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「イヴァン・カペリ」の版間の差分

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=== 1989年 ===

=== 1989年 ===


F1[[CG891]]<ref group="">CG</ref>EVCG891276161421[[1989|GP]]CG891[[]]44[[]]2[[]][[]]1[[1989|3GP]]11<ref>[[GPX ()|GPX]] F1GP'89-'90 p.72  1989</ref>

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=== 1990年 ===

=== 1990年 ===

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=== 1993年 ===

=== 1993年 ===

かつて一緒にレイトンハウスに所属し、[[ジョーダン・グランプリ|ジョーダン]]のマネージャーとなっていた旧知のイアン・フィリップスに誘われ、ジョーダンと契約。しかし開幕戦[[1993年南アフリカグランプリ|南アフリカGP]]では、予選で新人のチームメイト・[[ルーベンス・バリチェロ]]の後塵を拝し、決勝でも5周目にマシントラブルによるクラッシュでリタイヤ。第2戦[[1993年ブラジルグランプリ|ブラジルGP]]では、トラブルによりセッティングを煮詰められず、予選落ちを喫した。


[[|]]<ref>AUTO SPORT No.10382005113200568</ref>[[1993|GP]][[]]52[[1993|GP]]


資金面のトラブルもあったことから、チームは早々に見切りをつけ、第3戦ヨーロッパGP以降ドライバーをベテランの[[ティエリー・ブーツェン]]に交代。これ以後カペリがF1シートを得ることはなく、[[フォーミュラカー]]でのキャリアは終わりを告げた。

資金面のトラブルもあったことから、チームは早々に見切りをつけ、第3戦ヨーロッパGP以降ドライバーをベテランの[[ティエリー・ブーツェン]]に交代。これ以後カペリがF1シートを得ることはなく、[[フォーミュラカー]]でのキャリアは終わりを告げた。

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* 身長174cm。

* 身長174cm。

* 1989年メキシコGPのフォーメーションラップ中、自車に取り付けられた車載カメラに対して手を振ったりピースサインをして見せるなど、カメラに対してのサービス精神が旺盛である。日本GPで本戦前に散歩をしているときには「天然記念物」と日本語で書かれたタスキを掛けて鈴鹿を練り歩いていた姿が撮影されている。

* 1989年メキシコGPのフォーメーションラップ中、自車に取り付けられた車載カメラに対して手を振ったりピースサインをして見せるなど、カメラに対してのサービス精神が旺盛である。日本GPで本戦前に散歩をしているときには「天然記念物」と日本語で書かれたタスキを掛けて鈴鹿を練り歩いていた姿が撮影されている。

* 顔より大きな巨大サングラスをかけたり、ケガで松葉杖をついていた際はケガした箇所に[[ビッグバード (セサミストリート)|ビッグバード]]の縫いぐるみをつけたりと茶目っ気たっぷりの性格だった。


* <ref>AUTO SPORT No.10382005113200562</ref>1988GP[[ ()|]]<ref>AUTO SPORT No.10382005113200560</ref><ref>100 038 '90F1GP2007P.45</ref>

* 1990年フランスGPでは久々の表彰台に上がり、優勝した[[アラン・プロスト]]から握手を求められた際、思わず嬉し涙を流した。カペリは「優勝出来なかった悔しさもあるけど、でもチームがこんな状態(直前に[[エイドリアン・ニューウェイ]]が成績不振の責任を取らされ解雇された)だし2位でも十分だよ。あのフェラーリをコーナーでスッと引き離せたくらいなんだから。エンジンが最後までもったら、絶対に僕が優勝出来ていた」と語っている<ref name="f1prix" />。

* 1990年フランスGPでは久々の表彰台に上がり、優勝した[[アラン・プロスト]]から握手を求められた際、思わず嬉し涙を流した。カペリは「優勝出来なかった悔しさもあるけど、でもチームがこんな状態(直前に[[エイドリアン・ニューウェイ]]が成績不振の責任を取らされ解雇された)だし2位でも十分だよ。あのフェラーリをコーナーでスッと引き離せたくらいなんだから。エンジンが最後までもったら、絶対に僕が優勝出来ていた」と語っている<ref name="f1prix" />。

* ひどい[[近視]]のため、普段は常に[[眼鏡]]を着用していたが、レース中は[[コンタクトレンズ]]を使っていた。新人時代から母国メーカーのヘルメットを使用していたが、雨のレースだとバイザーのすきまからどうしても水滴がミスト状に侵入しコンタクトレンズに悪影響が出ることに悩んでいた。それをチームメイトの[[マウリシオ・グージェルミン]]に話したところ、「俺の[[アライヘルメット|アライ製]]は雨でも水は入ってこない」と言うので、[[1990年カナダグランプリ|1990年カナダGP]]の時にアライヘルメットにオーダーを出した。カペリ用のアライ試作品をフランスGP予選で初めて被った際にはそのフィット感に驚き、「すごい![[フィアット・500]]から[[フェラーリ・F40|フェラーリ]]に乗り換えたみたいだ」と感激。以後はアライユーザーとなった<ref>事情通 from Pressroom GPX 1990フランス号 31頁 山海堂 1990年7月28日発行</ref>。

* ひどい[[近視]]のため、普段は常に[[眼鏡]]を着用していたが、レース中は[[コンタクトレンズ]]を使っていた。新人時代から母国メーカーのヘルメットを使用していたが、雨のレースだとバイザーのすきまからどうしても水滴がミスト状に侵入しコンタクトレンズに悪影響が出ることに悩んでいた。それをチームメイトの[[マウリシオ・グージェルミン]]に話したところ、「俺の[[アライヘルメット|アライ製]]は雨でも水は入ってこない」と言うので、[[1990年カナダグランプリ|1990年カナダGP]]の時にアライヘルメットにオーダーを出した。カペリ用のアライ試作品をフランスGP予選で初めて被った際にはそのフィット感に驚き、「すごい![[フィアット・500]]から[[フェラーリ・F40|フェラーリ]]に乗り換えたみたいだ」と感激。以後はアライユーザーとなった<ref>事情通 from Pressroom GPX 1990フランス号 31頁 山海堂 1990年7月28日発行</ref>。

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* 赤城にカペリを最初に紹介したのは、[[ブリヂストン]]のモータースポーツ室長だった安川ひろしである。[[萩原光]]の事故死によりレース撤退を考えていた赤城に、ブリヂストンが参戦した国際F3000選手権で優勝しその力を知っていたカペリを紹介した。カペリを人間的に気に入った赤城は彼を萩原の後任として8月から全日本F2へ復帰することを決め、翌年からカペリを起用するマーチF1をスポンサードしていくことにも繋がった<ref name=”gpx1987suzuka”>MARCH グランプリ・エクスプレス1987年日本GP号 26-27頁 山海堂 1987年11月15日発行</ref>。

* 赤城にカペリを最初に紹介したのは、[[ブリヂストン]]のモータースポーツ室長だった安川ひろしである。[[萩原光]]の事故死によりレース撤退を考えていた赤城に、ブリヂストンが参戦した国際F3000選手権で優勝しその力を知っていたカペリを紹介した。カペリを人間的に気に入った赤城は彼を萩原の後任として8月から全日本F2へ復帰することを決め、翌年からカペリを起用するマーチF1をスポンサードしていくことにも繋がった<ref name=”gpx1987suzuka”>MARCH グランプリ・エクスプレス1987年日本GP号 26-27頁 山海堂 1987年11月15日発行</ref>。

* [[ヘレス・サーキット]]でのF1開幕前合同テストにて、[[フォーミュラ1カー#ウイング|リアウイング]]が脱落し高速でクラッシュした[[中嶋悟]]がマシンから脱出後しばらく動けなかった際に、カペリが現場に駆け付け中嶋を介抱する光景がTVカメラで記録され、日本でも『[[F1ポールポジション]]』などで紹介された。中嶋とは2011年F1日本グランプリの会場で行われたトークイベントで共演し、再会した際に抱擁を交わしている。

* [[ヘレス・サーキット]]でのF1開幕前合同テストにて、[[フォーミュラ1カー#ウイング|リアウイング]]が脱落し高速でクラッシュした[[中嶋悟]]がマシンから脱出後しばらく動けなかった際に、カペリが現場に駆け付け中嶋を介抱する光景がTVカメラで記録され、日本でも『[[F1ポールポジション]]』などで紹介された。中嶋とは2011年F1日本グランプリの会場で行われたトークイベントで共演し、再会した際に抱擁を交わしている。

* 1992年念願のフェラーリに加入するも悲惨なシーズンを送ったが、「それはそれで一緒に働いたメカニックやエンジニアとは、その後もとてもいい関係でいるんだ」と語っている。


* 1992<ref>Racing OnNo.391 2005p.25</ref>

* 1992年にフェラーリでカペリが受けた待遇について、チームメイトだったアレジは「イタリア人がフェラーリをドライブするとなれば期待感だってハンパない。ダメなのはクルマなのに、地元メディアは彼を袋だたきにするわけだから、メンタル的に崩れたとしても無理はなかったと思う。彼が手にしたクルマは、特にシーズン序盤がそうなんだけど、必ずしもフル装備ではなかったんだ。何にしても、イタリア生まれには重すぎる荷物だったんだ」と同情している<ref>『Racing On』No.496 三栄書房、2018年、p.35。</ref>。

* [[2006年]]の日本GPにて、かつての愛車・レイトンハウスCG891に乗り、[[ゲルハルト・ベルガー]]([[マクラーレン・MP4/6]])、[[鈴木亜久里]](ラルース・[[ローラ・LC90]])と共にデモランを行った。

* [[2006年]]の日本GPにて、かつての愛車・レイトンハウスCG891に乗り、[[ゲルハルト・ベルガー]]([[マクラーレン・MP4/6]])、[[鈴木亜久里]](ラルース・[[ローラ・LC90]])と共にデモランを行った。

* 周囲からは[[俳優]]の[[ダスティン・ホフマン]]に似ていると言われており、カペリ自身も「似ている」と自称していた。

* 周囲からは[[俳優]]の[[ダスティン・ホフマン]]に似ていると言われており、カペリ自身も「似ている」と自称していた。

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=== フォーミュラ・レーシング ===

=== フォーミュラ・レーシング ===

===FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権===

{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"

! 年

! エントラント

! シャシー

! エンジン

! 1

! 2

! 3

! 4

! 5

! 6

! 7

! 8

! 9

! 10

! 11

! 12

! 13

! 14

! 15

! 16

!{{Tooltip|Pos.|Championship position}}

!Pts

|-

!rowspan="2"| [[1982年のヨーロッパ・フォーミュラ3選手権|1982年]]

!rowspan="2"| イヴァン・カペリ

! [[マーチ・エンジニアリング|マーチ・803]]

! [[トヨタ・T型エンジン#2T-G|トヨタ・2T-G]]

|{{MsStatsC|f}}|[[ムジェロ・サーキット|MUG]]<br />{{small|8}}

|[[ニュルブルクリンク|NÜR]]

|[[ドニントン・パーク|DON]]

|[[ゾルダー・サーキット|ZOL]]

|[[マニクール・サーキット|MAG]]

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|[[ラ・シャトル|LAC]]

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|[[ノガロ・サーキット|NOG]]

|[[ハラマ・サーキット|JAR]]

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! [[1983年のヨーロッパ・フォーミュラ3選手権|1983年]]

! [[コローニ|コローニ・レーシング]]

|{{MsStatsC|f}}|[[ACI・ヴァレルンガ・サーキット|VLL]]<br />{{small|8}}

|{{MsStatsC|c}}|[[ニュルブルクリンク|NÜR]]<br />{{small|C}}

|[[ゾルダー・サーキット|ZOL]]

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|[[レッドブル・リンク|ÖST]]

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|[[リンク・クヌストループ|KNU]]

|[[ノガロ・サーキット|NOG]]

|[[ハラマ・サーキット|JAR]]

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|[[ドニントン・パーク|DON]]<br />{{small|}}

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! 15位

! 5

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==== マカオグランプリ ====

==== マカオグランプリ ====

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==== 国際フォーミュラ3000選手権 ====

==== 国際フォーミュラ3000選手権 ====

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! ジェノア・レーシング

! ジェノア・レーシング

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| [[ニュルブルクリンク|NÜR]]

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! 年

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! チーム

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! [[1986年の全日本F2選手権|1986年]]

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! [[レイトンハウス|Leyton House Racing]]

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! [[マーチ・842#マーチ・842をベースとしたマシン|マーチ・86J]]


! [[ヤマハ・OX66]]

! {{Bridgestone}}

| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]

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| [[富士スピードウェイ|FUJ]]

| [[富士スピードウェイ|FUJ]]

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[[Category:国際F3000選手権のドライバー]]

[[Category:国際F3000選手権のドライバー]]

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[[Category:マカオグランプリのドライバー]]

[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]

[[Category:スパ24時間レースのドライバー]]

[[Category:世界ツーリングカー選手権のドライバー]]

[[Category:世界ツーリングカー選手権のドライバー]]

[[Category:ドイツスーパーツーリング選手権のドライバー]]

[[Category:ドイツスーパーツーリング選手権のドライバー]]

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[[Category:モータースポーツ解説者]]

[[Category:ミラノ出身の人物]]

[[Category:ミラノ出身の人物]]


2024年3月12日 (火) 10:07時点における最新版

イヴァン・カペリ
Ivan Capelli
イヴァン・カペリ (2016年)
基本情報
フルネーム イヴァン・フランコ・カペリ
Ivan Franco Capelli
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ミラノ
生年月日 (1963-05-24) 1963年5月24日(61歳)
F1での経歴
活動時期 1985-1993
所属チーム '85 ティレル
'86 AGS
'87-'89 マーチ
'90-'91 レイトンハウス
'92 フェラーリ
'93 ジョーダン
出走回数 98 (93スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 3
通算獲得ポイント 31
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1985年ヨーロッパGP
最終戦 1993年ブラジルGP
テンプレートを表示

Ivan Franco Capelli, 1963524 - F1

[]

[]


1551982F319839F319844F3

1985[]


1985F300017

F12F114GPGP43

1986[]


1986F300023PP1FLBMWF3000[1]F3000F3000AF281065F1[2]2鹿3F27

F3000使10F1F1F1F2F1[1]F30004F1[1]F1F11987F1[1]

AGSF113GP14GP

1987[]


F1F3000DFZ4GP66

BMW

1988[]

8811988

8812

12GP4881B188

13GP211GP3[ 1]F1GP

15GP1NA鹿

1989[]


F1CG891[ 2]EVCG891276161421GPCG89144213GP11[3]'89'90[4]

1990[]


CG9012GP6GP2

7GPCG901B71-2641/2V8[5]2

8GP1034925GP2

1991[]

CG9111991

1990GPCG911914

10GP613GP95436439[6]17

[7]15GPGP2[8]1411

GP姿[9]

1992[]


19929110[10]911125643[11]

1992F92A1986

F92A3GP511GP6223

14GP15GPGP2

1993[]


[12]GP52GP

3GPF1

退[]


退[13]GP[14]

[]


174cm

1989GPGP鹿姿

[15]1988GP[16][17]

1990GP2[5]

使使1990GPGP500[18]

199123[19]

1988GP2[13]2018[20]

退F30008F2F1[21]

F1TVF12011F1

1992[22]

1992[23]

2006GPCG891MP4/6LC90


[]

[]

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
1982 イタリア・フォーミュラ3 チェーザレ・ガリボルディ 11 0 0 1 1 25.5 6位
ヨーロピアン・フォーミュラ3 トリノ・コルセ 3 0 0 0 0 0 NC
1983 イタリア・フォーミュラ3 スクーデリア・コローニ 12 9 10 8 10 91 1位
ヨーロピアン・フォーミュラ3 3 0 0 0 1 5 15位
1984 12 4 2 4 9 60 1位
イタリア・フォーミュラ3 1 0 0 1 1 6 12位
マカオグランプリ マールボロ・セオドール・レーシング・チーム 1 0 0 0 0 N/A 5位
1985 ヨーロピアン・フォーミュラ3000選手権英語版 ジェノア・レーシング 6 1 0 1 2 13 7位
フォーミュラ1 ティレル・レーシング・オーガニゼーション 2 0 0 0 0 3 17位
1986 国際フォーミュラ3000選手権英語版 ジェノア・レーシング 11 2 3 1 6 39 1位
全日本フォーミュラ2 Leyton House Racing 3 0 0 ? 2 33 7位
フォーミュラ1 ジョリー・クラブ・SpA 2 0 0 0 0 0 NC
マカオグランプリ デビッド・プライス・レーシング w/マールボロ・セオドール・レーシング 1 0 0 0 0 N/A 11位
IMSA・GT選手権 コンテ・レーシング 1 0 0 0 0 0 NC
1987 フォーミュラ1 レイトンハウスマーチ・レーシング・チーム 15 0 0 0 0 1 19位
世界ツーリングカー選手権 シュニッツァー・モータースポーツ 5 0 0 0 3 60 23位
ヨーロピアン・ツーリングカー選手権 1 0 0 0 0 0 NC
1988 フォーミュラ1 レイトンハウス・マーチ・レーシング・チーム 15 0 0 0 2 17 7位
1989 レイトンハウスレーシング 16 0 0 0 0 0 NC
1990 レイトンハウス・レーシング 14 0 0 0 1 6 10位
1991 14 0 0 0 0 1 18位
1992 スクーデリア・フェラーリ・SpA 14 0 0 0 0 3 13位
1993 イタリア・スーパーツーリングカー選手権英語版 ニッサン・カストロール・レーシング 6 0 0 0 0 8 20位
FIA ツーリング・カー・ワールド・カップ 2 0 0 0 0 8 20位
フォーミュラ1 サソール英語版ジョーダン 1 0 0 0 0 0 NC
1994 スーパー・ツーリング・カップ ニッサン・プリメーラ・レーシング 8 0 0 1 0 21 11位
1995 11 0 0 0 0 26 29位
スペイン・スーパーツーリングカー選手権英語版 チーム・レプソル・ニッサン 4 0 0 0 2 0 NC
ル・マン24時間レース ホンダ・モーター Co. Ltd. 1 0 0 0 0 N/A DNF
1996 スーパー・ツーリング・カップ ニッサン・プリメーラ・レーシング 8 0 0 0 0 49 25位
スペイン・スーパーツーリングカー選手権 チーム・レプソル・ニッサン 4 0 0 0 2 0 NC
1997 IMSA・GT選手権 ターゲット・24 1 0 0 0 0 0 NC
FIA GT選手権 コンラッド・モータースポーツ英語版 1 0 0 0 0 0 NC
2000 グランド・アメリカン・ロード・レーシング・チャンピオンシップ フランコ・スカピーニ・モータースポーツ 1 0 0 0 0 0 NC
FIA GT選手権 スーパーテック・エルグ 1 0 0 0 0 0 NC
2001 FIA スポーツカー選手権 R&M 1 0 0 0 0 0 NC
2002 FIA GT選手権 チーム・ヴェロックス 1 0 0 0 0 0 NC
2003 ポルシェ・スーパーカップ英語版 ポルシェ・AG 1 0 0 0 0 0 NC
2006 イタリア・GT選手権英語版 レーシング・ボックス、ロリス・ケッセル・レーシング 6 3 2 2 5 84 7位
2008 オーストラリア・GT選手権英語版 ロッド・ウィルソン 2 0 0 0 0 0 NC
オーストラリア・ツーリスト・トロフィー英語版 トロフェオ・モータースポーツ 2 0 0 0 0 66 5位
2009 ランボルギーニ・スーパー・トロフェオ英語版 アウトモービリ・ランボルギーニ 3 0 0 0 0 6 11位
2010 トロフェオ・マセラティ英語版 ? 2 1 2 ? 1 0 NC
2012 インターナショナル・GTスプリント・シリーズ英語版 ケッセル・レーシング 2 0 0 0 2 32 9位
2013 イタリア・ツーリング・カー・チャンピオンシップ英語版 ? ? ? ? ? ? 43 15位
オーストラリア・GT選手権 トロフェオ・モータースポーツ 4 0 0 0 1 73 14位
2015 イタリア・GT選手権 チーム・ペリン 2 0 0 0 0 2 42位
2017 オーストラリア・GT選手権 トロフェオ・モータースポーツ 2 0 0 0 0 0 NC
インターコンチネンタル・GT・チャレンジ 1 0 0 0 0 4 14位
  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。

フォーミュラ・レーシング[編集]

FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 Pos. Pts
1982年 イヴァン・カペリ マーチ・803 トヨタ・2T-G MUG
8
NÜR DON ZOL MAG ÖST ZAN SIL NC 0
ラルト・RT3 アルファロメオ MNZ
13
PER
12
LAC KNU NOG JAR KAS
1983年 コローニ・レーシング VLL
8
NÜR
C
ZOL MAG ÖST LAC SIL MNZ MIS ZAN KNU NOG JAR IMO
3
DON
CET
6
15位 5

マカオグランプリ[編集]

チーム シャシー/エンジン 予選 レース1 レース2 総合
順位
1984年 香港の旗 マールボロ・セオドール・レーシング・チーム ラルトトヨタ 10位 7位 5位 5位
1986年 イギリスの旗 デビッド・プライス・レーシング w/マールボロ・セオドール・レーシング レイナードアルファロメオ 16位 14位 12位 11位

国際フォーミュラ3000選手権[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1985年 ジェノア・レーシング マーチ・85B コスワース DFV SIL THR EST NÜR VLL
Ret
SPA
Ret
DIJ
Ret
PER
Ret
ÖST
1
ZAN
DNS
DON
3
7位 13
サンレモ・レーシング PAU
DNS
1986年 ジェノア・レーシング マーチ・86B SIL
Ret
VLL
1
PAU
Ret
SPA
3
IMO
2
MUG
3
PER
Ret
ÖST
1
BIR
Ret
BUG
4
JAR
4
1位 38

全日本フォーミュラ2選手権[編集]

チーム シャシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1986年 Leyton House Racing マーチ・86J ヤマハ・OX66 B SUZ FUJ NIS SUZ SUZ
6
FUJ
2
SUZ SUZ
3
7位 33

フォーミュラ1[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1985年 ティレル 014 ルノー EF4B 1.5 V6 t BRA POR SMR MON CAN DET FRA GBR GER AUT NED ITA BEL EUR
Ret
RSA AUS
4
17位 3
1986年 ジョリー・クラブAGS JH21C モトーリ・モデルニ Tipo 615-90 1.5 V6 t BRA ESP SMR MON BEL CAN DET FRA GBR GER HUN AUT ITA
Ret
POR
Ret
MEX AUS NC 0
1987年 レイトンハウスマーチ 87P フォード・コスワース DFZ 3.5 V8 BRA
DNS
19位 1
871 SMR
Ret
BEL
Ret
MON
6
DET
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
10
AUT
11
ITA
13
POR
9
ESP
12
MEX
Ret
JPN
Ret
AUS
Ret
1988年 881 ジャッド CV 3.5 V8 BRA
Ret
SMR
Ret
MON
10
MEX
16
CAN
5
DET
DNS
FRA
9
GBR
Ret
GER
5
HUN
Ret
BEL
3
ITA
5
POR
2
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
6
7位 17
1989年 BRA
Ret
SMR
Ret
NC 0
CG891 ジャッド EV 3.5 V8 MON
11
MEX
Ret
USA
Ret
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
12
ITA
Ret
POR
Ret
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
Ret
1990年 レイトンハウス CG901 USA
Ret
BRA
DNQ
SMR
Ret
MON
Ret
CAN
10
MEX
DNQ
FRA
2
GBR
Ret
GER
7
HUN
Ret
BEL
7
ITA
Ret
POR
Ret
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
Ret
10位 6
1991年 CG911 イルモア 2175A 3.5 V10 USA
Ret
BRA
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
MEX
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
ITA
8
POR
17
ESP
Ret
JPN AUS 18位 1
1992年 フェラーリ F92A フェラーリ 038 3.5 V12 RSA
Ret
MEX
Ret
BRA
5
ESP
10
SMR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
9
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
13位 3
F92AT ITA
Ret
POR
Ret
JPN AUS
1993年 ジョーダン 193 ハート 1035 3.5 V10 RSA
Ret
BRA
DNQ
EUR SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN AUS NC 0

ツーリングカー・レーシング[編集]

イタリア・スーパーツーリングカー選手権[編集]

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
1993年 ニッサン・カストロール・レーシング ニッサン・プリメーラ MNZ
1
MNZ
2
VAL
1
VAL
2
MIS
1
MIS
2
MAG
1
MAG
2
BIN
1
BIN
2
IMO
1
IMO
2
VAR
1

12
VAR
2

13
MIS
1

Ret
MIS
2

16
PER
1
PER
2
MUG
1

7
MUG
2

7
20位 8

スーパー・ツーリング・カップ[編集]

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994年 ニッサン・プリメーラ・レーシング ニッサン・プリメーラ eGT AVU
Ret
WUN
6
ZOL
Ret
ZAN
Ret
ÖST
8
SAL
9
SPA
9
NÜR
5
11位 21
1995年 ZOL
1

11
ZOL
2

Ret
29位 26
ニッサン・プリメーラ 4x4 SPA
1

Ret
SPA
2

DNS
ÖST
1

Ret
ÖST
2

DNS
HOC
1

Ret
HOC
2

DNS
NÜR
1

Ret
NÜR
2

14
SAL
1

22
SAL
2

20
AVU
1

Ret
AVU
2

Ret
NÜR
1
NÜR
2
1996年 ニッサン・プリメーラ eGT ZOL
1

21
ZOL
2

DNS
ASS
1

14
ASS
2

20
HOC
1
HOC
2
SAC
1
SAC
2
WUN
1
WUN
2
ZWE
1

10
ZWE
2

Ret
SAL
1

Ret
SAL
2

DNS
AVU
1
AVU
2
NÜR
1

8
NÜR
2

13
25位 49

スペイン・スーパーツーリングカー選手権[編集]

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
1995年 チーム・レプソル・ニッサン ニッサン・プリメーラ eGT JER
1
JER
2
JAR
1
JAR
2
BAR
1
BAR
2
EST
1
EST
2
ALB
1
ALB
2
CAL
1
CAL
2
ALB
1
ALB
2
JER
1
JER
2
BAR
1

7
BAR
2

8
JAR
1

3
JAR
2

3
NC 0
1996年 JAR
1
JAR
2
ALB
1
ALB
2
BAR
1
BAR
2
EST
1
EST
2
CAL
1
CAL
2
JER
1
JER
2
JAR
1

3
JAR
2

2
BAR
1

Ret
BAR
2

6
NC 0

FIA ツーリング・カー・ワールド・カップ[編集]

国籍 エントラント 車両 1 2 順位 ポイント
1993年 イタリアの旗 イタリア ニッサン・カストロール・レーシング ニッサン・プリメーラ MNZ
1

25
MNZ
2

13
20位 8

ル・マン24時間レース[編集]

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1995年 日本の旗 ホンダ・モーター Co. Ltd. ドイツの旗 アルミン・ハーネ
ベルギーの旗 ベルトラン・ガショー
ホンダ・NSX GT1 GT1 7 DNF DNF

ポルシェ・スーパーカップ[編集]

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 DC ポイント
2003年 ポルシェ・AG ポルシェ・911 GT3 ITA
7
ESP AUT MON GER FRA GBR GER HUN ITA USA USA NC 0

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 34

(二)^ CG

出典[編集]



(一)^ abcdMARCH 1987GP 26-27  19871115

(二)^ 1986  GPX 1991 12-13  1991914

(三)^ GPX F1GP'89-'90 p.72  1989

(四)^  '90GP 9-11  19901013

(五)^ abF1PRIX93   

(六)^  F1GPX 1991GP5  19911012

(七)^  F1GPX 1991GP31  19911012

(八)^ 22 GPX 1991GP 47  1991117

(九)^ F1GPX 1991GP 29  19911123

(十)^  GPX 1992F13  19911221

(11)^ 1992 FERRARI GPX 19922

(12)^ AUTO SPORT No.10382005113200568

(13)^ ab 201888

(14)^ F1GP調 TOPNEWS 2017882018821

(15)^ AUTO SPORT No.10382005113200562

(16)^ AUTO SPORT No.10382005113200560

(17)^ 100 038 '90F1GP2007P.45

(18)^  from Pressroom GPX 199031  1990728

(19)^   GPX 199228

(20)^  F1 Stinger 2018812

(21)^ MARCH 1987GP 26-27  19871115

(22)^ Racing OnNo.391 2005p.25

(23)^ Racing OnNo.496 2018p.35

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

タイトル
先代
エンツォ・コローニ
イタリアF3 チャンピオン
1983年
次代
アレッサンドロ・サンティン
先代
ピエルルイジ・マルティニ
ヨーロッパF3 チャンピオン
1984年
次代
開催されず
先代
クリスチャン・ダナー
国際F3000 チャンピオン
1986年
次代
ステファノ・モデナ