ロッキード L-1011 トライスター
L-1011 トライスター
概要[編集]
沿革[編集]
背景[編集]
開発の経緯[編集]
このような状況から、ロッキードが再び旅客機市場に復帰するにあたっては、ボーイングやダグラスの旅客機と比較しても先進的な旅客機を旅客機市場に送り込む必要があった[4]。そのため、社運を賭け、同社の持つ技術力の全てを新型旅客機に投入することになった[4]。 1966年2月にロッキードは、エンジンを2機搭載︵双発︶する旅客機の開発構想﹁CL-1011﹂を立案し、同年3月にはアメリカ連邦航空局(FAA)にこの構想の説明を行なった。また、アメリカ空軍が管理していたカリフォルニア州のパームデールにある航空機製造施設を借り受け、新型旅客機の製造設備の整備を行なった。 一方、アメリカン航空は1966年3月25日に新しい双発の大型旅客機を開発するよう要求していた[5]。これは、アドバンスド・ジャンボ・ツイン中距離旅客機と呼ばれるもので、以下のような仕様となっていた[5]。 ●推力4万ポンド程度の高バイパス比エンジンを搭載 ●座席はシートピッチを36インチで合計250席 ●乗客1人当たり250ポンドの手荷物と、5000ポンドの貨物 ●航続距離は1850ノーティカルマイル︵海里︶︵3426キロメートル︶ さらに、後に全幅155フィート︵47メートル︶以内、全長は180フィート︵55メートル︶以内と改められた。 ロッキードでは、アメリカン航空以外の航空会社からも討議を行なった[4]。結果、交通量の多い都市間ルートの平均距離が400マイルであることから、旅客機の航続距離は1400マイルあれば十分と考え、座席数も230席から250席程度と考えた[4]。しかし、双発機ではロッキー山脈を越えるルートや洋上飛行に対する要求を満たすことはできないと判断し、計画をエンジンを3基搭載︵3発︶する旅客機に変更した[4]。 ロッキードは、こうした新型旅客機はアメリカだけに留まらず、ヨーロッパでも大きな需要があると考えた[6]。そのため、新型旅客機のエンジンには、ロールス・ロイスのRB211エンジンを採用することにした。RB211の燃料消費率が他社のエンジンと比較して優れていたことから、アメリカン航空を満足させることも可能という判断であった[6]。ローンチ[編集]
1967年9月にロッキードは、﹁L-1011 トライスターの受注体制が整った﹂と発表した。これは、アメリカン航空、ユナイテッド航空、イースタン航空、トランス・ワールド航空、ナショナル航空などの大手航空会社からの受注を見込んでの発表であった[7]。これは、ライバル機のマクドネル・ダグラス︵本節では、以下単に﹁ダグラス﹂とする︶DC-10が開発計画を発表するより2か月ほど前のことである。ダグラスでは、急遽同年11月にDC-10の開発計画を発表したが、その時点ではまだDC-10の基本設計は完了していなかった[7]。この時点では、明らかにロッキードはダグラスをリードしていた。 当時のロッキードに対する一般的なイメージは軍用機メーカーで、アメリカ国民なら誰でもその名を知っている存在であった[7]。そのロッキードが、技術力を結集して作った旅客機であれば、それが技術的に優れた旅客機であることも、想像するのは容易であった[6]。 しかし、いくら技術的に先進的で、開発も順調であるとはいえ、ことジェット旅客機に関しては全く実績がなかったため、実際に導入する航空会社側の反応は異なり、トライスターの導入を躊躇する航空会社もあった。現実に1968年2月19日、構想段階で深く関わっていたアメリカン航空が、ライバル機であるDC-10を合計50機発注したことが発表された[6]。ロッキード社内ではアメリカン航空からの受注を確実視していたため、同社にとっては大きな痛手であった[6]。一方で、アメリカン航空やユナイテッド航空がDC-10導入を決定するのであれば、対抗上、ロッキードの新技術を売り物にした機材を自社の看板商品にしようと考える航空会社も存在した[6]。 同年3月29日にはイースタン航空から50機、トランス・ワールド航空から44機、エア・ホールディングスから50機の受注し、一挙に受注機数は100機を超えた。さらに4月3日にはデルタ航空から24機を受注するに至り、同日にローンチ︵生産プログラム開始︶を発表、DC-10より先に製造が開始されることになった[6]。なお、ユナイテッド航空は、1985年にパンアメリカン航空の太平洋路線とその運航機材を買収した際に、パンアメリカン航空が運航していたトライスターの長距離型の-500を譲り受け、その後運行することとなった。危機的状況[編集]
販売不振[編集]
ロッキードが久しぶりに開発した旅客機で、しかも初の大型ジェット旅客機であり、新しい機能が多数盛り込まれて完成度が高いものであったが、前述のエンジン開発の遅れのため販売開始が遅れたこと、標準型の航続距離の短さ、そしてボーイング社やマクドネル・ダグラス社の販売網に太刀打ちできなかったことから販売は不振に終わった。特に、南半球の航空会社からの新規発注はほとんどなかった。なお、ロッキード社は開発遅延による販売不振を打開しようと賄賂工作で売込みを図った。後述するロッキード事件はその一例である。 マクドネル・ダグラスが先に開発・販売していたDC-10と比較すると、旅客機としての完成度はトライスターの方が高かったと言われている[誰によって?]が、トライスターを採用する航空会社は少なかった[注釈 2]。また、DC-10はアメリカ空軍から空中給油機KC-10としての受注にも成功し、生産規模の確保に成功した。 発展性の乏しさもトライスターの販売不振の要因であった。ライバル機のDC-10は将来航続延長型を開発するため最大離陸重量増加を考慮してセンターギアの装備が可能なように計画されていた。そのためDC-10-30、-40といった長距離型の開発が容易に行われ、結局これらの長距離型が販売数の多くを占めていた。しかし、トライスターはセンターギアを装備できず、後述するように、そのまま最大離陸重量を増加させると空港施設に許容される接地面圧を超えてしまうという問題に直面した。そこで、胴体を短縮することで軽量化を行い航続距離を延長した仕様︵-500型︶が開発されたが、胴体短縮に伴うペイロードの減少により運航コスト面で不利であった上に、引き渡しが1979年4月になるなど開発、就航のタイミングが遅くなってしまった。 また、その後エアバス社が当初は近距離型が中心であったものの、エンジンが2機のため燃費効率が良く、整備費用も抑えられる A300 型機を開発・販売した[注釈 3]。その後もジェットエンジンの性能向上は続き、中距離・中型の旅客機は双発機が主流となり、上記のように航続距離を大幅に伸ばした-500型が投入されたりしたものの、販売は苦戦を続けた。日本におけるトライスター[編集]
生産中止[編集]
1981年12月7日、ロッキードは250機を製造した時点でトライスターの製造を終了し、生産ラインを閉じると発表した。これにより、不採算部門の切り離しにより経営状態が改善されると見られたことから、ロッキードの株価は上昇した[17]。250機の製造を行なったにもかかわらず成功しなかったトライスターを教訓に、ロッキードは民間航空機市場から完全に撤退した[注釈 5]。機体[編集]
構造[編集]
胴体自体は旅客機では一般的なセミモノコック構造であるが、トライスターでは、胴体外板や動翼にホット・ボンディング︵熱間接着︶を多用している[17]。これは、重量軽減と応力の均一化を主眼として導入したものである。また、キャビン︵客室︶の空間を広げるためにフレームの厚さを減少させている[17]。特に側面部分は外板の厚みを増す代わりにストリンガーを省略することで、フレームを7.6センチメートルにまで薄くした[17]。このため、胴体外径がDC-10より5センチ細いにもかかわらず、キャビンの幅は4センチ広い[17][注釈 6]。 機体の窓の大きさは高さ34センチ・幅24センチという大きさで、51センチ間隔で並んでいる[18]。また、操縦席の窓︵ウインドシールド︶は曲面ガラスで構成されている[19]。 主翼の翼面積はDC-10より11パーセントほど小さいが、幅はDC-10とほぼ同じで、後退角も同じ35度となっている[17]。主翼の高揚力装置は前縁スラットと後縁フラップを装備し、フラップは二段隙間式となっている。また、主翼のスポイラーは地上での減速時以外にも使用される︵後述︶。 水平尾翼は昇降舵と連動して尾翼全体の角度を変える﹁全遊動式尾翼︵オールフライングテール︶﹂を採用している[17]。﹁全遊動式尾翼﹂は軍用機ではF-15型戦闘機などにも採用されている一般的な方式で、トリム調整の目的で水平尾翼の角度を調整する機構は多数の旅客機においても装備されているが、旅客機での﹁全遊動式尾翼﹂の採用はホーカー・シドレー トライデントに続く2例目で、ワイドボディ機では初採用となった[17]。エンジン[編集]
操縦システム[編集]
ダイレクト・リフト・コントロール[編集]
トライスターでは、着陸進入時のシステムとして、﹁ダイレクト・リフト・コントロール﹂[注釈 8]と呼ばれる、主に軍用機で使用されているシステムを採用した。これは、本来は着陸滑走の減速時に使用するスポイラーを着陸進入時にも細かい角度で動作させることにより、主翼の揚力をコントロールした上で、着陸進入角度を保持するためのものであった。これにより、着陸進入時に機首の上下を行なわなくても、正確に着陸進入を行なうことが可能になった。このシステムは高い精度を有しており、平常時の着陸進入においては、操縦士は操縦桿に手を触れなくても、機器を監視するだけでよかった。接地以降DLCは直ちに解除され、スポイラーは主翼揚力減殺効果を最大限得るべく全開される[22]。 本システムは、ライバル機のDC-10でも試験飛行の際にテストされたが不採用となっており[17]、ボーイングやエアバスの旅客機でも全く採用されていない。旅客機での採用例は、2020年現在においてもトライスターのみである。完全な自動操縦[編集]
トライスターでは、エリア・ナビゲーション・システムを旅客機としては初めて採用した。これは慣性航法装置︵INS︶や地上にある航空支援設備︵VOR/DME︶の電波などから正確な自機の位置情報を取得するもので、これを自動操縦装置に接続することで、離陸直後から着陸までを全て自動操縦とすることを可能にした[17]。 また、自動操縦装置と前述のDLCの精度から、計器着陸装置(ILS)のカテゴリーIII A(CAT III A)に対応しており[23]、CAT III AのILSが整備されている空港においては、滑走路視距離ゼロでの着陸も可能となっている[1]。客室[編集]
派生型[編集]
-1 型、-100 型などの基本型の他に、長距離仕様で胴体短縮型の -500 型が少数機製作され、パンアメリカン航空やヨルダン航空に納入されている。主な仕様の比較については主要諸元表を参照。L-1011-1[編集]
トライスターの基本モデルで、中・近距離路線型モデル。エンジンはRB211-22Bを装備し、燃料搭載量を90,140リットルとし最大離陸重量は43万ポンド︵195,050キログラム︶となった。社有機の1号機を含めて162機が生産された。イースタン航空、デルタ航空、トランス・ワールド航空、全日本空輸などが導入。L-1011の中で唯一、全日本空輸の機材として日本籍登録されていた型である。L-1011-50[編集]
製造終了後に、ロッキードが既存の機体に対して性能向上を行なう改修キットを用意したが、最も簡単な改修内容を行なったのがこのモデルである。最大離陸重量は45万ポンド︵204,120キログラム︶に高めたが、エンジンや燃料搭載量は変更されていない。28機が改造されている。L-1011-100[編集]
L-1011-150[編集]
-50型と同様に-1型を改修したもので、こちらでは最大離陸重量は47万ポンド︵213,190キログラム︶に高めたが、エンジンは変更されていない。6機が改造されている。L-1011-200[編集]
-100型のエンジンをRB211-524Bに変更した上で、燃費を改善して最大ペイロードでの航続距離を-100より5%程度延長した仕様。この仕様では、-1型で標準だった床下ギャレーをキャビンに移した上で、貨物室の容量を確保した。新造機は24機で、サウジアラビア航空が導入。他の航空会社は、-1型および-100型からの改修を実施し、約20機が改修されている。L-1011-250[編集]
L-1011-300[編集]
胴体ストレッチ型で、-1型より6.10メートル胴体を延長したモデルである[26]が、興味を示す航空会社はなかった。初期にはL-1011-3と呼ばれていた[26]。L-1011-400[編集]
後述の-500型と同じ胴体に-1型と同じRB211-22Bエンジンを搭載する短・中距離仕様である[26]が、興味を示す航空会社はなかった。L-1011-400A[編集]
前述の-400型の胴体をさらに2.03メートル短縮した仕様[26]。興味を示す航空会社はなかった。L-1011-500[編集]
L-1011-600[編集]
ロッキードでは1972年頃からトライスターの双発機版﹁バイスター﹂の研究を行なっていた[29]が、1977年に-600型として航空会社に提案した。胴体は-500型よりもさらに6.48メートル短くし、主翼の幅を-1型よりも5メートル以上狭い44.42メートルにする計画だった。興味を示す航空会社はなかった。トライスター K1/KC1/C1/C2/C2A[編集]
運航者[編集]
製造機数が少なかったトライスターだが、機体関係の故障は少なく、後述するように機体のトラブルや欠陥による事故は2020年時点では発生していない。 旅客運航からの退役後は売却されたが、トライスターは航続距離の短さと搭載重量の少なさから、さらに客室下面の構造の関係で貨物専用機への改修が難しかったためから、ほとんどが貨物機に改修されることなくスクラップにされている。世界的な傾向として、経年機となったトライスターを貨物専用機に改造する需要はほとんどなく、再就役する機体は多くなかった[注釈 11]。 2006年現在日本で運用された21機のうち2機しか残っていない[31]。これは中古機としても使用される数が少ないということを意味している。1994年には元JA8520機がモハーヴェ空港で解体処理されたのが目撃されたという。機体の多くは解体され現存していないとみられ、残された2機もカナダのエアトランサットとシエラレオネで登録されているが、定期運用されていない模様である。 シエラレオネで登録されていた元全日空のJA8522はベナン共和国のカジェフォウン空港にしばらく留置されていたが、当空港近くの海岸に移送されレストランとして開業準備をしている[32]。 日本国外の主な航空会社でも、キャセイ・パシフィック航空など1996年にはトライスターの運航を終了したものの、西アジアやアフリカ路線では少数機ながらも強力なエンジン出力を武器に活躍を続け、デルタ航空が退役させたのは2001年のことで、ATA航空に至っては、2008年の同社の経営破綻による運航停止まで現役で就航させていた。 オービタル・サイエンシズ社(2015年にATK社の航空宇宙・防衛部門と対等合併→オービタルATKに。さらに2018年、ノースロップ・グラマン傘下のノースロップ・グラマン・イノベーション・システムズとなった。)はペガサス・ロケットの打ち上げに使用している。2020年9月現在、同社が世界で唯一トライスターを現役で運用しているオペレーターである。カスタマー一覧[編集]
主要諸元表[編集]
L1011-1 | L1011-200 | L1011-500 | |
---|---|---|---|
操縦乗員 | 3人 | 3人 | 3人 |
座席数 | 253 (3クラス)席 | 263席 | 234 (3クラス)席 |
全長 | 54.2 m (177 ft 8in) | 54.2 m (177 ft 8in) | 50 m (164 ft 2in) |
全高 | 16.7 m (55 ft 4in) | 16.7 m (55 ft 4in) | 16.7 m (55 ft 4in) |
翼幅 | 155ft 4in (47.35m) | 164ft 4in (50.09m) | |
翼面積 | 3456 ft² (321.1 m²) | 3456 ft² (321.1 m²) | 3541 ft² (329.0 m²) |
最大離陸重量 | 430,000 lb (195,000 kg) | 466,000 lb (209,000 kg) | 496,000 lb (225,000 kg) |
巡航速度 | 約954km/h(マッハ0.78) | 約954km/h(マッハ0.78) | 約954km/h(マッハ0.78) |
エンジン | ロールス・ロイス RB.211-22 × 3 | ロールス・ロイス RB.211-524B × 3 |
主な事故[編集]
同じ第三世代のジェット旅客機でライバルにあたるDC-10やボーイング747が設計上の欠陥により大事故を引き起こしたのに比べると、トライスターは機体のトラブルや欠陥による重大事故は2021年10月現在、発生していない[注釈 12]。 下記の事故も、原因は悪天候や乗務員の不適切な対応などである。
特徴あるトライスター [編集]
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アメリカ合衆国[編集]
- N301EA
トライスターのローンチカスタマーであったイースタン航空のデモフライト機として日本にも飛来した機体。機体前方側面に同機を発注したエアラインのロゴが並んでいた。
- N140SC「スターゲイザー」
OSC(ノースロップ・グラマン・イノベーション・システムズズ)ペガサス・ロケットの打ち上げ用にNASAのNB-52Bを借用して運用していた、その置換用の自社保有機として、1973年エア・カナダで運用され1990年に退役していたL-1011-100型機C-FTNJ(製造番号:193E-1067)を購入。1992年からイギリスのマーシャル・エアロスペースで改修を行い、1994年から『スターゲイザー』の愛称をつけて運用している。同機は製造から既に45年以上が経過し他の同型機体が退役が進む中黙々と飛び続け、2020年9月現在、全世界で最後の飛行可能なトライスターに、同社は最後の現役トライスター運用者となっている。
日本[編集]
- JA8501
全日空トライスターの初納入機として1973年12月に導入された機体。当機が全日空初のワイドボディ機である。1981年にエアランカ(現スリランカ航空)に売却され4R-ULCとなり運用されたが、2000年頃、A330に置き換えられストアされたようである[33]。
- JA8509
L-1011型機として通算生産数100機目の機体として導入された機体。1986年、全日空初の定期国際線開設(成田ーグアム線)に伴ってJA8508、JA8521、JA8522と共に「ALL NIPPON AIRWAYS 」の英字ロゴをペイントされた国際線仕様機[34]とされ、同年3月3日の歴史的初便を担当した。そして、ラストフライト(鹿児島発東京行・ANA626便)となった1995年11月30日においても使用された。
- JA8511
全日空トライスターの11機目として1975年4月に導入された機体。1985年5月にボーイングに売却され、-50型へ改修後に同年7月にハワイアン航空へ納入され、N765BEとして1995年6月まで活躍した。 ちなみに1990年に公開された映画ダイ・ハード2で緊急着陸後に乗客が脱出するシーンの撮影に実際の本機が使用された。
イギリス領香港[編集]
- VR-HOK
1989年7月にイースタン航空から中古で購入した機体で、1993年8月から1995年6月までの約2年間傘下のドラゴン航空へ移籍しドラゴンフルカラーで北京/上海線専用機材として運用された後、 再びキャセイパシフィックへリースバックされ、垂直尾翼のみグリーンのキャセイパシフィックカラー、胴体はロゴ以外真っ白のハイブリッド塗装で1996年に退役するまで運航された。その見た目から、日本の航空ファンの間では「白トラ」という愛称で呼ばれていたようである[35]。
模型製品として [編集]
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保存機[編集]
●韓国の大邱の寿城池にイースタン航空のN318EA→キャセイパシフィック航空のVR-HOIだった機体が存在する。[37] 2006年基準でレストランとして運営[38]されたが2012年カフェ[39]に変わり、2014年7月30日かき氷専門カフェ[40]に変更され、2016年3月22日トイレ換気扇電気ショートと推定される火災が発生[41]し鎮圧された。 2016年末基準ではリモデリング工事を進行[42][37]し、塗色を変えて[43]2017年に再オープンした。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
●﹃月刊エアライン臨時増刊 航空旅行ハンドブック国内線版 '83-84﹄イカロス出版、1983年。 ●﹃月刊エアライン臨時増刊 エアライナーハンドブック '86﹄イカロス出版、1986年。 ●﹃旅客機型式シリーズ1トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011﹄イカロス出版、2000年。ISBN 4871492753。 ●﹃旅客機型式シリーズ3ジャンボジェット Boeing747classic﹄イカロス出版、2001年。ISBN 4871493156。 ●﹃月刊エアライン﹄ 2002年3月号、イカロス出版。 ●﹃ロッキード裁判とその時代(1),(2)﹄朝日新聞社。 ●﹃ロッキード事件疑獄と人間﹄朝日新聞社。 ●﹃ロッキード事件﹁葬られた真実﹂﹄講談社。 ●﹃壁を破って進め﹄講談社。 ●﹃権力者たちの狂宴 ―戦後政治とロッキード・スキャンダル﹄人間の科学社。 ●﹃﹁ロッキード﹂とは何か﹄すずさわ書店。 ●﹃ロッキード売り込み作戦―東京の70日間﹄朝日新聞社。 ●大河内暁男﹃ロウルズ - ロイス研究 企業破綻の英国的位相﹄東京大学出版会、2001年。ISBN 4130460706。 ●ジョン ニューハウス 著、航空機産業研究グループ 訳﹃スポーティーゲーム―国際ビジネス戦争の内幕﹄學生社、1988年12月。ISBN 978-4311600142。 ●坂出健﹃イギリス航空機産業と﹁帝国の終焉﹂軍事産業基盤と英米生産提携﹄有斐閣、2010年。ISBN 4641163618。 ●坂出健﹁プロジェクト・キャンセルをめぐる米英航空機生産連携の形成﹂﹃アメリカ経済史研究﹄第2号、2003年9月。 ●坂出健﹁ワイドボディ旅客機開発をめぐる米英航空機生産連携の展開 (1967-1969年)﹂第8号、2009年10月。 ●坂出健﹁救済(Bail Out)か、巻き込み(Bail In)か?-ロウルズ‐ロイス社・ロッキード社救済をめぐる米英関係﹂第45巻第1号、2010年6月。 ●﹃﹁田中裁判﹂もう一つの視点―ロッキード捜査と一審判決への疑問﹄時評社。 ●﹃ヴィンテージ飛行機の世界﹄PHP研究所、2009年8月21日。 ●チャーリィ・古庄﹃日本退役機追跡紀行﹄イカロス出版。 ●Yenne, Bill (1987). Lockheed. Crescent Books ●Ingells, DJ (1973). L-1011 TriStar and the Lockheed story. TA B-Aero ●Bright, CD (1978). The jet makers: the aerospace industry from 1945 to 1972. University Press of Kansas ●John,Newhouse. (1982). The Sporty Game: The High-Risk Competitive Business of Making and Selling Commercial Airliners. Alfred A. Knopf;関連項目[編集]
●マッハの恐怖 ●ロッキード事件外部リンク[編集]
- L-1011: Luxury Among the Clouds(ロッキード・マーティン 公式サイト)(英語)
- Airliners,net L-1011(英語)
- ロッキード L-1011 トライスター(全日本空輸 公式サイト 「運航機材の歴史」)