濁川村
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にごりかわむら 濁川村 | |
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廃止日 | 1954年11月1日 |
廃止理由 |
編入合併 濁川村、南浜村、西蒲原郡坂井輪村 → 新潟市 |
現在の自治体 | 新潟市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 北蒲原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
新潟市、南浜村[1]、木崎村[1]、 長浦村[1]、岡方村[1] |
濁川村役場 | |
所在地 | 新潟県北蒲原郡濁川村大字濁川[2][注 1] |
座標 | 北緯37度55分43秒 東経139度09分41秒 / 北緯37.92872度 東経139.16136度座標: 北緯37度55分43秒 東経139度09分41秒 / 北緯37.92872度 東経139.16136度 |
ウィキプロジェクト |
濁川村︵にごりかわむら︶は、かつて新潟県北蒲原郡にあった村。1954年11月1日の新潟市への編入合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。
以下の記述は合併直前当時の旧濁川村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。
歴史[編集]
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濁川村 | 濁川新田、新崎村、名目所村、新崎新田 |
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●1947年︵昭和22年︶10月9日 - 昭和天皇の戦後巡幸。明治天皇の御小休所跡などに巡幸[5]。
●1954年︵昭和29年︶11月1日 - 新潟市へ編入。︵濁川村消滅︶
行政[編集]
歴代村長[編集]
●官選制村長時代 ●近藤耕太[6][7][8][9]︵1933年ごろ - 1935年ごろ︶ ●近藤治義[10][11][12][13][14]︵1940年ごろ - 1944年ごろ︶ ●民選制村長時代 ●古山喜平[15]︵ - 1954年10月31日 ︶地域[編集]
濁川村は、合併した村名を継承する以下の大字で構成される。
濁川︵にごりかわ︶
1889年︵明治22年︶まであった濁川新田の区域。現在の新潟市北区濁川。
新崎︵にいざき︶
1889年︵明治22年︶まであった新崎村の区域。現在の新潟市北区新崎。
名目所︵なめところ︶
1889年︵明治22年︶まであった名目所村の区域。現在の新潟市北区名目所。
新崎新田︵にいざきしんでん︶
1889年︵明治22年︶まであった新崎新田の区域。現在の新潟市北区松潟。
学校[編集]
小学校[編集]
●濁川村立濁川小学校中学校[編集]
●濁川村立濁川中学校交通[編集]
鉄道路線[編集]
現在は旧村域に東日本旅客鉄道︵JR東日本︶白新線新崎駅が設置されているが、当時は未開通。道路[編集]
一級国道 ●国道7号脚注[編集]
注釈
出典
(一)^ abcd“広報とよさか 第266号 p.3”. 豊栄市 (1990年10月15日). 2015年7月14日閲覧。
(二)^ 角川地名15、p.1021
(三)^ 全國市町村便攬 六版、p.270
(四)^ 明治廿三年六月刊行 新潟県市町村名全書 p.8
(五)^ 原武史﹃昭和天皇御召列車全記録﹄新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
(六)^ 新潟県年鑑︵昭和八年度版︶、市町村政要覧 p.4
(七)^ 新潟県年鑑︵昭和九年度版︶、町村長・助役・収入役一覧 p.2
(八)^ 新潟県年鑑︵昭和十年版︶、第三 p.15
(九)^ 新潟県年鑑︵昭和十一年版︶、市町村長一覧 p.1
(十)^ 新潟県年鑑︵昭和十六年版︶、附録 p.43
(11)^ 新潟県年鑑︵昭和十七年版︶、附録 p.5
(12)^ 新潟県年鑑︵昭和十八年版︶、附録 p.77
(13)^ 新潟県年鑑︵昭和十九年版︶、附録 p.62
(14)^ 新潟県年鑑︵昭和二十年版︶、附録 p.4
(15)^ “広報とよさか 第266号 p.4”. 豊栄市 (1990年10月15日). 2016年3月9日閲覧。