甕
甕︵かめ、瓶とも書く︶は、胴がふくれ口が広く深めの陶製あるいは金属製の容器[1]。飲料水などの貯蔵や煮炊きなどに使用される[1]。また発酵や化学反応にも用いられる。
器種[編集]
日本語には﹁壺﹂と﹁甕︵瓶、かめ︶﹂があり区別が困難な場合がある[1][2]。その例として﹁骨壺﹂と﹁骨甕﹂がある[1]。 考古学上は便宜的に、人類学者の長谷部言人が考案した正方形を九等分して土器の立面図とし、胴部と頸部の接する部分の幅が全体の3分の2以上のものを﹁甕﹂、3分の2に満たないものを﹁壺﹂とする目安が示されている[2]。長谷部の分類は甕、壺、深鉢、浅鉢、皿、高坏に分けるが、あくまでも目安であり、実際の現場や報告書ではこれとは異なる呼称を用いているものもある[2]。 縄文土器の場合、くびれがあるものは深鉢︵ふかばち︶を用いることが多い[2]。一方で﹁埋め甕﹂や﹁甕棺﹂などの呼称も慣用化されている[2]。西洋[編集]
ギリシャ[編集]
ギリシャの壺や鉢、甕にはラスターと呼ばれる僅かに光沢のある釉薬が施されている[3]。フランス[編集]
フランスで陶器が作られたのは12世紀とされ、壺や甕、施釉煉瓦やタイルなどが製造された[3]。中国[編集]
中国では比較的口の大きいものを﹁罐﹂と総称しており、日本でいう甕類や一部の壺類もこれに含まれる[4]。 ﹁瓮﹂は﹁甕﹂の簡略字である[4]。また、﹁甖﹂は甕類の総称とされるが、一部は御櫃として使用されていたという[4]。日本[編集]
甕類の種類については、大型の道明寺瓶︵どうみょうじがめ︶や、それより小型の酢瓶︵すがめ︶などがある[5]。また寸胴型に近い半胴瓶︵はんどうがめ︶があり、常滑焼では﹁半胴﹂﹁半銅﹂﹁半戸﹂﹁半ト﹂などの名称が用いられ、瀬戸焼︵赤津焼︶などでは﹁飯胴﹂などの名称が用いられた[5]。 沖縄県の泡盛や九州地方の焼酎のもろみ作りには現在も甕仕込みと称して使用されている例が多い。19世紀になると、薩摩の福山では薩摩焼の甕が黒酢のもろみを発酵させるのにも用いられた[6]。- 笠間焼
- 甕や摺り鉢などの日用雑器が作られ、幕末から明治時代には江戸に近い利点を活かして大量生産が行われ、明治時代には特に厨房用粗陶品の産地として知られた[7]。
- 常滑焼
- 甕は中世常滑焼を代表する器種で12世紀から継続的に生産されてきた[8]。
用途[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdefghi神野善治﹁03民具の名称について -共通名と基本形態-﹂﹃国際常民文化研究叢書6 -民具の名称に関する基礎的研究-﹇民具名一覧編﹈﹄第6巻、神奈川大学 国際常民文化研究機構、2014年3月、19-33頁、CRID 1570572702719709568、hdl:10487/12812。
(二)^ abcde鷹野 光行. “第12回館長講座 ﹃縄紋土器 器形と用途﹄”. 東北歴史博物館. 2023年9月4日閲覧。
(三)^ ab素木洋一﹁古い陶磁器, 新しい陶磁器 : 歴史的問題﹂﹃窯業協會誌﹄第70巻第794号、日本セラミックス協会、1962年2月1日、C71-C81、CRID 1390282680225266816、doi:10.2109/jcersj1950.70.794_c71、ISSN 00090255。
(四)^ abc毛利光俊彦﹁009 II 古代中国の金属製容器1器種名について﹂﹃奈良文化財研究所史料﹄第68冊、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所、2004年3月、2-25頁、CRID 1050282812390555264、hdl:11177/1858、2023年12月6日閲覧。
(五)^ ab小栗康寛﹁近世常滑窯の真焼甕類について﹂﹃知多半島の歴史と現在﹄第18号、日本福祉大学知多半島総合研究所、2014年10月、1-13頁、CRID 1520009409098491136、ISSN 09154833、2023年12月6日閲覧。
(六)^ 蟹江松雄、藤本滋生、水元弘二、﹃鹿児島の伝統製法食品﹄、pp74-85、2001年、鹿児島、春苑堂出版、ISBN 4-915093-74-3。アルコールを酢にする工程ではあまんつぼと呼ばれる蓋付きの壷が用いられる。
(七)^ “笠間焼について”. 笠間市. 2023年9月4日閲覧。
(八)^ 青木修﹁中世常滑窯における焼成器種とその形態的分類について﹂﹃愛知県史研究﹄第16巻、愛知県、2012年、175-188頁、CRID 1390002184877997952、doi:10.24707/aichikenshikenkyu.16.0_175、ISSN 18833799。