糟屋郡
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糟屋郡︵かすやぐん︶は、福岡県︵筑前国︶の郡。
人口233,514人、面積164.64km²、人口密度1,418人/km²。︵2024年5月1日、推計人口︶
以下の7町を含む。
●宇美町︵うみまち︶
●篠栗町︵ささぐりまち︶
●志免町︵しめまち︶
●須恵町︵すえまち︶
●新宮町︵しんぐうまち︶
●久山町︵ひさやままち︶
●粕屋町︵かすやまち︶
糟屋郡と粕屋町では﹁かす﹂の漢字が異なっている︵糟は常用漢字外︶。
郡域
1878年︵明治11年︶に行政区画として発足した当時の郡域は、上記7町のほか、下記の区域にあたる。 ●福岡市 ●東区の大部分︵馬出・東浜・西戸崎・志賀島・勝馬・弘を除く︶ ●古賀市の全域概要
郡名の由来は不明だが、その歴史は古く、京都の妙心寺の国宝梵鐘には﹁戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國鋳鍾﹂という銘があり、戊戌年、西暦698年に舂米連広国︵つきしねのむらじひろくに︶という糟屋評︵こおり︶の長官であった人物がこの鐘を鋳造させたことが記されている。その後も、﹃筑前国風土記﹄︵逸文、713︶、﹃日本書紀﹄︵720︶、﹃延喜式﹄︵927︶、﹃和名抄﹄︵931–938︶に一貫して﹁糟屋﹂という文字で現れる。﹃日本書紀﹄に記された磐井の乱の経緯が史実ならば、大和朝廷に筑紫君葛子が糟屋の屯倉を献上したのは528年となる。 ﹃和名抄﹄によれば10世紀当時糟屋郡には香椎郷︵カスヒ︶・志阿郷︵志珂の誤りか︶・厨戸郷・大村郷︵オホムラ︶・池田郷・阿雲郷︵阿曇の誤りか︶・柞原郷︵クハラ︶・勢門郷︵セト︶・敷梨郷の9郷が存在した[1]。 福岡藩時代およびそれ以前より1889年︵明治22年︶に町村制が施行されるまでは、糟屋郡北部は裏糟屋郡、南部は表糟屋郡に分けて支配されていた。 郡域南部には粕屋炭田と呼ばれる炭田が広がっており、明治以降石炭産業で栄えたが、1960年代にエネルギー源が石炭から石油へ移行したため郡内の炭鉱はすべて閉山し、人口・産業などの面で衰退した。その後、隣接する福岡市の発展により、ベッドタウンとして人口が増加に転じた。 2005年4月1日、それまで日本の郡の中で最も人口が多かった愛知県海部郡のうち4町村が愛西市として市制施行したことで、日本で一番人口の多い郡となった。粕屋町・志免町・篠栗町は同年までの5年間の人口増加率が県内1 - 3位である。 2007年1月29日、新宮町をのぞく6町の間で﹁合併研究会事務局﹂を開設。4月以降に任意合併協議会を発足し、同年12月をめどに法定合併協議会へ移行した。2010年2月の合併を目指してきたが、具体的な話は進んでいない。歴史
古代
式内社
﹃延喜式﹄神名帳に記される郡内の式内社。神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
糟屋郡 3座(並大) | |||||||
志加海神社 三座 | -ウミノ -アマ |
並名神大 | 志賀海神社 | 福岡県福岡市東区志賀島 | [1] | ||
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近世以降の沿革
●明治初年時点では全域が筑前福岡藩領であった。﹁旧高旧領取調帳﹂に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。︵86村︶ 久原村、蒲田村、萩尾村、猪野村、山田村、上山田村、大隈村、和田村、津波黒村、高田村、金出村、名子村、田中村、篠栗村、尾仲村、乙犬村、若杉村、江辻村、旅石村、植木村、本合村、酒殿村、仲原村、上仲原村、佐谷村、障子岳村、宇美村、炭焼村、四王寺村、田富村、吉原村、南里村、新原村、志免村、井野村、上須恵村、須恵村、箱崎村、内橋村、戸原村、土井村、多田羅村、松崎村、名島村、阿恵村、新長者原村、別府村、御手洗村、原町村、津屋村、柚須村、八田村、浜男村、香椎村、下原村、唐原村、三苫村、三代村、湊村、上和白村、下和白村、原上村、小竹村、立花口村、下府村、上府村、奈多村、庄村、古賀村、鹿部村、青柳村、青柳町、川原村、今在家村、筵内村、久保村、新原村、薦野村、米多比村、薬王寺村、谷山村、小山田村、的野村、相之島村、塩浜村、新宮村[2] ●明治4年7月14日︵1871年8月29日︶ - 廃藩置県により福岡県の管轄となる。 ●明治初年 - 上仲原村が仲原村に合併。︵85村︶ ●明治8年︵1875年︶ ●上山田村が山田村に、障子岳村が宇美村にそれぞれ合併。︵83村︶ ●明治11年までの間に本合村が上木村に合併。︵82村︶ ●明治11年︵1878年︶11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての糟屋郡が発足。郡役所が箱崎村に設置。 ●明治13年︵1880年︶ - 那珂郡志賀島村・勝馬村の所属郡が本郡に変更。︵84村︶町村制以降の沿革
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
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表糟屋郡 | 久原村 | 久原村 | 久原村 | 昭和31年9月30日 久山町 |
久山町 | 久山町 |
山田村 | 山田村 | 山田村 | ||||
篠栗村 | 昭和2年1月1日 町制 |
篠栗町 | 昭和30年4月1日 篠栗町 |
篠栗町 | 篠栗町 | |
勢門村 | 勢門村 | 勢門村 | ||||
仲原村 | 仲原村 | 仲原村 | 昭和32年3月31日 粕屋町 |
粕屋町 | 粕屋町 | |
大川村 | 大川村 | 大川村 | ||||
須恵村 | 須恵村 | 昭和28年4月1日 町制 |
須恵町 | 須恵町 | 須恵町 | |
宇美村 | 大正9年10月20日 町制 |
宇美町 | 宇美町 | 宇美町 | 宇美町 | |
志免村 | 昭和14年2月17日 町制 |
志免町 | 志免町 | 志免町 | 志免町 | |
箱崎町 | 昭和15年12月26日 福岡市に編入 |
福岡市 | 福岡市 | 福岡市 | 福岡市 | |
多々良村 | 多々良村 | 昭和25年4月1日 町制 多々良町 |
昭和30年2月1日 福岡市に編入 | |||
裏糟屋郡 | 香椎村 | 昭和18年2月11日 町制 |
香椎町 | |||
和白村 | 和白村 | 昭和29年11月1日 町制 |
昭和35年8月27日 福岡市に編入 | |||
新宮村 | 新宮村 | 昭和29年11月1日 町制 |
昭和30年4月1日 新宮町 |
新宮町 | 新宮町 | |
立花村 | 立花村 | 立花村 | ||||
席内村 | 昭和13年4月17日 町制改称 古賀町 |
古賀町 | 昭和30年4月1日 古賀町 |
平成9年10月1日 市制 |
古賀市 | |
青柳村 | 青柳村 | 青柳村 | ||||
小野村 | 小野村 | 小野村 | ||||
那珂郡 | 志賀島村 | 志賀島村 | 昭和28年7月5日 町制改称 志賀町 |
昭和46年4月5日 福岡市に編入 |
福岡市 | 福岡市 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
- 郡長を務めた主な人物
脚注
(一)^
“和名抄に見える糟屋郡の郷名”. まちの史跡めぐり 第37回 ︵広報すえまち 2000/4︶. 2009年1月22日閲覧。
“郡名﹁粕屋﹂について”. 町史のひとこま 第10回 ︵広報すえ 1981/4︶. 2009年1月22日閲覧。
(二)^ 無高のため記載なし。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 40 福岡県、角川書店、1988年2月1日。ISBN 4040014006。
- 旧高旧領取調帳データベース