コンテンツにスキップ

「新続古今和歌集」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
 
(21人の利用者による、間の22版が非表示)
1行目: 1行目:

'''新続古今和歌集'''(しんしょくこきんわかしゅう)は、[[室町時代]]の勅撰集。[[二十一代集]]の最後にあたる。

'''新続古今和歌集'''(しんしょくこきんわかしゅう)は、[[室町時代]]の[[勅撰和歌]]。[[二十一代集]]の最後にあたる。



== 概要 ==


[[]]6[[|]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]]14331438[[]][[]][[]][[|]][[]][[|]][[]][[|]][[]][[]][[]]

[[]]6[[|]][[]][[|]][[]][[|]][[]][[]][[]]<ref name=":0">{{Cite||author=|title=3|date=1984-04|publisher=[[]]|pages=479|ref=harv}}</ref>[[]]5[[1433]]82510[[1438]]82311[[1439]]627<ref name=":0" />[[]]<ref name=":0" /><ref name=":0" />[[]][[|]][[]][[|]][[]][[|]][[]][[]][[]][[]]


歌数は2144首<ref name=":0" />、部立は春(上下)・夏・秋上下・冬・賀・釈教・離別・羈旅・恋(1-5)・哀傷・雑(上中下)・神祇から成る<ref name=":0" />。雑下に[[長歌]]・[[折句]]・[[物名]]・俳諧歌を含み、撰歌範囲は『[[万葉集]]』から当代まで及ぶ<ref name=":0" />。二十巻勅撰集の伝統的な構成を持ち、『[[続古今和歌集]]』の部立から、[[天津神・国津神|神祇]]と賀歌を入れ替え、[[千載和歌集|千載集]]に倣い神祇を末に置いた他に相違はない。

下命時の後花園院は十五歳の若年ながら詩歌管弦の造詣深く、御製も多く伝わる好文の賢主。飛鳥井雅世は[[新古今和歌集|新古今]]選者の一人[[飛鳥井雅経|雅経]]の六世孫であり、庇護を受けた足利義教の推輓で選者の栄誉に浴した。序文を執筆した一条兼良はいうまでもなく室町時代随一の文化人である。



入集した主要歌人は、[[飛鳥井雅縁]](29首)・[[藤原良経]](28首)・[[後小松天皇|後小松院]](26首)・[[藤原俊成]](22首)・[[藤原定家]](19首)・[[頓阿]](19首)・[[後鳥羽天皇|後鳥羽院]](18首)・[[足利義教]](18首)・[[飛鳥井雅世]](18首)・[[二条為定]](14首)・[[飛鳥井雅有]](14首)・[[順徳天皇|順徳院]](13首)・[[慶運]](13首)などである<ref name=":0" />。飛鳥井雅世が撰者となった関係から飛鳥井家の人々が多数を占め、二条家や頓阿流も厚遇された<ref name=":0" />。一方で、飛鳥井家と対立した冷泉家の人々は冷遇された([[冷泉為尹]]が6首、[[冷泉為秀]]が6首、[[阿仏尼]]が5首、[[今川貞世|了俊]]が1首など)<ref name=":0" />。皇族や公家、上級武士の歌も幅広く入集している<ref name=":0" />。

二十巻勅撰集の伝統的な構成を持つ。名義を継いだ[[続古今和歌集|続古今]]の部立から、神祇と賀歌を入れ替え、[[千載和歌集|千載集]]に倣い神祇を末に置いた他に相違はない。歌数は2140首強。幽玄・枯淡を基調とする[[二条派]]の歌風を踏襲する。[[頓阿]](19首)・[[二条為定]](14首)・[[慶運]](13首)に代表される二条派の重視に対し、[[京極派|京極]]・[[冷泉派]]の入集は皆無に近く、選者とその庇護者の態度が知れよう。また、女流の入選は極めて少ない。



歌風は、幽玄・枯淡を基調とする[[二条派]]の歌風を踏襲する。『新古今和歌集』時代と二条家流の歌人が多いが、和歌史上の鮮明な特徴は無く、当時の権力者への妥協の産物とされる<ref name=":0" />。さらに、[[南朝 (日本)|南朝]]の『[[新葉和歌集]]』から、[[花山院師兼]](1首)・[[宗良親王]](3首)などの数首を「[[詠人不知]]」として収録している点が注目される。

選歌範囲は広く、新古今以後に重心を置きながら各時代より入集している。なかでも新古今時代を尊重し、[[九条良経|良経]]・[[藤原俊成|俊成]]・[[藤原定家|定家]]・[[藤原家隆|家隆]]および[[後鳥羽天皇|後鳥羽]]・[[順徳天皇|順徳]]両院が入集数の上位を占める。当代からは、[[後小松天皇|後小松院]](26首)が入集数第三位、新続古今の発意者足利義教(18首)、そして下命者後花園院(12首)が重んじられている。義教以外にも武家方の歌が頗る多い。巻頭歌人にして最多入集は選者雅世の父[[飛鳥井雅縁|雅縁]](29首)であり、雅世(18首)自身、雅経(18首)・[[飛鳥井雅有|雅有]](14首)ら選者の先祖の優遇が目立つ。



後花園は再度の勅撰集計画も練っていたが、[[応仁の乱]]によって中断し、以後勅撰集は編まれなかった。

後、[[寛正]]6年([[1465年]])に[[飛鳥井雅親]]が撰者に選ばれ、新たな勅撰集計画が進んだが、[[応仁の乱]]によって中断し、以後勅撰集は編まれなかった<ref name=":0" />


== 校注 ==

*『新続古今和歌集 [[和歌文学大系]]12』[[明治書院]] 2001。[[村尾誠一]]校注


== 脚注 ==

{{Reflist}}


== 外部リンク ==

*[http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yamatouta/13/21.html 新続古今和歌集 秀歌選]

* {{Kotobank}}



{{勅撰集}}

{{勅撰集}}


[[Category:歌集|しんしよくこきんわかしゆう]]えりか

{{DEFAULTSORT:しんしよくこきんわかしゆう}}

[[Category:勅撰和歌集]]

[[Category:室町時代の歌集|勅]]

[[Category:15世紀の書籍]]

[[Category:15世紀の詩]]

[[Category:一条兼良]]


2022年7月5日 (火) 09:00時点における最新版



[]


6[1]51433825101438823111439627[1][1][1]

2144[1]1-5[1][1]

29282622191918181814141313[1][1]6651[1][1]

調[1]13

61465[1]

校注[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第3巻』岩波書店、1984年4月、479頁。 

外部リンク[編集]