袋町 (広島市)
袋町 | |
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北緯34度23分30.25秒 東経132度27分29.32秒 / 北緯34.3917361度 東経132.4581444度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 中区 |
人口 平成25年8月末現在 | |
• 合計 | 556人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
730-0036 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
※座標は袋町小学校交差点付近 |
袋町︵ふくろまち︶は、広島県広島市中区にある地名︵住居表示︶。丁目の設定はない。郵便番号は730-0036︵広島中央郵便局管区︶[1]。当地域の人口は556人[2]。
東から西を向いて撮影。中心よりやや左に見える3階建ての建物が日本 銀行広島支店、その手前の建物が袋町国民学校
西から東を向いて撮影。左上に見えるのが袋町国民学校、その奥が頼山 陽史跡資料館、さらに奥が日本銀行広島支店
1946年春三村明が撮影した米軍映画撮影隊による物理的被害状況映 像。
原爆投下の際には、本通り・袋町地域ではその地域にいた人の87%〜90%が即死した[6]。また短時間で地域全体が猛火に包まれた。日本銀行広島支店︵爆心地から南東に380m︶では54名が死亡し、扉および窓は全て吹き飛んだ。被爆時窓が開いていた3階部分は全焼したが、1、2階部分は延焼を免れ、臨時の病室として救援活動に使用された。頼山陽史跡資料館︵410m︶[7]では建物の一部が焼け残り、クロガネモチの木が根のみを残し焼けた。袋町国民学校校舎︵460m︶では西側校舎のみを残し倒壊、児童・教職員227名は児童3名と教職員2名を残して死亡した。校舎の内部は全焼したが、残った西校舎を利用して1945年10月まで救護所が設置された[8][6]。広島中央電話局では勤務していた451名のうち[9]、約半数が死亡し[10]、生き残った人も全員が重軽傷を負った[6]。ビルは内部が全焼した[6]。︵NTT西日本十日市ビルも参照︶
地理[編集]
広島市の中心部に位置する。東に並木通りを挟んで新天地、西は鯉城通りを挟んで大手町2丁目、南は中町︵ただし南東角を切り欠いている︶、北は本通に接する。河川[編集]
かつて現在の鯉城通りの位置に西堂川があったが、路面電車開通とともに埋め立てられ、現存しない。歴史[編集]
地名の由来[編集]
江戸時代にこの地で女性向けの袋︵ハンドバッグ︶を製作していたことに因む。七福神の中では大黒天が袋を持っており、縁起が良いとされている。なお袋のみならず、中身の扇、櫛、簪なども扱っていた。これが現在の本通商店街のルーツとなった[3]。江戸時代まで[編集]
1657年︵明暦3年︶の大火の後にできた街である。北側が町地、南側が侍士屋敷地とされ、その境目は杉の木小路︵現在の旧日本銀行広島支店から東に入る道の付近︶であった。明暦の切絵図では、家数35軒、町間251mとされている。また天明の切絵図では40軒となっている。﹁知新集﹂によれば町間269m、人口538人︵うち男性252人、女性286人︶1872年に町地と侍士屋敷地、及び当時の中町、西魚屋町と鉄砲屋町の一部が合併し、現在の袋町となった[4]。明治以降[編集]
1879年に広島区、1889年に広島市の地名となった。教育機関は、1876年に小町の就將館が当地に移転してきて桜川学校︵現・広島市立袋町小学校︶となった。1896年には数理学会︵現・広陵高等学校︶が、1905年には袋町女子高等小学校ができたほか、私立必正舎がこの地に開校した。1917年時点での戸数は285戸、人口907人[5]。被爆の状況[編集]
第二次世界大戦後[編集]
1951年時点で世帯数66、人口269人であった。1965年には町名・町域の再編により旧袋町から一部が大手町1丁目 - 5丁目の一部に分割され、西魚屋町、中町、鉄砲屋町、下中町、新川場町、堀川町、三川町の一部が編入された。1980年には広島市が政令指定都市になったため中区の一部となった[5]。人口の変遷[編集]
総数 [戸数または世帯数‥ 、人口‥ ]1657年(明暦3年) | 35軒 人口不明 |
天明年間 | 40軒 人口不明 |
知新集 | 戸数不明 538人 |
1917年(大正6年) | 285戸 907人 |
1951年(昭和26年) | 66世帯 269人 |
2013年(平成25年) | 世帯数不明 556人 |
交通[編集]
鉄道[編集]
●広島電鉄宇品線︵1・3・7号線︶ - 袋町停留場︵場所によっては本通停留場や立町停留場の方が近い所もある︶ ●アストラムライン本通駅バス[編集]
﹁袋町﹂バス停に停車するバスは広電バス2号線・3号線・6号線・7号線・12号線急行と広島バス21号線の市役所前方面行きのみである[11]。地区の北西角に位置する本通バス停には、通過する全てのバスが停車する。道路[編集]
●国道54号︵国道191号︶施設[編集]
学校[編集]
●広島市立袋町小学校:平和資料館︵被爆建造物︶およびまちづくり市民交流プラザを併設。公園[編集]
●袋町公園︵慰霊碑あり[12]︶企業[編集]
●ユアーズ LIVI広島本通店 ●明治安田生命広島ビル ●広島フコク生命ビル ●家庭学習研究社金融機関[編集]
●広島市信用組合史跡[編集]
●旧日本銀行広島支店︵被爆建造物︶ ●頼山陽史跡資料館︵被爆建造物︶袋町出身の人物[編集]
●岡部直三郎 - 軍人 ●田部武雄 - 野球選手 ●長沼健 - サッカー選手・監督ギャラリー[編集]
袋町小学校
袋町小学校平和資料館
まちづくり市民交流プラザ
頼山陽史跡資料館
旧日本銀行広島支店
旧・富国生命保険ビル。現在は建て替えられている。
脚注[編集]
(一)^ 袋町の郵便番号 - 日本郵便
(二)^ 2013年8月末現在、住民基本台帳調査による。広島市調べ。
(三)^ 有限会社グリーンブリーズ、バスの達人 2012〜2013、p.128 ISBN 978-4-9906332-0-2
(四)^ 広島県の地名 日本歴史地名大系35平凡社 p.597
(五)^ ab門川地名大辞典34広島県 p.702
(六)^ abcd生協ひろしま碑めぐりガイド編 ﹁ヒロシマを歩いてみよう﹂原爆と戦争のあしあとをたずねて 袋町・本通り地域
(七)^ 旧日本銀行広島支店の影になったため倒壊、焼失を免れた。
(八)^ 広島市/08袋町国民学校︵現・袋町小学校︶
(九)^ この中には女子挺身隊、女子動員学徒が多く含まれていた。
(十)^ NTT西日本|袋町ビル
(11)^ 2号線、12号線急行はいずれも朝ラッシュ時のみの運行。
(12)^ ひろしま観光ナビ|袋町公園
関連項目[編集]
- 袋町裏通り(うらぶくろ)
本通 | 新天地 | |||
大手町 | 新天地 | |||
袋町 | ||||
中町 | 三川町 |