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{{By|1994年}}の[[1994年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[阪神タイガース]]から2位指名を受け入団、背番号は'''9'''となった。 |
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1年目の[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]でMVPを受賞するなど、打力のある捕手として期待されたが、チームには[[関川浩一]]・[[矢野燿大|矢野輝弘]]などが活躍しており、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。{{By|2000年}}には監督[[野村克也]]の息子・[[野村克則|カツノリ]]が加入したこともあり、出場機会に恵まれず、同年オフに[[湯舟敏郎]]・[[山崎一玄]]と共に、[[酒井弘樹]]・[[面出哲志]]・[[平下晃司]]との3対3のトレードで[[大阪近鉄バファローズ]]へ移籍、背番号は'''46'''となった。 |
1年目の[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]でMVPを受賞するなど、打力のある捕手として期待されたが、チームには[[関川浩一]]・[[矢野燿大|矢野輝弘]]などが活躍しており、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。{{By|2000年}}には監督[[野村克也]]の息子・[[野村克則|カツノリ]]が加入したこともあり、出場機会に恵まれず、同年オフに[[湯舟敏郎]]・[[山崎一玄]]と共に、[[酒井弘樹]]・[[面出哲志]]・[[平下晃司]]との3対3のトレードで[[大阪近鉄バファローズ]]へ移籍、背番号は'''46'''となった。 |
2012年10月3日 (水) 11:05時点における版
オリックス・バファローズ #23 | |
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ファイル:OB-Hirotoshi-Kitagawa.jpg 2008年6月8日 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県伊丹市 |
生年月日 | 1972年5月27日(52歳) |
身長 体重 |
180 cm 95 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト2位 |
初出場 | 1995年8月16日 |
年俸 | 5,500万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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プレースタイル
三振が少なく粘り強い打撃が持ち味。勝負強い中距離打者だが、2003年、2004年をピークに長打は減少傾向で、併殺打もやや多めである。あまり機会はないがバントは高校時代に猛練習をしたこともあり自信を持っており、試合でも決めている[1]。 守備範囲は多少狭いがグラブ捌きは上手く、2007年は福浦和也の.995を上回るリーグトップの守備率.998を記録している︵ゴールデングラブ賞は福浦が受賞︶。 元々のポジションである捕手は長年務めていない。ただし、2004年には捕手を使い果たした試合で、梨田昌孝が﹁延長戦となったら北川を捕手で使うつもりだった。久々に北川の捕手が見られると思ったのに︵同点に追い付けず敗れて︶残念。﹂と語り、オリックス移籍後も2005年8月3日の西武ライオンズ戦で、捕手がいなくなった際にベンチでマスクをかぶって準備し、的山哲也からサインを教えてもらっているシーンがTVに映されていた。[要出典]来歴
兵庫県伊丹市出身。中学1年のときに埼玉県志木市へ転居。埼玉県立大宮東高等学校では3年時に主将を務め、夏の埼玉大会決勝戦では本塁打を放つなど、同校初となる夏の甲子園出場に貢献。 卒業後、東都大学野球連盟所属の日本大学に進学し、同級生の高根澤力と正捕手のポジションを争う。捕手としてレギュラーに定着した3年の春季リーグ戦で首位打者を獲得、ベストナインにも選ばれ、同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。4年時には主将を務め、日米大学野球日本代表に再選。リーグ通算75試合出場、244打数66安打、打率.270、4本塁打、33打点。 1994年のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受け入団、背番号は9となった。阪神・近鉄時代
1年目のジュニアオールスターでMVPを受賞するなど、打力のある捕手として期待されたが、チームには関川浩一・矢野輝弘などが活躍しており、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。2000年には監督野村克也の息子・カツノリが加入したこともあり、出場機会に恵まれず、同年オフに湯舟敏郎・山崎一玄と共に、酒井弘樹・面出哲志・平下晃司との3対3のトレードで大阪近鉄バファローズへ移籍、背番号は46となった。 2001年、梨田昌孝に認められて一軍に定着し、4月28日にプロ初本塁打を記録。5月27日は29歳の誕生日だったが、生まれて初めてサヨナラ安打を放ち、お立ち台で涙を流した。9月26日、対オリックス・ブルーウェーブ戦で、3点リードされた9回裏無死満塁の場面で代打出場、大久保勝信からプロ野球史上初の﹁釣銭無しの代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打﹂を放ち、12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝に大きく貢献、﹁ミラクル男﹂と呼ばれた。2010年に日本野球機構が、﹁最高の試合﹂﹁名場面・名勝負﹂を選んだときにいずれでも、2001年9月26日の試合が﹁総合﹂2位などに選ばれた。ここで、北川の一打は﹁"特盛"の一打﹂と形容されている[2]。 ヤクルトスワローズとの2001年の日本シリーズでは1勝4敗と敗れたが、全試合に出場して14打数7安打、打率.500の好成績を残した。優勝決定サヨナラ本塁打について、球団は同年の契約更改で﹁あの本塁打は10万円分の価値しかない﹂と言われたが、これはジョークで、前年のほぼ倍となる大幅年俸アップで更改した[3]。 2002年はオープン戦で負傷し、43試合・打率.266・1本塁打・8打点と精彩を欠いた。 2003年、5月25日に不振の中村紀洋に代わって自身初の4番に座り、いきなり4安打3打点の大活躍をするなど、打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。 2004年、打撃を活かすため内野手へ転向する。開幕前に吉岡雄二が負傷したこともあって開幕スターティングメンバーに名を連ね、ストライキのあった2試合を除く133試合にフル出場、打率.303・20本塁打・88打点の自己最高成績を収めた[4]。シーズン最終戦だった9月27日の対オリックス戦では、4回表に具臺晟からソロ本塁打を放ち、これが近鉄球団最後の本塁打・打点となった。シーズン終了後、東北楽天ゴールデンイーグルスとの選手分配ドラフトでオリックスに所属することとなり、背番号も23になった。オリックス時代
2005年、5番・一塁手として開幕スタメンに名を連ね、第2戦の対西武戦では7回表にオリックス・バファローズ第1号本塁打となる3ラン本塁打を長田秀一郎から放った。チームの主軸・ムードメーカーとしての期待に応え、成績は前年に比べて打率こそ落ち込んだものの、チームトップの打点をマークするなど、主軸としての活躍を見せた。 2006年も開幕から中軸打者として活躍したが、シーズン中盤の試合中にダイビングキャッチを試みた際に、右肩を損傷。右肩関節唇損傷で選手生命を左右するほどの重傷と判明するが、8月13日の対ソフトバンク戦まで強行出場した。その後、一軍登録抹消されて同月17日に手術を受け、残りの試合は欠場した。 2007年、選手会長に就任し、故障も癒えて引き続き主軸として5番を任された。9本塁打を放ち、グレッグ・ラロッカ、ローズとともに3人で78本塁打と、12球団有数の破壊力を持つクリーンナップの一角を担い、右肩の故障から復帰できた。その一方で、チームは3年ぶりの最下位と低迷した。 2008年、春季キャンプ中に肉離れをおこし、開幕2軍スタートとなった。4月29日の対楽天戦より1軍に合流。ラロッカの離脱に伴い、三塁手で起用されることとなった[5]。合流直後はそこそこの活躍を見せ、5月16日の対ロッテ戦では、渡辺俊介から2打席連続本塁打を放ち、自己最多の1試合6打点を記録した。しかし、夏場以降は調子を落とし、復帰直後は5番だった打順も終盤は6・7番あたりに下げられるケースが多くなる。得点圏打率も.244と伸び悩み、規定打席にも5年ぶりに到達しないなど、自身にとって不本意なシーズンとなった。一方で、2005年以来の2桁本塁打を放ち、2年連続で犠牲フライ数がリーグトップを記録した。 2009年、ホセ・フェルナンデスの加入、ラロッカの復調により前年より更にスタメン出場が困難になった。主に右の代打を務めつつも、外国人4人が次々に戦線離脱したため、シーズン最後までスタメンに名を連ねた。しかし、打率以外のほとんどの面で前年の成績を下回り、本塁打は近鉄移籍後では自己ワースト2位の2本に終わった。 2010年、開幕戦を4番DHのスタメン出場で迎えた。本職である一塁手はアレックス・カブレラ・T-岡田に奪われ、DHでの出場が多かったが、打撃ではハイアベレージを記録。6月2日の中日戦では、7点ビハインドの8回裏に3点返したあとの無死満塁の打席で、高橋聡文から同点満塁本塁打を放ち、チームの逆転サヨナラ勝ちに貢献した。その後も主力打者として活躍し続けたが、8月13日から登録抹消はされなかったものの10試合を欠場した。これは、7月14日のロッテ戦で左脛に自打球を当てた影響で、蜂窩(ほうか)織炎による発熱を発症したためであった。復帰後は、戦線離脱前ほどの打棒は見せられなかったが、9月に100本塁打、1000本安打と節目の記録を次々と達成した。最終的には119試合に出場して打率.306、12本塁打61打点の成績を収めた。 2011年、キャンプ中に左腓骨骨折と肉離れを併発する。その後震災の影響で開幕が遅れたこともあり、開幕戦の復帰には間に合ったものの、完治していない状態で強行出場することとなる。主に5番指名打者・代打で出場し、6月12日の巨人戦では8回裏に澤村拓一から決勝2ランを放つ活躍も見せた。しかし、6月26日のロッテ戦で、7回表の先頭打者で、左翼線に二塁打性の打球を放ったが、二塁への走塁中に左足を負傷。左翼手の南竜介からの返球が逸れた事で、辛うじて一塁へ帰塁できたものの、そのまま立てなくなり担がれて退場[6]。診断の結果、全治6ヶ月のアキレス腱断裂の大怪我であったため、翌日手術をした。この結果、残りシーズンを棒に振った。 2012年。10月3日、球団より戦力外通告を受けて現役引退することを発表している。10月7日の対西武戦において引退セレモニーを行う予定[7]。人物
兵庫県伊丹市出身のスポーツ選手で結成されているNPO法人﹁伊丹アスリートクラブ﹂に所属し、シーズン中は﹁北川ホームラン基金﹂、シーズンオフにはイベントを行っている。 ひょうきんな性格で知られ、現在のテーマ曲は逆転イッパツマン︵タイムボカンシリーズ︶のテーマである︵2009年よりチャンス時のみ︶。2002年は﹁KC&ザ・サンシャイン・バンド﹂の﹁That's the way (I Like It) ﹂だった。 ﹁いつも笑顔﹂がトレードマークだが、いつも笑っているわけではなく、喜怒哀楽の見分け方は﹁鼻をみてほしい﹂とのことである[8]。しかし、阪神時代には中日ドラゴンズ戦で捕手としてリードする北川の顔が笑っているように見えたため、内角攻めに怒って詰め寄るレオ・ゴメスや山崎武司が激怒し、乱闘にまで発展したことがある。 近鉄に移籍してから大活躍したが、阪神時代も死のロードでチームが不振の中、大阪ドームでの試合で1人大活躍したことがあり、大阪ドームでプレーすると調子が良くなる傾向がある。 趣味は釣り・ザリガニ飼育で、オフには自身のブログにその様子を掲載している。 球団では﹁きたがわびっクリあんぱん﹂と﹁キタガワビッくりームパン﹂を発売している。 好きなアーティストはスピッツで、2009年から自身のテーマ曲にもスピッツの楽曲を使用している。またライブにも度々訪れている。メンバーの草野マサムネとは交流も深く、ブログにも登場している。詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | 阪神 | 13 | 21 | 16 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | .125 | .263 | .125 | .388 |
1996 | 28 | 32 | 29 | 4 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | .207 | .281 | .241 | .523 | |
1997 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1998 | 8 | 19 | 18 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .056 | .105 | .111 | .216 | |
1999 | 39 | 74 | 66 | 4 | 10 | 3 | 0 | 0 | 13 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 1 | 10 | 2 | .152 | .188 | .197 | .385 | |
2000 | 10 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .125 | .000 | .125 | |
2001 | 近鉄 | 81 | 229 | 200 | 27 | 54 | 14 | 1 | 6 | 88 | 35 | 2 | 0 | 1 | 1 | 25 | 0 | 2 | 29 | 13 | .270 | .355 | .440 | .795 |
2002 | 43 | 99 | 94 | 7 | 25 | 7 | 1 | 1 | 37 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 16 | 2 | .266 | .303 | .394 | .697 | |
2003 | 99 | 359 | 317 | 57 | 98 | 23 | 1 | 13 | 162 | 50 | 5 | 0 | 1 | 3 | 37 | 0 | 1 | 38 | 7 | .309 | .380 | .511 | .891 | |
2004 | 133 | 580 | 508 | 75 | 154 | 27 | 0 | 20 | 241 | 88 | 7 | 2 | 4 | 2 | 62 | 3 | 4 | 70 | 15 | .303 | .382 | .474 | .856 | |
2005 | オリックス | 127 | 487 | 444 | 57 | 115 | 28 | 1 | 16 | 193 | 67 | 3 | 3 | 1 | 2 | 36 | 2 | 4 | 64 | 11 | .259 | .319 | .435 | .754 |
2006 | 100 | 403 | 373 | 39 | 108 | 29 | 2 | 8 | 165 | 55 | 2 | 2 | 0 | 3 | 23 | 2 | 4 | 47 | 8 | .290 | .335 | .442 | .777 | |
2007 | 144 | 602 | 557 | 60 | 156 | 23 | 1 | 9 | 208 | 61 | 4 | 2 | 0 | 7 | 31 | 1 | 7 | 79 | 23 | .280 | .322 | .373 | .696 | |
2008 | 105 | 399 | 343 | 41 | 91 | 24 | 0 | 13 | 154 | 49 | 4 | 2 | 2 | 10 | 37 | 3 | 7 | 51 | 8 | .265 | .340 | .449 | .789 | |
2009 | 103 | 302 | 267 | 29 | 73 | 18 | 0 | 2 | 97 | 31 | 0 | 0 | 4 | 6 | 19 | 1 | 6 | 37 | 9 | .273 | .329 | .363 | .692 | |
2010 | 119 | 403 | 362 | 42 | 111 | 25 | 0 | 12 | 172 | 61 | 2 | 1 | 0 | 6 | 28 | 0 | 7 | 65 | 6 | .307 | .362 | .475 | .837 | |
2011 | 51 | 172 | 159 | 11 | 41 | 11 | 0 | 1 | 55 | 17 | 0 | 0 | 1 | 2 | 8 | 0 | 2 | 23 | 4 | .258 | .298 | .346 | .644 | |
通算:17年 | 1205 | 4191 | 3762 | 455 | 1045 | 234 | 7 | 101 | 1596 | 525 | 29 | 12 | 21 | 42 | 320 | 12 | 46 | 540 | 109 | .278 | .338 | .424 | .762 |
- 2011年シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年度 | 一塁 | 三塁 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1996 | - | 6 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |||||
1999 | 4 | 25 | 5 | 0 | 3 | 1.000 | - | |||||
2000 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
2001 | 16 | 144 | 4 | 0 | 10 | 1.000 | - | |||||
2002 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
2003 | 58 | 453 | 35 | 1 | 45 | .998 | - | |||||
2004 | 133 | 1347 | 85 | 6 | 121 | .996 | - | |||||
2005 | 121 | 1070 | 71 | 8 | 104 | .993 | - | |||||
2006 | 76 | 706 | 62 | 0 | 60 | 1.000 | - | |||||
2007 | 140 | 1307 | 84 | 3 | 104 | .998 | - | |||||
2008 | 24 | 117 | 10 | 0 | 8 | 1.000 | 87 | 37 | 129 | 10 | 10 | .943 |
2009 | 42 | 289 | 24 | 1 | 31 | .997 | 35 | 26 | 46 | 5 | 7 | .935 |
2010 | 38 | 290 | 27 | 4 | 24 | .988 | - | |||||
2011 | 6 | 41 | 0 | 0 | 5 | 1.000 | - | |||||
通算 | 662 | 5792 | 407 | 23 | 515 | .996 | 128 | 64 | 176 | 15 | 18 | .941 |
年度 | 捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | |
1995 | 13 | 43 | 5 | 1 | 0 | 0 | .980 | 13 | 11 | 2 | .154 |
1998 | 7 | 20 | 3 | 1 | 0 | 0 | .958 | 2 | 1 | 1 | .500 |
1999 | 23 | 89 | 11 | 0 | 4 | 3 | 1.000 | 12 | 6 | 6 | .500 |
2000 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - |
2001 | 55 | 211 | 8 | 2 | 3 | 2 | .991 | 30 | 25 | 5 | .167 |
2002 | 18 | 35 | 2 | 4 | 0 | 0 | .902 | 12 | 12 | 0 | .000 |
2003 | 15 | 40 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 9 | 6 | 3 | .333 |
通算 | 132 | 439 | 33 | 8 | 8 | 5 | .983 | 78 | 61 | 17 | .218 |
表彰
- ジュニアオールスターMVP(1995年)
- JA全農Go・Go賞(最多二・三塁打賞:2006年8月)
記録
- 初記録
- 初出場:1995年8月16日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、9回表に捕手として出場
- 初安打:1995年8月27日、対読売ジャイアンツ23回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に槙原寛己から
- 初先発出場:1995年8月20日、対横浜ベイスターズ17回戦(横浜スタジアム)、6番・捕手として先発出場
- 初打点:1996年8月16日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤ球場)、9回表に中山裕章から
- 初本塁打:2001年4月28日、対福岡ダイエーホークス5回戦(福岡ドーム)、7回表に斉藤和巳から左越ソロ
- 初盗塁:2001年6月20日、対西武ライオンズ16回戦(西武ドーム)、6回表に二盗(投手:青木勇人、捕手:田原晃司)
- 節目の記録
- 1000試合出場:2009年8月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス13回戦(京セラドーム大阪)、5番・三塁手として先発出場 ※史上432人目
- 100本塁打:2010年9月11日、対東北楽天ゴールデンイーグルス23回戦(クリネックススタジアム宮城)、9回表に小山伸一郎から左越ソロ ※史上262人目
- 1000本安打:2010年9月21日、対北海道日本ハムファイターズ23回戦(札幌ドーム)、9回表に武田久から中前適時打 ※史上261人目
- その他の記録
- 全球団から本塁打:2008年6月23日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、9回表に林昌勇から左越同点ソロ ※史上14人目
日付 | 対戦球団 | 球場 | 回 | 相手投手 | 通算本数 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2001年4月29日 | ダイエー5回戦 | 福岡ドーム | 7回表 | 斉藤和巳 | 1 |
2 | 5月29日 | 日本ハム10回戦 | 東京ドーム | 7回表 | 生駒雅紀 | 2 |
3 | 6月15日 | オリックス12回戦 | 大阪ドーム | 6回裏 | 戸叶尚 | 3 |
4 | 8月11日 | 西武20回戦 | 大阪ドーム | 2回裏 | 三井浩二 | 4 |
5 | 2003年5月18日 | ロッテ9回戦 | 大阪ドーム | 3回裏 | 神田義英 | 10 |
6 | 2005年4月26日 | 楽天5回戦 | 山形県野球場 | 5回表 | ケビン・ホッジス | 45 |
7 | 5月6日 | 中日1回戦 | スカイマークスタジアム | 6回裏 | 川上憲伸 | 48 |
8 | 5月12日 | 巨人3回戦 | 東京ドーム | 4回表 | 工藤公康 | 49 |
9 | 5月24日 | 阪神1回戦 | 倉敷マスカットスタジアム | 9回表 | 牧野塁 | 50 |
10 | 6月11日 | 横浜5回戦 | 横浜スタジアム | 3回表 | 土肥義弘 | 51 |
11 | 2007年6月10日 | 広島3回戦 | 広島市民球場 | 10回表 | 永川勝浩 | 70 |
12 | 2008年6月23日 | ヤクルト4回戦 | 明治神宮野球場 | 9回表 | 林昌勇 | 78 |