愛知川宿
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愛知川宿︵えちがわしゅく、えちがわじゅく︶は、近江国神崎郡にあった中山道65番目の宿場︵中山道六十九次︶で、現在は滋賀県愛知郡愛荘町愛知川および中宿。愛知川の東岸に位置する。東海道の土山宿から分岐した御代参街道の、中山道への合流点にあたる[1]。
沿革[編集]
古代・中世の愛知川宿[編集]
もと愛知川の渡津集落として発展し[2]、東山道の宿場のひとつとなった[3]。1001年︵長保3年︶には歌人・赤染衛門が、京から尾張へ赴く途中で七夕の晩にこの地に宿泊し、歌を詠んでいる[2][4]。﹃太平記﹄では、1335年︵建武2年︶京を経った勅使引他九郎や、翌年京に向かう北畠顕家が愛知川宿を経由する[3]。近世の愛知川宿[編集]
江戸幕府道中奉行﹃中山道宿村大概帳﹄では、1843年︵天保14年︶の愛知川宿は家数199軒、旅籠屋28軒[5]、人口929人、町並みは南北5町34間とある[6]。本陣は西澤甚五左衛門が勤め、脇本陣は中田清次郎が問屋と兼帯した[7]。 中山道では、1694年︵元禄7年︶に作成された助郷帳によって各宿に助郷が定められていた[8]。愛知川宿については、およそ3キロメートル以内に分布する愛知郡の15か村と神崎郡の5村、計20か村が助郷︵大助郷︶に該当し、さまざまな負担が課せられた[8]。また、彦根藩ではこれらの﹁大助郷﹂の下に複数の﹁小助郷﹂を置いて負担を分担させる制度があり、彦根藩の領内にあたる大助郷17か村に小助郷が割り当てられた[8]。大助郷・小助郷の村々は、1735年︵享保20年︶の訴訟をはじめとして、負担軽減を求める行動をたびたび起こしている[9]。しかし1816年︵文化13年︶には、度々の訴えにもかかわらず負担の大きさが変わっていないとして、藩に対して14か条の仕法を提言した[10]。 1829年︵文政12年︶に成宮弥次右衛門が愛知川に架橋を計画し、1831年︵天保2年︶に完成した[11][12]。旅人から通行料を取らなかったため、無賃橋とよばれた[12][13]。名産[編集]
江戸時代より愛知川宿は﹁一渓茶﹂と称する煎茶の名産として知られ、和菓子文化が広まった[14]。中でも不飲川のほとりで売られていた﹁越川大福﹂が人気だった伝えられている[15]。2008年現在、中山道沿いに残る7、8軒の菓子店舗のうちほとんどは愛知川宿に集中している[14]。最寄り駅[編集]
●近江鉄道本線 愛知川駅史跡・みどころ[編集]
宝満寺 真宗大谷派の寺院。江戸時代には25の末寺をもち、門内に等覚寺・乗船寺の2寺を塔頭とした。本堂・正門・経蔵・鐘楼・太鼓堂などが残っている。1752年︵宝暦2年︶から続く蓮如上人御影道中の御上洛︵帰路︶の定宿︵毎年5月7日︶。 豊満神社 神功皇后の軍旗を祀って創建されたと伝えられ、源頼朝をはじめ多くの武将が戦勝祈願をおこなったといわれ、﹁旗神さん﹂と親しまれる。鎌倉時代の四脚門は、国の重要文化財。 竹平楼 1758年創業の旅籠。明治天皇御小休の部屋が保存されている。現在は料亭。国の登録有形文化財。 旧田中家住宅 1892年から1919年にかけて整備された麻織物商の田源の別邸。現在は料亭︵近江商人亭︶として営業。国の登録有形文化財。 藤居本家 1831年︵天保2年︶から酒造を営む。長野の大隴神社の周辺に酒蔵が並ぶ。1997年の連続テレビ小説﹁甘辛しゃん﹂のロケ地。国の登録有形文化財。 るーぶる愛知川 愛知川駅に併設。ギャラリーおよび観光案内所。 愛知川びんてまりの館 愛荘町立愛知川図書館に併設。びん細工手まりを展示する。 近江鉄道愛知川橋梁 愛知川にかかる鉄橋︵ポニーワーレントラス橋︶。1897年︵明治30年︶英国ハンディサイド製。国の登録有形文化財[16]。 武佐宿までの史跡・みどころ ●小幡商人発祥の地 ●てんびんの里 五個荘町金堂地区︵重要伝統的建造物群保存地区︶ ●清水鼻の名水 ●奥石神社︵おいそじんじゃ︶- 本殿は国の重要文化財 ●老蘇の森隣の宿[編集]
中山道 高宮宿 - 愛知川宿 - 武佐宿脚注[編集]
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, p. 184.
- ^ a b 小林・木村 1982, p. 81.
- ^ a b 平凡社地方資料センター 1991, p. 767.
- ^ 門脇 2012, p. 28.
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, p. 213.
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, p. 188.
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, p. 202.
- ^ a b c 愛知川町史編集委員会 2010, p. 196.
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, pp. 197–198.
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, p. 198.
- ^ 愛知川町史編集委員会 2010, p. 222.
- ^ a b 平凡社地方資料センター 1991, p. 768.
- ^ 小林・木村 1982, p. 92.
- ^ a b 愛知川町史編集委員会 2008, p. 17.
- ^ 小林・木村 1982, p. 83.
- ^ 辻󠄀 良樹『関西 鉄道考古学探見』JTBキャンブックス 2007年
参考文献[編集]
●小林博、木村至宏 編﹃近江の街道﹄サンブライト出版︿近江文化叢書13﹀、1982年3月31日。 ●児玉幸多﹃中山道を歩く﹄中央公論新社︿中公文庫﹀、1988年。ISBN 4122015561。 ●平凡社地方資料センター 編﹃滋賀県の地名﹄平凡社︿日本歴史地名体系第25巻﹀、1991年2月20日。ISBN 4-582-49025-5。 ●愛知川町史編集委員会 編﹃近江 愛知川町の歴史 第三巻 民俗・文献史料編﹄愛荘町、2008年10月31日。 ●愛知川町史編集委員会 編﹃近江 愛知川町の歴史 第二巻 近世・近現代編﹄愛荘町、2010年3月1日。 ●門脇正人﹃中山道愛知川宿‥人々の往来と宿場の情景︿愛荘町歴史文化資料集 第13集﹀﹄、愛荘町立歴史文化博物館、2012年10月。関連項目[編集]
座標: 北緯35度10分18.7秒 東経136度12分28.3秒 / 北緯35.171861度 東経136.207861度