山口洋子

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やまぐち ようこ


山口 洋子
生誕 (1937-05-10) 1937年5月10日
日本の旗 日本愛知県名古屋市
死没 (2014-09-06) 2014年9月6日(77歳没)
日本の旗 日本東京都
出身校 京都女子高等学校(中退)
職業 著作家、作詞家
親戚 ハイヒールモモコ(姪で兄の娘)
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ラジオ番組[編集]

関連書籍[編集]

  • 細田昌志「沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝」(2020年10月、新潮社

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 元は芸者歌手であった神楽坂浮子が自分の詞の添削を依頼したのだが、添削するうちにほとんど原型をとどめなくなったため、双方同意で山口の作詞ということにして、「夜の銀座」ブームに乗っかろうとした。この曲は売れなかったが「作詞できる銀座のママ」「銀座のママの作詞」「あの有名なクラブの、あの有名なママの作詞」という肩書がうけ、店の常連客であった芸能関係者を通して次々と依頼が来るようになった。

出典[編集]

  1. ^ a b DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、158頁。
  2. ^ a b c d e 山口洋子は東映ニューフェイスからヤクザの愛人に… - 日刊ゲンダイDIGITAL・2021年6月9日
  3. ^ クラブ「姫」は安藤昇の愛人だった時の愛称から名付けた - 日刊ゲンダイDIGITAL・2021年6月10日
  4. ^ 新参の山口洋子は旧態依然とした夜の銀座の革命児だった - 日刊ゲンダイDIGITAL・2021年6月8日
  5. ^ a b c 銀座の高級クラブ「姫」のマダム・山口洋子の“多面多才” - 日刊ゲンダイDIGITAL・2021年6月5日
  6. ^ 直木賞作家・山口洋子さん死去 デイリースポーツ 2014年9月15日閲覧

外部リンク[編集]