コンテンツにスキップ

「河埜和正」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
 
44行目: 44行目:

{{by|1970年}}[[1月]]に[[多摩川緑地広場硬式野球場|多摩川]]での合同練習で初お目見えするが、この動きを観察していた[[須藤豊]]二軍守備コーチは目を丸くした。普通の[[遊撃手]]は土の部分に守備位置を取るのだが、河埜はそれより2歩後ろで捕球体勢に入った。須藤は試しに強いゴロのノックをしてみると、深い位置で捕るやいなや、一塁へ矢のような送球で、普通なら内野安打になるような位置で楽にアウトにしてしまう<ref name="zakzak.baseball/20091014" />。二軍暮らしが長かったが、左翼の前方ともいえる位置からでも一塁で刺すほどの類いまれな強肩の持ち主で、後に[[江川卓 (野球)|江川卓]]と[[掛布雅之]]は著書の中で「河埜さんの肩は超一級」と評している。平凡なゴロを失策することもあったが、側転途中のような極端なアクロバット的体勢から難しいゴロを捌く双方の面を持っていた。高校時代からその強肩ぶりは有名で、プロのスカウトが試しに一塁で送球を受けてみたところ、あまりにも高校生離れした送球にグラブが弾き飛ばされたとの逸話がある。そのため多摩川グラウンドでは、舌を巻いた須藤が務台三郎グラウンドキーパーと相談し<ref name="zakzak.baseball/20091014" />、遊撃の後方2mほど芝を刈って守備範囲を広げたという<ref name="baseball.20190307" />。“多摩川の主”と異名をとったベテランの務台も「長いことキーパーをやっているけど、こんなの初めてだね」と驚いていた<ref name="zakzak.baseball/20091014" />。

{{by|1970年}}[[1月]]に[[多摩川緑地広場硬式野球場|多摩川]]での合同練習で初お目見えするが、この動きを観察していた[[須藤豊]]二軍守備コーチは目を丸くした。普通の[[遊撃手]]は土の部分に守備位置を取るのだが、河埜はそれより2歩後ろで捕球体勢に入った。須藤は試しに強いゴロのノックをしてみると、深い位置で捕るやいなや、一塁へ矢のような送球で、普通なら内野安打になるような位置で楽にアウトにしてしまう<ref name="zakzak.baseball/20091014" />。二軍暮らしが長かったが、左翼の前方ともいえる位置からでも一塁で刺すほどの類いまれな強肩の持ち主で、後に[[江川卓 (野球)|江川卓]]と[[掛布雅之]]は著書の中で「河埜さんの肩は超一級」と評している。平凡なゴロを失策することもあったが、側転途中のような極端なアクロバット的体勢から難しいゴロを捌く双方の面を持っていた。高校時代からその強肩ぶりは有名で、プロのスカウトが試しに一塁で送球を受けてみたところ、あまりにも高校生離れした送球にグラブが弾き飛ばされたとの逸話がある。そのため多摩川グラウンドでは、舌を巻いた須藤が務台三郎グラウンドキーパーと相談し<ref name="zakzak.baseball/20091014" />、遊撃の後方2mほど芝を刈って守備範囲を広げたという<ref name="baseball.20190307" />。“多摩川の主”と異名をとったベテランの務台も「長いことキーパーをやっているけど、こんなの初めてだね」と驚いていた<ref name="zakzak.baseball/20091014" />。



{{by|1971年}}に[[イースタン・リーグ]]で打点王を獲得<ref name=jinmei />。{{by|1974年}}に一軍に定着し、[[黒江透修]]に代わる[[遊撃手]]のレギュラーを獲得。[[7月9日]]の[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]戦([[川崎球場|川崎]])では[[肘|右肘]]に死球を受けたかのように見えて、実際にみるみる腫れていったが、河埜は「当たっても痛い顔をするな」と須藤守備コーチから言われていたため、その表情を見た球審は「痛がっていないから」とファウルの判定。須藤に続いて[[川上哲治]]監督も飛び出して猛抗議し、球審の胸を突いた川上は生涯唯一の退場となる一幕もあった<ref name="baseball.20190307" />。[[7月27日|27日]]の大洋戦(川崎)では大洋が2回裏2死に三塁へ[[江尻亮]]、一塁へ[[松原誠]]が出塁し、打席に4番の[[ジョン・シピン]]という好機を迎える。下手投げが苦手のシピンであったため、川上はすかさず[[投手]]を[[関本四十四]]から[[小川邦和]]にリレーしたが、カウント1-1からの3球目をシピンがジャストミートして三塁側の巨人ベンチが一瞬青ざめる。誰もが「ヒットだ」と思ったが、よく見ると白球は河埜のグラブに収まっていた。結局この試合は巨人が11-6で快勝したが、後日、このファインプレーに関して河埜は「あの守備でオレは遊撃手としてメシが食っていけるという自信が生まれたんです。反射的にジャンプしたんですけど、捕球の瞬間は捕れているかどうか、わかりませんでした」と振り返っている<ref name="zakzak.baseball/20091014" />。この年は遊撃守備を評価され、[[ゴールデングラブ賞|ダイヤモンドグラブ賞]]を受賞する。


{{by|1971}}[[]]<ref name=jinmei />{{by|1974}}[[]][[]][[79]][[DeNA|]][[|]][[|]][[]]退<ref name="baseball.20190307" /><ref>[https://hochi.news/articles/20240521-OHT1T51259.html?page=1 9] [[]] 2024522</ref>[[727|27]]22[[]][[]]4[[]][[]][[]][[]]1-1311-6<ref name="zakzak.baseball/20091014" />[[|]]


{{by|1977年}}には初めて規定打席に到達し(20位、打率.294)、リーグ2連覇に貢献してベストナインを受賞。[[オリックス・バファローズ|阪急]]との[[1977年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では[[10月25日]]の第3戦([[後楽園球場|後楽園]])で、延長12回裏に[[山口高志]]からサヨナラ3点本塁打を放ち、シリーズの敢闘賞を獲得。[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の個性派左腕・[[安田猛 (野球)|安田猛]]に滅法強くカモにしていたほか、右中間方向に抜群の飛距離があったため、[[長嶋茂雄]]監督に打撃フォームをいじられた。すると1977年・{{by|1978年}}と2年連続で2割9分台と安定していた打率が急降下してしまい、本塁打量産を狙った効果が逆効果となった。[[土井正三]]は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[野球解説者|解説者]]であった[[1980年代]]前半、1度目の巨人コーチ時代<ref>河埜の打撃フォーム改造と同時期に現役を引退しコーチ専任化。</ref>のエピソードとして「この人は空振りが多いのでヒットエンドランのサインを出しにくかった。」と話している。1978年には[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]の遊撃手最高守備率を記録したが、運悪く[[山下大輔]]の連続守備機会無失策の新記録に話題をさらわれ、2度目のダイヤモンドグラブ賞も逸している。

{{by|1977年}}には初めて規定打席に到達し(20位、打率.294)、リーグ2連覇に貢献してベストナインを受賞。[[オリックス・バファローズ|阪急]]との[[1977年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では[[10月25日]]の第3戦([[後楽園球場|後楽園]])で、延長12回裏に[[山口高志]]からサヨナラ3点本塁打を放ち、シリーズの敢闘賞を獲得。[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の個性派左腕・[[安田猛 (野球)|安田猛]]に滅法強くカモにしていたほか、右中間方向に抜群の飛距離があったため、[[長嶋茂雄]]監督に打撃フォームをいじられた。すると1977年・{{by|1978年}}と2年連続で2割9分台と安定していた打率が急降下してしまい、本塁打量産を狙った効果が逆効果となった。[[土井正三]]は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[野球解説者|解説者]]であった[[1980年代]]前半、1度目の巨人コーチ時代<ref>河埜の打撃フォーム改造と同時期に現役を引退しコーチ専任化。</ref>のエピソードとして「この人は空振りが多いのでヒットエンドランのサインを出しにくかった。」と話している。1978年には[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]の遊撃手最高守備率を記録したが、運悪く[[山下大輔]]の連続守備機会無失策の新記録に話題をさらわれ、2度目のダイヤモンドグラブ賞も逸している。


2024年5月22日 (水) 02:27時点における最新版

河埜 和正
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県八幡浜市
生年月日 (1951-11-07) 1951年11月7日(72歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1969年 ドラフト6位
初出場 1971年9月24日
最終出場 1986年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

コーチ歴

  • 読売ジャイアンツ (1990 - 2000, 2004 - 2005)


  1951117 - [1]

2023100010004000[2]

姿

[]


退[3]80cm[4][4][5]2196831969退

[5]6[1]

197012[4][4]2m[5][4]

1971[1]197479退[5][6]272241-1311-6[4]

197720.2942102531231977197822919801[7]19782

19811980[5][5]19811122142193

1982132[5][5]

[5]198541647[4]17321

28335222122321266020%21305301265[4]198618退

[8]1370

1

退1990 - 199119921993 - 19941995 - 2000, 20042005

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1971 巨人 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1972 7 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1973 24 25 23 3 2 0 0 1 5 2 2 0 0 0 1 0 1 4 0 .087 .160 .217 .377
1974 119 323 293 38 57 12 7 10 113 28 10 1 5 1 18 1 6 82 6 .195 .255 .386 .640
1975 90 280 251 23 57 11 2 6 90 17 3 1 3 1 21 5 4 53 7 .227 .296 .359 .655
1976 124 359 320 45 78 12 2 5 109 24 10 1 5 1 24 7 9 50 8 .244 .314 .341 .654
1977 125 419 357 49 105 18 6 12 171 45 13 5 10 3 39 3 10 49 6 .294 .377 .479 .856
1978 128 512 443 57 129 19 7 9 189 55 23 2 21 3 34 2 11 55 11 .291 .354 .427 .781
1979 128 488 439 53 100 22 1 15 169 56 21 1 11 3 28 0 7 73 9 .228 .283 .385 .668
1980 125 398 352 37 81 13 3 6 118 27 10 4 12 0 29 7 5 69 9 .230 .298 .335 .633
1981 130 580 503 73 133 16 1 16 199 42 27 7 21 2 45 1 8 65 3 .264 .333 .396 .729
1982 127 511 428 62 116 21 4 11 178 34 15 10 32 2 44 1 5 64 5 .271 .344 .416 .760
1983 95 370 310 44 75 15 1 4 104 19 10 6 16 1 43 1 0 49 11 .242 .333 .335 .669
1984 111 346 299 40 77 11 3 13 133 46 8 2 16 3 26 1 2 45 9 .258 .318 .445 .763
1985 52 133 115 15 29 3 0 6 50 15 1 2 3 0 14 2 1 18 4 .252 .338 .435 .773
1986 43 66 59 6 12 3 0 1 18 6 0 1 2 0 5 0 0 10 2 .203 .266 .305 .571
通算:16年 1430 4813 4195 546 1051 176 37 115 1646 416 153 44 157 20 371 31 69 687 90 .251 .320 .392 .713
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 61 (1970年 - 1973年)
  • 29 (1974年 - 1978年)
  • 5 (1979年 - 1986年)
  • 101 (1990年 - 1991年)
  • 96 (1992年 - 1995年)
  • 79 (1996年 - 2000年)
  • 80 (2004年 - 2005年)

脚注[編集]



(一)^ abc 20032003214

(二)^ 

(三)^ 

(四)^ abcdefgh

(五)^ abcdefghi 1980

(六)^ 9  2024522

(七)^ 退

(八)^ 61

(九)^ GIANTS HP 2006103

関連項目[編集]

外部リンク[編集]