氷川女体神社
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氷川女體神社 | |
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境内 | |
所在地 | 埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1 |
位置 | 北緯35度53分13秒 東経139度41分37.6秒 / 北緯35.88694度 東経139.693778度座標: 北緯35度53分13秒 東経139度41分37.6秒 / 北緯35.88694度 東経139.693778度 |
主祭神 | 奇稲田姫命 |
社格等 |
(称)武蔵国一宮 旧郷社 |
創建 | 崇神天皇年間 |
本殿の様式 | 三間社流造 |
別名 | 氷川女体神社 |
例祭 | 10月8日 |
地図 |
氷川女体神社︵ひかわにょたいじんじゃ︶は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。登記上の宗教法人名称は旧字体の氷川女體神社[1]である。武蔵国一宮を称する。全国一の宮会加盟社。旧社格は郷社。
氷川女体神社、拝殿
氷川女体神社、鳥居
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。
﹃大日本地名辞書﹄では﹃延喜式神名帳﹄に記載されている式内社﹁武蔵国足立郡 多氣比賣神社﹂の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。
天正19年︵1591年︶には、徳川家康より社領50石が寄進された[3]。
近世の文書や拝殿の額に﹁武蔵国一宮﹂と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社︵簸王子社︶の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである︵後述︶。また、江戸時代に橘三喜がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、それらのことから現在は、氷川神社と共に﹁全国一の宮会﹂に加盟している。
﹃江戸名所図会﹄には﹁元簸河神社﹂という社名で、登載されている。
祭神[編集]
主祭神 ●奇稲田姫命 - 須佐之男命の妻。大宮︵さいたま市大宮区︶の氷川神社︵主祭神‥須佐之男命︶を﹁男体社﹂とし、それに対し当社は﹁女体社﹂にあたる[2]。 配祀神 ●三穂津姫命 ●大己貴命歴史[編集]
見沼周辺の氷川三社[編集]
神社名 | 別名 | 主祭神 | 続柄 |
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氷川神社 | 男体社 | 須佐之男命 | 夫 |
氷川女体神社 | 女体社 | 奇稲田姫命 | 妻 |
中山神社 (中氷川神社) |
氷王子社 (簸王子社) |
大己貴命 | 子(孫) |
元の見沼付近に位置する当社と氷川神社、中山神社は直線上にある[4]。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。また、三社の関係は右表のようになる。
これらから、三社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池﹁御沼﹂として広大な神域を有していた、とする説がある[5]。
磐船祭祭祀遺跡
●本殿
●寛文7年︵1667年︶、四代将軍徳川家綱が忍城主の阿部忠秋を奉行に命じて再建。この時の棟札には﹁武蔵国一宮簸河女躰大明神﹂とあり、武蔵国一宮を冠している。
●磐船祭祭祀遺跡
●境内前の御幸道のつき当たりには﹁磐船祭祭祀遺跡﹂がある。元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は、見沼で行われていた御船祭であった。しかし、享保13年︵1728年︶に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなった。そこで、翌年、見沼の一部であった場所に、池の中に丸い島を築いた祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる﹁磐船祭﹂を行うこととなった。磐船祭は明治初年には行われなくなったが、その遺跡が良い保存状態で残されている[6]。
境内[編集]
摂末社[編集]
本殿裏手に複数社鎮座する。文化財[編集]
重要美術品︵国認定︶[編集]
●三鱗文兵庫鎖太刀1口 - 昭和23年4月27日認定埼玉県指定有形文化財[編集]
●三鱗文兵庫鎖太刀1口︵工芸品︶ - 昭和47年3月28日指定︵国の重要美術品認定のものと同じ︶[7][8] ●氷川女体神社神輿1基︵工芸品︶ - 昭和47年3月28日指定[7][8] ●牡丹文瓶子 一対(2口︶︵工芸品︶ - 昭和48年3月9日指定。東京国立博物館に寄託[9][8] ●紙本墨書大般若波羅蜜多経 539巻︵典籍︶ - 昭和47年3月28日指定[8] ●氷川女体神社社殿1棟︵建造物︶ - 平成19年3月16日指定[8]さいたま市指定文化財[編集]
有形文化財 ●氷川女体神社古社宝類 一括︵工芸品︶ - 昭和44年5月21日指定[10][8] ●神明宮扁額 僧公遵書1面︵書跡︶ - 昭和63年3月28日指定[11][8] ●北条氏綱制札1通、北条氏印判状1通︵古文書︶ - 昭和36年3月31日指定[12][8] ●氷川女体神社社領寄進及び朱印状12通︵古文書︶ - 昭和54年3月29日指定[13][8] 無形民俗文化財 ●氷川女体神社の名越祓え - 昭和60年3月28日指定[8] 史跡 ●氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡 - 昭和54年3月29日指定[8] 天然記念物 ●氷川女体神社社叢 - 昭和40年7月1日指定[8]現地情報[編集]
所在地 ●埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1 ●当社周辺の地名は三室と呼ばれ、﹁三室の氷川神社﹂といえば当社を指す。 交通アクセス兼務社[編集]
脚注[編集]
(一)^ 国税庁法人番号公表サイト
(二)^ ﹃日本全国一の宮巡拝完全ガイド﹄メイツ出版株式会社、2017年、31頁。
(三)^ 井上香都羅﹃みむろ物語―見沼と氷川女体社を軸に﹄さきたま出版会、1998年4月15日、89頁。ISBN 9784878911125。
(四)^ 青木義脩﹃氷川女体神社﹄さきたま出版会、1984年1月1日、11頁。
(五)^ ﹃大宮のむかしといま﹄大宮市︵1980年11月発行︶。
(六)^ 井上香都羅﹃見沼と氷川女体社を軸にみむろ物語﹄さきたま出版会、1998年、14頁。
(七)^ ab﹃指定文化財総目録﹄浦和市教育委員会、2000年、5頁。
(八)^ abcdefghijklさいたま市内指定・登録文化財一覧による。
(九)^ ﹃浦和の文化財﹄浦和市教育委員会、1986年10月1日、51頁。
(十)^ ﹃指定文化財総目録﹄浦和市教育委員会、2000年、22頁。
(11)^ ﹃指定文化財総目録﹄浦和市教育委員会、2000年、25頁。
(12)^ ﹃指定文化財総目録﹄浦和市教育委員会、2000年、27頁。
(13)^ ﹃指定文化財総目録﹄浦和市教育委員会、2000年、31頁。
参考文献[編集]
- 『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』(埼玉県神社庁、1998年)
- 青木義脩 『氷川女体神社』(浦和市郷土文化会、1975年)
- 青木義脩 『氷川女体神社』(さきたま出版会、1984年)
- 野尻靖 『氷川女体神社 浦和』(さきたま出版会、1995年、ISBN 4878912480)
- 井上香都羅 『みむろ物語―見沼と氷川女体社を軸に』(さきたま出版会、1998年、ISBN 4878911123)