中小坂鉄山

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中小坂鉄山

中小坂鉄山の坑道跡

所在地
中小坂鉄山の位置(群馬県内)
中小坂鉄山

中小坂鉄山

所在地甘楽郡下仁田町
都道府県群馬県の旗 群馬県
日本の旗 日本
座標北緯36度13分41.5秒 東経138度46分7.1秒 / 北緯36.228194度 東経138.768639度 / 36.228194; 138.768639座標: 北緯36度13分41.5秒 東経138度46分7.1秒 / 北緯36.228194度 東経138.768639度 / 36.228194; 138.768639
生産
産出物磁鉄鉱
歴史
開山嘉永年間?
閉山1961年
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

[ 1]2.5西254沿[1]

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2120092 33

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 群馬県史編さん委員会(1989)、下仁田中小阪鉄山研究会(2004)には、中小坂鉄山は「なかこさかてつざん」ではなく、「なかおさかてつざん」と読むことが明記されている。
  2. ^ 下仁田中小阪鉄山研究会(2004)によれば、同じ鉄鉱山の釜石鉱山は、石灰石に花崗岩を形成するマグマが貫入ことによって形成されたスカルン鉱床であるが、中小坂鉄山の場合、泥岩ないし砂岩にマグマが貫入しており、釜石鉱山などのスカルン鉱床とは同一に論じられない。
  3. ^ カベッチャラと字反替戸で行われたとされる中小坂鉄山始業期の生産施設については、現在のところ場所等は不明である。
  4. ^ 峯田、中江(2009)によれば、砂鉄を原料とした、たたら製鉄によって得られた鉄は珪素の含有量が少ないため、鉄製大砲鋳造に失敗したと考えられている。
  5. ^ 一倉(1986)によれば、水戸藩の反射炉事業に関わった大島高任以外の技術者の中には、中小坂鉄山の鉄について高く評価しない技術者もいた。
  6. ^ 原田(2006)によれば「半高炉」は溶鉱炉のことで、溶鉱炉の「溶」の字を同音の「羊」と書き表すうちに、羊ではなく「半」高炉と書かれるようになった可能性が高いとする。

出典[編集]

  1. ^ 一倉(1986)p.7、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)p.23
  2. ^ 原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)pp.55-58
  3. ^ 原田(2006)p.2、p.5
  4. ^ 下仁田中小阪鉄山研究会(2004)p.14、竹内(2008)p.63、「下仁田町と周辺の地質」編集委員会(2009)pp.36-37
  5. ^ 下仁田中小阪鉄山研究会(2004)pp.14-16、高木(2008)p.68、「下仁田町と周辺の地質」編集委員会(2009)p.37
  6. ^ 原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.55
  7. ^ 一倉(1986)pp.18-19、下仁田中小阪鉄山研究会(2004)p.29
  8. ^ 大橋(1991)p.30
  9. ^ 大橋(1991)p.11
  10. ^ 大橋(1991)pp.31-34
  11. ^ 原田「銑鉄の溶解と大砲鋳造」(2009)pp.63-64
  12. ^ 一倉(1986)pp.22-23、大橋(1991)pp.157-160、原田「銑鉄の溶解と大砲鋳造」(2009)p.66
  13. ^ 大橋(1991)pp.155-156、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.55
  14. ^ 一倉(1986)p.27、大橋(1991)p.151、p.156、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.55
  15. ^ 一倉(1986)p.27
  16. ^ 原田「日本の近代化における中小坂鉱山の意義と遺産の概要」(2009)pp.48-49、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.55
  17. ^ 一倉(1986)pp.29-31、原田(2006)p.3
  18. ^ 一倉(1986)p.32-33
  19. ^ 一倉(1986)pp.34-38、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)p.33
  20. ^ 一倉(1986)pp.38-55、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.33-34
  21. ^ 一倉(1986)pp.51-55、大橋(1991)p.388、原田(2006)p.3、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.33-34、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.56
  22. ^ 一倉(1986)pp.53-59、原田(2006)p.3、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.33-34、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.56
  23. ^ 一倉(1986)pp.59-97、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.34-35
  24. ^ 一倉(1986)pp.95-109、大橋(1991)p.388、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)p.35、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.56
  25. ^ 一倉(1986)pp.110-114、大橋(1991)p.388、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.53-54、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.56
  26. ^ 大橋(1991)p.393、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.56
  27. ^ 大橋(1991)pp.391-392、原田(2006)p.6、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)pp.56-57
  28. ^ 群馬県史編さん委員会(1989)p.297、日刊工業新聞(2010)p.198
  29. ^ 大橋(1991)pp.390-391、原田(2006)pp.6-7、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)pp.56-57、日刊工業新聞(2010)pp.198-199
  30. ^ 大橋(1991)pp.390-391、pp.394-395、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.56、日刊工業新聞(2010)pp.198-199
  31. ^ 原田(2006)pp.7-11、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.46-48、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.58、原田「日本の近代化における中小坂鉱山の意義と遺産の概要」(2009)pp.53-55
  32. ^ 大橋(1991)pp.396-400、日刊工業新聞(2010)pp.198-199
  33. ^ 一倉(1986)pp.126-131、大橋(1991)pp.395-399
  34. ^ 一倉(1986)pp.126-131、大橋(1991)pp.395-396
  35. ^ 一倉(1986)p.134、大橋(1991)p.409、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)pp.56-58
  36. ^ 群馬県史編さん委員会(1989)p.298、大橋(1991)pp.409-411、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)pp.38-39、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)pp.56-58
  37. ^ 下仁田中小阪鉄山研究会(2006)p.39、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.58
  38. ^ 下仁田中小阪鉄山研究会(2006)p.39
  39. ^ 群馬県史編さん委員会(1989)p.634、原田(2006)pp.5-9、下仁田中小阪鉄山研究会(2006)p.43、原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.58
  40. ^ a b 原田「中小坂鉄山高炉跡」(2009)p.58

参考文献[編集]

  • 一倉喜好「官業以前の中小坂鉄山について」『近代群馬の行政と思想そのⅢ』、1986年
  • 群馬県史編さん委員会、『群馬県史 通史編8 近代現代2』群馬県、1989年
  • 大橋周治『幕末明治製鉄論』、アグネ、1991年 ISBN 4-7507-0625-6
  • 原田喬「群馬県下仁田町 中小坂鉄山 製鉄所遺跡の現状と保存問題」『産業考古学101』、産業考古学会、2001年 
  • 下仁田中小阪鉄山研究会『第1回中小坂鉄山シンポジウム報告書』、下仁田中小阪鉄山研究会、2004年
  • 原田喬「中小坂鉄山の歴史」『産業考古学120』、産業考古学会、2006年
  • 下仁田中小阪鉄山研究会『第2回中小坂鉄山シンポジウム報告書』、下仁田中小阪鉄山研究会、2006年
  • 日本地質学会編、『日本地方地質誌3.関東地方』朝倉書店、2008年、ISBN 978-4-254-16783-2
    • 竹内圭史「中・古生界 地質概説」
    • 高木秀雄「関東山地 領家帯」
  • 『季刊考古学第109号』、雄山閣、2009年 ISBN 978-4-639-02113-1
    • 原田喬「中小坂鉄山高炉跡」
    • 原田喬「銑鉄の溶解と大砲鋳造」
    • 峯田元治、中江秀雄「江戸後期の鋳鉄製大砲」
  • 原田喬「日本の近代化における中小坂鉱山の意義と遺産の概要」『群馬産業遺産の諸相』、日本経済評論社、2009年 ISBN 978-4-8188-2047-0
  • 「下仁田町と周辺の地質」編集委員会『下仁田町と周辺の地質』、下仁田自然学校、2009年
  • 日刊工業新聞『産業遺産 時を越えて輝く』、日刊工業新聞社、2010年 ISBN 978-4-526-06573-6
  • たなか踏基『鷺の笛 中小坂鉄山秘聞』、幻冬舎ルネッサンス、2012年 ISBN 978-4-7790-0773-6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]