北方に領域を拡大してアッシリア王国、バビロニア王国に発展した。灌漑技術は、さらにナイル川やインダス川にも伝播し、それぞれに古代国家を発達させた。なお、この地域のもう一つの灌漑方法として、カナートとかカレーズとかよばれるものがある。掘り当てた伏流水を砂漠の下に長いトンネルを掘って耕地に導く井戸灌漑である。

[飯沼二郎]

二圃式から三圃式へ

古代ギリシア、ローマの農業は、西南アジアの二圃式が伝播したものと思われる。耕地は、彎轅犂によって十字に浅耕されたから、方形をしていた。やがて、ローマの二圃式と彎轅犂は、ローマの領土の拡大とともに北ヨーロッパに伝播したが、北ヨーロッパは南ヨーロッパと異なり夏雨型の湿潤地であり、三圃式がゲルマニア地方の方形犂と結び付いてしだいに北ヨーロッパに普及し、ほぼ13世紀ごろまでに、ヨーロッパは北に三圃式、南に二圃式が一般化する。

 三圃式は村落共同体の存在を前提とし、さらに村落共同体の形成は封建制の形成と結び付く。耕地は道路によって三つの耕区に区分され、一つは休閑地、他の二つは穀物畑になっていた。各耕区はさらにいくつかの小耕区に分かれ、各小耕区はさらにいくつかの条地に分かれている。普通、小耕区は12ないし20エーカー、条地はだいたい1エーカーほどであった。方形犂は重く、多数のウマ(普通4~6頭)によって牽引(けんいん)されたから、その転回度数を減らすために条地は短冊形をなし、犂耕(りこう)は小耕区ごとの共同作業によった。条地と条地との境には垣がなく、犂(す)き残された草地か、簡単な境界標があるにすぎず、また耕地には農道もなかったから、播種も収穫も定められた期間内に全村一斉に行わなければならなかった(これを「耕地強制」という)。家畜は春から夏まで共同放牧地に放牧され、冬作物(コムギなど)と夏作物(オオムギなど)の収穫後は、それぞれの刈り跡地に放牧された。一方、夏の間に採草地で干し草をつくり、11月から翌年3月まで、雪のため放牧できない家畜の舎飼いに用いられた。

[飯沼二郎]

三圃式から輪栽式へ

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中耕農業の歴史

中耕農業も、休閑農業と同様に乾燥地から湿潤地へと発展している。文献上、もっとも古くさかのぼれるのは北インドと北中国(華北)で、いずれも年の乾燥指数が20以下の乾燥地である。

[飯沼二郎]

北インドと北中国の古代農業

北インドでは紀元前1000年ごろには家畜と犂をもち、夏作にキビ、冬作にオオムギなどをつくり、また華北では前2000年ごろにアワ、キビ、オオムギなどをつくっていた。ここに、すでに、休閑農業との違いがはっきり現れている。一つにはアワ、キビのような雑穀の栽培、二つには二毛作が行われていることである。休閑農業では二毛作は不可能だが、中耕農業では夏雨のため夏作が可能なうえに、冬は乾燥するのでムギ作が可能なのである。これらの雑穀は、やがて東南アジアや東アジアへ伝播していった。

 北インドと華北の古代農業の姿を推測する手だてとして、これらの地方で現在どのような農業が行われているかをみてみよう。

 北インドの現在の農業は、夏作物(雑穀、マメ、ワタなど)を6、7月に播(ま)き、10、11月に収穫し、また冬作物(コムギ、オオムギなど)を10、11月に播き、翌年の3、4月に収穫する。犂耕は6月のモンスーンとともに開始され、犂は2頭のウシで引かせるインド犂で、犂耕後はかならず板の上に人が乗り、ウシに引かせて鎮圧をする。播種は、土壌が乾燥しきってしまわないうちに、すばやく種子を適当な深さに埋めなければならないから、2頭のウシに引かせた播種機が用いられる。中耕は夏作物には普通2回、冬作物には行われない。休閑中に犂による保水作業が行われる。

 また、現在の華北の農業も、これに似ている。夏作物はアワ、キビ、トウモロコシ、アサ、マメ、ワタなど、冬作物はオオムギ、コムギなどである。夏作物の収穫直後、まだ夏雨による水分が土中にある間に犂耕し、ただちに耙(は)や蓋子(がいし)などによる砕土・鎮圧作業が続く。春にも、播種に先だち、犂耕と砕土・鎮圧が行われるが、あまり乾燥が激しいときには犂耕は省かれる。播種は耬(ろう)(中国の播種機)による。

 このような農業がいつごろから始まったかは、北インドについては正確にはわからないが、華北については、少なくとも現在の型の犂ができたのは漢時代だといわれている。いまから約2200年前である。古代農業では、犂などの農具はもっと単純なものを使用していたにしても、農作業の手順はほとんど変わりはなかったのではないかと思われる。

[飯沼二郎]

イネの起源と伝播

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 西西


中国とインドの稲作技術

中国最古のイネの考古学的資料は、河南省仰韶(ぎょうしょう)(前2200~前1900)から出土しているが、当時この地方でイネが栽培されたとすることについては否定的意見が強い。仰韶文化は河南・陝西(せんせい)・山西・甘粛(かんしゅく)を中心とする黄土地帯に広くその遺跡を残しているが、もっとも多い作物はアワである。黄河の中・下流において仰韶文化に続くものは竜山(りゅうざん)文化で、ついで、この竜山文化のなかから殷(いん)文化が生まれてくるが、いずれもアワを主作物とする農業であることには変わりがない。

 一方、華中において、華北の仰韶・竜山文化に並行すると考えられる屈家嶺(くっかれい)・青蓮岡(せいれんこう)・良渚(りょうしょ)文化は、すべて米を出土し、また遺跡の立地からみても、水稲耕作にきわめて便利な位置が選ばれている。稲作のみならず、近くの河川・湖沼から貝や魚をとり、イノシシやシカをとる狩猟・採集生活もいっしょに行っていた。華北の殷周文化と並行すると考えられる揚子江下流域の湖熟文化においても、稲作が行われ、石包丁などの石器とともに青銅器も用いられた。

 前2世紀の華中の稲作の一般的な状況を示すと思われる文献がある。『漢書(かんじょ)』武帝紀に収められた詔勅に、「江南之地火耕水耨」(江南の地は、火で耕し水で耨(くさぎ)る)とあるのがそれである。これは、当時の華北の進んだ農業(畑作)に対して、華中の農業(稲作)の後進性を示したもので、乾期に雑草を焼き払い、その跡にイネを播き、雨期に水を入れてイネとともに成長した雑草を殺すやり方である。焼畑農耕の一種とも考えられ、おそらく照葉樹林文化のなかで成立した最古の稲作の状態を示すものであろう。犂もないところから、ウェルトのいう鍬農耕文化に属するものと考えられる。このように深く湛水して除草の煩を省く農法を「常湛(じょうたん)法」とよぼう。今日でも東南アジアの稲作は、この農法によっている。

 その後、6世紀の華北の農書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』には、何度も水田の水を落とし(中干(なかぼし))、雑草を鎌(かま)で刈り取る新しい稲作が記述されている。これを「中干法」とよぼう。

 一方、インド最古のイネの考古学的資料は、ビハール州やグジャラート州などから出土し、いずれも前2300年ごろと考えられるが、6~8世紀ごろに成立したと思われる北インドの農書『クリシ・パラーシャラ』にも、華北と同様の中干法が記されている。

 イネは水草ではなく、根が酸素を呼吸しているのだから、中干をすればイネは強健になり収量も増える。しかし、そのためには水の掛け引きを可能とする土木技術の発達が前提となる。華北では戦国期(前3、4世紀)に鉄器とともに土木技術が発達する。おそらく、照葉樹林文化で発生した稲作(常湛法)が北上して華北の戦国期に中干法に変換したものであろう(北インドについては、よくわからない)。

 華北の中干法は中国犂と結び付いて(すなわちウェルトのいう犂農耕文化に転換して)東アジア・東南アジアへ、また北インドの中干法はインド犂と結び付いて東南アジアへ伝播した。しかし、東南アジアは中干法を拒否し、中国犂・インド犂のみを受け入れた。今日でも、中国犂・インド犂と結合して常湛法が行われている。

[飯沼二郎]

日本農業の発展

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農業の現状

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日本の農業



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百科事典マイペディア 「農業」の意味・わかりやすい解説

農業【のうぎょう】

 
1 ()()()20 西沿西 ()21960 197019801980199019979.219604119952000197073.437.923.2199674.029.825.2貿
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農業」の意味・わかりやすい解説

農業
のうぎょう
agriculture

 
(1)  (2)  (3)  ()   

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普及版 字通 「農業」の読み・字形・画数・意味

【農業】のうぎよう(げふ)

 
()()

 

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栄養・生化学辞典 「農業」の解説

農業

 食品となる植物や繊維,木材,その他生活に有用な物質を提供する植物を栽培したり,家畜,畜産製品,食用魚介類などを生産したり収穫する産業.

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世界大百科事典(旧版)内の農業の言及

【勧農】より

…農業を勧めること。
【日本】

[古代]
 律令政府はこれを〈勧課農桑〉と表現した。…

※「農業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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