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鍋島 宗茂︵なべしま むねしげ︶は、肥前国佐賀藩5代藩主。第2代藩主・鍋島光茂の十五男。
貞享3年︵1687年︶、鍋島光茂の子として生まれる。初名は直董︵なおただ︶。宝永2年︵1705年︶、異母兄神代直利︵後の鍋島吉茂︶が子のなかった異母兄綱茂の養嗣子となったのに伴い、直利の養子となり神代家を相続、直堅︵なおかた︶に改名する。しかし、綱茂の跡を継いで藩主となった吉茂にも子ができず、享保3年︵1718年︶、実家に戻ってその嗣子となった︵神代家は弟の直方︵なおかた︶が継承した︶。享保15年︵1730年︶、吉茂の死去に伴い家督を相続する。将軍徳川吉宗の偏諱と鍋島家の通字により、宗茂と改名した。その前の享保11年︵1726年︶に焼失した佐賀城再建のための倹約と財政改革のため、広く人材を登用する。享保の大飢饉に見舞われ、借銀返済のため藩札を発行する。従四位下・侍従・信濃守に叙せられた。元文3年︵1738年︶に隠居し、家督を長男の教茂︵宗教︶に譲った。宝暦4年︵1754年︶に69歳で死去した。
●父‥鍋島光茂︵1632-1700︶
●母‥振 - 鍋島直朝の養女、執行宗全の娘
●養父‥鍋島吉茂︵1664-1730︶
●正室‥貞姫、貞樹院 - 久世通夏の娘
●長男‥鍋島宗教︵1718-1780︶
●五男‥鍋島直隣︵1724-1785︶
●七男‥鍋島重茂︵1733-1770︶ - 鍋島宗教の養子
●側室‥雪 - 小代重貞の娘
●十男‥鍋島治茂︵1745-1805︶ - 鍋島直郷、鍋島重茂の養子
●女子‥護姫 - 伊達村候正室
●女子‥岡部長住正室
●養子
●男子‥神代直方 - 実弟・神代家継嗣