日本のロック
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日本のロック︵にほんのロック、にっぽんのロック︶では、日本におけるロックについて解説する。ロックの範囲には様々な定義が考えられるが、ここではポップ・ミュージックなども含めた広い意味でのロックを指すこととする。
呼称[編集]
1980年代後半にJ-POPという言葉が生まれ、その派生語としてJ-ROCKという言葉が使われたとするネット記事は[1]、誤りで"J-ROCK"という言葉は、カルメン・マキの1979年のアルバム﹃ナイト・ストーカー﹄に収録された曲のタイトルに既に使われている[2]。︵詳細は後述︶。 1990年代に、マーケット用語としてJ-ROCKという名称を使用していたが、J-POPとは異なり、日本では浸透しなかった。本来の﹁日本のロックミュージック﹂という意味合いとは異なる。CDレンタル業界では、J-ROCKというジャンルが使用されることもある。また、邦楽ロック︵邦ロック︶という呼称が用いられることもある[3]。歴史[編集]
ロカビリー・ブーム[編集]
第二次世界大戦以後、1945年から1950年代前半にかけて、進駐軍を通じてアメリカのポピュラー音楽が日本に持ち込まれた[4]。1955年にアメリカで大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの﹁ロック・アラウンド・ザ・クロック﹂は同年にはダーク・ダックスと江利チエミによってそれぞれ別の日本語訳詞によってカバーされ、日本語での最初のロックンロール・レコードとも言われる[5]。1956年のエルビス・プレスリーの﹁ハートブレイク・ホテル﹂は小坂一也とワゴン・マスターズによってカバーされ、その年のNHK紅白歌合戦に出場するまでになった[5]。1958年にはミッキー・カーチス、平尾昌章、山下敬二郎が﹁ロカビリー三人男﹂として売り出され、1958年2月には第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催されるなどロカビリー人気は本格化していった[4]。しかし1959年にはカバー曲よりもオリジナル曲がヒットするようになり、また楽曲の歌謡曲化によりロカビリー・ブームは沈静化していった[4]。 しかし、ロカビリー風は一部で残り、神奈川県横浜市で1972年結成キャロル (バンド)や、1979年結成横浜銀蝿は1980年代のバイクブームの波をうけ活躍した。テレビの普及とエレキ・ブーム[編集]
1959年6月にはフジテレビで音楽番組﹁ザ・ヒットパレード﹂の放送が開始される[4]。1960年にニール・セダカの﹁恋の片道切符﹂をロカビリー三人男がカバーしたのを皮切りに、1960年代に入るとアメリカン・ドリームを歌うアメリカの翻訳ティーン・ポップが隆盛となった[4]。1962年にはチャビー・チェッカーのカバーした﹁ザ・ツイスト﹂からツイストがブームとなった[4]。1963年には坂本九の﹁上を向いて歩こう﹂が﹁SUKIYAKI﹂のタイトルで全米1位を獲得した[4]。 1964年には藤本好一︵ブルー・ジーンズ︶がカバーしたアストロノウツの﹁太陽の彼方に﹂や、橋幸夫の和製サーフィン﹁恋をするなら﹂がヒットし、サーフィン・ブームとなった[4]。﹁パイプライン﹂﹁キャラバン﹂といったベンチャーズの演奏した曲もヒットし、彼らを真似たエレキギターを使ったインスト・バンドが日本にも多数誕生した[4]。代表的なバンドとしては寺内タケシとブルージーンズ、加山雄三のザ・ランチャーズなどがある[4]。 1964年に開催の東京オリンピックに合わせて、新しいメディアであるテレビが急速に普及した[4]。1965年1月にはアストロノウツとベンチャーズの来日合同公演が行われ、エレキ・ブームは大いに盛り上がりをみせた[6]。1965年6月よりフジテレビで﹁勝ち抜きエレキ合戦﹂の放送が開始され、ロックを担う若者の育成に一役を買った[4]。1965年には加山雄三主演の映画﹃エレキの若大将﹄が公開された[7]。フォークソング・ブーム[編集]
1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカでは伝統的なフォークソングに社会性を盛り込んだフォークソングのリバイバル運動が活発化していった[8]。代表的なシンガーとしてはピート・シーガー、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランなどがおり、若者たちの熱烈な支持を受け、ブラザース・フォアなどのカレッジ・フォークのグループが誕生した[8]。このムーブメントは日本にも影響を与え、都会の大学生を中心にモダン・フォークが広まっていった[8]。1966年のマイク真木の﹁バラが咲いた﹂は和製フォークとして初の大ヒット曲となり、以降日本のフォークシンガーはカバー曲でなくオリジナル曲を積極的に歌うようになっていった[8]。1960年代後半にはより日本という風土に根ざしたフォークを歌う五つの赤い風船、高石友也、岡林信康といった人やグループが登場した[8]。 1969年から1971年にかけて3回開催された日本初の野外フェスティバル﹁全日本フォークジャンボリー﹂は中津川フォークジャンボリーという名でも良く知られている。 1971年から、大阪の天王寺公園野外音楽堂で5月のゴールデンウィークに大規模な野外コンサート﹁春一番﹂が開催された[9]。グループサウンズ・ブーム[編集]
1966年6月29日、ビートルズが来日し、社会現象として語られるほどの熱狂ぶりを示し、彼らを代表とするリバプールサウンドに触発されたグループ・サウンズのブームが到来した[4]。初期のブームを牽引したのはザ・スパイダースとブルー・コメッツであり、ビートルズ来日前から活動していたスパイダースは日本におけるグループサウンズの原型を確立し、ブルー・コメッツの﹁青い瞳﹂はリバプールサウンドとはまた違う独自のサウンドを示した[4]。最盛期の1967年から1968年にかけて、特に人気のあったのが沢田研二を擁するザ・タイガースと、萩原健一を擁するザ・テンプターズで、タイガースは﹁シーサイド・バウンド﹂﹁モナリザの微笑﹂﹁君だけに愛を﹂﹁シー・シー・シー﹂など、テンプターズは﹁神様お願い!﹂﹁エメラルドの伝説﹂などが大きくヒットした[4]。他にもザ・ゴールデン・カップス、ザ・カーナビーツ、オックス、ザ・ジャガーズ、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・ワイルドワンズ、ザ・モップスといった多数のバンドが活躍した[10][4]。﹁日本のロック﹂の誕生[編集]
1960年代末、グループ・サウンズが商業化していくの反して、反体制的なアングラな文化から生まれたフォークソングが注目されるようになった[4]。1968年、アングラ・フォーク・シーンから登場したザ・フォーク・クルセダーズの﹁帰って来たヨッパライ﹂が大きくヒットし、ジャックスのアルバム﹃ジャックスの世界﹄が発売された[4]。ジャックスのアルバムは当時はほとんど売れず、1970年代後半に再評価された[11]。 1970年には細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂の4人によるはっぴいえんどがデビュー、アルバム﹃はっぴいえんど﹄と﹃風街ろまん﹄は日本語のロックを確立させた名盤として評価されている[4][12]。 またこの時期に音楽雑誌﹃ニューミュージック・マガジン﹄で﹁ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか﹂という日本語ロック論争が起こる[13]。 2012年ぴあ発行﹃R&Rぴあ﹄での﹁1972-2012 日本のロック40年史﹂では、その始まりをキャロルのデビューに置いている[14]。 バンド‥はちみつぱい、ブルース・クリエイション、フライド・エッグ、フラワー・トラベリン・バンド、村八分、頭脳警察、サディスティック・ミカ・バンド、ファニー・カンパニーなど。浅川マキ、遠藤賢司、高田渡、加川良、三上寛、あがた森魚、友部正人、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるなど。 アングラ・フォークに呼応するかのように、日本のロックもよりアート志向のニュー・ロックの時代を迎えた。70年代のニューロックのバンドには沢田研二、萩原健一らが結成したPYGや、パワーハウス、ブルース・クリエイションなどがあった。また、70年代のハードロック・バンドとしては紫、コンディション・グリーン、BOWWOWなどが活動した。クリエイションやCharらは、ジェフ・ベック・スタイルのロックを演奏した。1970年代[編集]
●日本人ロック表拍ノリ論争‥日本、日本人の音楽には最初の1拍を打つ表拍の曲が多いと指摘される事がある[15]。ダウンビート ●ヤマハ主催コンテスト‥1970年代後半 - 1980年代前半にかけて開催されたヤマハ主催のコンテストである﹁EastWest﹂および﹁8・8ロックデイ﹂、﹁ヤマハポピュラーソングコンテスト︵ポプコン)﹂がバンドの登竜門的な役割を果た。 ●ニュー・ミュージック ●ジャパノイズと後に呼ばれる音楽も始まる。 ●歌謡ロックとAOR ●アイドル歌謡曲‥1976年3月発売のキャンディーズ﹁春一番﹂等のヒット曲がある。山口百恵、ピンクレディー、キャンディーズ、中森明菜、松田聖子、沢田研二、郷ひろみ、小泉今日子、工藤静香等は国民的人気を得た。 ●ガールズバンド ●吉祥寺マイナー‥東京都武蔵野市吉祥寺に存在した邦楽アンダーグラウンドシーン。パンク・ニューウェイブ・ノイズ・フリー・ジャズ・即興演奏・ニュー・ジャズ、現代音楽、プログレッシヴ・ロック等。 ●左翼パンクロック‥新左翼・全共闘・全学連などによる政治運動が激化した時期の最後1972年にレコードデビュー頭脳警察や、1979年結成自閉体を母体として1980年ザ・スターリンなどが東京都杉並区高円寺等で活動。1970年メジャーデビュー忌野清志郎率いるRCサクセション等が活動。パンク・ロック、ハードコア・パンク。 ●めんたいビート‥九州の福岡県福岡市を中心に1970年代から1980年代にかけて勢いを持った福岡発のブルースロック、パンクロック、ブリティッシュビート等に多大な影響を受けた音楽やムーブメント。サンハウスをその源流とし、山部善次郎、THE MODS、また北九州市ではザ・ルースターズ等が活動。﹁めんたいロック﹂とされることもある。 ●テクノ、ニュー・ウェイヴ‥YMO︵1978年︶。 ●湘南サウンド‥サザンオールスターズ︵1978年︶。 ●シティ・ポップ‥1970年代後半のシティ・ポップはロックやAORの影響が在るとされる。 ●新宿〜中野、中央線沿線パンクロック、インディーズ、ガレージパンク、モッズシーン‥1976年ライブハウス新宿ロフトオープン。LAUGHIN' NOSE、有頂天、THE WILLARD、筋肉少女帯、ニューロティカ。1993年ガレージパンクバンドTeengenerate等が活動。ナゴムレコード。1980年10月ライブハウス新宿JAMがオープン、新宿にはモッズシーンが存在していた。THE COLLECTORS等が活動。1980年代[編集]
●バイクブームとヤンキー・ロックンロール‥オートバイ、暴走族、不良、湘南文化などを基礎にした音楽の流行。尾崎豊が有名。 ●ヘヴィメタル、ジャパニーズ・メタル ●ロックンロール・オリンピックが毎年開催される様になる。 ●ハードロックシーン‥海外のハード・ロックの影響を受けているバンドが多く活動。中村あゆみ﹃翼の折れたエンジェル﹄︵1985年︶、レベッカ﹃フレンズ﹄︵1985年︶、HOUND DOG﹃ff (フォルティシモ)﹄︵1985年︶、KODOMO BAND﹃SILENT SURVIVOR﹄︵1986年︶等 ●フォークロック‥長渕剛﹃乾杯﹄︵1980年︶、浜田省吾﹃J.BOY﹄︵1986年︶。浜田省吾が設立した音楽事務所には1990年代以降尾崎豊、スピッツ、斉藤和義らが所属する事になる。 ●ロックの大衆化 ホコ天イカ天‥1980年代末からはホコ天︵歩行者天国︶発のバンドブームに伴って多数のバンドが路上演奏をするようになる。アマチュアバンドコンテストTV番組1989年三宅裕司のいかすバンド天国は更にバンド人気に拍車をかけた。1990年代[編集]
●バンドブームとJ-ROCK‥1980年代終盤から1990年代前半にかけて、アイドルやヒットチャート番組の衰退と入れ替わるようにして起こったロックバンドの一大ブーム。ビーイングブーム、ビートロック、デジタルロックなど。 ●渋谷系‥1990年代は当時の若者文化の中心地の東京都渋谷を震源地として、小山田圭吾 と小沢健二の二重奏デュオのフリッパーズ・ギターに代表される渋谷系と後に呼ばれる音楽ジャンルが人気となった。 ●ヴィジュアル系バンド・ブーム ●アニメソング‥1980年代から1990年代にはTVアニメ番組の主題歌もロック調のものが増える。1990年代後半頃より東京都千代田区秋葉原電気街を中心にアキバ系と呼ばれる音楽文化が徐々に醸成される。 ●サイケデリック・ロックや、グラム・ロックや、ガレージ・ロックやラテン・ロックといったジャンルのバンドも登場した。 ●ユーロビート2000年代[編集]
●ミクスチャー・ロック ●メロコア ●メタルコア‥Crossfaith、CRYSTAL LAKEなど。 ●メロディックスピードメタル‥GALNERYUSなど。 ●スカコア、スカパンク ●青春パンク ●ジャズ・ロック‥1998年椎名林檎﹁幸福論﹂でデビュー、東京事変でも活動。スムースジャズ。 ●2000年代にロック・フェスティバルが隆盛‥1996年に日比谷野外音楽堂にて野外音楽イベントSWEET LOVE SHOWER始まる。1997年に開催FUJI ROCK FESTIVALの他、RISING SUN ROCK FESTIVAL、SUMMER SONIC、ROCK IN JAPAN FESTIVALなどが次々開催された[16]。2010年代[編集]
●ボカロ‥VOCALOIDを使用したロック調の曲がVOCAROCKと呼ばれるようになり、2010年にはコンピレーションアルバム﹃VOCAROCK_collection_feat._初音ミク﹄がリリースされる[17]。 ●アイドル戦国時代と地下アイドル‥東京新宿区四ッ谷にライブハウス﹁四ッ谷サンバレイ﹂︵現四谷Honey Burst︶が開業、ここが多くの地下アイドルの活躍の場になる。活動拠点は東京秋葉原、東京都中野、全国各地のライブハウスに拡大。 ●カワイイメタル‥BABYMETALに代表される、J-POPとヘヴィメタルを融合させたスタイル。 ●ラウド・ロック、スクリーモ ●オルタナティブ・ロック、エモ ●マス・ロック ●シューゲイザー ●ポストロック ●エレクトロニック・ダンス・ミュージック︵EDM︶ロック ●ネオ・シティ・ポップJ-ROCK[編集]
2005年に刊行された烏賀陽弘道の著書﹃Jポップの心象風景﹄により、﹁J-POP﹂の発祥はJ-WAVEが定説になったが、これ以前に1999年刊行の﹃ロック・クロニクル・ジャパンVol.2﹄の中で、評論家・大須賀猛が﹁J-POP﹂の言葉の起源を論じている[2]。大須賀猛は﹁J-ROCK﹂が先にあった上での﹁J-POP﹂の発祥であろうと考え、1979年に﹁J-Rock﹂という曲を作ったカルメン・マキに取材を行った。タイトルに﹁J-Rock﹂と付けた理由について、カルメン・マキは﹁アルバムは全曲ロサンゼルス録音で、全曲英語の企画だったことから、日本で生まれ育って日本語で表現してる歌い手なんだってことは刻印しておきたかった﹂と明確な意図があって﹁J-Rock﹂と命名したと話した[2]。この評論は3頁と短く、後半はプロデューサー論になるため、﹁J-POP﹂の起源を論じた記述は短いが、大須賀は1986年に浜田省吾がアルバム﹃J.BOY﹄を発表した辺りから、﹁J﹂という記号が軽みを帯び始め、﹁J-POP﹂より先にあった﹁J-ROCK﹂という、ロックと呼ぶには軽すぎ、ポップスと言えるほど娯しくはなく、歌謡曲のヘリテイジは受け継いでいない、ロックという言葉にも遠慮したような、ちょっと恥ずかしいネーミングがあり、外資系のCDショップが﹁J-POP﹂という言葉を作ったのではないかと推察している[2]。つまり、外資系のCDショップの商品の主力は洋楽のため、ジャンル名もアーティストも横文字。日本の音楽だけタテ文字ではかっこ悪く、それ等を分けるために﹁J-POP﹂という言葉を作った。カルメン・マキや浜田省吾の立ち位置が日本の側にあり、アンビバレントな思いでアイロニカルな意味を込めながら用いた﹁J﹂という記号は、英語圏の側からごくあっさり、無味無臭な記号として採用された、等と論じている[2]。大須賀はこの時点では﹁J-POP﹂が﹁J-WAVE﹂の発祥とは全く気付いていなかった[2]。 タイトルに﹁J-ROCK﹂、または﹁Jロック﹂が使われた書籍としては、1989年﹃J-ROCK EARLY DAYS STRONG SELECTION﹄︵キティエンタープライズ︶、1990年﹃日本ロック大系 : 1957-1979 Complete history of J-rock﹄︵白夜書房︶、1993年﹃ザ・ライブ! : Jロック・ヒット・コレクション﹄︵ケイ・エム・ピー︶、1994年﹃最新!!Jロック・リクエスト﹄︵ドレミ楽譜出版社︶、1996年﹃J-ROCKベスト123 1968-1996﹄︵講談社︶、1998年﹃J-rock'sバイブル﹄︵ジェイロックマガジン社︶など、1990年代以降は多数刊行されている。日本のロック・バンド[編集]
詳細は「日本のロックバンド一覧」を参照
インディーズの詳細については、インディーズの項に掲載されているので、そちらを参照。
日本のロックコンサート・ロックフェスティバル[編集]
「ロック・フェスティバル」も参照
- CROC ROCK FESTIVAL 2012
- DRIVE TO 2000
- LIVE福島 風とロックSUPER野馬追
- LOUD∞OUT FEST
- LUNATIC FEST.
- POCARI SWEAT BLUE WAVE THE ROCK ODYSSEY 2004
- V-ROCK FESTIVAL
- AOMORI ROCK FESTIVAL
- 秋田CARAVAN MUSIC FES
- 朝霧JAM
- 旭川ライブジャム
- ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.
- ARABAKI ROCK FEST.
- EAT THE ROCK
- いしがきミュージックフェスティバル
- イナズマロックフェス
- IMAIKE GO NOW
- VISUAL JAPAN SUMMIT
- うたのありか
- ウドー・ミュージック・フェスティバル
- AIR JAM
- エキサイティング・サマー・イン・ワジキ
- FM.W
- エレクトロックス
- 男鹿ナマハゲロックフェスティバル
- OTODAMA 音泉魂
- OTO TO TABI
- おと酔いウォーク
- 音楽と髭達
- COUNTDOWN JAPAN
- 風とロック芋煮会
- 勝手にニューポート
- Canada WET
- COMIN'KOBE
- 氣志團万博
- 騎馬武者ロックフェス
- 京都音楽博覧会
- 京都大作戦
- THE GREAT SATSUMANIAN HESTIVAL
- 気仙沼サンマフェスティバル
- 小岩井ロックフェスティバル
- 神戸ストラット
- CIRCLE (イベント)
- THE CAMP BOOK
- SATANIC CARNIVAL
- SANUKI ROCK COLOSSEUM
- サマーソニック
- サンセットライブ
- シマネジェットフェス
- 下北沢にて
- JACK IN THE BOX (イベント)
- JAPAN CIRCUIT
- JAPAN JAM
- JOIN ALIVE
- 湘南音祭
- 情熱大陸SPECIAL LIVE SUMMER TIME BONANZA
- Jin Rock Festival
- J-POPサミット
- SWEET LOVE SHOWER
- Sky Jamboree
- スパクル☆ナイト
- SPA SONIC
- スプリングルーヴ
- スペースシャワー列伝
- SETSTOCK
- SEVENTH HEAVEN 七ヶ浜ビーチフェスティバル
- 閃光ライオット
- SOUL CAMP (ヒップホップ・フェスティバル)
- TAICOCLUB
- 高塔山ジャム
- 高塔山ロックフェス
- TOWER RECORDS presents Bowline
- DEAD POP FESTiVAL
- 寺フェス in 山形県朝日町若宮寺
- でらロックフェスティバル
- テレビ朝日ドリームフェスティバル
- 天嘉 (イベント)
- TENJIN ONTAQ
- トアロード・アコースティック・フェスティバル
- TOKYO CALLING
- Don't Stop Music Fes.TOCHIGI
- NAONのYAON
- 長田大行進曲
- 中津川 THE SOLAR BUDOKAN
- NUMBER SHOT
- 日本幻野祭
- New Acoustic Camp
- ネコフェス
- 年末ソウル・フラワー祭
- NO NUKES
- ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル
- HIGHER GROUND
- HAZIKETEMAZARE FESTIVAL
- 八食サマーフリーライブ
- HAPPY JACK
- HAWAIIAN6 presents ECHOES
- HAWAIIAN6 & FUCK YOU HEROES presents 1997
- パンクスプリング
- Pump up the volume
- PIA MUSIC COMPLEX
- BEAST FEAST
- BEAT CHILD
- ビクターロック祭り
- ピースフルラブ・ロックフェスティバル
- ビッグビーチフェスティバル
- VIVA LA ROCK
- 百万石音楽祭〜ミリオンロックフェスティバル〜
- HIROSHIMA MUSIC STADIUM
- フジロックフェスティバル
- FREEDOM NAGOYA
- ブリティッシュ・アンセムズ
- BAYCAMP
- ヘヴィメタル・フェスティバルの一覧
- BOYZ OF SUMMER
- Hostess Club Weekender
- ホットフィールド
- POP HILL
- ポップスプリング
- ポルノ超特急
- マキタ学級大文化祭
- マグマ (音楽イベント)
- MASTER PEACE
- Marugame Groove
- 未確認フェスティバル
- 見放題
- みやこ音楽祭
- THE 夢人島 Fes.
- 宗像フェス
- MURO FESTIVAL
- MEGA☆ROCKS
- METROPOLITAN ROCK FESTIVAL
- MERRY ROCK PARADE
- MONGOL800 ga FESTIVAL What a Wonderful World!!
- MONSTER baSH
- YATSUI FESTIVAL!
- 闇鍋音楽祭
- YON FES
- ライジング・サン・ロックフェスティバル
- LOUD PARK
- RUSH BALL
- りんご音楽祭
- RADIO CRAZY
- ROAD to Red
- ROCK IN JAPAN FESTIVAL
- ROCKS TOKYO
- ロックの学園
- ロックロックこんにちは!
- ロックンロールオリンピック
- ワールド・ハピネス
- WILD BUNCH FEST.
- ワンステップフェスティバル
日本のロック雑誌[編集]
詳細は「日本の音楽雑誌」を参照
脚注[編集]
出典[編集]
(一)^ “J-ROCK”. OKMusic. 2022年5月25日閲覧。
(二)^ abcdef﹁"J-POP"という名の器に何を流し込むか……プロデューサーの時代~J-POPの時代2﹂﹃ロック・クロニクル・ジャパンVol.2﹄音楽出版社、1999年、43–45頁。
(三)^ “︻評判︼邦ロックのおすすめバンド30選!2022年に聴くべき若手や人気邦楽バンドを紹介 2022年5月”. ライブUtaTen (2022年1月18日). 2022年5月25日閲覧。
(四)^ abcdefghijklmnopqrs篠原章. “日本ロック通史 ︵1956 年-1990 年代︶WEB版”. 批評.COM. 2021年11月1日閲覧。
(五)^ ab川崎 2015, p. 174-177.
(六)^ 佐藤剛 (2015年1月10日). “エレキ・ブームが日本で爆発したアストロノーツとベンチャーズの合同公演”. TAP the POP. 2021年10月28日閲覧。
(七)^ “加山雄三、内田裕也さんしのび﹁また生まれ変わってロックやれや﹂ ﹁若大将﹂シリーズで共演”. ORICON NEWS (2019年3月18日). 2022年10月12日閲覧。
(八)^ abcde名盤ガイド 2001, p. 6.
(九)^ 福岡風太と喫茶︿ディラン﹀の時代[リンク切れ] - 井口啓子の西日本ロック紀行 No. 147 OOPS! コラム 2007年5月2日
(十)^ “AllMusic: The Mops”. 2020年10月22日閲覧。
(11)^ 川崎 2015, p. 68-69.
(12)^ 川崎 2015, p. 40-41.
(13)^ “日本語でロックは実現できるのか?/ みの﹃戦いの音楽史﹄”. ダ・ヴィンチWeb (2022年4月20日). 2022年10月12日閲覧。
(14)^ ﹁1972-2012 日本のロック40年史 文・大山貴弘﹂﹃R&Rぴあ﹄ 2012年8月30日発行、ぴあ、70–77頁。ISBN 978-4-8356-2124-1。
(15)^ ﹃日本人とリズム感 -﹁拍﹂をめぐる日本文化論﹄著者樋口桂子/青土社発売日‥2017-11-24
(16)^ “この20年でフェスはいかにして﹁国民的娯楽﹂に変貌したのか︵レジー︶ @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2020年4月7日閲覧。
(17)^ 曽我美なつめ (2022年6月10日). “supercellからwowaka&ハチ、DECO*27、じん、バルーン、稲葉曇まで VOCAROCKの変遷と再興するボカロシーンでの存在感”. Real Sound. 2022年10月11日閲覧。