ボーイズ (演芸)
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ボーイズとは、演芸の一種で、楽器を使用した音楽ショウ。﹁ボーイズ物﹂や﹁ボーイズ芸﹂とも言われる。
概要[編集]
漫才師の行う音曲漫才や、コミックバンドが演ずる音楽コントとは異なる、独特の形態を持つ。 1937年︵昭和12年︶に浅草公園六区の浅草花月劇場︵吉本興業直営︶における演目﹁吉本ショウ﹂で、あきれたぼういず︵東京吉本所属︶が行ったのが端緒である[1]。あきれたぼういずの成功を受けて、ハリキリボーイズ、ざつおんブラザーズ、がさつなぼおいず、ハット・ボンボンズ、ミルクブラザーズなどのボーイズものが続出、ジャズ喜劇団を自称するラッキー・スタアや、女性だけのあきれた・がーるずなどもあった[1]。第二次世界大戦後もダイナ・ブラザーズ、シャンバロー、スイングボーイズ、ザ・ハッタリーズ、かしまし娘などがあり、その系譜はクレージーキャッツやドリフターズにも繋がっている[1]。この伝統を受け継ぎ﹁ボーイズ﹂の名は主に東京芸界で用いられる[2]。 上方芸界では﹁○○︵=リーダーの個人名︶ショウ﹂と称す場合が多く、一座による地方興行を打っていた歌謡ショウが、民放ラジオ・テレビ開局と共に大挙して流入定着し、続いて浪曲ショウ︵タイヘイトリオの浪漫ショウや宮川左近ショー、キクタショウ等︶、江州音頭や河内音頭の音頭ショウ、民謡ショウ等のグループも多く結成され、グループ名やメンバーの変遷も激しく、ジャンル分けが難しい。 浪花節も入ればジャズの要素も採り入れる、いわば﹁何でもあり﹂で始まったものではあるが、演者や観客層の年齢が高くなっていることから、平成期はほぼレトロ調の内容に纏まっている。現在活動中のボーイズ[編集]
●東京 ●東京ボーイズ ●岡本圭司とバラクーダ ●アンクルベイビー ●ポカスカジャン 現在は東京ボーイズもアンクルベイビーも2人でコンビを組んでいるので、ボーイズとしては珍しい例である。 ●大阪 ●ザ・パンチャーズ - 平和勝次とダークホースの中川ヒロシをリーダーとして復活 他解散・活動休止したボーイズの例[編集]
●東京 ●あきれたぼういず ●川田晴久とダイナブラザーズ ●小島宏之とダイナブラザーズ ●ザツオン・ブラザース ●鹿島密夫とダイナ・ショウ ●灘康次とモダンカンカン ●スリートンズ ●ザ・ローカル ●弁慶と牛若丸 ●ミュージカルぼーいず ●辻ひろしとザ・ハッタリーズ ●ぴんぼけトリオ ●シャンバロー ●人見明とスイングボーイズ ●ハリキリボーイズ ●ハット・ボンボンズ ●あかつき楽劇団 ●スリー・シスターズ ●東京あんみつ娘 ●ロマンス・ガールズ ●ザ・チャーミング ●新日本ショウ ●テルテル・ボーイズ ●トリオ・レ・ポンコツ ●木戸啓二とザツオンぼういず ●ファンキーガイズ - 長田あつしがリーダー。殿様キングスの前身。 ●あきれたダンディーズ ●玉川カルテット ●ふるさとコンビ - 結成当初は3人組で﹁トリオザキュースケ﹂を名乗っていたが、結成約半年後にメンバー・うたじが脱退。大空遊平と結城たかしの2人組として活動後、2022年に解散。 ●大阪 ●あひる艦隊 ●木村フクジとシャネルカンカンズ ●平和勝次とダークホース ●ピンアップトリオ ●西川ヒノデ・サクラ ●スカタンボーイズ ●ザ・パンチャーズ ●ぴんからトリオ ●横山ホットブラザーズ ●クエッション・ボーイズ ●ザ・ドリーム - 兄弟の夢みどり、洋二、ひろみで構成、大阪での活動は1969年から︵結成はそれ以前︶。 ●わんぱくボーイズ - 1970年に結成。メンバーは南一夫、文夫、敏夫。1年ほどで解散。 ●ザ・ダッシュ ●川上のぼると大阪ヤローズ - 堺すすむら川上一門で構成 ●ぼんぼんサンズ - 渡辺晴一がリーダー。メンバーに平崎康弘、岡本鉱一、藤原秀和、佐藤たけし。 ●のらくろショウ - リーダーのらくろが中心に結成、メンバーだった2人が古川一郎・二三子として活動。 ●モダントリオ - のらくろショウの残党で戦後に結成。 ●スリーエース - エノケン一座出身の大浪弘士が、妻の銀子や実子らと編成した歌謡ショウ。後に弘士、銀子が退き、弟子中心の構成になった。 ●プレイボーイズ - 原たかしがリーダー。平成に入り﹁赤フン﹂で有名になった吉本新喜劇の木村明他2名で再結成された。 ●泉詩郎歌謡ショウ - 泉詩郎はもと活動弁士でトーキー化でショウを編成。 ●可愛コヒデショウ - 西川ヒノデ・サクラの弟子等で構成 ●リズムデッサン - 後にWヤングを結成。 ●なにわショウ ●ミユキショウ ●放課後ボーイズ - メンバーの走れ!ぴゅー吉の脱退に伴い﹁千日前ゴールデンポップス﹂へ改名し、漫才などへ転向。 ●名古屋 ●ハッピーボーイズ - 一時大阪を拠点にしていたがリーダーの急死で解散 ●ニューハッピーズ - ハッピーボーイズ弟分、ハッピーボーイズに誘われ大阪を拠点にするが後にハッピーボーイズのリーダーの死去、出演していたトップホットシアターの閉鎖などの理由でこちらも解散。関連項目[編集]
●ボーイズバラエティ協会 ●関西演芸協会脚注[編集]
- ^ a b c 向井爽也『にっぽん民衆演劇史』日本放送出版協会、1977年、279-282頁
- ^ その他の芸能:ボーイズ|大衆芸能編・寄席|文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2021年11月8日閲覧