神崎武雄
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神崎 武雄︵かんざき たけお、1906年6月18日 - 1944年9月17日︶は、日本の小説家。孫は漫画家の押切蓮介︵神崎良太︶[1]。
人物[編集]
福岡県門司市︵現・北九州市門司区︶出身。早稲田大学中退後、都新聞︵東京新聞の前身紙︶に入社[2]。1940年に新鷹会に入会し、﹃オール讀物﹄1942年11月号に掲載された﹁寛容﹂は第16回直木賞を受賞した。 その後、海軍報道班員として南方やシンガポールに派遣された。その最中の1944年6月に妻が出産後間もなくして亡くなったとの訃報が届き、海軍省から帰還命令が出て、空母﹁雲鷹﹂に便乗したが、9月17日に南シナ海でアメリカ軍潜水艦の雷撃を受けて沈没し、戦死した[3]。 国柱会の信者であった[4]。脚注[編集]
- ^ “新装版でろでろ刊行!押切蓮介がホラーギャグのルーツ語る”. 2013年12月26日閲覧。
- ^ 『神崎武雄』 - コトバンク
- ^ 神崎政靖「三十年目に知った父の最後」、『日蓮主義』第5850号、国柱会、1976年9月、p.32-38。
- ^ 田中智学先生に影響を受けた人々
関連項目[編集]
- 田岡典夫(第16回直木賞を同時受賞した作家)