垂井宿
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垂井宿︵たるいじゅく︶は、中山道57番目の宿場︵→中山道六十九次︶。美濃国不破郡垂井村︵現・岐阜県不破郡垂井町︶に存在した。
概要[編集]
西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。酒造業も営んでいた栗田家が本陣を務めた。概略[編集]
●幕府領︵大垣藩預り領︶︵1843年︵天保14年︶︶ ●人口‥1179人 ●家数‥315軒 ●本陣‥1軒 ●脇本陣‥1軒 ●旅籠‥27軒最寄り駅[編集]
●JR東海道本線 垂井駅史跡・みどころ[編集]
垂井宿の史跡・みどころ[編集]
●垂井追分道標︵中山道・美濃路分岐点︶ ●東の見付跡 ●旅篭亀丸屋︵浪花講の指定旅館であった。現在も営業︶ ●垂井の泉︵垂井の地名の由来となった泉︶︽画像︾ ●南宮大社大鳥居 ●南宮大社石鳥居︵国の重要文化財︶ ●油屋宇吉家︵かつての商家・商人宿︶ ●本龍寺︵山門は脇本陣から移築︶ ●垂井城跡 ●八重垣神社 ●西の見付跡 ●竹中氏陣屋跡︽画像︾ ●青莪記念館 ●金蓮寺︵結城合戦の際に、足利安王丸・春王丸兄弟が殺害された︶関ヶ原宿までの史跡・みどころ[編集]
●日守の茶所 ●垂井一里塚︵国の史跡︶︽画像︾ ●松並木 ●六部地蔵 ●桃配山︵関ヶ原古戦場 徳川家康本陣跡︶ゆかりの人々・主な通行[編集]
●松尾芭蕉 - 本龍寺に一冬、滞在した。 ●赤報隊 - 1868年1月18日~21日、岩手に滞在。この間、竹中陣屋の明け渡し。北村与六郎他、約20名が加わる。 ●東山道総督府 - 1868年1月29日滞陣。隣の宿[編集]
中山道 赤坂宿 - 垂井宿 - 関ヶ原宿 美濃路 大垣宿 - 垂井宿脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
外部リンク[編集]
座標: 北緯35度22分17.6秒 東経136度31分33.7秒 / 北緯35.371556度 東経136.526028度