松木屋
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本社所在地 |
日本 青森県青森市新町81[1] |
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設立 | 1921年(大正10年)3月[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4420001012642 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 | 平山為之助(社長)神野伊三郎(常務)[1] |
資本金 | 20万円[1] |
従業員数 | 100[1] |
決算期 | 8月[1] |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒030-0801[2] 青森県青森市新町2丁目8-1[2] |
設立 | 1949年(昭和24年)2月7日[2] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4420001012642 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 | 代表取締役社長 中島保[2] |
資本金 | 2億1000万円[2] |
決算期 | 2月[2] |
松木屋 MATSUKIYA | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒030-0801 青森県青森市新町2丁目8-1[3] |
開業日 | 1921年12月1日 |
閉業日 | 2003年4月23日 |
正式名称 | 松木屋 |
施設所有者 | 株式会社松木屋 |
延床面積 | 13,758 m² |
商業施設面積 | 9,915[4] m²[4] |
前身 | 松木屋呉服店 |
後身 | ポレスター・新町レジデンス |
最寄駅 | 青森駅 |
最寄IC | 青森中央IC |
MATSUKIYA |
松木屋︵まつきや︶は、かつて青森県に展開していた日本の百貨店。2003年4月23日を以て閉店した。
なお、2000年に別会社として独立した﹁むつ松木屋﹂のほうは、現在も存続している。
歴史・概要[編集]
1921年︵大正10年︶12月1日に﹁神野伊三郎﹂が青森市の新町と柳町の交差点に木造3階建て約380坪の建物を建設し、﹁松木屋呉服店﹂︵資本金100万円︶として青森市で初めての百貨店を開業したのが始まりである。 当初は青森市内でただ1つの百貨店だったため、1931年︵昭和6年︶3月9日に起きた地震の際には1階の缶詰類の転落、3階の博多人形の転落・破損など詳細な被害が東奥日報で報道されたり、﹁彗星社﹂展︵1922年︵大正11年︶6月11日︶、﹁第2回光洋画会展覧会﹂︵1922年︵大正11年︶6月11日︶、﹁青光画社第7回展覧会﹂︵1925年︵大正14年︶5月23日︶、﹁青光画社第8回展覧会﹂︵1925年︵大正14年︶11月28日︶が開催されるなど、当時の先端的な文化と生活の拠点として話題を呼んだ。 1937年︵昭和12年︶に成立した﹁百貨店法﹂で加盟が義務付けられたため、1938年︵昭和13年︶に日本百貨店組合が設立されると同時に菊屋百貨店やかくは宮川と共に加盟するなど、第2次世界大戦前の青森を代表する百貨店の1つとして知られていたが、1945年︵昭和20年︶5月に空襲対策の道路拡張に伴い閉店に追い込まれた。 第2次世界大戦後の1947年︵昭和22年︶に﹁松木屋呉服店﹂の旧株主と旧店員が﹁株式会社松木屋﹂を設立して衣料品店を開き、1951年︵昭和26年︶菊屋百貨店のあった新町に鉄筋コンクリート造3階建ての建物を建設して移転、百貨店として復活し、菊屋百貨店や富士屋百貨店と競争となったが1955年︵昭和30年︶には青森市では唯一の百貨店としての生き残りに成功した。 その後、1965年︵昭和40年︶には青森店が売上高13.7億円となり、売場面積で下回りながらも18.0億円の売上高となったカネ長武田百貨店に青森市の地域一番店の座を譲ったものの、1966年︵昭和41年︶には鉄筋コンクリート造4階建てに増築して青森県最大の百貨店とし、呉服店から規模を拡大して1961年︵昭和36年︶に百貨店となったカネ長武田百貨店と共に新町商店街の中核店舗として親しまれた。1970年︵昭和45年︶3月1日には6階建ての店舗が増築され、その上には新たに展望台が設置された[5]。 また、1968年︵昭和43年︶にむつ市に﹁むつ松木屋﹂、1973年︵昭和48年︶に十和田市に﹁十和田松木屋﹂を開店して多店化したほか、1970年︵昭和45年︶に西武百貨店と提携するなど昭和40年代までは積極的な事業展開を図った。 その間の1974年︵昭和49年︶には近くの昭和通に五所川原市に本拠を置く中三百貨店が進出して、青森市の百貨店は3店並立となった。 しかし、1970年︵昭和45年︶に安方魚市場が閉鎖され、1981年︵昭和56年︶に青森県立中央病院が郊外移転するなど公共施設の郊外移転が進み、来街者が減ったほか、1976年︵昭和51年︶に郊外型ショッピングセンターサンロード青森がオープンするなど、モータリゼーションの進展と共に買い物客の郊外流出も進んだ。1976年︵昭和51年︶に2万7,940人だった新町通りの歩行者通行量は1984年︵昭和59年︶には1万5,778人となるなど、新町の集客力が急速に衰え、中心市街地の売上は1988年︵昭和63年︶の927.93億円から2002年︵平成14年︶には674.93億円へ落ち込んだ。松木屋も1997年︵平成9年︶71.48億円だった年商が、2000年︵平成12年︶に56.89億円とわずか3年で20.4%も減少し、2003年︵平成15年︶4月23日閉店に追い込まれ、同5月9日自己破産を申請し、5月12日に破産宣告を受け消滅した。 西武百貨店と提携していた関係で、ハウスカードはセゾンカードで、西武ライオンズが優勝した際には、記念セールも行われていた。十和田松木屋[編集]
1973年︵昭和48年︶に十和田市に開店して地元商店街と共に市内外から多数の買い物客を集めていたが、1990年代に入りバブル経済が崩壊すると売上が前年割れするようになり、1995年︵平成7年︶下田町︵現おいらせ町︶にイオン下田ショッピングセンター︵現イオンモール下田︶がオープンすると1999年︵平成11年︶には1982年︵昭和57年︶の3分の1にまで歩行者通行量が落ち込むほど影響を受けて売上が急減し、1999年︵平成11年︶8月31日閉店に追い込まれた。 2000年︵平成12年︶11月に十和田商工会議所が1階部分︵ただし、2階部分を催事場として使用していた時期もあった。3階より上は閉鎖。︶をチャレンジショップ﹁とわだ まちの駅﹂とし、2001年︵平成13年︶4月以降は出店者による自主運営で営業していたが、2010年︵平成22年︶10月31日に再開発の為閉鎖し、2011年︵平成23年︶11月25日に近くにある人気施設十和田市現代美術館との連携を目指した﹁十和田市観光物産センター﹂を核とした複合施設﹁アート・ステーション・トワダ﹂がオープンした。沿革[編集]
●1921年︵大正10年︶12月1日 - 青森市にて﹁松木屋呉服店﹂として百貨店を開業。 ●1947年︵昭和22年︶ - ﹁松木屋﹂として衣料品店を開業。 ●1949年︵昭和24年︶2月7日 - 資本金20万円で﹁株式会社松木屋﹂を設立[2]。 ●1950年︵昭和2年︶12月 - ﹁株式会社松木屋﹂が新町に店舗を竣工[2]。 ●1963年︵昭和38年︶ - 西武百貨店が主催する日本百貨店経営協議会に加盟 ●1966年︵昭和41年︶ - 増築して青森県最大の百貨店となる。 ●1968年︵昭和43年︶ - むつ市に﹁むつ松木屋﹂を開店する。 ●1970年︵昭和45年︶3月27日 - 西武百貨店と業務提携に調印[6]。 ●1973年︵昭和48年︶ - 十和田市に﹁十和田松木屋﹂を開店する。 ●1999年︵平成11年︶8月31日 - 十和田松木屋が閉店。 ●2000年︵平成12年︶ - ﹁むつ松木屋﹂を本体から分離、﹁株式会社むつ松木屋﹂設立。 ●2003年︵平成15年︶ ●4月23日 - 青森店が閉店。 ●5月6日 - 関連会社の﹁松木屋友の会﹂が営業廃止届を提出する。 ●5月9日 - 青森地方裁判所に自己破産を申し立てる。 ●5月12日 - 破産宣告される。その後[編集]
●青森店の跡地は商業施設とマンションを組み合わせた複合ビルになる予定だったが、計画が変更になりマンションとして、﹁ポレスター・新町レジデンス﹂が建設された。 ●十和田店は閉店後、1階部分が﹁とわだ まちの駅﹂として利用され、100円ショップセリアなどが入居していたが、2010年10月31日をもって閉鎖された。建物は解体され、2011年11月に平屋建ての新たな複合商業施設﹁アートステーショントワダ﹂が開業した。ロゴマーク[編集]
松木屋のロゴマークは、﹁松木﹂を図案化したもの︵﹁松﹂の文字が円状になった﹁木﹂に囲まれているデザイン︶で、昭和20年代頃に青森ねぶた制作者千葉作龍の父・千葉作太郎によって発案され、その後マイナーチェンジをしながらも、閉店時まで使用された。 また、昭和50年代頃には提携していた西武百貨店のマークを多分に意識したもの︵中に黄緑の正方形がついた紺色の円が4つ並び、その上に黄緑/紺のラインと﹁MATSUKIYA﹂の文字が描かれたデザイン︶も使用され始め、上記のロゴと並行して使用された。むつ松木屋[編集]
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 松木屋 |
本社所在地 |
日本 〒035-0031 青森県むつ市柳町1-8-8 北緯41度17分47.7秒 東経141度12分52.4秒 / 北緯41.296583度 東経141.214556度 |
設立 | 1967年9月 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4420001012642 |
代表者 |
代表取締役 佐藤 譲 (株式会社佐藤長 代表取締役社長) |
資本金 | 1,000万円 |
外部リンク | さとちょう むつ松木屋店 |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 総鮮物産 |
本社所在地 |
日本 〒035-0031 青森県むつ市柳町1-8-8 北緯41度17分47.7秒 東経141度12分52.4秒 / 北緯41.296583度 東経141.214556度 |
設立 | 1982年2月 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 2420001012396 |
事業内容 | 食品スーパーマーケット事業 |
代表者 |
代表取締役 佐藤 譲 (株式会社佐藤長 代表取締役) |
資本金 | 1,000万円 |
外部リンク | さとちょう むつ松木屋店 |
むつ松木屋は、青森県むつ市にある百貨店である。2000年に株式会社松木屋︵本社︶から独立していたため、2003年︵平成15年︶の本社破産後も存続し、毎年開かれているむつ市主催の物産展﹁むつ市のうまいは日本一!﹂の会場のひとつとなるなど、むつ市の商店街の核として機能している。
インターネットショッピングサイト・楽天市場に、自社のショッピングサイト﹁北緯41度、うまいぞ!下北半島﹂を設けていた。
︵いつ閉鎖したのかは不明である。レビューは現在も閲覧可能。︶
2016年︵平成28年︶11月3日、むつ松木屋1階の食品売り場を﹁さとちょうむつ松木屋店﹂としてリニューアルオープンした。
2020年︵令和2年︶12月31日‥店舗建物老朽化に伴う設備改装工事に伴い一時休業。
︵休業は2021年1月1日から開始。︶[7]
2021年︵令和3年︶3月8日‥都市再生推進法人田名部まちづくり株式会社により店舗1階部分の改修工事や松木屋周辺の整備を計画し、2021年度︵令和3年度︶の事業着手に向けた準備を開始した。[8]
同年4月24日‥店舗1階外に併設してあった﹁松木屋名物そば・うどん﹂店が﹁さとちょう むつ中央店﹂に移転オープンした。[9]
同年10月22日‥﹁スーパーさとちょうむつ松木屋店﹂としてリニューアルオープンした。[10] それに伴い、店内にレストラン﹁Restaurant Epic﹂が新規オープンする。 本改装工事は国土交通省の﹁まちなか公共空間等活用支援事業﹂を活用して事業を進行した。 また、同事業の全国第1号案件となった。[11] 2023年︵令和5年︶6月に佐藤長が民事再生法適用を申請したが、﹁さとちょうむつ松木屋店﹂は民事再生スポンサーであるトライアルホールディングスの子会社である青森トライアルへの譲渡対象外となったため、﹁レストラン Epic﹂共々同年10月20日に閉店した[12][13]。
同年10月22日‥﹁スーパーさとちょうむつ松木屋店﹂としてリニューアルオープンした。[10] それに伴い、店内にレストラン﹁Restaurant Epic﹂が新規オープンする。 本改装工事は国土交通省の﹁まちなか公共空間等活用支援事業﹂を活用して事業を進行した。 また、同事業の全国第1号案件となった。[11] 2023年︵令和5年︶6月に佐藤長が民事再生法適用を申請したが、﹁さとちょうむつ松木屋店﹂は民事再生スポンサーであるトライアルホールディングスの子会社である青森トライアルへの譲渡対象外となったため、﹁レストラン Epic﹂共々同年10月20日に閉店した[12][13]。
入居していたテナント[編集]
●さとちょう︵総鮮物産︶ - 2016年︵平成28年︶11月3日に食品売り場をテナント化 [14] ●レストラン Epic︵エピック・株式会社ウッドペッカー︶ - 2021年10月22日開店のレストランである。関連会社[編集]
●株式会社佐藤長 ●株式会社むつ松木屋 ●総鮮物産株式会社脚注[編集]
- ^ a b c d e f 百貨店年鑑 昭和16・17年度, 日本百貨店通信社, (1941-1-25), pp. 58
- ^ a b c d e f g h i 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 85
- ^ 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 499
- ^ a b 週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版, 東洋経済新報社, (2000), pp. 150
- ^ あの瞬 RABテレビが伝えた青森(青森放送)1970年の青森市 - YouTube(2019年10月11日)2021年3月1日閲覧。
- ^ 日本商業年鑑 1971年版, 商業界, (1971), pp. 25
- ^ むつ松木屋店店舗改装工事に伴う一時休業のお知らせ|店舗からのお知らせ|株式会社 佐藤長
- ^ むつ松木屋の改修事業|田名部まちなか再生事業 - むつ市
- ^ 「松木屋名物 そば・うどん中央店」オープンのお知らせ|店舗からのお知らせ|株式会社 佐藤長
- ^ 事業進捗状況<むつ松木屋1F改修工事>|田名部まちづくり株式会社
- ^ 「むつ松木屋」改修に金融支援/民間都市開発推進機構(デーリー東北デジタル)
- ^ そばにカレー「地域の味」姿消す/むつ東奥日報 2023年10月19日
- ^ むつの3店舗も惜しまれ閉店/スーパー「さとちょう」デーリー東北 2023年10月20日
- ^ 11月3日(木曜日)あさ9時からさとちょうむつ松木屋店がリニューアルオープンいたします。|店舗からのお知らせ|株式会社 佐藤長(2017年1月26日時点のアーカイブ、2021年8月8日閲覧)
参考文献[編集]
●佐藤良宣. “青森県の百貨店”. 青森県立郷土館だより通巻141号 Vol.38 No.2 (青森県立郷土館) (2007-8-1).
●中園裕. “青森県史の窓02青森駅前の今昔”. 東京と青森2005年11月号 (東京青森県人会) (2005-11).
●日本百貨店協会編﹃日本百貨店組合10年史﹄日本百貨店協会、1959年。
●北の会﹃太宰治と青森のまち﹄北の街社、1998年。ISBN 9784873730868。
●衣川恵. “まちづくり3法と青森市中活事業の事例”. 地域総合研究第36巻第1・2号合併号 (鹿児島国際大学地域総合研究所) (2009-2).
●南勉. “近代の青森市における﹁企業家ネットワーク﹂の研究?役員兼任と出資の視点からの企業家ネットワーク?”. 弘前大学大学院地域社会研究科年報第8号 (弘前大学地域社会研究科) (2011).
●“北のミュージアム 時代の流れと百貨店”. 陸奥新報 (陸奥新報社). (2007年11月26日)
●“全県下を揺りあげた 九日午後の激震 各地に相当の被害”. 東奥日報 (東奥日報社). (1931年3月10日)
●“商店街の活力 第1部 空洞化進む県内 (2) 十和田・松木屋の盛衰/にぎわい再び…地元苦闘”. 東奥日報 (東奥日報社). (2010年11月26日)
●“﹁とわだまちの駅﹂閉店、解体へ”. 東奥日報 (東奥日報社). (2010年10月31日)
●“社説 にぎわい持続へ知恵絞れ/十和田にAST開業”. 東奥日報 (東奥日報社). (2011年12月7日)
●“新複合施設の名称決まる/十和田”. 東奥日報 (東奥日報社). (2011年9月22日)
●“名称は﹁Art Station﹂十和田の商業施設”. デーリー東北 (デーリー東北). (2011年9月22日)
●“﹁食﹂のイベント大集合/むつ”. 東奥日報 (東奥日報社). (2008年9月28日)
●“むつで﹁うまいは日本一﹂フェア”. 東奥日報 (東奥日報社). (2011年8月28日)
●馬恵美子. “大正期の青森の美術団体について”. 県立図書館だより 青森県立図書館報第6号 (青森県立図書館) (2010-2).
●未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン - 57社中、48社の売上高が減収 - (Report). 帝国データバンク. 2001.