「中谷芙二子」の版間の差分
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{{Infobox 芸術家 |
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| 称号 = 霧の彫刻家 |
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| 名前 = 中谷 芙二子<br />(なかや ふじこ) |
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| 画像 = Guggenheim Museum Bilbao fog installation.jpg |
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| 画像テキスト = |
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| 画像説明文 = Nakaya's Fog Sculpture #08025 "F.O.G.," Guggenheim Museum Bilbao, Spain |
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| 本名 = |
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| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1933|5|15|yes}} |
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| 出生地 = {{JPN}}・[[北海道]][[札幌市]] |
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| 死没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1933|5|15|YYYY|MM|DD}} --> |
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| death_date = |
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| 死没地 = |
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| 国籍 = {{JPN}} |
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| 芸術分野 = |
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| 代表作 = 『[[霧の彫刻]]』 |
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| 流派 = |
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| 運動・動向 = {{仮リンク|Experiments in Art and Technology|en|Experiments in Art and Technology}}(E.A.T.) |
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| 親 = [[中谷宇吉郎]](物理学者) |
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⚫ | | 受賞 = [[吉田五十八賞]]特別賞(1993年)<br />[[文化庁メディア芸術祭]]功労賞(2008年)<br />[[円空大賞]](2015年)<br />フランス[[芸術文化勲章]]コマンドゥール(2017年)<br />[[高松宮殿下記念世界文化賞]](2018年)<br />[[文化庁長官]]表彰(2020年)<br />[[ウルフ賞芸術部門]](2023年) |
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| patrons = |
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| 被影響芸術家 = |
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'''中谷 芙二子'''(なかや ふじこ、[[1933年]][[5月15日]] |
'''中谷 芙二子'''(なかや ふじこ、[[1933年]][[5月15日]]<ref>{{Cite journal|和書|url=https://hdl.handle.net/2115/14378 |
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|author=北海道大学理学部物理学教室|title=中谷宇吉郎教授の逝去を悼む|journal=北海道大学地球物理学研究報告|issue=10|publisher=|date=1963-03|page=13|quote=昭和8年(1933) 5月15日次女芙二子誕生}}、中谷宇吉郎年譜を参照。</ref> - )は、日本の芸術家。その作風から「霧の彫刻家」の[[通称|別名]]を持ち、人工の霧を使った『[[霧の彫刻]]』と呼ばれる作品群や、[[メディアアート|メディア・アート]]の活動で知られる。自然環境と人間の関係、メディア環境と人間の関係などをテーマとしている。 |
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1970年の[[日本万国博覧会]]をきっかけに、50年以上にわたり世界各地で霧の彫刻を発表して第一人者となった<ref name=anarchive>[http://www.anarchive.net/nakaya/fn_bio_jp.htm 中谷芙二子 - anarchive n°5 - Fujiko Nakaya - FOG]︵anarchive。2021年4月12日閲覧︶</ref><ref>[https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18491 美術手帖│霧の抵抗 中谷芙二子]</ref>。[[ビデオ・アート]]の黎明期である1970年代から映像作品を制作し、日本初のビデオ・アート専門ギャラリーを設立してビデオ作家を支援した<ref name=anarchive />。芸術家と科学者のコラボレーションをするE.A.T.のメンバーとして関わったイベントは、[[インターネット]]に先駆けた試みとして評価されている |
1970年の[[日本万国博覧会]](ペプシ館<ref>[https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/92482.pdf#page=2 『Pepsi Pavilion』(1970年)]</ref>)での制作をきっかけに、50年以上にわたり世界各地で霧の彫刻を発表して第一人者となった<ref name=anarchive>[http://www.anarchive.net/nakaya/fn_bio_jp.htm 中谷芙二子 - anarchive n°5 - Fujiko Nakaya - FOG](anarchive。2021年4月12日閲覧)</ref><ref>[https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18491 美術手帖│霧の抵抗 中谷芙二子]</ref>。[[ビデオ・アート]]の黎明期である1970年代から映像作品を制作し、日本初のビデオ・アート専門ギャラリーを設立してビデオ作家を支援した<ref name=anarchive />。芸術家と科学者のコラボレーションをするE.A.T.のメンバーとして関わったイベントは、[[インターネット]]に先駆けた試みとして評価されている。 |
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物理学者・随筆家の[[中谷宇吉郎]]は父親にあたる<ref name=anarchive />{{Sfn|山峰|2019c|pp=236-237}}。2015年5月1日設立の一般財団法人中谷宇吉郎記念財団の[[代表理事]]を務める<ref>{{Cite web|和書|url=https://nakayafoundation.or.jp/foundation.html|title=財団の概要|publisher=一般財団法人中谷宇吉郎記念財団|accessdate=2023-05-29}}</ref>。
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== 略歴 == |
== 略歴 == |
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1970年代から1980年にかけては、国を越えたメディア・アートのイベント参加やビデオ・アートの制作を始めたほか、芸術家グループや支援団体の設立に関わった。ビデオ・アートのギャラリーや、ビデオ作品の配給などをする法人としてプロセス・アート設立などを行なった{{efn|1970年代は、国民国家としての日本が国外と活発に交錯した時期でもあり、外交では1972年5月の[[沖縄返還]]、1972年9月の[[日中国交正常化]]があった。国境を越えた犯罪も起き、1976年の[[ロッキード事件]]、[[日本赤軍]]による1972年の[[テルアビブ空港乱射事件]]、1974年の[[ハーグ事件]]、1977年の[[ダッカ日航機ハイジャック事件]]などがあった{{Sfn|岡崎|2018c|p=}}。}}。1990年代には公共空間で『霧の彫刻』の制作を多数行い、他分野の芸術家とのコラボレーションも増加した<ref name=anarchive />。 |
1970年代から1980年にかけては、国を越えたメディア・アートのイベント参加やビデオ・アートの制作を始めたほか、芸術家グループや支援団体の設立に関わった。ビデオ・アートのギャラリーや、ビデオ作品の配給などをする法人としてプロセス・アート設立などを行なった{{efn|1970年代は、国民国家としての日本が国外と活発に交錯した時期でもあり、外交では1972年5月の[[沖縄返還]]、1972年9月の[[日中国交正常化]]があった。国境を越えた犯罪も起き、1976年の[[ロッキード事件]]、[[日本赤軍]]による1972年の[[テルアビブ空港乱射事件]]、1974年の[[ハーグ事件]]、1977年の[[ダッカ日航機ハイジャック事件]]などがあった{{Sfn|岡崎|2018c|p=}}。}}。1990年代には公共空間で『霧の彫刻』の制作を多数行い、他分野の芸術家とのコラボレーションも増加した<ref name=anarchive />。 |
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2018年からは、[[中谷宇吉郎雪の科学館]]を保有する[[石川県]][[加賀市]]と、中谷宇吉郎記念財団との協働プロジェクトとして、﹁かがく宇かん﹂を開始した。﹁科学の心﹂﹁環境は知性である。﹂﹁学ぶ力を学ぶ﹂をコンセプトとする研究教育事業で、2017年から[[岡崎乾二郎]]をディレクターに準備室を立ち上げ、中谷は名誉フェローを務める<ref>{{Cite web |
2018年からは、[[中谷宇吉郎雪の科学館]]を保有する[[石川県]][[加賀市]]と、中谷宇吉郎記念財団との協働プロジェクトとして、﹁かがく宇かん﹂を開始した。﹁科学の心﹂﹁環境は知性である。﹂﹁学ぶ力を学ぶ﹂をコンセプトとする研究教育事業で、2017年から[[岡崎乾二郎]]をディレクターに準備室を立ち上げ、中谷は名誉フェローを務める<ref>{{Cite web|和書|url=https://kagakuukan.org/ |title=かがく宇かん |accessdate=2020-3-9 }}</ref>。日本初の大規模な個展として、2018年10月27日から2019年1月20日に[[水戸芸術館]]現代美術ギャラリーで﹁霧の抵抗﹂展が開催された<ref name=美術手帖180922>{{Cite news|url=https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18491 |title=霧のアーティスト・中谷芙二子が日本初の大規模個展を開催。半世紀にわたり霧とビデオで示してきた﹁抵抗﹂ |last= |first= |date=2018-9-22 |work=美術手帖 |access-date=2021-04-12|language= |issn=}}</ref><ref name=水戸芸術館>{{Cite news|url=https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5022.html |title=開催情報﹁霧の抵抗 中谷芙二子﹂ |last= |first= |date= |work=水戸芸術館 |access-date=2021-04-12|language= |issn=}}</ref>。
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== 作品・プロジェクト == |
== 作品・プロジェクト == |
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NGA Fog sculpture by Fujiko Nakaya (429173353).jpg |[[オーストラリア国立美術館|NGA]]の『砂漠の霧微気象圏』(1983年) |
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Fog-forest.gif|[[昭和記念公園]]の『霧の森』(1992年) |
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Fog Bridge at the Exploratorium.jpeg|[[エクスプロラトリアム]]の『フォッグ・ブリッジ』(2013年) |
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ZKM-CLOUD-WALK-Felix-Gruenschloss.jpg|[[カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター|ZKM]]の『CLOUD WALK』(2019年) |
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; 『水俣病を告発する会 - テント村ビデオ日記』(1972年) |
; 『水俣病を告発する会 - テント村ビデオ日記』(1972年) |
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中谷はゴールドバーグとの出会いをきっかけにビデオを使うようになった。そしてディスコミュニケーションをテーマとした作品を考え、撮影現場には[[公害病]]である[[水俣病]]の抗議活動を選んだ{{efn|1960年代から1970年代にかけて環境問題が関心を呼ぶようになっていた。生物学者の[[レイチェル・カーソン]]は著書﹃[[沈黙の春]]﹄︵1962年︶で農薬による環境汚染を指摘した{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=277}}。1970年代から1980年代には、エコロジーにもとづく芸術活動として{{仮リンク|ボニー・シャーク|en|Bonnie Sherk}}の﹃ザ・ファーム﹄︵1974年︶や、[[ヨーゼフ・ボイス]]の﹃{{仮リンク|7000本のオーク|en|7000 Oaks}}﹄︵1982年︶などが行われた{{Sfn|山本|2020|p=}}。}}。当時、水俣病患者の支援団体﹁水俣病を告発する会﹂は、[[チッソ]]本社がある[[三菱重工]]のビル前で抗議の座り込みを行なっていた{{efn|水俣病は[[第二水俣病]]、[[イタイイタイ病]]、[[四日市ぜんそく]]とともに[[ |
中谷はゴールドバーグとの出会いをきっかけにビデオを使うようになった。そしてディスコミュニケーションをテーマとした作品を考え、撮影現場には[[公害病]]である[[水俣病]]の抗議活動を選んだ{{efn|1960年代から1970年代にかけて環境問題が関心を呼ぶようになっていた。生物学者の[[レイチェル・カーソン]]は著書﹃[[沈黙の春]]﹄︵1962年︶で農薬による環境汚染を指摘した{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=277}}。1970年代から1980年代には、エコロジーにもとづく芸術活動として{{仮リンク|ボニー・シャーク|en|Bonnie Sherk}}の﹃ザ・ファーム﹄︵1974年︶や、[[ヨーゼフ・ボイス]]の﹃{{仮リンク|7000本のオーク|en|7000 Oaks}}﹄︵1982年︶などが行われた{{Sfn|山本|2020|p=}}。}}。当時、水俣病患者の支援団体﹁水俣病を告発する会﹂は、[[チッソ]]本社がある[[三菱重工]]のビル前で抗議の座り込みを行なっていた{{efn|水俣病は[[第二水俣病]]、[[イタイイタイ病]]、[[四日市ぜんそく]]とともに[[四大公害病]]と呼ばれ、日本政府は1967年に[[公害対策基本法]]を制定した{{Sfn|山本|2020|p=}}。}}。中谷は座り込みの参加者を撮影し、撮影した動画を抗議活動の参加者に見せた{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=292}}。抗議活動の参加者は、自分たちが映る姿を見せてもらったのは初めてだったと言い、喜んだ{{Sfn|小林|2019|pp=310-311}}。中谷はビデオのフィードバックの有効性を学び、この作品は2月に開催された﹁ビデオ・コミュニケーション Do It Yourself Kit﹂展で展示された{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|pp=274, 292}}。
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; 『老人の知恵=文化のDNA』(1973年) |
; 『老人の知恵=文化のDNA』(1973年) |
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中谷は、ソニービルで開催される﹁cybernetic ARTRIP ’73﹂というアート展で作品を依頼された。中谷は、小林はくどうや森岡侑士との活動を通して、知識を資源 |
中谷は、ソニービルで開催される﹁cybernetic ARTRIP ’73﹂というアート展で作品を依頼された。中谷は、小林はくどうや森岡侑士との活動を通して、知識を資源としてとらえ、文化や知恵の伝達をビデオとコンピュータで行う方法を考えた。そして、文化の継承、知恵の記録・共有というテーマで老人にインタビューをして、その内容をアーカイブにすることを企画した。老人が選ばれたのは、利益や消費の観点からは疎外されがちな人々の知恵を集めるという意図があった{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=279}}。
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中谷は、小林や森岡らと老人ホームでインタビューを行い、25時間分の映像を撮影した。1973年当時の技術では、アーカイブへのランダムアクセスは不可能だったため、映像をテーマ別に整理して展示した{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=279}}。 |
中谷は、小林や森岡らと老人ホームでインタビューを行い、25時間分の映像を撮影した。1973年当時の技術では、アーカイブへのランダムアクセスは不可能だったため、映像をテーマ別に整理して展示した{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=279}}。 |
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*『霧の抵抗』、水戸芸術館現代美術ギャラリー、2018年10月27日 - 2019年1月20日 |
*『霧の抵抗』、水戸芸術館現代美術ギャラリー、2018年10月27日 - 2019年1月20日 |
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== 受賞・栄典 == |
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* [[吉田五十八賞]]特別賞(1993年){{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=32-33}} |
* [[吉田五十八賞]]特別賞(1993年){{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=32-33}} |
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* [[文化庁メディア芸術祭]]功労賞(2008年)<ref>[http://archive.j-mediaarts.jp/festival/2008/achievement/12saa_NAKAYA_Fujiko/ 文化庁メディア芸術祭 第12回](文化庁メディア芸術祭、2021年4月12日閲覧)</ref> |
* [[文化庁メディア芸術祭]]功労賞(2008年)<ref>[http://archive.j-mediaarts.jp/festival/2008/achievement/12saa_NAKAYA_Fujiko/ 文化庁メディア芸術祭 第12回](文化庁メディア芸術祭、2021年4月12日閲覧)</ref> |
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* 第8回円空大賞(2015年) |
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* [[芸術文化勲章|フランス芸術文化勲章]] |
* [[芸術文化勲章|フランス芸術文化勲章]]コマンドゥール(2017年)<ref>[https://jp.ambafrance.org/article12533 中谷芙二子氏が芸術文化勲章を受章](在日フランス大使館、2021年4月12日閲覧)</ref> |
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* [[高松宮殿下記念世界文化賞]](2018年)<ref>[https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/nakaya 高松宮殿下記念世界文化賞 2018年 第30回 彫刻部門](2021年4月12日閲覧)</ref> |
* [[高松宮殿下記念世界文化賞]](2018年)<ref>[https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/nakaya 高松宮殿下記念世界文化賞 2018年 第30回 彫刻部門](2021年4月12日閲覧)</ref> |
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* [[文化庁長官 |
* [[文化庁長官表彰]](2020年)<ref>[https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/92684701_02.pdf 令和二年度文化庁長官表彰名簿](2021年4月12日閲覧)</ref> |
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* [[文化功労者]](2022年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE247C60U2A021C2000000/|title=文化勲章・文化功労者の業績 2022年度|publisher=日本経済新聞|date=2022/10/25|accessdate=2023-02-13}}</ref> |
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* [[ウルフ賞芸術部門]](2023年) |
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* [[旭日中綬章]](2024年)<ref>『官報』号外第106号、令和6年4月30日</ref><ref name="nikkei">{{Cite news |title=春の叙勲、黒田前日銀総裁ら4108人 桐花に大谷直人氏 |newspaper=日本経済新聞 |date=2024-04-29 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26D3M0W4A420C2000000/ |accessdate=2024-05-06}}</ref> |
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== ドキュメンタリー == |
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* [[日曜美術館]]「天にささげる“霧” 霧の彫刻家・中谷芙二子」(2023年9月3日、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]])<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/5P6PNY74L3/ |title=天にささげる“霧” 霧の彫刻家・中谷芙二子 |date=2023-09-03 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230904063908/https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/5P6PNY74L3/ |df=ja |url-status=dead |archivedate=2023-09-04 |accessdate=2023-09-04}}</ref> |
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== 出典・脚注 == |
== 出典・脚注 == |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* {{Cite journal|和書|author=飯田豊 |title=アーティスト・中谷芙二子のふたつの顔。飯田豊評「霧の抵抗 |
* {{Cite journal|和書|author=飯田豊 |title=アーティスト・中谷芙二子のふたつの顔。飯田豊評「霧の抵抗 中谷芙二子」 |url=https://bijutsutecho.com/magazine/review/19385 |format=PDF |journal=美術手帖 |publisher= |year=2019 |month=feb |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|飯田|2019}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[岡崎乾二郎]] |title=to be continued ── ビリー・クルーヴァーとE.A.T. |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/to-be-continued | |
* {{Cite journal|和書|author=[[岡崎乾二郎]] |title=to be continued ── ビリー・クルーヴァーとE.A.T. |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/to-be-continued |format=PDF |journal= |publisher=かがく宇かん |year=2018 |month=feb |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|岡崎|2018a}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=岡崎乾二郎 |title=あふるるもの |url=https://kagakuukan.org/jpn/archive/what_overflows | |
* {{Cite journal|和書|author=岡崎乾二郎 |title=あふるるもの |url=https://kagakuukan.org/jpn/archive/what_overflows |format=PDF |journal= |publisher=かがく宇かん |year=2018 |month=mar |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|岡崎|2018b}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=岡崎乾二郎 |title=霧の抵抗1 |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/the_resistance_of_fog_01 | |
* {{Cite journal|和書|author=岡崎乾二郎 |title=霧の抵抗1 |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/the_resistance_of_fog_01 |format=PDF |journal= |publisher=かがく宇かん |year=2018 |month=oct |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|岡崎|2018c}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=岡崎乾二郎 |title=霧の抵抗2 |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/the_resistance_of_fog_02 | |
* {{Cite journal|和書|author=岡崎乾二郎 |title=霧の抵抗2 |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/the_resistance_of_fog_02 |format=PDF |journal= |publisher=かがく宇かん |year=2018 |month=oct |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|岡崎|2018d}}}} |
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* {{Citation| 和書 |
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| author = 岡崎乾二郎 |
| author = 岡崎乾二郎 |
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| title = 抽象の力 近代芸術の解析 |
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* {{Cite journal|和書|author=ビリー・クルーヴァー |title=ビリー・クルーヴァーによる中谷芙二子へのインタヴュー(1978年11月24日) |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/fujiko_ieie | |
* {{Cite journal|和書|author=ビリー・クルーヴァー |title=ビリー・クルーヴァーによる中谷芙二子へのインタヴュー(1978年11月24日) |url=https://kagakuukan.org/jpn/texts/fujiko_ieie |format=PDF |journal= |publisher=かがく宇かん |year=2020 |month=jan |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|クルーヴァー|2020}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=中谷宇吉郎 |title=雪 |url=https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/52468_49669.html |format=PDF |journal=青空文庫 |publisher= |year=2012 |month=nov |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|中谷|2012}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=中谷芙二子 |title=応答する風景 霧の彫刻 |url=https://ci.nii.ac.jp/naid/110003801254 |format=PDF |journal=建築雑誌 |publisher=日本建築学会 |year=1996 |month=may |volume=111 |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|中谷|1996}}}} |
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* {{Cite journal|和書|author=山峰潤也 |title=【前編】芸術と科学を越境するアーティスト、中谷芙二子。テート・モダンで77番目の霧の新作を発表 |url=http://boundbaw.com/world-topics/articles/28 | |
* {{Cite journal|和書|author=山峰潤也 |title=【前編】芸術と科学を越境するアーティスト、中谷芙二子。テート・モダンで77番目の霧の新作を発表 |url=http://boundbaw.com/world-topics/articles/28 |format=PDF |journal=Bound Baw |publisher=大阪芸術大学 |year=2017 |month=may |volume= |naid= |issn= |accessdate=2021-04-12 |ref={{sfnref|山峰|2017a}}}} |
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== 関連文献 == |
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2024年5月11日 (土) 13:31時点における最新版
霧の彫刻家中谷 芙二子 (なかや ふじこ) | |
---|---|
![]() Nakaya's Fog Sculpture #08025 "F.O.G.," Guggenheim Museum Bilbao, Spain | |
誕生日 | 1933年5月15日(91歳) |
出生地 |
![]() |
国籍 |
![]() |
親 | 中谷宇吉郎(物理学者) |
運動・動向 | Experiments in Art and Technology(E.A.T.) |
代表作 | 『霧の彫刻』 |
受賞 |
吉田五十八賞特別賞(1993年) 文化庁メディア芸術祭功労賞(2008年) 円空大賞(2015年) フランス芸術文化勲章コマンドゥール(2017年) 高松宮殿下記念世界文化賞(2018年) 文化庁長官表彰(2020年) ウルフ賞芸術部門(2023年) |
略歴[編集]
北海道札幌市に生まれる。日本女子大学附属高等学校を卒業後は、宇吉郎の仕事の関係でアメリカ合衆国のイリノイ州で暮らした[3][7]。ノースウェスタン大学美術科を1957年に卒業し、パリとマドリッドで絵画を学ぶ[3]。ヨゼフ・アルバースの色彩や構成を学んだり、細胞分裂や植物の構造などの有機体の構造をモデルにして制作を行った[8]。この時期の油絵作品は、1960年のシカゴのシャーマン・アートギャラリーでの二人展や、1962年の東京画廊で展示された[3]。 再び日本で暮らすようになった1964年に、マース・カニンガムバレエ団とともに来日した芸術家のロバート・ラウシェンバーグと音楽家のデイヴィッド・チューダーに出会う。2人の仲介で、中谷はエンジニアのビリー・クルーヴァーのコーディネーター兼通訳となった[注釈 1]。1966年には、ニューヨークで開催された﹃九つの夕べ - 演劇とエンジニアリング﹄でパフォーマンスに参加した[注釈 2]。同年には、クルーヴァーやラウシェンバーグらが設立した芸術家と科学者のコラボレーション組織であるExperiments in Art and Technology︵E.A.T.︶のメンバーとなった[11]。1969年から万国博覧会のペプシ館のデザインチームとなり、﹃霧の彫刻﹄を初めて発表した[3]。 1970年代から1980年にかけては、国を越えたメディア・アートのイベント参加やビデオ・アートの制作を始めたほか、芸術家グループや支援団体の設立に関わった。ビデオ・アートのギャラリーや、ビデオ作品の配給などをする法人としてプロセス・アート設立などを行なった[注釈 3]。1990年代には公共空間で﹃霧の彫刻﹄の制作を多数行い、他分野の芸術家とのコラボレーションも増加した[3]。 2018年からは、中谷宇吉郎雪の科学館を保有する石川県加賀市と、中谷宇吉郎記念財団との協働プロジェクトとして、﹁かがく宇かん﹂を開始した。﹁科学の心﹂﹁環境は知性である。﹂﹁学ぶ力を学ぶ﹂をコンセプトとする研究教育事業で、2017年から岡崎乾二郎をディレクターに準備室を立ち上げ、中谷は名誉フェローを務める[13]。日本初の大規模な個展として、2018年10月27日から2019年1月20日に水戸芸術館現代美術ギャラリーで﹁霧の抵抗﹂展が開催された[14][15]。作品・プロジェクト[編集]
中谷の作品の特徴として、プロセスへの注目、自然環境や技術と人間の関係、芸術へのインフラストラクチャーの活用などがある[注釈 4][16]。自然環境との関係は、霧の彫刻のシリーズとして表現された。中谷は自然環境の問題と同様に、メディア・エコロジーの問題が重要であると考えており、メディア・アートをはじめとする活動として結実した[注釈 5][17]。 中谷の着想には、父の宇吉郎の研究姿勢も影響を与えている。宇吉郎は、自然を認識する際に重要なのは不完全性や不均一性であり、分類や図式的理解ではないと考えていた[注釈 6][19]。当初、中谷は絵画に用いた物質が変質していく点に注目し、腐敗や物質崩壊のプロセスを作品に取り込む試みをした。コンポジションに対する呼称として、中谷は自らの作品をデコンポジションと名付けた。デコンポージング・シリーズの第1作は﹃Autumn﹄︵1957年︶であり、1950年代から1960年代にかけて制作された[12]。やがて中谷は、常に変化する雲や霧に関心を向けるようになった[8]。霧の彫刻[編集]
-
NGAの『砂漠の霧微気象圏』(1983年)
-
昭和記念公園の『霧の森』(1992年)
-
エクスプロラトリアムの『フォッグ・ブリッジ』(2013年)
-
ZKMの『CLOUD WALK』(2019年)
メディア・アート[編集]
﹃ユートピアQ&A﹄︵1971年︶[編集]
1971年に、パリ・コミューン成立100周年として、ストックホルム近代美術館で﹁ユートピア&ヴィジョンズ 1871-1981﹂が開催された。参加を要請されたE.A.T.は、都市を通信でつなぐプロジェクトとして﹃ユートピアQ&A﹄を開催し、メンバーとして中谷も参加した。国際通信が高価で一般的ではなかった時代に、国を越えた自由な個人の対話を目的とし、技術にはテレックスを使用した。会場はストックホルム、ニューヨーク、ボンベイ、東京の4都市となり、東京会場は銀座ソニービル4階の富士ゼロックスのショールームとなった[35]。 会話のテーマは﹁10年後=あなたも生きている未来﹂で、10年後を考える質問と回答の形式で行われた。テレックスで質問を他の会場に送り、受け取った会場で翻訳され、集めた回答は当日のうちに各地に返送された。この会話は1ヶ月間続いて400以上のQ&Aがやりとりされ、中谷や小林はくどう、森岡侑士らによって東京は最も活発な会場となった。﹃ユートピアQ&A﹄は個人と個人をグローバルに結ぶ試みとして、インターネットやソーシャル・ネットワーク・サービス︵SNS︶の先駆けとも評価されている[注釈 11][3][5]。ビデオ・アート[編集]
﹃ユートピアQ&A﹄開催後に、ビデオ作家のマイケル・ゴールドバーグがカナダから来日した。ゴールドバーグはビデオを開発した国である日本で、そのメディウムを使った芸術がどのようなものか関心を持っていた[注釈 12]。中谷はE.A.T.を通じてゴールドバーグと会い、山口勝弘らと協働してビデオ・アート作品を制作するために芸術家に呼びかけ、ビデオ撮影のワークショップが行われた[37]。 ﹃水俣病を告発する会 - テント村ビデオ日記﹄︵1972年︶ 中谷はゴールドバーグとの出会いをきっかけにビデオを使うようになった。そしてディスコミュニケーションをテーマとした作品を考え、撮影現場には公害病である水俣病の抗議活動を選んだ[注釈 13]。当時、水俣病患者の支援団体﹁水俣病を告発する会﹂は、チッソ本社がある三菱重工のビル前で抗議の座り込みを行なっていた[注釈 14]。中谷は座り込みの参加者を撮影し、撮影した動画を抗議活動の参加者に見せた[40]。抗議活動の参加者は、自分たちが映る姿を見せてもらったのは初めてだったと言い、喜んだ[41]。中谷はビデオのフィードバックの有効性を学び、この作品は2月に開催された﹁ビデオ・コミュニケーション Do It Yourself Kit﹂展で展示された[42]。 ﹃老人の知恵=文化のDNA﹄︵1973年︶ 中谷は、ソニービルで開催される﹁cybernetic ARTRIP ’73﹂というアート展で作品を依頼された。中谷は、小林はくどうや森岡侑士との活動を通して、知識を資源としてとらえ、文化や知恵の伝達をビデオとコンピュータで行う方法を考えた。そして、文化の継承、知恵の記録・共有というテーマで老人にインタビューをして、その内容をアーカイブにすることを企画した。老人が選ばれたのは、利益や消費の観点からは疎外されがちな人々の知恵を集めるという意図があった[43]。 中谷は、小林や森岡らと老人ホームでインタビューを行い、25時間分の映像を撮影した。1973年当時の技術では、アーカイブへのランダムアクセスは不可能だったため、映像をテーマ別に整理して展示した[43]。 ﹃風にのって一本の線を引こう﹄︵1973年︶ 自然を観察した作品として、クモが巣を作るまでのプロセスを撮影した﹃風にのって一本の線を引こう﹄がある。自然をありのままに撮ることを目的とし、巣が完成するまでの全体が収録できるまで何度も撮影した[19]。 ﹃卵の静力学﹄︵1973年︶、﹃コーディネーション‥右手/左手﹄︵1979年︶、﹃総持寺﹄︵1979年︶ 身体動作に注目した作品として、中谷自身が2個の卵を同時に立てるまでの11分間の試行錯誤を撮影した﹃卵の静力学﹄︵1973年︶[注釈 15][19]や、鉛筆を削る手の動きを撮影した﹃コーディネーション‥右手/左手﹄︵1979年︶[注釈 16][3]、そして禅の経典を読む修行僧の動きを撮影した﹃総持寺﹄︵1979年︶などがある[19]。﹃ゲリラ・テレビジョン﹄翻訳︵1974年︶[編集]
メディア・アクティビストのマイケル・シャンバーグとレインダンス・コーポレーションは、1971年に﹃ゲリラ・テレビジョン﹄という本を出版した。これは政治における権力や経済における大資本と結びついたマスメディアに対し、草の根活動の多様なビデオ文化の普及を目的とした実践書だった。ビデオの使い方を説明するマニュアルと、メディアのシステムを分析したメタ・マニュアルの部分に分かれており、カウンター・カルチャー、人工知能学、ドラッグ・カルチャーの発想やスタイルで書かれていた[44]。中谷は、日本においても権力、資本、メディアに同様な関係があると考え、1974年に﹃ゲリラ・テレビジョン﹄を翻訳した[注釈 17][38]。芸術家の支援[編集]
中谷はE.A.T.をはじめとして芸術家と科学者をつなげる活動を行い、株式会社プロセス・アートを設立したほか、芸術家を支援する活動を行なった[注釈 18][47]。 ビデオひろば︵1972年 - 1975年︶ マイケル・ゴールドバーグの提唱により、1972年に銀座ソニービルで﹁ビデオ・コミュニケーション Do It Yourself Kit﹂展が開催された。これが日本初のビデオ・アート展となった[48]。ビデオ作家の活動が日本でも始まり、アーティスト・グループ﹁ビデオひろば﹂が設立された。設立メンバーは中谷の他に山口勝弘、小林はくどう、かわなかのぶひろ、東野芳明らで、山本圭吾、松本俊夫、宮井陸郎らが加わった[49]。 ビデオひろばのオフィスは新橋にあり、ゆるやかなグループとしてプロジェクトを企画した。ビデオ・アート制作のために、小型ビデオ機材であるポータパックなどの貸し出しも可能だった[注釈 19]。メンバーは、マスメディアの映像報道について批判的であり、フィードバックがない一方向のメディア報道を﹁情報﹂と呼び、﹁ビデオ・コミュニケーション﹂とは区別した。中谷はビデオひろばの活動を通して、日本のビデオアートを国外に紹介した[51]。 ビデオギャラリーSCAN︵1980年 - 1992年︶ 中谷はビデオひろばの活動で、ビデオ作家のナム・ジュン・パイクや、Electronic Arts Intermix︵E.A.I.︶のハワード・ワイズらと交流した。中谷はE.A.I.のビデオ作品の日本配給権を得て、日本初のビデオ・アート専門ギャラリーとして1980年に﹁ビデオギャラリーSCAN﹂を設立した[52]。 ビデオギャラリーSCANでは、ビデオ・アーティストの個展、ニューヨークのアートやアンダーグラウンドなシーンのビデオレポート上映などが行われた。1981年からは日本の若手作家の公募展が始まり、作家を輩出した[注釈 20][54]。個展シリーズの﹁SCAN FOCUS﹂もあり、さまざまなイベントを通してインディペンデントなビデオ・アートの拠点として世界的に知られた。1987年には﹁JAPAN 87 国際ビデオ・テレビ・フェスティバル﹂が開催され、芸術関係者のほかにもエンジニア、テレビ関係者、学者などが参加して1992年まで継続し、芸術家が活躍する下地となった[注釈 21][54]。主な展示[編集]
- 『霧の彫刻、ペプシ館』、日本国博覧会、1970年
- 『霧の森』昭和記念公園、立川市、1992年 - 常設
- 『横浜トリエンナーレ』、横浜市、2008年
- 『Freedom Fog』、レピュブリック広場、パリ、2013年
- 『札幌国際芸術祭』、札幌芸術の森、2014年
- 『グリーンランド』、銀座エルメス、2017年12月22日 - 2018年3月4日
- 『霧の抵抗』、水戸芸術館現代美術ギャラリー、2018年10月27日 - 2019年1月20日
受賞・栄典[編集]
- 吉田五十八賞特別賞(1993年)[56]
- 文化庁メディア芸術祭功労賞(2008年)[57]
- 第8回円空大賞(2015年)
- フランス芸術文化勲章コマンドゥール(2017年)[58]
- 高松宮殿下記念世界文化賞(2018年)[59]
- 文化庁長官表彰(2020年)[60]
- 文化功労者(2022年)[61]
- ウルフ賞芸術部門(2023年)
- 旭日中綬章(2024年)[62][63]