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* [[寛平]]3年([[891年]])3月15日 (旧暦) - [[大和国]](現・[[奈良県]])の[[春日大社]]より[[流鏑馬]]が伝わる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
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* [[応永]]15年([[1408年]])3月15日 (旧暦) - 流鏑馬神事を境内で行うようになる{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。 |
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* [[明和]]4年︵[[1767年]]︶ - 氏子より祭事用獅子頭を寄進される<ref name="komagane-shishineri">{{Cite web |url=https://www.city.komagane.nagano.jp/material/files/group/19/20200509omikejinjanosangokuichi.pdf |title=大御食神社と大宮五十鈴神社の獅子練り |publisher=駒ヶ根市 |accessdate=2021-02-07 }}</ref>。
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* [[天明]]2年︵[[1782年]]︶8月 - [[神官]]宅にて[[火災]]、古文書の多くを焼失{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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* [[天明]]2年︵[[1782年]]︶8月 - [[神官]]宅にて[[火災]]、古文書の多くを焼失{{Sfn |唐沢貞治郎 |1921 |p=969 }}。
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* [[文久]]3年([[1863年]])9月 - 本殿釿始め(おのはじめ)<ref name="komagane-honden" />。 |
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== 祭事 == |
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当社の[[例祭]]は[[9月21日]] - [[9月22日]] |
当社の[[例祭]]は9月20日至近の[[土曜日]]から[[日曜日]]にかけて行われる<ref name="komagane-shishineri" />{{Refnest |group="注" |当社の例祭について、﹃角川日本地名大辞典﹄︵1990年刊︶には[[9月21日]] - [[9月22日]]とある{{Sfn |﹁角川日本地名大辞典﹂編纂委員会、竹内理三 |1990 |p=259 }}。}}。
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* [[獅子舞|獅子練り]] - [[中世]]の時代より伝わる、[[五穀豊穣]]を祈願する祭事。曳いた獅子の頭を神前で切り落とし、供物とする{{Sfn |下中邦彦 |1979 |p=432 }} |
* [[獅子舞|獅子練り]] - [[中世]]の時代より伝わる、[[五穀豊穣]]を祈願する祭事。曳いた獅子の頭を神前で切り落とし、供物とする{{Sfn |下中邦彦 |1979 |p=432 }}。駒ヶ根市指定民俗文化財︵無形民俗文化財︶<ref name="komagane-bunka" />。獅子頭は[[明和]]4年︵[[1767年]]︶に氏子より寄進されたもの。獅子舞自体は長野県[[南信地方]]の寺社だけでも160例を数えるが、獅子を神社に招いて討ち取り、その頭を納めるというのは当社と同市内の大宮五十鈴神社︵赤穂2827︶の他に例がなく、その発祥については不詳である<ref name="komagane-shishineri" />。
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== 神事 == |
== 神事 == |
2021年2月7日 (日) 08:28時点における版
大御食神社 | |
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大御食神社正面 | |
所在地 | 長野県駒ヶ根市赤穂11475(市場割)[1][注 1] |
位置 | 北緯35度43分25秒 東経137度56分55秒 / 北緯35.72361度 東経137.94861度座標: 北緯35度43分25秒 東経137度56分55秒 / 北緯35.72361度 東経137.94861度 |
主祭神 | 日本武尊・五郎姫神・誉田別尊[3][4] |
社格等 | 郷社[3][4] |
創建 | 景行天皇41年頃[1](諸説あり) |
本殿の様式 | 三間社流造[3] |
別名 | 美女ヶ森[1][3] |
例祭 | #祭事参照 |
主な神事 | #神事参照 |
地図 |
大御食神社(おおみけじんじゃ)は、長野県駒ヶ根市赤穂にある神社である。別名は美女ヶ森(びじょがもり)[1]。
概要
祭神は日本武尊(やまとたけのみこと),五郎姫(いついらつひめ・宮簀媛命(みやすひめのみこと)),八幡神(やはたのみかみ)である。
また、建御名方命が愛(め)で、日本武尊が﹁奇び杉なりや﹂と誉めた古杉を御神木(御蔭の杉)としている。︵現在の木は三代目︶
118年(景行天皇48年)(神社明細帳では景行天皇51年)創建とされ、2018年(平成30年)に創祀1900年を迎えた。
旧郷社で、現在の建物は小町谷筑後守の代、元治元年(1864)棟梁は立川和四郎冨昌の弟子 斉藤常吉、彫工は名匠立川流 立木音四郎により建替えられたものである。
大御食神社の創建は、社伝記﹁美女ヶ森昔時年代記﹂)によると、
大足彦忍代別天皇の御代四十八年(よそじまりやとせ)、御食彦御蔭の杉の木の下(もと)御安楽居(みやすらい)しその仮宮を神の御殿(みあらか)に見立て、日本武尊を祝い祀りて大御食ノ社(おおみけのやしろ)と御名を附け奉りき。
とある。
別名の﹁美しの杜﹂の名は、社伝記によると、﹁宮簀姫またの名は厳郎姫 を迎えまつりて、所の名を美しの杜と 御名負はせまつる﹂とある。
現在氏子らは﹁美女ヶ森(びじょがもり)﹂と親しみを込めて呼んでいる。
祭神
●日本武尊 - 伝承によると、東征の帰路の途中で当地を通過する際、杉の木の下で当地の首長であった赤須彦のもてなしを受ける。この杉を﹁御蔭杉﹂︵日の御蔭杉、月の御蔭杉とも︶といい、側にあって日本武尊が手を掛けたとされる石を﹁御手掛石﹂という。御蔭杉の下に神殿を建て、日本武尊を祀ったものが当社の始まりとされる[4]。 ●五郎姫神 - 宮簀媛。伝承には美夜須姫とも。応神天皇の時代に尾張国より勧請したもので、﹁美女ヶ森﹂の名の由来とされる[4]。 ●誉田別尊 - 元慶3年︵879年︶3月15日 (旧暦)、石清水八幡宮より勧請したという[4]。歴史
沿革
●寛平3年︵891年︶3月15日 (旧暦) - 大和国︵現・奈良県︶の春日大社より流鏑馬が伝わる[4]。 ●応永15年︵1408年︶3月15日 (旧暦) - 流鏑馬神事を境内で行うようになる[4]。 ●明和4年︵1767年︶ - 氏子より祭事用獅子頭を寄進される[5]。 ●天明2年︵1782年︶8月 - 神官宅にて火災、古文書の多くを焼失[4]。 ●文久3年︵1863年︶9月 - 本殿釿始め︵おのはじめ︶[3]。 ●元治元年︵1864年︶4月 - 本殿地鎮祭[3]。 ●明治2年︵1869年︶5月 - 落合直澄が神代文字社伝記を解読する[4]。 ●明治5年︵1872年︶11月 - 当社の社格が郷社に列せられる[4]。境内
拝殿
本殿
御蔭杉
その他
古記録
古代文字︵阿比留草文字︶で書かれた社伝記(美女ヶ森昔時年代記)は、景行天皇から村上天皇(天歴5年)までの およそ840年間のことが桐板に記されている。
天明年間に、当時十一棟あった邸宅が焼失、その時 ほとんどの文献は焼失したが、社伝記の写しは火災から免れた。
明治7年、松本博覧会に出品した。
●代々宮司を務める社家の阿智祝部︵阿智氏︶は、八意思兼神に始まる神の系譜に繋がるとされる[8]。
●大御食神社の周辺には現在﹁湯奉︵ゆぶ︶の沢﹂という地名︵小字︶が残っている。慶安二年︵1649年︶の御検地帳にもあり、日本武尊が湯浴みをしたと伝わる。
●宮田村誌によると、﹁日本武尊が大田切川まで来たとき、大水で渡ることが出来なかったが、一頭の馬が馳せ来たのでその馬に乗って無事川を渡った。古老はその馬を、秋冬はこの原に住み、春夏は西山に住む神馬だと申し上げた。﹂という伝説がある。︵駒ヶ嶽御尋書-天保3年︵1832年︶︶
そのとき日本武尊が腰をかけ休んだという﹁御座石﹂が、宮田村駒ヶ原に文化財として残っている。
●西行が社家に立ち寄り、書を残している。江戸時代後期の旅行家菅江真澄の随筆﹃すわの海﹄に この書についての記述がある。
獅子練り
当社の例祭は9月20日至近の土曜日から日曜日にかけて行われる[5][注 2]。
●獅子練り - 中世の時代より伝わる、五穀豊穣を祈願する祭事。曳いた獅子の頭を神前で切り落とし、供物とする[10]。駒ヶ根市指定民俗文化財︵無形民俗文化財︶[6]。獅子頭は明和4年︵1767年︶に氏子より寄進されたもの。獅子舞自体は長野県南信地方の寺社だけでも160例を数えるが、獅子を神社に招いて討ち取り、その頭を納めるというのは当社と同市内の大宮五十鈴神社︵赤穂2827︶の他に例がなく、その発祥については不詳である[5]。
社宝‥西行法師書
●駒ヶ根市指定有形文化財︵建造物︶
●大御食神社 本殿 - 2011年︵平成23年︶12月27日指定[6]。
●駒ヶ根市指定民俗文化財︵無形民俗文化財︶
●大御食神社 獅子練り - 2017年︵平成29年︶7月25日指定[6]。
●社宝
●神代文字社伝記2冊︵写本︶ - 当社に古くから伝わる古文書。原本は天明2年︵1782年︶8月の火災で焼失し、写本のみが残された[4]。縦1尺、横6寸8分の大きさの桐製の板に[12]、阿比留草文字および阿波文字で文章が記されている[13]。上冊は9枚で厚さ約1寸2分、下冊は11枚で厚さ約1寸9分。前後に2枚ずつ添え板がある。綴りひもは麻である。外箱は杉・ヒノキ材で、縦1尺1寸3分、外のり4寸9分。左側の一部に焼け焦げた跡がある[12]。明治維新後、当社は伊那県の要請で社伝記を提出。誰にも読めないとされていたが、落合直澄が平田篤胤著﹃神字日文伝﹄を参考に解読した[4]。
●除地目録︵写本︶ - 天明2年寅年12月写し︵原本は元亀3年︶[4]。
●除地目録 - 元禄11年[4]。
●石神2本[4]
●除地宝目録[4]
●棟札[4]
●真社名御筆 - 有栖川宮熾仁親王書[4]。
●祭神三神の神名の御真筆 - 小松宮彰仁親王書[4]。
●日本武尊の尊像︵伝︶ - ヤマトタケルの衣冠束帯の立姿とされる。ヒノキ材による寄木造で、総丈は33センチメートル。衣装部分は白・赤・青の泥絵具で彩色されている[7]。
●その他社宝など[要出典]
●石棒2本
●西行法師真筆1福
●猿田彦面1個
●日本武尊 木彫立像 ︵平安時代作︶
●日本武尊・八幡神・宮簀姫︵五郎姫︶木彫座像︵御神体︶ 寛延3年 飯田仏師 井出右兵衛運正作
●大陣太鼓 近藤織部祐︵旗本︶献納
●御手掛石 日本武尊ゆかり
●平瓮石 日本武尊ゆかり
●石狛犬 元禄11年 下平村堀内兵次八寄進
●石の鳥居 明治23年 石工北原久平
●灯籠 文久6年 慶応戊辰年
●石灯籠 享保4年
祭事
神事
●流鏑馬 - 寛平3年︵891年︶、大和国︵現・奈良県︶の春日大社より伝わる。当初は宮の原という場所で行っていたが、応永15年︵1408年︶より境内で行うようになる。明治維新の頃より衰退[4]。神事としては1892年︵明治25年︶まで続いたとされる[9]。境内社
﹃上伊那郡史﹄[11]による。かっこ内は祭神。 ●御渡社︵建御名方命・橘姫命︶ - 上古地主神、産土神と伝えられている。 ●御続社︵伊弉諾命・伊弉冉・天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神︶ - 後ろの三神を﹁造化の三神﹂という。 ●天神社︵菅原道真︶ ●伊雑社︵天照大神︶ ●稲荷社︵豊受姫神︶ ●秋葉社︵迦具土神︶ ●若宮社︵佐賀喜霊神・斎異神︶ ●諏訪社︵建御名方命︶ ●御食津彦社︵八意思兼尊・表春命・五道命・五道山祗命・五道津彦・五道別命・御食津彦︶ ●植継社︵吾道赤須彦︶ - 植継大明神とも。 ●二木社︵天之御中主神・六孫王経基︶ - 以下の境内社がある。 ●社宮司社︵建御名方命︶ ●神若衆社︵唯二宮の臣と伝わる︶ ●甲子社︵大己貴命︶ ●斎殿社︵事代主神︶ ●清和荒神社︵王姫︶ ●山神社︵大山祇命︶ ●山の鼻社︵建御名方命︶ - 以下の境内社がある。 ●金比羅社︵大己貴命、香具土神︶ ●山神社︵大山祇命︶ ●利生稲荷社︵豊受姫神︶ ●富士社︵木花咲耶姫︶ ●真澄神社︵大山祇神︶[要出典]文化財
交通アクセス
公共交通機関 JR飯田線・小町屋駅が最寄り。直線距離で1,240メートル[14]。または駒ケ根駅からタクシーで10分間[1]。 自家用自動車 中央自動車道・駒ヶ根インターチェンジから自動車で20分間。普通車15台分の駐車場がある[1]。大御食神社に関連する作品
﹃上伊那郡史﹄[15]による。かっこ内は作者。- 昔時をあふぎし見れば瑞籬の御蔭の杉の高くもあるかな(西三條季和)
- 代々を経しほども知られてうつくしの森の神杉神さびにけり(佐々木弘綱)
- あまつなるえみしことむけかへらしゝ美影を今も仰く神杉(徳大寺実則)
- 東征旌旆仰雄風、此地王孫曾駐驄、猶是老杉摩碧落、千秋色与大動崇(野村素介)
脚注
注釈
出典
(一)^ abcdef“大御食神社(美女ヶ森)”. 全国観光情報サイト 全国観るなび. 日本観光振興協会. 2021年2月6日閲覧。
(二)^ “神社紹介 上伊那支部”. 長野県神社庁. 2021年2月6日閲覧。
(三)^ abcdefgh“大御食神社本殿”. 駒ヶ根市. 2021年2月6日閲覧。
(四)^ abcdefghijklmnopqrstu唐沢貞治郎 1921, p. 969.
(五)^ abc“大御食神社と大宮五十鈴神社の獅子練り”. 駒ヶ根市. 2021年2月7日閲覧。
(六)^ abcd“指定文化財一覧”. 駒ヶ根市. 2021年2月6日閲覧。
(七)^ ab“美女ヶ森伝説”. 駒ヶ根市. 2021年2月7日閲覧。
(八)^ 宝賀寿男編著﹃古代氏族系譜集成﹄中巻、古代氏族研究会、1986年。
(九)^ ab﹁角川日本地名大辞典﹂編纂委員会、竹内理三 1990, p. 259.
(十)^ 下中邦彦 1979, p. 432.
(11)^ 唐沢貞治郎 1921, pp. 970–972.
(12)^ ab落合直澄 1936.
(13)^ 落合直澄 1888.
(14)^ “大御食神社”. Mapion 電話帳. ONE COMPATH. 2021年2月6日閲覧。
(15)^ 唐沢貞治郎 1921, p. 970.