東急3600系電車
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東急3000系電車 (初代) > 東急3600系電車
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/3772_Uedahara.jpg/250px-3772_Uedahara.jpg)
上田交通へ譲渡後、廃車された後の姿
東急3600系電車︵とうきゅう3600けいでんしゃ︶は東京急行電鉄で使用されていた通勤形電車で、東急3000系電車のうちの一系列である。第二次世界大戦後の混乱期に戦災国電の払い下げを受けて復旧した車両である。
概要[編集]
1948年︵昭和23年︶より、戦災焼失等で損傷した省線電車︵モハ30・50形などの17 m車︶の車体等を譲受し、再生復旧工事を施す形で製作された車両である。 制御電動車デハ3600形が3601 - 3616の16両、制御車はクハ3670形が3671 - 3679の9両、クハ3770形が3771 - 3782の12両で、3形式、計37両が投入されている。クハが2形式に分かれるのは、昇圧を控えた時期ゆえ、クハ3670形が架線電圧600 直流V専用であるのに対し、クハ3770形が600 V/1,500 Vの複電圧に対応していることによる。東急の鉄道線全線が昇圧した際にはクハ3670形も1,500 Vに対応させており、その後は機能的差異は皆無であった。- デハ3600形:3601 - 3615
- クハ3670形:3671 - 3677
- モハ50062 → クハ3671
- モハ30025 → クハ3672
- モハ30035 → クハ3673
- モハ30045 → クハ3674
- クハ65098 → クハ3676
- サハ48004 → クハ3677
- クハ3770形:3771 - 3782
- クハ65141 → クハ3771
- クハ65147 → クハ3772
- クハ65027 → クハ3773
- サハ36024 → クハ3774
- サハ36052 (36007) → クハ3775
- ナハフ14516 → クハ3776
- ナハフ24071 → クハ3777
- ナハ22068 → クハ3778
- ナ二16502 → クハ3781
- ナハフ14144 → クハ3782
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3形式とも、焼け電の構体を﹁叩き出し﹂で復旧した、いわゆる応急復旧車︵デハ3601・3602・3607・3608、クハ3671 - 3675、クハ3771 - 3775︶と、台枠のみを流用して車体を新造したグループ︵デハ3603 - 3606・3609 - 3616、クハ3676 - 3679、クハ3776 - 3782︶に大別される。いずれも国鉄定規の2,800 mm幅であったため、﹁特認﹂のうえ限界拡張を行った東横線・目蒲線のみで運用された。種車の差異によらずすべて片運転台である。
応急復旧車グループは種車がまちまちのうえ、焼損度合いも異なっており、中にはデハ3601︵種車は系列中唯一の旧モハ31形︶のように事故復旧車ではあっても﹁焼け車体﹂ではないものもあった。このため、比較的﹁見られる﹂状態のものから、素人目にも傷みや外板の凹凸が判別できるものまで、各車毎に相当に状態が異なったという。また、クハは屋根の高さ︵厚さ︶が省電時代のままのものと、東急の車両定規に合わせた低い︵薄い︶ものが混在しており、低いタイプは電装化に備えてパンタグラフ台を装備していた。
台枠流用グループは、鉄道省モハ50形の流れを汲みながら、屋根が若干低い形状を基本としている。これは種車がさらにまちまちで、17m省電はもとより、20 m級のモハ40系等から、ホハ12000系等の中型木造客車、メーカーのストック品を流用した事実上の車体新製車︵デハ3616、クハ3678・3679︶まであった。20 m車は台枠の切り詰めがなされ、客車を種車とするものは台枠裾からその素性がうかがえた。クハにパンタ台があるのは応急復旧車グループ同様である。
さらにメーカーによっても、新日国工業︵現・日産車体︶︵デハ3603 - 3606・3609・3610、クハ3676・3677、クハ3779・3780︶、汽車会社︵デハ3611・3612︶、日本車輌製造︵デハ3613 - 3616、クハ3678・3679、クハ3776 - 3778︶、東急横浜製作所︵クハ3781・3782︶のそれぞれでディテールや仕上がりに差異があった。
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東急系列会社への移動[編集]
1961年︵昭和36年︶に開業した伊豆急行線は車両不足のため、親会社である東急から車両貸出措置が行われた。本系列からもデハ3608・3612、クハ3677、クハ3780の4両が貸し出され、中でも鉄道省モハ30系応急復旧車であるデハ3608は両運転台化改造も併せて実施され、開業前の試運転にも使用された。当初は紺と山吹色の東急色で、その後伊豆急標準のハワイアンブルーとペールブルーに塗り替えられ、予備車の他3608は電気機関車の代用で貨物列車牽引等にも充当された。当時の伊豆は首都圏からの新婚旅行スポットでもあり、新車を期待した観光客には不評を買ったが、東急入線前の新車7000系等とともにしばらくの間運用され、伊豆急行自社持ちの車両増備が進んだ1965年︵昭和40年︶までに返却された。なお、東急貸出車の運用は伊豆急行線内限定であり、伊東線への乗り入れは行われなかった。
これとは別に、1958年︵昭和33年︶に台枠流用グループのデハ3609 - 3611が両運転台化・運転台の右側移設の上で定山渓鉄道︵現、じょうてつ︶へ譲渡され、同社モハ2200形2201 - 2203となっているが、1969年︵昭和44年︶の同社線廃線により廃車された。