「信玄公旗掛松事件」の版間の差分
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* {{Citation|和書|last=末川|first=博|author-link=末川博|contribution=権利の濫用に関する一考察ーー煤煙の隣地に及ぼす影響と権利行使の範囲|title=権利侵害と権利濫用|year=1970|pages=118|id={{NDLJP|11930926/70}}|ref=harv}} |
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* [http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/life/maps/list/492/ 北杜市郷土資料館 北杜市HP] |
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2024年5月13日 (月) 04:48時点における最新版
事件の背景としての地理関係[編集]
七里岩台地と日野春原野[編集]
信玄公旗掛松[編集]
日本では人的記念物の保存については古くから関心が高く[19]、1871年︵明治4年︶5月23日に公布された太政官布告の古器旧物保存方に続いて、1897年︵明治30年︶には古社寺保存法の公布があったが、これらはいずれも神社仏閣等の人的記念物を対象としたものであり、植物、動物、地質・鉱物など、自然環境を対象とした文化遺産に関する保護制度は一元化されていなかった。1919年︵大正8年︶になり史蹟名勝天然紀念物保存法が制定されたことによって、初めて日本に天然記念物という概念が成立した[19]。信玄公旗掛松が枯死したのは、その5年前の1914年︵大正3年︶年末のことであった。
事件の背景としての鉄道事業[編集]
﹁国は悪をなさず﹂という認識[編集]
裁判の経過[編集]
提訴に至るまでの経緯[編集]
信玄公旗掛松の所有者であった清水倫茂が、国︵鉄道院︶を相手取り訴訟に踏み切ったのは、1917年︵大正6年︶1月の甲府地方裁判所への提訴であった。しかし、この提訴に至るまでの過程には、清水が国、鉄道院に対し、信玄公旗掛松への保全保護対策を行うよう要望する陳情を再三にわたり訴え続けたにもかかわらず、それが受け入れられず、ついに老松が枯死してしまったという経緯が背景にあった[37]。事件の発端[編集]
鉄道院への上申書提出[編集]
信玄公旗掛松の枯死[編集]
鉄道院への直接損害賠償請求[編集]
甲府地方裁判所への提訴[編集]
弁護士・藤巻嘉一郎[編集]
提訴をとりまく報道と口頭弁論[編集]
鉄道院からの松枝剪除要求の逆提訴[編集]
甲府地方裁判所では、三浦伊八郎、土居藤平を鑑定人として、日野春駅構内枯死現場の検証作業に着手し、原告被告双方の主張する事実関係の鑑定が進められた。また、同年5月に鉄道院総裁後藤新平は、同院参事、中原東吉、岩瀬脩吉を代理人として、原告清水倫茂を相手取り、﹁樹枝剪除請求﹂の逆提訴を甲府地方裁判所に行った[54]。同年5月13日付山梨日日新聞では、鉄道院側の主張を次のように伝えている。 ……︵前略︶松樹の枝が隣接せる原告所有の鉄道用地との境界線を越へて繁伸し鉄道線路の直上に及べるが右樹は日を追て朽廃し終には原告所有の用地に落下することあるやも計り難く鉄道用地利用上危険少なからずを以って速やかに剪除すべし。 — 山梨日日新聞 大正6年5月13日[65] ﹁枯死したまま放置されている松樹を速やかに除去せよ﹂とした、この鉄道院側の逆提訴には、原告側の推し進める﹁権利濫用論﹂に対して、ならば鉄道敷地への松枝越境も鉄道院に対する﹁権利﹂を侵害している、という主張によって、裁判を有利に進めようとする意味と、逆に提訴することによって清水倫茂に心理的圧迫を加えるという意味があったと考えられているが、この逆提訴の経過および結果は不明である[65]。甲府地方裁判所の判決[編集]
中間判決
原告 山梨県北巨摩郡甲村平民農
清水倫茂
右訴訟代理人弁護士
藤巻嘉一郎
被告 国
右法定代理人 鉄道院総裁男爵
後藤新平
右指定代表者 鉄道院参事
中原東吉
同 同書記
岩瀬修治
右当事者間ノ大正六年(ワ)第一号損害賠償請求事件ニ付、当裁判所ハ弁論ヲ請求ノ原因ノミニ制限シテ中間採決ヲ為スコト左ノ如シ。
主文
原告ノ本訴請求ノ原因ハ正当ナリ。
事実
原告訴訟代理人ハ一定ノ申立トシテ、被告ハ原告ニ対シ金壱千五百円ヲ支払フベシ。訴訟費用ハ被告ノ負担トストノ判決ヲ求メ、請求原因トシテ原告所有ノ北巨摩郡日野春村字富岡第二十六番原野内ニ一千有余年ヲ経過セル老大松樹アリテ、尚今後幾百年ノ生ヲ保有スベキカ予メ測リ難キ生気ヲ有シタルモノナリ。元来此地ハ古来日野原ト称シ、北巨摩郡ノ中央高地ニ位シ、四方十数里ヲ展望シ得ベク、従テ往昔ヨリ甲斐ノ地ニ干戈ヲ動カス者ノ為メニハ実ニ枢要ノ地タリシナリ。今之ヲ史蹟ニ微スタルニ建久年中逸見源太清光谷戸城ニ居ヲ占ムルヤ、右松樹上ニ物見櫓ヲ設ケタリシ以来、甲斐源氏武田家祖先ハ逸見武川ノ郷兵ヲ徴スルニ当リ必ズ此松樹ヲ目標トシ、此地ヲ集散所ト定メ、機山公信玄ニ至リテハ、其松樹上ニ旗ヲ掲ゲ以テ常ニ軍事及軍略上ノ指揮ヲ為シ来リタリ。又治承年中武田太郎義信ハ、信州ノ地ニ出征若クハ凱旋ノ場合ニハ、又必ズ該樹上ニ旗ヲ掲ゲテ甲斐全国ニ知ラシムル第一目標ニ使用シタルガ如キハ、其著シキモノニ属シ、今尚甲斐ノ一本松若クハ旗掛松ト称シ口碑ニ嘖々タリ、原告ハ此名木所在地ヲ所有シ、老松ヲ保護シ以テ永遠ニ之ガ生育維持ヲ図ルハ、一家ハ勿論寧ロ峡中ノ為メノ責務トシ、又栄誉トスル処ナリシナリ、然ルニ去ル明治三十五、六年頃中央鉄道ヲ敷設スルニ当リ、右松樹生立地ハ日野春停車場線路敷設ニ要用地タリシモ、政府ハ名木保存ノ趣意ヲ以テ松樹ヲ去ル約四間余ノ西ヘ屈曲セシメテ線路ヲ敷設スルニ至レリ。而シテ尓後其既設線路ノ東方ヘ複線ヲ敷設スルニ当リ、右松樹ノ根株ヲ西ニ距ル一間未満ノ個所ニ複線ヲ敷設シタルヲ以テ、原告ハ松樹ノ保存到底覚束ナキヲ認メ相当買上ヲ為スカ、若クハ枯死ニ対スル相当設備ヲ要求シタルニ、被告ハ飽迄モ枯死ノ憂慮ナシト堅ク主張シ原告ノ要求ヲ排斥シタリ。斯クテ日時ヲ経過スルニ従ヒ、汽車ノ煤烟ト震動ニ依リ直接ニ其生育ヲ妨ゲ漸次凋衰スルニ至リ、大正三年十二月ニハ全ク枯死スルニ至リタリ。右ハ複線路敷設ノ結果当然免ガル丶コト能ハザルベキコトハ予期シ得ベキニ拘ラズ、之ヲ予期セズシテ枯死セシムルニ至リタルハ、全ク被告ノ故意若クハ過失ニ基クモノナリル〔ママ〕ヲ以テ、原告ハ之ニ因リテ生ジタル損害ノ賠償ヲ求ムルモノナリト延ベ、立証トシテ甲第一号証ノ一、二及甲第二号証ヲ提出シ、検証及鑑定ヲ申立、乙第一号証乃至三号証ニ付キ不知ヲ以テ答ヘタリ。
被告ノ指定代表者ハ一定ノ申立トシテ原告ノ請求ハ之ヲ棄却ス。訴訟費用ハ原告ノ負担トストノ判決ヲ求メ、答弁トシテ原告主張ノ松樹枯死シタル事実及ビ明治三十五六年頃本件松樹ヲ距ル四間余ノ西ニ線路ヲ屈曲セシメテ敷設シ、其後又松樹ノ西側一間未満ノ個所ヘ複線路ヲ敷設シタル事実ハ之ヲ認ムルモ、線路ノ屈曲ハ松樹保存ノ為ニアラズ、又該松樹ガ原告主張ノ如キ歴史的関係ヲ有スルコト及ビ枯死ノ原因ガ鉄道ノ煤煙ニ因リタルモノトノ事実ハ之ヲ否認ス。又右線路敷設ノ当時原告ヨリ松樹買上ノ交渉ヲ受ケタルコトアルモ、枯死ニ対スル相当設備ノ要求アリシコトナシ。更ニ所有権者ハ法律ノ保護スル範囲内ニ於テノミ其所有物ヲ使用収益処分スルコトヲ得。原告ガ此松樹ヲ枯死セシメザルガ為メニ、被告ニ本件ノ如キ請求ヲ為シ得ベキ権利ナシト抗弁ヲナシ、立証トシテ乙第一号証乃至三号証ヲ提出シ、甲第一号証ノ一、二ハ成立ノミヲ認メ甲第二号証ハ不知ヲ以テ答ヘ鑑定ノ申立ヲ為シタリ。
理由
中央線鉄道日野春停車場ノ構内ニ明治四十四年回避線(原告ノ所謂複線)ノ敷設セラレタルコト、及ビ右回避線ニ沿フタル原告所有ノ北巨摩郡日野春村字富岡二十六番地原野内ニ生立セル老大松樹ガ右回避線ノ敷設後ニ於テ枯死シタルコトハ当事者間ニ争ナキ所ニシテ、原告訴訟代理人ハ枯死ノ原因ヲ一ニ回避線ノ敷設ニ帰スト雖モ、当裁判所ノ格証ノ結果及ビ鑑定人三浦伊八郎、土井藤平ノ鑑定ニ依ルトキハ、単ニ回避線ノ敷設ノ為メノミニアラズシテ、本線ニ於ケル汽車ノ通行モ亦多大ノ素因ヲ為セルモノト認ムベシ。然レドモ其何レノ線路ニ於ケル汽車ノ運転タルトヲ問ハズ、其機関車ヨリ噴出セル煤煙ノ害毒ニ因リテ本件松樹ヲ枯死スルニ至ラシメタルモノナルコトハ、前示鑑定人ノ鑑定ニ依リ明白ナルヲ以テ、松樹ニ煤煙ヲ被ラシメタルコトニ付キ、被告国ノ使用者ニ故意又ハ過失アルニ於テハ、其使用人タル被告ニ於テ別ニ免責ノ事由ヲ主張セザル限リ、之ニ因リテ原告ニ被ラシメタル損害ヲ賠償スベキ責務アリト為サヾルベカラズ。依テ之ヲ案ズルニ権利行為トシテ不法行為ノ責任ヲ除却スベキ場合ハ、権利特有ノ効力ニ基キ其内容ヲ超過セザル様更ニ限ルベク、苟モ其内容ヲ超逸スルコトアルニ於テハ其権利行為トシテ不法行為ノ責任ヲ免レザルモノトス。本件ノ場合ニ於テ被告ガ鉄道線路上ニ汽車ヲ運転スルコトハ固ヨリ其権利ニシテ煤煙ノ発散亦必然ノ結果ナリト雖モ、之ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害スルコトハ法ノ認許セザル所ナレバ、松樹ヲ枯死セシメタルコトハ則チ権利ノ内容ヲ超逸シタル其権利行為ナリト為サヾルベカラズ。而シテ煤煙ガ樹木ヲ枯死セシムルコトハ予見シ得ベキモノナレバ、被告ガ本件松樹ノ近傍ニ於テ汽車ノ運転ヲ為スニ付テハ、該松樹ノ生存ヲ維持スベキ相当ノ施設ヲ為スコトヲ要スベキニ拘ラズ、何等防止ノ装置ヲ為サズシテ徒ラニ枯死ニ委シタルコトハ、当該職責アル被告ノ使用者ニ過失アルコト勿論ナルヲ以テ、被告ハ原告ニ対シ之レニ因リテ生ジタル損害ヲ賠償スベキ義務アルモノト認ム。依テ原告ノ請求原因ヲ正当ナリトシ主文ノ如ク判決シタリ。
甲府地方裁判所民事部
裁判長判事
東亀五郎
判事
大庭良平・高橋方雄
東京控訴院での判決[編集]
鉄道院による控訴[編集]
控訴判決[編集]
東京控訴院判決
控訴人
国
右指定代表者
中原東吉・岩瀬修治
山梨県北巨摩郡甲村被控訴人
清水倫茂
右訴訟代理人弁護士
藤巻嘉一郎
右当事者間の大正七年(ネ)第一二二号損害賠償請求控訴事件に付き判決を為すこと左の如し
主文
- 事件に付き大正七年六月十四日当院が言渡したる闕席判決を維持す
- 故障申立後の訴訟費用は控訴人の負担とす
- 本件を甲府地方裁判所に差戻す
事実
控訴代表者は主文表示の闕席判決に対し故障の申立を為したり、控訴代表者は原判決を廃棄す被控訴人の請求は之を棄却す訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とすとの判決を求むる旨申立て被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めたり、当事者雙方の事実上の供述は訴訟代表者に於て控訴人は鉄道敷地たる土地の通常の使用方法を越えて其土地を使用したるものに非ざるを以て被控訴人に損害を生じたりとするも被控訴人は賠償請求権を有せずと釈明したる外原判決の事実摘示と同一なるに因り玆に之を引用す、証拠として被控訴代理人は甲第一号証の一、二及第二号証を提出し原審検証調書の記載原審鑑定人三浦伊八郎山田彦一土井藤平の各鑑定を援用し控訴代表者は原審検証調書の記載原審鑑定人山田彦一土井藤平の各鑑定を援用し甲第一号証の成立を認め第二号証は不知と述べたり
理由
故障は適法なり、被控訴人所有の山梨県北巨摩郡日野春村字第二十六番地原野内に松樹の生立し居りたること、及控訴人が国有鉄道中央線敷設の際右松樹の西約四間余を距て鉄道本線を敷設し其後又該松樹の西一間未満を距て復線を敷設したること竝右復線敷設後松樹が枯死したることは孰れも当事者間に争なき所とす、而して原審鑑定人土井藤平三浦伊八郎の右鑑定を参酌すれば右の松樹は控訴人が鉄道本線竝に復線〔ママ〕上に於て運転したる汽車の煙筒より噴出したる石炭の煤煙の有毒作用に因りて枯死するに至りたるものなることを認むるを得此認定に反する原審鑑定人山田彦一の鑑定は之を採用せず、然らば前記鉄道路上に於て控訴人の汽車より煤煙を噴出せしめたる行為が原因となり右の松樹を枯死せしめ之に対する被控訴人の所有権を侵害したるものなるを以て若し其侵害が故意又は過失に出でたる違法の行為なるに於ては控訴人は被控訴人に対し之に因りて生じたる損害を賠償すべき義務あること明かなりとす、仍て之を案ずるに右の権利侵害が行為者の故意に因つて為されたることを認め得べき証拠なし然れども石炭の煤煙が樹木に害を及ぼすべきことをは世上実例に乏しからざる所なるを以て鉄道運送に従事する者に在りては機関車より噴出したる煤煙が樹木に害を及ぼすべきことを知らざる筈なく若し之を知らずして煙害予防の為め特に相当なる方法を施さゞりしとせば是れ其事業より生ずる結果に対する注意を不当に怠りたるものと認むるに足るのみならず、本件に於て控訴人が前記の松樹に対する煙害予防の為め相当なる設備を為さゞりしとの被控訴人の主張は控訴人の争はざる所なるが故に本件の権利侵害は之を予見せざりしことに付き其行為者に過失あるものと認むるを相当とす而して控訴人の如く鉄道運送経営者に在りては汽車の運転を為すことは権利の行使なりと認め得ざるに非ざるも此故を以て汽車運転の際濫に他人の権利を侵害し得べき理由なく従つて汽車運転の際故意又は過失に因り特に煙害予防の方法を施さずして煤烟に困りて他人の権利を侵害したるときは其行為は法律に於て認めたる範囲内に於て権利を行使したるものと認め難く却て権利の濫用にして違法の行為なりと為すを正当とするが故に、控訴人の事業に従事する者が煙害予防の為め特に相当なる方法を行はずして松樹を枯死せしめたる以上は其行為の過失に出でたる違法の行為なること明かなりとす、控訴人は通常の使用方法を越えて鉄道敷地を使用したるに非ざるを以て賠償の責任なき旨主張すれども本件の如く他人の樹木に極めて接近して鉄道線路を敷設する場合に於ては樹木に対する煙害予防の為め特に相当なる方法を施設することを要するは当然のことなるを以て斯る方法を行はずして松樹を枯死せしめたるが特に異常に非ざりしとするも其行為が過失に出でたる違法の行為に非ずと為すに足らず、然らば控訴人は被控訴人に対し右松樹の枯死に因りて生じたる損害を賠償する責任あるを以て被控訴人の本件請求は其原因正当なりと仍て控訴を理由なしと認め民事訴訟法第四百二十四条第七十七条第四百二十二条第四号を適用し尚新弁論に基く判決なるを以て同法第四十八条第二百六十一条に則り主文の如く判決す
東京控訴院民事第一部
裁判長判事
神谷健夫
判事
矢部克巳・下田錦四郎
大審院での勝訴[編集]
「信玄公旗掛松事件」大審院正本 大判大正8(1919)・3・3 民録25輯356頁[80]
損害賠償ノ件 大正七年(オ)第八百九十八号 大正八年三月三日第二民事部判決
判決要旨
- 一、権利ノ行使ト雖モ法律ニ於テ認メラレタル適当ノ範囲内ニ於テ之ヲ為スコトヲ要スルモノナレハ権利ヲ行使スル場合ニ於テ故意又ハ過失ニ因リ其適当ナル範囲ヲ超越シ失当ナル方法ヲ用ヒタルカ為メ他人ノ権利ヲ侵害シタルトキハ侵害ノ程度ニ於テ不法行為成立スルモノトス(判旨第二点)
- 一、権利ノ行使カ社会観念上被害者ニ於テ忍容スヘカラサルモノト一般ニ認メラルル程度ヲ超エタルトキハ権利行使ノ適当ナル範囲ニ非サルヲ以テ不法行為ト為ルモノト解スルヲ相当トス(同上)
- 一、汽車ヲ運転スルニ当リテ石炭ヲ燃焼スルノ必要上煤煙ヲ附近ニ飛散セシムルハ鉄道業者トシテノ権利行使ニ当然伴フヘキモノニシテ蒸汽鉄道カ交通上欠クヘカラサルモノトシテ認メラルル以上ハ沿道ノ住民ハ共同生活ノ必要上之ヲ忍容スヘキモノトス従テ之カ為メ住民ニ害ヲ及ホスコトアルモ不法ニ権利ヲ侵害シタルニ非サレハ不法行為成立セサルモノトス(同上)
- 一、係争松樹カ鉄道沿線ニ散在スル樹木ヨリモ甚シク煤煙ノ害ヲ被ムルヘキ位置ニ在リテ且其害ヲ予防スヘキ方法アルニモ拘ハラス鉄道業者カ煤煙予防ノ方法ヲ施サス煙害ノ生スルニ任セ之ヲ枯死セシメタルハ社会観念上一般忍容スヘキモノト認メラルル範囲ヲ超越シタルモノニシテ権利行使ニ関スル適当ナル方法ヲ行ハサルモノト解スルヲ相当トス(同上)
上告人
国
右代表者鉄道院総裁
中村是公
指定代表者
中原東吉・岩瀬脩治
被上告人
清水倫茂
訴訟代理人
藤巻嘉一郎
右当事者間ノ損害賠償請求事件ニ付東京控訴院カ大正七年七月二十六日言渡シタル判決ニ対シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ為シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ為シタリ
主文
本件上告ハ之ヲ棄却ス 上告費用ハ上告人ノ負担トス
理由
上告論旨第一点ハ原判決ハ本件松樹ノ枯死カ上告人ノ過失ニ依ル違法行為ナリトシ其理由ヲ説明シテ「然レトモ石炭ノ煤煙カ樹木ニ害ヲ及ホスコトハ世上実例ニ乏シカラサル所ナルヲ以テ鉄道運送ニ従事スル者ニアリテハ機関車ヨリ噴出シタル煤煙カ樹木ニ害ヲ及ホスヘキコトヲ知ラサル筈ナク若シ之ヲ知ラスシテ煙害予防ノ為メ特ニ相当ナル方法ヲ施ササリシトセハ是レ事業ヨリ生スル結果ニ対スル注意ヲ不当ニ怠リタルモノト認ムルニ足ル(中略)〔ママ〕故ニ本件ノ権利侵害ハ之ヲ予見セサリシコトニ付キ其行為者ニ過失アルモノト認ムルヲ相当トス」又「控訴人ノ事業ニ従事スル者カ煙害予防ノ為特ニ相当ナル方法ヲ行ハスシテ松樹ヲ枯死セシメタル以上ハ其行為ノ過失ニ出テタル違法ノ行為ナルコト明カナリトス」又「樹木ニ対スル煙害予防ノ為メ特ニ相当ナル方法ヲ施設スルコトヲ要スルコトヲ要スルハ当然ノコトナルヲ以テ斯ル方法ヲ行ハスシテ松樹ヲ枯死セシメタル以上ハ(中略)〔ママ〕其行為カ過失ニ出テタル違法ノ行為ニ非スニ足ラス」ト判示シタリ然レトモ本件ニ於テ上告人ニ過失アリトナスニハ松樹ノ枯死スルコトヲ防止シ得ヘクシテ不注意ニモ該防止手段ヲ講セサリシ事実ノ認定アルコトヲ必要トスルニ不拘原判決ニハ此点ニ付何等判断スル所ナク単ニ「特ニ相当ナル方法ヲ施設セス云云」トナスハ裁判ニ理由ヲ付セサルカ又ハ理由不備ノ違法アリ所謂「特ニ相当ナル方法」トハ何ヲ指示シ何ヲ要求スルモノナリヤ鉄道沿線到ル所人畜耕作物及樹木ノ生息セサルニシ之等凡テノ煙害ヲ防止スル為メ有効ノ施設ヲ為シ得ヘシト為スカ如キハ一ノ想像ニ非スンハ机上ノ空論ニシテ事実上能クシ得ヘキコトニ非ス現時社会ノ一般思想ハ一定ノ軌道上ニ蒸汽列車ノ運転ヲ為ス一般運送経営者ニ対シ斯ノ如キ施設ヲ為スヲ実際上不能ノコトトシ之カ要求ヲ為ササルモノト信ス不能ナル施設ヲ為ササルヲ以テ過失ナリトスヘカラサルハ勿論ナルヲ以テ原判決ハ破毀ヲ免レサルモノト信スト云フニ在リ
然レトモ原判決ニ引用シアル第一審判決事実摘示及ヒ原審口頭弁論調書ニ掲ケアル弁論ノ全趣旨ニ依レハ被上告人ノ害ヲ被リタリト主張スル本件松樹ハ日野春停車場ノ南方ニ接シ鉄道線路ヲ距ル僅ニ一間未満ノ地点ニアリタル事実ノ争ヒナカリシコト明ニシテ其他同樹ノ形状ニ付キ争ヒアリシ形跡アルコトナク又原院ノ損害認定ノ資料トシテ採用シタル鑑定人土井藤平ノ鑑定書ニハ「本件ノ松樹ニ付キ考フルニ其生立地停車場ニ近ク且線路ノ分岐点ニ接近シ一線ヨリ他線ニ汽車ノ入レ換ヲ為ス時ノ如キ数分時ニ渉リ汽鑵車ノ該分岐点ニ停車スルコト少カラスシテ単ニ鉄道ニ接近シテ生立スル樹木カ疾走中ノ汽車ヨリ煤煙ノ為メニ受クル損害ノ程度トハ多大ノ差異アリ」ト記載アリ同ク鑑定人三浦伊八郎ノ鑑定書ニハ「鉄道線路ニ最モ近ク且枝条ヲ其方向ニ張リ恰モ汽車ノ煙筒ヲ被フカ如キ枝葉ヲ有セル老齢ニシテ云云特ニ停車場附近ニシテ比較的多ク煤煙ニ曝露スヘキ松樹ハ附近鉄道沿線ノ他ノ樹木ヨリモ一層大ナル影響ヲ被リ其生存期間ヲ短縮セシモノト考ヘ得ヘシ」ト記載アリテ原院ハ此等ノ事実ヲ判断ノ資料ニ供シタルモノト推知シ得ヘキヲ以テ原院ハ本件松樹カ停車場ニ接近シ鉄道線路ヨリ僅ニ一間未満ノ地点ニ生立シ其枝条ハ線路ノ方向ニ張リ常ニ汽鑵車ノ多大ナル煤煙に暴露〔ママ〕セラレタル為メ枯死ノ害ヲ被リタリト認定シタルモノト謂フヘシ故ニ本件ノ松樹ハ汽車ノ通過スヘキ山間僻陬ノ地若クハ沿道田畑等ニ生立スル樹木ト同一視スヘキモノニアラス従テ之ニ対シ本件ノ如ク甚シク煤煙ニ暴露〔ママ〕サレサルヘキ相当ノ方法ヲ行ヒ得サルモノト云フヘカラス其方法トシテハ或ハ煤煙ヲ遮断スヘキ障壁ヲ設クルカ或ハ線路ヲ数間ノ彼方ニ遠クル等ニ因テ之ヲ避ケ得ヘシ原判決ニ相当ナル方法トアルハ之レノ謂ナリト解スルニ難カラス然ラハ原判決ニ於テ上告人カ煙害予防ノ為メ相当ナル設備ヲ為ササリシハ其注意ヲ怠リタルモノニシテ過失アルモノト認ムル旨ヲ判示シタルハ不法ニアラス上告人カ本件ノ松樹ヲ以テ鉄道沿線到ル所ニ散在スル樹木ト同一ニ論シ原判決ヲ攻撃スルハ原判旨ニ副ハサルモノニシテ採ルニ足ラス
上告論旨第二点ハ原判決ハ右松樹ノ枯死ハ上告人ノ違法ノ行為ニ基クモノト判定シテ曰ク「而シテ控訴人ノ如ク鉄道運送経営者ニ在リテハ汽車ノ運転ヲ為スコトハ権利ノ行使ナリト認メ得サルニ此故ヲ以テ汽車運転ノ際濫ニ他人ノ権利ヲ侵害シ得ヘキ理由ナク従テ汽車運転ノ際故意又ハ過失ニ因リ特ニ煙害予防ノ方法ヲ施サスシテ煤煙ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタルトキハ其行為ハ法律ニ於テ認メタル範囲内ニ於テ権利ヲ行使シタルモノト認メ難ク却テ権利ノ濫用ニシテ違法ノ行為ナリト為スヲ正当トス」ト然レトモ右判決ノ認ムルカ如ク上告人カ運送経営者トシテ一定ノ軌道上ニ蒸気列車ヲ運転スルコトヲ上告人ノ一ノ権利行為ナルトスルトキハ該権利ヲ最モ適切ニシテ且ツ通常ノ方法ニ依リ行使シ且ツ其権利行使カ必要ノ限度ヲ踰超セサル場合偶々之ニ伴ヒ沿線松樹ノ枯死ナル事実アルモ尚之ヲ以テ権利ノ濫用ニシテ違法ノ行為ナリト為スハ原判決ノ法律解釈上ノ誤謬ニシテ究リ法則ヲ不当ニ適用シタルモノナリ違法ノ行為ナリヤ否ヤハ畢竟一般的社会見解ニ依リ決スヘキ問題ニシテ客観的ニ実害ヲ生シタル事実アリ且原因行為アルモ該結果ヨリシテ直ニ該原因行為ヲ目シテ違法行為ト為スヘキニ非ス蒸気列車ノ運転ニ際シ其噴出スル煤煙ノ及ホス毒害固ヨリ決シテ軽微ナラサル場合アラム然レトモ其運転方法タルヤ特ニ劣悪ナル石炭ヲ使用セルニ非ス煤煙ノ飛散ヲ激甚ナラシムル設備ヲ為シタルニ非ス蒸気列車運転ノ性質上及慣習上認容セラレタル現代普通ノ方法ニ於テ運転シタルノ行為ニ何等ノ違法性ヲ有スルコトアリヤコレヲシモ以テ違法ノ行為ナリトシ実際上殆ント不可能ナル防煙施設ヲ為スヲ要ストスルカ如キハ法律ノ解釈ヲ誤リ上告人ニ不当ノ責務ヲ課スルモノナリ(松本烝治著私法論文集第二巻煤煙ニ因ル相隣者間ノ権利侵害「第一、」独民法第九〇六条、瑞西民法第六八四条参照)ト云フニ在リ
然レトモ権利ノ行使ト雖モ法律ニ於テ認メラレタル適当ノ範囲内ニ於テ之ヲ為スコトヲ要スルモノナレハ権利ヲ行使スル場合ニ於テ故意又ハ過失ニ因リ其適当ナル範囲ヲ超越シ失当ナル方法ヲ行ヒタルカ為メ他人ノ権利ヲ侵害シタルトキハ侵害ノ程度ニ於テ不法行為成立スルコトハ当院判例認ムル所ナリ(大正五年(オ)第七百十八号大正六年一月二十二日言渡当院判決参照)然ラハ其適当ナル範囲トハ如何凡ソ社会的共同生活ヲ為ス者ノ間ニ於テハ一人ノ行為カ他人ニ不利益ヲ及ホスコトアルハ免ルヘカラサル所ニシテ此場合ニ於テ常ニ権利ノ侵害アルモノト為スヘカラス其他人ハ共同生活ノ必要上之ヲ認容セサルヘカラサルナリ然レトモ其行為カ社会観念上被害者ニ於テ認容スヘカラサルモノト一般ニ認メラルル程度ヲ超エタルトキハ権利行使ノ適当ナル範囲ニアルモノト云フコトヲ得サルヲ以テ不法行為ト為ルモノト解スルヲ相当トス抑モ汽車ノ運転ハ音響及ヒ震動〔ママ〕ヲ近傍ニ伝ヘ又之ヲ運転スルニ当リテハ石炭ヲ燃焼スルノ必要上煤煙ヲ附近ニ飛散セシムルハ已ムヲ得サル所ニシテ注意シテ汽車ヲ操縦シ石炭ヲ燃焼スルモ避クヘカラサル所ナレハ鉄道業者トシテノ権利ノ行使ニ当然伴フヘキモノト謂フヘク蒸気鉄道カ交通上欠クヘカラサルモノトシテ認メラルル以上ハ沿道ノ住民ハ共同生活ノ必要上之ヲ認容セサルヘカラス即チ此等ハ権利行使ノ適当ナル範囲ニ属スルヲ以テ住民ニ害ヲ及ホスコトアルモ不法ニ権利ヲ侵害シタルニアラサレハ不法行為成立セス従テ汽車進行中附近ノ草木等ニ普通飛散スヘキ煤煙に因リ害ヲ被ラシムルモ被害者ハ其賠償ヲ請求スルコトヲ得サルモノトス然レトモ若シ汽車ノ運転ニ際シ権利行使ノ適当ナル範囲ヲ超越シテ失当ナル方法ヲ行ヒ害ヲ及ホシタルトキハ不法ナル権利侵害トナルヲ以テ賠償ノ責ヲ免カルルコトヲ得サルナリ原院ノ認メタル事実ニ依レハ本件松樹ハ停車場ニ接近シ鉄道線路ヨリ僅ニ一間未満ノ地点ニ生立シ其枝条ハ線路ノ方向ニ張リ常ニ汽鑵車ノ多大ナル煤煙ニ暴露〔ママ〕セラレタル為メ枯死ノ害ヲ被リタルモノニシテ其煤煙ヲ防クヘキ設備ヲ為シ得ラレサルニアラサルコト第一点ニ説示シタルカ如クナルヲ以テ彼ノ鉄道沿線ノ到ル所ニ散在スル樹木カ普通ニ汽鑵車ヨリ吐出スル煤煙ノ害ヲ被ムリタルト同一ニ論スルコトヲ得サルモノトス即チ本件松樹ハ鉄道沿線ニ散在スル樹木ヨリモ甚シク煤煙ノ害ヲ被ムルヘキ位置ニアリテ且ツ其害ヲ予防スヘキ方法ナキニアラサルモノナレハ上告人カ煤煙予防ノ方法ヲ施サスシテ煙害ノ生スルニ任セ該松樹ヲ枯死セシメタルハ其営業タル汽車運転ノ結果ナリトハ云ヘ社会観念上一般ニ忍容スヘキモノト認メラルル範囲ヲ超越シタルモノト謂フヘク権利行使ニ関スル適当ナル方法ヲ行ヒタルニアラサルモノト解スルヲ相当トス故ニ原院カ上告人ノ本件松樹ニ煙害ヲ被ラシメタルハ権利行使ノ範囲ニアラスト判断シ過失ニ因リ之ヲ為シタルヲ以テ不法行為成立スル旨ヲ判示シタルハ相当ナリ上告人カ沿道到ル所ニ散在スル樹木ト同一視シテ原判決ヲ攻撃スルハ原判決ニ副ハサルモノニシテ採スニ足ラス
以上説明ノ如ク本件上告ハ其理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百五十二条第七十七条ニ依リ主文ノ如ク判決ス
裁判長判事
馬場愿治
判事
柳川勝二・鈴木英太郎・鬼沢蔵之助・成道斎次郎
信玄公旗掛松への賠償額決定[編集]
枯死に対する﹁過失の有無﹂、それによる﹁損害賠償の算定﹂は、第一審の甲府地方裁判所での判決から別個のものとして審議が進められていた。大審院判決に到るまでの審議は、あくまでも松樹の枯死に対する﹁過失の有無﹂を争ったものであって、具体的な﹁損害賠償額の算定﹂についての審議は行われなかった。この節では、信玄公旗掛松枯死に対する損害賠償額決定についての審議過程から当裁判が終結するまでの流れを解説する。示談交渉と鑑定人による樹齢鑑定[編集]
大審院での上告棄却により、信玄公旗掛松の枯死に対する鉄道院の過失が確定し、裁判の争点は賠償金、損害額の算定に関する審議に移行した。大審院判決から2か月後の1919年︵大正8年︶5月19日に甲府地方裁判所で賠償金額決定訴訟が開廷された。 法廷では当初から示談を中心に審議が進められた。開廷2日目の5月20日に、吉田裁判長により示談が勧告され、原告被告ともこれを一旦受諾したが、裁判長によって提示された500円の示談金を原告清水は承諾したのに対し、被告鉄道院は300円なら応ずるとして拒んでしまう。結局示談交渉は不調のまま、同年10月に不成立に終わっている。10月16日付けの山梨県内各新聞は﹁裁判長の顔を潰した鉄道院﹂と報じている[84]。 1919年︵大正8年︶10月16日付、山梨県内主要新聞での報道は次の通り[85]。 ●﹁吉田裁判長より鉄道院金五百円を提供して円満解決をしては如何んとの条件にては五百円は高し三百円なら応ずべしとの事﹂、﹃山梨民報﹄ ●﹁示談不調﹂、﹁裁判長の顔を潰した鉄道院﹂、﹃山梨毎日新聞﹄ ●﹁裁判長は被告鉄道院は金五百円を原告に支払ふべき旨の条件を提示し原告は承認したるも被告側は最高幹部会議の結果五百円は高額に失すとて之を拒否﹂、﹃山梨日日新聞﹄ 500円という示談金に鉄道院側が応じなかった背景には、信玄公旗掛松の樹木としての査定価値基準にあった。大審院での敗訴が決定した後、鉄道院側は植物学者ら複数の生物学識者による信玄公旗掛松の樹齢鑑定を行っていた。1920年︵大正9年︶に入ると、当時の新聞は鉄道院側の樹齢鑑定を次の見出しで複数回報じている[86]。 ●﹁再鑑定の旗掛松﹂、﹁今度は鉄道院から申請﹂、﹃山梨毎日新聞﹄1月23日付 ●﹁旗掛松鑑定、来る九日現場にて﹂、﹃山梨日日新聞﹄3月7日付 ●﹁旗掛松事件樹齢鑑定、武田時代の物に非ずと鉄道側主張﹂、﹃山梨日日新聞﹄3月27日付 ●﹁樹齢鑑定は三浦林学士﹂、﹃山梨毎日新聞﹄4月2日付 ●﹁又鑑定の旗掛松、更に原告の申請﹂、﹃山梨毎日新聞﹄8月1日付 ●﹁旗掛松事件、松平技師に鑑定を命ず﹂、﹃山梨毎日新聞﹄12月23日付 このように、鉄道省側は老松の樹齢について何度も鑑定を繰り返していた。鑑定人の中には森林学者として知られる三浦伊八郎[87]、松平東美彦ら、著名な植物学者が含まれている[88]。 このような経緯を経て、1921年︵大正10年︶2月15日、信玄公旗掛松の枯死に対する賠償額決定裁判の判決が甲府地方裁判所で言い渡された。この甲府地方裁判所の判決は、裁判長横田貞祐、判事中島奨、高崎長一郎によるものであった[89]。 ここでは判決文全文は割愛し、主文、および理由の一部を抜粋して引用する。 甲府地判大正10︵1921︶・2・15判決 右当事者間ノ大正六年︵ワ︶第一号損害賠償請求事件ニ付、請求原因正当ナリトノ中間判決確定シタルヲ以テ更ニ数額ニ付当裁判所ハ判決スル事如左 主文 被告ハ原告ニ対シ金四百九十九円ヲ支払フベシ。 原告其余ノ請求ハ之ヲ棄却ス。 当審ノ訴訟費用ハ之ヲ十分シ其一ヲ原告其九ヲ被告ノ負担トス[84]。 賠償額決定判決文中の事実、および理由で述べられた要点は、 …古来ノ口碑ニ依レバ機山公信玄ガ其松樹上ニ於テ…と、信玄公所縁の伝承により地域の人々にとって特別な存在であった松樹であったことを認めつつも、 …鑑定人三浦伊八郎及松平東美彦ノ各鑑定ニ依レバ右松樹枯死当時ノ年齢︹ママ︺ガ約百六十年ニシテ、信玄時代︵松樹枯死当時ヨリ約三百六、七十年前︶ノモノニアラザル事明ナルヲ以テ…と、松樹の樹齢鑑定結果に基づき、枯死した時点での信玄公旗掛松の樹齢は約160年であると証明し、この老松が武田信玄の時代のものでなかったことを、賠償額算定の基準にしたことであった。 信玄公旗掛松が地域の人々にとっても、清水倫茂にとっても、先祖代々信玄公ゆかりの伝承とともに大切に扱われてきた松樹であったことに疑いはなかった。その一方で、損害賠償額算定の根拠として考えるならば、﹁伝承としての松樹の評価額﹂ではなく、樹齢鑑定に拠る評価という当時としては最先端の科学的検証により、﹁事実としての松樹の評価額﹂を主張した鉄道省側︵国︶の要求が認められた形になった。 当初清水が求めた松樹代金1,200円、慰藉料300円、合計1,500円の損害賠償請求は、信玄時代のものではなかったことを理由に、一般の材木︵薪材︶としての価格で計算した449円とされ、慰藉料として50円を加えた、合計499円が賠償額とされた。これは示談過程で清水が同意していた500円とほぼ同等額であり、かつ訴訟費用の1割を原告清水、9割を被告鉄道省︵国︶とする負担判決は、原告清水にとって不服はなかった[90]。 ところが、鉄道省︵国︶はこの賠償額499円を不服として再度、東京控訴院へ控訴を行った[91]。裁判の終結[編集]
損害賠償額をめぐり控訴された東京控訴院での判決は、1922年︵大正11年︶4月11日に行われたが、実に珍妙[92]かつ、不可解な[83]判決であった。この東京控訴院判決は、同院民事第二部、裁判長三橋久美、判事水口吉蔵、竹田音次郎によるものであった。 ここでは判決文全文は割愛し、主文の一部を抜粋して引用する。 東京控判大正11(1922)・4・11判決 右当事者間ノ大正十年︵ネ︶第三一五号損害賠償請求ノ数額ニ関スル控訴事件ニ付キ当院ハ判決スルコト左ノ如シ 主文 原判決中原告其余ノ請求ハ之ヲ棄却ストアル部分並ニ訴訟費用ノ負担ヲ原告ニ命シタル部分ヲ除キ其他ヲ左ノ如ク変更ス 控訴人ハ被控訴人ニ対シ金七十二円六十銭ヲ支払フヘシ 被控訴人ノ其余ノ請求ハ之ヲ棄却ス 訴訟費用ハ第一、二審ヲ通シ之ヲ十分シ其一ヲ控訴人ノ負担トシ其九ヲ被控訴人ノ負担トス[93]。 つまり、賠償額が499円︵内訳、松樹449円、慰藉料50円︶から、72円60銭︵内訳、松樹22円60銭、慰藉料50円︶に減額され、なおかつ訴訟費用の負担割合が原告清水9割、被告鉄道省︵国︶1割という、一審判決とは全く逆になってしまったのである。 慰謝料については一審同様50円とされた。松樹に対する賠償金を22円60銭とした根拠は、﹁理由﹂での説明にあった鑑定人剣持元次郎の鑑定によるもので、松樹の損害を薪材としての価格で算定したのは一審と同様であった。しかし、損害算定の時点を一審判決が口頭弁論における鑑定当時の1920年︵大正9年︶3月としていたのを変更し、損害発生当時、つまり信玄公旗掛松が枯死した1914年︵大正3年︶12月を損害算定基準時とした上に、一審では枯死していない材木としての価格を損害としたが、二審では枯死していないものを123円25銭、枯死したものを100円65銭と評価し、その差額を損害であるとした。その結果、一審では449円であった松樹損害算定額が、22円60銭と大幅に減額されたのである。これは今日も大いに争われる損害賠償算定基準時の問題でもある。さらに、訴訟費用負担割合については、判決主文中に﹁原判決中……訴訟費用ノ負担ヲ原告ニ命シタル部分ヲ除キ其他﹂を変更する、と書かれているのにもかかわらず、訴訟費用負担割合が一審判決と逆になっているなど、この東京控訴院での賠償金額決定二審判決には疑問点や問題点があると、今日では複数の法学者、識者によって指摘されている[94][95][96]。 このように松樹の評価が伝承的価値としてではなく、材木・薪材としての評価の問題として扱われ、信玄公云々の部分に関しては慰藉料50円として処理された。これに対し、たとえこの老松が信玄公時代からのものでなくとも、人々は代々固く信じてきた事実を重視し、もう少し高額の慰藉料を認めてもよかったのではないかという意見もある[83][95]。賠償額、裁判費用負担割合だけを考えると、原告の清水は実質的に勝訴したのかどうかわからないほどであり、被告の鉄道省︵国︶は、結果的には名を捨て実をとったとも言える[83]。 判決を受けた当事者の清水倫茂も、賠償総額の72円60銭はともかく、訴訟費用を9割まで負担させられた点は腑に落ちず、﹁これは誤記ではないか﹂と東京控訴院に更正の﹁申立﹂を行った[97]。しかし、東京控訴院は1924年︵大正13年︶12月25日、この申立を却下した[98]。 ここで清水倫茂は、訴訟行為を断念する[99]。 翌1925年︵大正14年︶9月28日、甲府地方裁判所において、訴訟費用額241円71銭2厘5毛。原告︵清水︶が9割を負担とする決定が行われ[35]、長期間に及んだ信玄公旗掛松事件の裁判はすべて終結した。権利濫用論に与えた影響[編集]
末川論文[編集]
判例・事例としての意味[編集]
信玄公旗掛松事件は日本国内の法曹界で著名な判例ではある。しかし、今日の民法講義等で使用される教科書類では、内田貴﹃民法II﹄︵東京大学出版会2007年︶、大村敦志﹃基本民法II﹄︵有斐閣2007年︶などで、受忍限度論の登場に至る過渡的なものとして取り上げられているに過ぎず、いわゆる先例判例として法学部の講義等で取り上げられる機会は少なくなっている[108]。その理由を2007年の窪田充見﹃不法行為法﹄では次のように説明している。 今日では……権利の行使であるが、適当な範囲を逸脱しているから権利の濫用であり、不法行為になると説明する必要は無い。……それでは、なぜ信玄公旗掛松事件は、権利の濫用として取り上げられたのだろう。この背景には、﹃自己の権利を行使する者は何人も害するものではない﹄というローマ法に由来する考え方があったとされる。つまり、この法諺︵ほうげん︶を前提として、鉄道の運行というものを権利行使と考えるところから出発すれば、不法行為責任を認めるためには、権利の濫用という、もうひとつの概念が必要とされたのである。しかしながら、……今日では、こうした問題について、そのような説明はしていない。それは、﹃自己の権利を行使する者は何人も害するものではない﹄という前提自体が、もはや共有されていないからである。……このように考えてくると、信玄公旗掛松事件におけるようなタイプの権利濫用の禁止の法理は、それが克服すべき前提︵つまり、﹃自己の権利を行使する者は何人も害するものではない﹄という考え方︶が失われた今日では、すでにその意味を失っているとみてよい。 — ﹃不法行為法﹄ 窪田充見 (2007) pp.59-60[109] 今日、信玄公旗掛松事件判例は、権利行使の違法性を強調するために﹁権利濫用論﹂が引き合いに出されたものと位置づけられており[30]、現実の裁判では実例の意味として機能しておらず、実質的な判例の意味を失っていると考えられている。しかし、この判例以前には﹁国による権利は絶対である﹂という社会風潮が存在していたということ、それが信玄公旗掛松事件を通じて克服されたという歴史的事実に意味があり、明治・大正期の国家や地域社会、さらに当時の法学者と外国法理の関わりの一例を示すなど、近代日本法理の歴史を理解する上で重要な事例と位置づけられている[108]。信玄公旗掛松碑[編集]
日野春駅前広場の南東側の一角には、仙台石で造られた高さ約4メートルの石碑、﹁信玄公旗掛松碑﹂が建てられている。これは枯死の原因が、国側の不法行為、権利の濫用であると、大審院で認められ勝訴したことを記念して、清水倫茂本人により建てられたものである。建設費用は建設当時︵昭和8年︶の価格で148円であった。石碑の裏面には、次の文字が刻まれている[注釈 12]。
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年表[編集]
年号 | 月日 | 出来事 | 備考 |
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1902年(明治35年) | - | 中央本線敷設、日野春駅建設計画 | |
5月6日 | 清水倫茂、鉄道院へ「上申書」提出 | ||
6月23日 | 鉄道院より上申却下 | 甲村助役経由で上申書返戻 | |
8月5日 | 清水倫茂、鉄道院へ「上申書」再提出 | ||
9月5日 | 清水倫茂、鉄道院へ「上申書」再々提出 | ||
1903年(明治36年) | - | 工事障害のため松枝剪除 | 補償料20円 |
12月3日 | 清水啓造、鉄道院へ請書 | ||
1904年(明治37年) | 12月21日 | 日野春駅開業 | |
1911年(明治44年) | 9月18日 | 貨車脱線事故発生 | 補償料15円 |
9月下旬 | 清水倫茂、鉄道院へ請書 | ||
11月 | 清水倫茂、鉄道院へ瓦斯除建設ニ付上申書 | ||
1914年(大正3年) | 12月中旬 | 信玄公旗掛松枯死 | |
1916年(大正5年) | 4月15日 | 清水倫茂、鉄道院へ直接損害賠償請求 | 請求額3000円 |
6月20日 | 鉄道院、賠償拒否返答 | ||
1917年(大正6年) | 1月6日 | 甲府地裁へ提訴 | |
5月 | 鉄道院、清水倫茂へ樹枝剪除請求 | ||
1918年(大正7年) | 1月31日 | 甲府地裁、結審 | 中間判決 |
3月25日 | 鉄道院、東京控訴院へ控訴 | ||
6月14日 | 東京控訴院、判決(主文言渡しのみ) | 控訴側(鉄道院)の欠席裁判 | |
7月26日 | 東京控訴院、判決 | 6月14日判決を維持、事実と理由の説明 | |
9月25日 | 鉄道院、大審院へ上告 | ||
1919年(大正8年) | 3月3日 | 大審院、判決 | 原告勝訴 |
5月19日 | 甲府地裁、賠償額決定訴訟開始 | ||
6月2日 | 示談条件として、記念碑建立計画 | 新聞報道の日付 | |
8月 | 末川博「権利の濫用に関する一考察」発表 | ||
10月19日 | 示談不調 | ||
1920年(大正9年) | 3月9日 | 現場再鑑定 | |
8月 | 原告再鑑定 | ||
12月 | 松平鑑定 | ||
1921年(大正10年) | 2月15日 | 甲府地裁、賠償額決定判決 | |
- | 鉄道省、東京控訴院へ控訴 | ||
1922年(大正11年) | 4月11日 | 東京控訴院、判決 | |
- | 清水倫茂、更正の申立 | ||
1924年(大正13年) | 12月25日 | 東京控訴院、更正申立却下 | |
1925年(大正14年) | 9月28日 | 甲府地裁、訴訟費用額決定 | 全訴訟終了 |
1933年(昭和8年) | - | 信玄公旗掛松碑建立 | 4月28日建築許可請願、5月15日許可 |
1936年(昭和11年) | - | 清水倫茂、死去 | |
1946年(昭和21年) | - | 藤巻嘉一郎、死去 | |
1964年(昭和39年) | - | 甲府駅 - 上諏訪駅間電化 | |
1969年(昭和44年) | - | 信玄公旗掛松碑、駅前広場(現在地)へ移設 | 複線化に伴う移設 |