宮崎県立延岡商業高等学校
宮崎県立延岡商業高等学校 | |
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北緯32度36分57秒 東経131度40分7.7秒 / 北緯32.61583度 東経131.668806度座標: 北緯32度36分57秒 東経131度40分7.7秒 / 北緯32.61583度 東経131.668806度 | |
過去の名称 |
東臼杵郡立延岡商業学校 宮崎県立延岡商業学校 宮崎県立延岡岡冨高等学校商業課程 宮崎県立延岡恒富高等学校商業課程 宮崎県立延岡向洋高等学校商業課程 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県 |
校訓 |
質実剛健 堅忍持久 勤労愛好 |
設立年月日 | 1921年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業マネジメント科 情報ソリューション科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D145220360300 |
高校コード | 45105D |
所在地 | 〒882-0007 |
宮崎県延岡市桜ケ丘三丁目7122番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮崎県立延岡商業高等学校︵みやざきけんりつ のべおかしょうぎょうこうとうがっこう︶は、宮崎県延岡市桜ケ丘三丁目に所在する公立の商業高等学校。略称﹁延商﹂。
概要[編集]
歴史 1921年︵大正10年︶に郡立の商業学校として創立。1923年︵大正12年︶県立移管を経て、1948年︵昭和23年︶の学制改革により、新制高等学校宮崎県立延岡岡冨高等学校の商業課程となる。翌1949年︵昭和24年︶には統合により宮崎県立延岡恒富高等学校の商業課程となり、1950年︵昭和25年︶には工業課程とともに﹁宮崎県立延岡向洋高等学校﹂として分離・独立。1958年︵昭和33年︶に商業課程が分離し﹁宮崎県立延岡商業高等学校﹂として独立した。2021年︵令和3年︶に創立100周年を迎えた。 設置課程・学科 全日制課程2学科 ●商業マネジメント科 ●情報ソリューション科 校訓 ﹁質実剛健・堅忍持久・勤労愛好﹂ 校章 ギリシア神話の商業神ヘルメースの持つ杖﹁ケーリュケイオン﹂の絵の上に﹁高﹂の文字を置いている。 校歌 作詞は谷村博武、作曲は園山謙二による。歌詞は3番まであり、各番に校名の﹁延岡商高﹂が登場する。また校訓が入っている︵1番に質実剛健・2番に堅忍持久・3番に勤労愛好︶。 同窓会 ﹁延商会﹂と称している。 問題 10年以上に渡り、教師による生徒差別︵学科差別︶が続いていた。差別対象の学科は、会計科、流通経済科。現在は不明[要出典]。沿革[編集]
●1921年︵大正10年︶- ﹁東臼杵郡立延岡商業学校﹂︵旧制実業学校︶として創立。 ●1923年︵大正12年︶4月1日 - 宮崎県に移管され、﹁宮崎県立延岡商業学校﹂に改称。 ●1944年︵昭和19年︶4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により商業学校の募集が停止され、宮崎県立延岡工業学校が併設される。 ●1946年︵昭和21年︶4月1日 - 商業学校の募集を再開。修業年限が5年となる︵ただし4年修了時点で卒業することもできた︶。 ●工業学校の中で希望者には商業学校への転科を認めた。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革︵六・三制の実施、新制中学校の発足︶が行われる。 ●商業学校としての募集を停止。 ●新制中学校を併設し︵以下・併設中学校︶、商業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。 ●併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。 ●商業学校3・4年生はそのまま商業学校4・5年生として在籍︵ただし4年修了時点で卒業することもできた︶。 ●1948年︵昭和23年︶4月1日 - 学制改革により、延岡市内の県立旧制中等教育学校4校が統合され、新制高等学校2校が発足。 ●旧制中等教育学校4校 - 延岡中学校・延岡高等女学校・延岡商業学校・延岡工業学校 ●新制高等学校2校 ●﹁宮崎県立延岡恒富高等学校﹂- 旧制中学校生徒の半数、高等女学校生徒の半数︵男女共学︶、工業学校生徒全員を収容。 ●﹁宮崎県立延岡岡冨高等学校﹂- 旧制中学校生徒の半数、高等女学校生徒の半数︵男女共学︶、商業学校生徒全員を収容。 ●商業学校卒業者︵5年修了者︶を新制高校3年生、商業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者︵3年修了者︶を新制高校1年生として収容。 ●1949年︵昭和24年︶ ●3月31日 - 併設中学校を廃止。 ●4月1日 - 公立高等学校の統合・再編により上記2校が統合され﹁宮崎県立延岡恒富高等学校﹂となる。 ●通常制普通課程︵全日制普通科︶・商業課程・工業課程・定時制・通信教育部を有する総合制の高等学校となる。 ●1950年︵昭和25年︶4月1日 - 公立高等学校の再編により、商業課程と工業課程が延岡恒富高等学校から分離し、﹁宮崎県立延岡向洋高等学校﹂として独立。 ●実業高等学校となる。 ●1958年︵昭和33年︶4月1日 - 商業課程が宮崎県立延岡向洋高等学校から分離し、﹁宮崎県立延岡商業高等学校﹂︵現校名︶として独立。 ●宮崎県立延岡向洋高等学校は1965年︵昭和40年︶に宮崎県立延岡工業高等学校と改称した。 ●1978年︵昭和53年︶4月1日 - 学科改編により、情報処理科を新設。 ●1996年︵平成8年︶4月1日 - 学科改編により、会計科と流通経済科を新設。 ●2002年︵平成14年︶4月1日 - チャレンジショップ︵実習店︶﹁和︵なごみ︶﹂の運営を開始。毎年9月から12月までの期間限定。 ●2006年︵平成18年︶4月1日 - 学科改編により、情報処理科の募集を停止し、経営情報科1学級を新設。 ●2022年︵令和4年︶4月1日 - 学科改編により、商業科・会計科・流通経済科の募集を停止し、商業マネジメント科が新設される。経営情報科の募集を停止し、情報ソリューション科が新設される。学校行事[編集]
●9月 - 体育大会 ●10月 - 桜華祭︵文化祭︶部活動[編集]
運動部 ●野球部 ●夏の甲子園大会 - 2回出場︵1968年︵昭和43年︶・1985年︵昭和60年︶︶ ●春のセンバツ甲子園大会 - 1回出場︵1982年︵昭和57年︶︶ ●陸上競技部 ●バスケットボール部 ●卓球部 ●テニス部 ●サッカー部 ●ハンドボール部 ●弓道部 ●バドミントン部 ●ソフトボール部 ●空手道部 ●ソフトテニス部 ●体操競技部 ●バレーボール部 文化部 ●珠算・電卓部 ●美術部 ●簿記部 ●吹奏楽部 ●情報処理部 ●ワープロ部 ●ボランティア部 ●放送部 ●流通経済部 ●写真部 ●文芸部 ●茶道部著名な出身者[編集]
●大原一三 - 元衆議院議員︵旧制延岡商業学校卒業︶ ●柳田豊 - 元プロ野球選手 ●s@ko - ローカルタレント ●酒井瞳 - タレント︵アイドリング!!!14号︶交通[編集]
最寄りの鉄道駅 ●JR九州 日豊本線 ﹁延岡駅﹂- 学校からかなり離れているのでバスの利用が必要。 最寄りのバス停 ●宮崎交通 延岡駅前から桜ヶ丘線のバスに乗車、﹁商業高校前﹂バス停で下車。その他[編集]
●国家資格の基本情報技術者試験︵FE︶の午前科目免除制度の認定校となっている[1][2]。周辺[編集]
●桜ヶ丘緑地 ●桜ヶ丘団地 ●北延岡中継局 - グランド裏の山にあるテレビ中継局。脚注[編集]
- ^ IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験:午前試験免除 基本情報技術者試験(FE)
- ^ “認定免除対象講座の一覧(PDF)”. 独立行政法人 情報処理推進機構. 2021年7月29日閲覧。