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|title=[[宋書]]のなかの沈約 生きるということ |
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2022年6月29日 (水) 23:46時点における版
二十四史 |
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二十四史 |
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沈 約︵しん やく、元嘉18年︵441年︶ - 天監12年閏3月11日︵513年5月1日︶︶は、中国南朝を代表する文学者、政治家。字は休文。諡は隠。本貫は呉興郡武康県︵現在の浙江省湖州市徳清県︶。
生涯
沈璞の子として生まれた。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、南朝宋・斉・梁の3朝に仕えた。南朝斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、﹁竟陵八友﹂の一人に数えられた。その後蕭衍︵後の南朝梁の武帝︶の挙兵に協力し、南朝梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このため諡は、当初﹁文﹂とされるところを武帝の命により﹁隠﹂とされた。著作・文学作品
歴史書では﹃宋書﹄および﹃晋書﹄﹃斉紀﹄を編纂した。詩の分野では同じ﹁八友﹂の仲間である謝朓・王融らとともに、詩の韻律・形式美を自覚的に追求し、﹁永明体﹂と呼ばれる詩風を生み出した。その理論として四声︵平・上・去・入︶・八病の説を唱えた。南朝の同時代の文壇において最も重きをなし、無名であった劉勰が﹃文心雕龍﹄を世に出そうとした時には、沈約に見せて評価を求めたという。﹃梁書﹄本伝によると彼の文集は100巻あったというが散逸し、現在伝わる文集は明代以降に再編集されたものである。文献
●﹃梁書﹄巻13、中華書局。
●﹃南史﹄巻57、中華書局。