遠藤新

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遠藤新
生誕 1889年(明治22年)6月1日
福島県宇多郡福田村
(現・相馬郡新地町
死没 (1951-06-29) 1951年6月29日(62歳没)
東京都文京区本郷
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学(現・東京大学)
職業 建築家
建築物 自由学園明日館講堂
自由学園南沢キャンパス
甲子園ホテル

  188961 - 1951629

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使

1927-20031930-1966-

作品[編集]

葉山加地邸1927年(昭和2年)2022-12-22撮影
甲子園ホテル1930年(昭和5年)
真岡尋常高等小学校講堂1938年(昭和13年)
目白ヶ丘教会1950年(昭和25年)
名称 所在地 状態 備考
しゆうかくえんみようにち/自由学園明日館 1922年(大正11年) 13東京都豊島区 重要文化財 F.L.ライトと共作
犬養毅邸 1922年(大正11年) 東京都新宿区南元町 現存せず
はきわら/萩原庫吉邸 1924年(大正13年) 13東京都世田谷区三宿 登録有形文化財
やまむらてい/旧山邑邸 1924年(大正13年) 28兵庫県芦屋市 重要文化財 現・ヨドコウ迎賓館
かしろよし/上代淑邸 1924年(大正13年) 33岡山市中区門田屋敷 現存せず 施主は山陽高等女学校校長。同校増築も手掛ける[4]
ほししまきへい/星島義兵衛子供の家 1924年(大正13年) 33岡山市中区門田屋敷 施主は岡山県農工銀行頭取[2]
こんとうけんし/近藤賢二別邸 1925年(大正14年) 14神奈川県藤沢市 登録有形文化財 藤沢市民会館敷地に移築
羽仁吉一 1925年(大正14年) 東京都豊島区西池袋 現存せず 1963年自由学園東久留米キャンパス内に移築[5]、その後解体された[6]
福田得志邸 1925年(大正14年) 千葉県千葉市亥鼻 現存せず 施主は千葉大学薬理学教授。後に鹿児島大学学長
しゆうかくえんみようにち/自由学園明日館講堂 1927年(昭和2年) 13東京都豊島区 重要文化財
かちとしお/葉山加地邸(加地利夫別邸) 1927年(昭和2年) 14神奈川県葉山町 登録有形文化財 施主は三井物産監査役

現在は宿泊施設

いしはらけんてい/石原謙 1927年(昭和2年) 04宮城県仙台市
やたへ/矢田部勁吉 1928年(昭和3年) 13東京都武蔵野市 個人邸兼「日本身体文化研究所」。施主は音楽家
たかせ/高瀬荘太郎 1928年(昭和3年) 13東京都西荻北
さんいくかい/賛育会病院 1930年(昭和5年) 13東京都墨田区
わたなへ/渡辺扶邸 1930年(昭和5年) 13東京都恵比寿 個人邸として現存 施主は帝国コークス社長
しゆうかくえんなんさわ/自由学園南沢キャンパス 1930年(昭和5年) 13東京都東久留米市 東京都選定歴史的建造物
こうしえんほてる/甲子園ホテル 1930年(昭和5年) 28兵庫県西宮市 登録有形文化財 現・武庫川女子大学甲子園会館
いしはらけんへつてい/旧石原謙別邸 1931年(昭和6年) 09栃木県那須郡
おしおかんし/旧小塩完次邸 1931年(昭和6年) 07福島県新地町 町の文化財 現・くるめがすりの家。東京都武蔵野市から移築。
施主は日本禁酒同盟理事長・世界連邦運動
ささやほてる/笹屋ホテル 1932年(昭和7年) 20長野県千曲市 登録有形文化財 現・戸倉温泉笹屋ホテル豊年虫
たなかふしお/田中富士雄邸 1932年(昭和7年) 13東京都西東京市
たなかふしお/満州中央銀行総裁邸宅などの社宅群 1934年(昭和9年) 中国
まんしゆうちゆうおう/満州中央銀行倶楽部 1935年(昭和10年) 中国
こみやいちろう/小宮一郎邸 1937年(昭和12年) 13東京都西東京市 施主は国文学者[7]
こみやいちろう/児島善三郎邸 1937年(昭和12年) 13東京都国分寺市 現存せず
もおかしんしよう/真岡尋常高等小学校講堂 1938年(昭和13年) 09栃木県真岡市 登録有形文化財 現・真岡市久保講堂
きようみかい/京見会館 1941年(昭和16年) 28兵庫県姫路市 姫路市都市景観重要建物
しよらんしゆく/如蘭塾 1942年(昭和17年) 41佐賀県武雄市 登録有形文化財
こはらかまくら/小原鎌倉ホテル増改築 1950年(昭和25年) 04宮城県白石市 現・ホテルかまくら
めしろかおかきようかい/目白ヶ丘教会 1950年(昭和25年) 13東京都新宿区 登録有形文化財
はんのうせんい/飯能繊維(平岡レース)事務所・食堂 1950年(昭和25年) 11埼玉県飯能市 現存せず [8][9][10][11]

拙新論争[編集]

山本拙郎は、調度品まで統一されたスタイルやデザインに縛られる、遠藤(と師であるライト)の住宅思想には居住者の自由がないと批判。これに対し遠藤は、真に良い建築は調度品などにまで至る統一性を示唆できるようなものであると反駁している。

文献[編集]

  • 「自由学園女子部の分析を通して“空間意識”を把握する」(船越徹他、建築文化1965年8月号)
  • 「無の探勝 遠藤新の建築作品を巡っての考察試論」(南迫哲也、季刊カラム1984年4月号)
  • 『遠藤新生誕100年記念ー人間・建築・恩恵ー』(INAXギャラリー、1989年)
  • 『建築家遠藤新作品集』(中央公論美術出版、1992年)
  • 『F.L.ライトと弟子達 日本人によるライトの受容と実践』(ギャルリータイセイ、1996年)
  • 『帝国ホテルライト館の幻影ー孤高の建築家遠藤新の生涯』(遠藤陶、廣済堂出版、1997年)

脚注[編集]



(一)^ ab.  . 2022831

(二)^ ab No.2 

(三)^    .  . 2022918

(四)^ 

(五)^   199762989 

(六)^  1.  . 2022918

(七)^ 2006325

(八)^  No.5 使

(九)^ (That's235)

(十)^ ()調 調20141015

(11)^ 20120131

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 - ARCHIVE稿