持永和見
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持永 和見 もちなが かずみ | |
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生年月日 | 1927年7月1日 |
没年月日 | 2017年9月3日(90歳没) |
死没地 | 東京都渋谷区 |
出身校 | 東京大学法学部第3類[1] |
前職 | 国家公務員 (厚生省) |
所属政党 | 自由民主党 (宏池会) |
選挙区 |
(旧宮崎2区→) 宮崎3区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1986年7月6日 - 2003年10月10日 |
持永 和見︵もちなが かずみ、1927年7月1日 - 2017年9月3日︶は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。父は元北海道庁長官の持永義夫、弟は元自治事務次官の持永堯民。子は持永哲志。
略歴[編集]
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
●1953年 東京大学法学部第3類︵政治コース︶卒業後[1]、厚生省に入省
●社会保険庁長官官房総務課課長補佐
●1967年9月26日 経済企画庁総合計画局計画官︵国民生活部門計画担当︶
●1970年6月2日 社会保険庁年金保険部業務課長
●1972年2月1日 厚生省年金局資金課長
●1973年7月27日 厚生省年金局企画課長
●1976年6月1日 厚生省大臣官房会計課長
●1978年6月23日 社会保険庁年金保険部長
●1980年5月27日 厚生省援護局長
●1981年8月26日 厚生省薬務局長
●1983年8月26日 厚生省社会局長
●1984年8月28日 社会保険庁長官
●1985年8月27日 依願退官
衆議院議員時代[編集]
●1986年第38回衆議院議員総選挙で、旧宮崎2区から自由民主党公認として立候補し初当選、以後5期連続務める。 ●1990年12月29日 大蔵政務次官︵1991年11月5日まで︶ ●1994年9月30日 衆議院環境委員長︵1995年1月20日まで︶ ●1999年10月5日 総務総括政務次官︵2000年4月5日まで︶ ●2000年4月5日 総務総括政務次官︵再任、2000年7月4日まで︶ ●2001年1月31日 衆議院決算行政監視委員長 ︵2002年1月21日まで︶政界引退後[編集]
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退。地盤の宮崎3区には、子で元経産官僚の持永哲志を自身の後継者として擁立。自民党公認争いで古川禎久との調整がつかず、双方が無所属で立候補したが、古川に敗れて落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、哲志が自民党公認として立候補したが、再び落選。その後、2008年6月に哲志は旅行中の沖縄で急死した。
2017年9月3日、心不全のため、東京都渋谷区の自宅で死去。90歳没[2]。政府は従三位に叙するとともに、旭日重光章を贈ることを決めた[3]。
脚注[編集]
- ^ a b 『日本官界名鑑 第14巻』日本官界情報社、1962年発行、878ページ
- ^ 持永和見氏が死去 元衆院議員 日本経済新聞 2017年9月4日
- ^ 叙位・叙勲 - インターネット官報 2017年9月15日(同月27日閲覧)
関連項目[編集]
議会 | ||
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先代 衛藤征士郎 |
衆議院決算行政監視委員長 2001年 - 2002年 |
次代 渡海紀三朗 |
先代 奥田幹生 |
衆議院環境委員長 1994年 - 1995年 |
次代 阿部昭吾 |