「リチャード・H・アンダーソン」の版間の差分
m編集の要約なし |
m →南北戦争での従軍: link |
||
53行目: | 53行目: | ||
8月の[[第二次ブルランの戦い]]では、アンダーソンの掛けた攻撃が北軍の戦線を突破し、[[ワシントンD.C.]]周辺の塹壕まで撤退に追い込んだ。9月の[[アンティータムの戦い]]では、南軍防衛線の中央にあって、窪んだ道路すなわち「ブラッディ・レイン」での全体指揮を執った。アンダーソンは太腿に負傷して戦場を離れ(上級准将のロジャー・A・プライアーが引き継いだ)その後はその師団が躓き始め最終的に北軍の側面攻撃に圧倒されてその陣地から壊走することになった。その後12月の[[フレデリックスバーグの戦い]]では、その師団は激しく戦うことは無かった。 |
8月の[[第二次ブルランの戦い]]では、アンダーソンの掛けた攻撃が北軍の戦線を突破し、[[ワシントンD.C.]]周辺の塹壕まで撤退に追い込んだ。9月の[[アンティータムの戦い]]では、南軍防衛線の中央にあって、窪んだ道路すなわち「ブラッディ・レイン」での全体指揮を執った。アンダーソンは太腿に負傷して戦場を離れ(上級准将のロジャー・A・プライアーが引き継いだ)その後はその師団が躓き始め最終的に北軍の側面攻撃に圧倒されてその陣地から壊走することになった。その後12月の[[フレデリックスバーグの戦い]]では、その師団は激しく戦うことは無かった。 |
||
|
|
||
1863年5月の[[チャンセラーズヴィルの戦い]]では、ロングストリート隊と離れて行動しており(ロングストリートはこの時サフォーク近くでの任務に派遣されていた)、アンダーソンは[[ストーンウォール・ジャクソン]]中将が北軍の右翼を攻撃しているときに北軍左翼を押し込んだ。アンダーソンとラファイエット・マクローズ少将は[[5月3日]]に主戦線を離れ、東に向かって[[ロバート・E・リー]]将軍の後方に回りこむ怖れのある[[ジョン・セジウィック]]少将の第6軍団の前進を牽制した。[[5月10日]]のストーンウォール・ジャクソンの戦死に続いて、リーはその軍隊を再編し2個軍団から3個軍団に変えた。アンダーソンはリーの覚えが良く、軍団指揮官にと考えられたが、その師団はこのとき中将となった[[A・P・ヒル]]の新しい第3軍団に割り当てられた。 |
1863年5月の[[チャンセラーズヴィルの戦い]]では、ロングストリート隊と離れて行動しており(ロングストリートはこの時サフォーク近くでの任務に派遣されていた)、アンダーソンは[[ストーンウォール・ジャクソン]]中将が北軍の右翼を攻撃しているときに北軍左翼を押し込んだ。アンダーソンと[[ラファイエット・マクローズ]]少将は[[5月3日]]に主戦線を離れ、東に向かって[[ロバート・E・リー]]将軍の後方に回りこむ怖れのある[[ジョン・セジウィック]]少将の第6軍団の前進を牽制した。[[5月10日]]のストーンウォール・ジャクソンの戦死に続いて、リーはその軍隊を再編し2個軍団から3個軍団に変えた。アンダーソンはリーの覚えが良く、軍団指揮官にと考えられたが、その師団はこのとき中将となった[[A・P・ヒル]]の新しい第3軍団に割り当てられた。 |
||
=== ゲティスバーグ === |
=== ゲティスバーグ === |
2009年1月7日 (水) 13:05時点における版
リチャード・ヘロン・アンダーソン Richard Heron Anderson | |
---|---|
1821年10月7日-1879年6月26日(57歳没) | |
[[ファイル:ファイル:Richard H. Anderson.jpg|200px]] リチャード・ヘロン・アンダーソン将軍 | |
渾名 | ファイティング・デイック |
生誕 | サウスカロライナ州サムター郡 |
死没 | サウスカロライナ州ボーフォート |
軍歴 |
1842年-1861年(USA) 1861年-1865年(CSA) |
最終階級 | 大尉(USA)、中将(CSA) |
指揮 | 北バージニア軍第1軍団、第4軍団 |
戦闘 |
|
初期の経歴
南北戦争での従軍
ゲティスバーグ
荒野およびスポットシルバニア
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5a/NPS_Spotsylvania_May10.png/300px-NPS_Spotsylvania_May10.png)
戦後
戦後、アンダーソンは1866年から1868年までステイトバーグで農場経営をし、綿花を育てた、これに失敗すると、サウスカロライナ鉄道の代理人となり、1868年から1878年までカムデンで働き、1879年にはサウスカロライナ州のリン酸塩検査官兼代理人になった[9]。アンダーソンは57歳の時にボーフォートで死に、そこのセントヘレナ・エピスコパル教会の教会墓地に埋葬されている[2]。
脚注
参考文献
- Eicher, John H., and Eicher, David J., Civil War High Commands, Stanford University Press, 2001, ISBN 0-8047-3641-3.
- Dupuy, Trevor N., Johnson, Curt, and Bongard, David L., Harper Encyclopedia of Military Biography, Castle Books, 1992, 1st Ed., ISBN 0-7858-0437-4.
- Foote, Shelby, The Civil War: A Narrative: Vol. III Red River to Appomattox, Vintage Books, 1986, ISBN 0-394-74622-8.
- Tagg, Larry, The Generals of Gettysburg, Savas Publishing, 1998, ISBN 1-882810-30-9.
- Dick Anderson Chapter #75, United Daughters of the Confederacy.
- Anderson's Online military bio
外部リンク
- www.historyofwar.org historyofwar.org biography of Anderson.