不沈空母
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不沈空母︵ふちんくうぼ、英語: unsinkable aircraft carrier、沈まない航空母艦︶は、軍事力の戦力投射を拡張的に展開できる、すなわち、仮想敵により近い場所にある自軍が支配している陸地[1]、特に、地理上の島、ないしは、政治的意味で周囲から孤立した地域を指す比喩表現。こうした場所は、軍用飛行場として機能させることができ、また、物理的に破壊することが困難な陸地であり、事実上、動かないものの沈むことのない航空母艦と同様のものとなる。
第二次世界大戦[編集]
﹁unsinkable aircraft carrier﹂という表現は、当初は、第二次世界大戦中、大洋を間に挟んでの日本との太平洋戦争において、アメリカ空軍の爆撃機のために軍用飛行場を設置できる可能性がある戦略的に重要な太平洋の島々や環礁を指していた。日本でも航空母艦に対峙する島嶼の陸上基地を指して﹁不沈空母﹂[2]ないし﹁不沈航母﹂と称することがあった[3]。南西太平洋方面において、アメリカ軍は飛び飛びに数多くの島々を経由するアイランドホッピング作戦を展開し、そうした島々を守備していた日本軍を駆逐した。アメリカ海軍の建設工兵隊︵シービー︶は、対日作戦支援のために、迅速に、しばしば何もない状態の場所にゼロから、滑走路を建設することとなり、ときには環礁全体が滑走路に覆われることもあった。 現在のマルタ共和国となる以前の英領マルタや、当時は軍用飛行場であったケプラヴィーク国際空港のあるアイスランド[4]は、第二次世界大戦中に不沈空母と表現されることがあり、特にマルタは枢軸国側から攻撃の的とされた︵マルタ包囲戦︶。冷戦期[編集]
アメリカ軍︵アメリカ合衆国連邦政府︶は、国共内戦後の台湾や、冷戦期におけるブリテン諸島︵イギリス︶や日本列島︵日本︶をアメリカ合衆国の﹁不沈空母﹂と見なしていたと考えられている[5][6]。ジョージ・オーウェルの小説﹃1984年﹄の作中では、イギリスにあたる地域が﹁エアストリップ・ワン (Airstrip One)﹂︵エアストリップは、滑走路、特に代替滑走路の意︶と称されている。 1950年代以降、日本では、米軍基地の集中する琉球諸島︵沖縄県︶を指して﹁不沈空母﹂に準える表現が用いられることがあった[7]。 冷戦末期の1980年代初頭、アメリカ合衆国国務長官であった退役大将アレクサンダー・ヘイグは、イスラエルを、﹁世界最大の沈むことのないアメリカ軍空母 (the largest American aircraft carrier in the world that cannot be sunk.)﹂だと表現した。 1983年︵昭和58年︶、日本の内閣総理大臣であった中曽根康弘は、アメリカ合衆国を訪問した際にワシントン・ポスト社主との朝食会に臨み、ソビエト連邦からの爆撃機による攻撃の脅威に対抗し、資本主義国家︵西側諸国︶を支援するため、日本は太平洋における﹁不沈空母﹂にすると発言した[8][9]。この発言は、通訳の意訳から生じた誤解に基づくものともされていたが、中曽根自身は発言を否定せずに追認し、その後も、自らその言葉を使ったと述べている[10]。2017年︵平成29年︶1月12日に外務省が公開した外交文書によれば、中曽根が確かに日本列島について﹁不沈空母のように強力に防衛する﹂と述べていたことが、改めて確認された[11]。冷戦期以降[編集]
中国の江沢民総書記︵国家主席︶は、1998年8月に外国に駐在する特命全権大使などの外交当局者を集めた会議で、﹁アメリカ合衆国は台湾を自らの不沈空母と見なしている﹂﹁日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなければならない﹂と指示を出した[12]。 南シナ海の南沙諸島海域における中華人民共和国の人工島建設に関連する報道では、暗礁を埋め立て滑走路を備えた人工島を、不沈空母に準える表現が用いられる例がある[13]。比喩ではない﹁不沈空母﹂の構想[編集]
第二次世界大戦中の1942年にイギリスは、切り出した氷山︵後にパイクリートに変更︶を船体とする氷山空母とすれば損傷部の修復を無尽蔵にある海水で行えることから、﹃理論上は沈まない﹄航空母艦が実現するとして、氷山空母の研究プロジェクト﹃ハバクック計画﹄を進めていた。ハバクック計画では、220万トンの排水量を持つ船体︵に相当する氷山︶で150機の双発爆撃機を搭載するというデザインで模型が制作され、パイクリートの強度テストも行われたが、費用面の問題から、実際に建造されることはなかった[14]。 1944年︵昭和19年︶に完成した、大日本帝国海軍の航空母艦﹁大鳳︵たいほう︶﹂は、戦時の経験を活かし、防御を強化した実戦的な不沈空母といわれたが、初陣のマリアナ沖海戦で雷撃を受け、燃料の漏洩から爆発を起こし、沈没した[15]。当時の大日本帝国海軍の空母では、﹁赤城﹂[16]や、未完成の﹁信濃﹂も﹁不沈空母﹂と称されることがあったが、いずれも太平洋戦争で沈没している。こうした、実際には撃沈された﹁不沈空母﹂は、﹁幻の不沈空母﹂と称されることがある[10][17]。脚注[編集]
(一)^ デジタル大辞泉﹃不沈空母﹄ - コトバンク
(二)^ “米“超重爆”建造に専念 不沈空母の陸上基地を急造 谷萩陸軍報道部長講演”. 読売新聞. (1942年10月2日). "...彼等は空母の損害が莫大で特に陸上基地のあるところに航空母艦中心の艦隊を進めることが非情に不利であることを知つたのである、すなわち空母から飛んだ飛行機よりも陸上基地から飛び出した飛行機の方が戦闘には有利である、こゝにおいて米國は不沈空母即ち逐条基地の建設に躍起となり、北はアリューシャンからミツドウエー、ハワイ群島並に西南太平洋のソロモン諸島及びニユーギニヤ島を連ねる線上に陸上飛行基地を建設すべく..." - ヨミダス歴史館にて閲覧
(三)^ “風塵録”. 読売新聞. (1943年1月8日). "航空作戦にとつて航空母艦は缺くべからざるものであるが、その航母がわが果敢な攻撃から安全ならざるを知つたアメリカは、不沈航母としての島嶼基地に目をつけたのである。" - ヨミダス歴史館にて閲覧
(四)^ ICELAND. SOME HISTORICAL REMARKS
(五)^ Blystone, Richard. “Europe learning lessons of Greenham Common”. CNN. オリジナルの2008年7月26日時点におけるアーカイブ。 2007年12月18日閲覧。
(六)^ “An unsinkable aircraft carrier”. Time. (1950年9月4日) 2007年12月18日閲覧。
(七)^ 西村特派員 (1952年1月14日). “米軍の超大空母沖縄 眼もくらむ飛行機群 日本への慕情、悩む現地人”. 読売新聞・朝刊. "軍事に暗い記者にとって不沈空母の内臓を空から観取することはできなかったが、それにしてもこのおびたゞしい飛行機の数はどうだ、…" - ヨミダス歴史館にて閲覧
(八)^ Smith, William E; McGeary, Johanna; Reingold, Edwin M. (1983年1月31日). “Beef and Bitter Lemons”. Time 2007年12月18日閲覧。
(九)^ Sanger, David E (1995年5月14日). “The Nation: Car Wars; The Corrosion at the Core of Pax Pacifica”. The New York Times 2007年12月18日閲覧。
(十)^ ab“第098回国会 予算委員会 第3号 昭和五十八年二月三日︵木曜日︶”. 国会. 2015年10月31日閲覧。 “私があの言葉を使いましたのは、もし万一、日本に対して侵略があった場合には外国機の侵入も許さぬ、また本土は自分たちで守る、わが日本の国土は日本人が守る、そういう意味のことを自分の決意としてこれを述べたので、不沈空母という言葉は、たまたまそういう形容詞、比喩として用いたのであります。いわば幻の不沈空母を追っかけても余りせんがないので、やはり本質的なお話をぜひお願いいたしたいと思っております。” - 中曽根康弘内閣総理大臣の答弁における発言
(11)^ “訪米時の中曽根康弘元首相﹁不沈空母﹂発言を記録”. 産経新聞. (2017年1月12日) 2017年1月13日閲覧。[リンク切れ]
(12)^ “歴史問題、永遠に言い続けよ﹂江沢民氏、会議で指示”. 読売新聞. (2006年8月10日). オリジナルの2006年8月11日時点におけるアーカイブ。
(13)^ 高坂哲郎 (2015年4月23日). “ニュースこう読む 中国の南シナ海﹁不沈空母﹂、狙う日米引き離し”. 日本経済新聞
(14)^ Perutz, Max F. (2002). I Wish I'd Made You Angry Earlier: Essays on Science, Scientists and Humanity. Oxford University Press. pp. 86–87. ISBN 0-19-859027-X
(15)^ “航空母艦大鳳の魚雷一本の命中による沈没”. 畑村創造工学研究所. 2015年10月31日閲覧。
(16)^ “第098回国会 予算委員会 第3号 昭和五十八年二月三日︵木曜日︶”. 国会. 2015年10月31日閲覧。 “日本の空母は一隻残らず米空母機か潜水艦のために撃沈されたが、例外として、そのうち一隻﹁赤城﹂だけが空母機により徹底的に損害を与えられた後、水上艦、友軍の駆逐艦によりとどめを刺された。かくてここに不沈空母﹁赤城﹂かく戦えり、﹁亦城﹂の最期とくる。これは皆さんのところの、私の大先輩源田さんがここにお書きになっている。ついに一隻残らず、最後の一隻は僚艦が撃沈した。” - 大出俊議員の質問における発言
(17)^ 森本忠夫﹁第三章 幻の不沈空母﹂﹃マクロ経営学から見た太平洋戦争﹄PHP研究所︿PHP新書﹀、2005年。
参考文献[編集]
- Hanson, Richard (2004年2月7日). “'Unsinkable aircraft carrier' steams to Iraq”. Asia Times (Hong Kong, ZH) 2007年12月18日閲覧。