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ジャン・ジュネ︵Jean Genet, 1910年12月19日 - 1986年4月15日︶は、フランスの小説家、詩人、エッセイスト、劇作家であり、政治活動家である。少年期から30代までは、犯罪や放浪を繰り返していた。
1910年12月19日、家政婦であった母、カミーユ・ガブリエル・ジュネのもとにパリ6区に生まれた。父の名前はフレデリック・ブラン。生後7ヶ月で母に捨てられ、田舎︵アリニィ・アン・モルヴァン村, fr︶に住む木こりの夫婦︵シャルル&ウージェニー・レニエ夫妻︶の養子となった。ジュネは学校の成績はよかったものの、犯罪を繰り返すようになった。養母が死亡した後、新たな夫妻︵ウージェニーの娘ベルトとその夫アントナン︶の養子となったが、繰り返して起こした犯罪のため、15歳のときに感化院に送られた。18歳のときに外国人部隊に志願し入隊するが、後に脱走してフランスを離れ、ヨーロッパを放浪した。この際にも、窃盗や乞食、男娼、わいせつ、麻薬密売といった犯罪を繰り返していた。
ジュネは1930年頃、二十歳の時に、十年間愛していた少女が死に、その命日に﹁自分が感動するために﹂詩を書いた。その詩は失われ、残っている処女作が後述する1942年の﹁死刑囚﹂である。
1942年、パリの南にあるフレーヌの刑務所︵19世紀の末に作られた刑務所で、第二次世界大戦中はドイツ軍がここに政治犯を監禁した︶での服役中に﹁死刑囚﹂というのちに名高くなる詩︵かなり長い︶を書き、1945年、もう一篇の詩﹁死の歩み﹂とともに、﹃秘密の歌﹄として一冊の小さな本とする。長詩﹁死刑囚﹂は、二十歳の美青年だった殺人者、モーリス・ピロルジュに捧げられている。
また、ジュネはパリで作家ジャン・コクトーに自分の作品を読ませ、自らの文才を認めさせることに成功し、1944年、文芸誌﹁ラルバレート﹂に小説﹃花のノートルダム﹄の抜粋が掲載される︵これが公に発表されたジュネの最初の作品となる︶。
1944年、﹃薔薇の奇蹟﹄を執筆。同年、終身禁固刑の求刑を前にジャン・コクトーらが介入し、自由となる。
1947年、﹃ブレストの乱暴者﹄や﹃女中たち﹄、1949年、﹃泥棒日記﹄など戯曲や小説を執筆。ジュネによって﹃泥棒日記﹄はサルトルと、<カストール>ことボーヴォワールに捧げられた。
1948年、コクトーやジャン=ポール・サルトルらの請願により、大統領の恩赦を獲得する。
1950年、白黒映画 ﹃愛の唄﹄︵Un Chant d'Amour︶を制作。映画はこれ1本だが、脚本や戯曲を書いてもいる。この後、サルトルのジュネ論﹃聖ジュネ﹄︵1952年︶もあいまって、執筆活動を数年にわたって止める。その後、1956年に﹃バルコン﹄、1961年に﹃屏風﹄など戯曲を執筆する。
1967年、自殺未遂を起こす。その後、五月革命に政治参加し、ベトナム戦争反対運動に加わる。徐々に移民問題に関心を寄せるようになる。1970年、黒人自治を目指して闘うブラックパンサー党と行動をともにし、アメリカ中で講演を行なう。同年、PLOの提案でヨルダンに留まり、ヤーセル・アラファートと会見する。以降、精力的な政治活動を続けた。この後も幾度か中東に赴いている。
1982年、サブラー・シャティーラ事件を目撃。ブラックパンサー党やPLOなどでの体験は、遺作﹃恋する虜 パレスチナへの旅﹄に結実する。
1986年4月15日、パリ13区内で死去。アルベルト・ジャコメッティとの親交はよく知られている[1]。
著作︵日本語訳︶[編集]
●﹃ジャン・ジュネ全集﹄全4巻、新潮社、1968年、復刊1992年。小説と戯曲・詩集
第1巻 葬儀︵平井啓之訳︶ 泥棒日記︵朝吹三吉訳︶
第2巻 ブレストの乱暴者︵澁澤龍彦訳︶ 花のノートルダム︵堀口大學訳︶
第3巻 詩篇(平井啓之・小島俊明訳) 薔薇の奇跡(堀口大學訳) 綱渡り芸人・犯罪少年・ジャン・コクトー(曽根元吉訳) ジャコメッティのアトリエ(宮川淳訳) 倒錯者の断章(平井啓之訳)
第4巻 囚人たち・女中たち(水田晴康訳) バルコニー(渡辺守章訳) 黒んぼたち(白井浩司訳) 屏風(渡辺守章訳) 演出者ブランへの手紙(曽根元吉訳︶
●﹃花のノートルダム﹄(Notre Dame des Fleurs 1942/1943[2]︶
●堀口大學訳、新潮社、1953年。のち新潮文庫
●鈴木創士訳、河出文庫、2008年
●中条省平訳、光文社古典新訳文庫、2010年
●﹃薔薇の奇蹟﹄ (Miracle de la Rose 1946/1951︶
●堀口大學訳、新潮社、1956年。のち新潮文庫
●﹃薔薇の奇跡﹄宇野邦一訳、光文社古典新訳文庫、2016年
●﹃死刑囚﹄中沢邦士訳 国文社 1960
●﹃葬儀﹄(Pompes Funèbres 1947/1953︶。生田耕作訳、河出書房新社、新版1987年、河出文庫、2003年
●﹃ブレストの乱暴者﹄(Querelle de Brest 1947/1953︶。澁澤龍彦訳、河出書房新社、新版1988年。河出文庫、2002年[3]
●﹃泥棒日記﹄(Journal du voleur 1949/1949︶。朝吹三吉訳、新潮社、1953年。新潮文庫、1990年︵改訳版︶
●﹁女中たち﹂篠沢秀夫訳﹃今日のフランス演劇 第1﹄白水社 1966年
●﹃黒んぼたち・女中たち﹄白井浩司・一羽昌子訳 新潮文庫 1972年
●﹃女中たち バルコン ベスト・オブ・ジュネ﹄渡辺守章訳、白水社、1995年。岩波文庫、2010年︵改訳版︶
●﹃アダム・ミロワール﹄一羽昌子訳 コーベブックス 1977年
●﹃恋する虜 パレスチナへの旅﹄ (Un Captif Amoureux 1986/1986︶。鵜飼哲・海老坂武訳、人文書院、1994年、新版2011年
●﹃シャティーラの四時間﹄鵜飼哲・梅木達郎訳、インスクリプト、2010年
●﹃公然たる敵﹄鵜飼哲・梅木達郎・根岸徹郎・岑村傑訳、月曜社、2011年
●﹃判決﹄宇野邦一訳、みすず書房、2012年
●﹃ジャン・ジュネ詩集﹄中島登訳、国文社、1967年
参考文献[編集]
●エドマンド・ホワイト ﹃ジュネ伝︵上下︶﹄︵鵜飼哲・根岸徹郎・荒木敦訳、河出書房新社、2003年︶
●ジャン=ベルナール・モラリー ﹃ジャン・ジュネ伝﹄︵柴田芳幸訳、リブロポート、1994年︶
●﹃ユリイカ 詩と特集 特集ジャン・ジュネ 生誕一〇〇年記念特集﹄︵2011年1月号、青土社︶- 巻末に主要作品解題
●﹃ユリイカ 詩と特集 特集ジャン・ジュネ 牢獄・同性愛・政治﹄︵1992年6月号、青土社︶
●サルトル ﹃聖ジュネ 演技者と殉教者﹄ 白井浩司・平井啓之訳︵人文書院﹁サルトル全集34・35巻﹂︶
●ジョルジュ・バタイユ ﹃文学と悪﹄︵山本功訳、新版・ちくま学芸文庫︶- ジュネ論所収
●ジャック・デリダ﹃弔鐘﹄- ヘーゲル及びジュネ論
●タハール・ベン・ジェルーン﹃嘘つきジュネ﹄︵岑村傑訳、インスクリプト、2018年︶ - 晩年期のジュネの回想録
●飯島耕一﹁青海波――あるいは吉岡実をめぐる走り書﹂︵﹁現代詩読本﹂1991年4月、思潮社︶
- ^ 『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(全集第3巻に宮川淳訳/鵜飼哲編訳 現代企画室 1999年)
- ^ 原題 執筆年/初出版年
- ^ 「澁澤龍彦翻訳全集 10」河出書房新社 にも収録。
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