オーストリア
- オーストリア共和国
- Republik Österreich
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(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:Land der Berge, Land am Strome(ドイツ語)
山岳の国、大河の国 -
公用語 ドイツ語[1] 首都 ウィーン 最大の都市 ウィーン - 政府
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連邦大統領 アレクサンダー・ファン・デア・ベレン 連邦首相 カール・ネーハマー - 面積
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総計 83,870km2(112位) 水面積率 1.7% - 人口
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総計(2023年) 912万9652人(98位)[2] 人口密度 109.3[3]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2019年) 3975億7500万[4]ユーロ (€) - GDP(MER)
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合計(2019年) 4451億2500万[4]ドル(27位) 1人あたり 5万246.607[4]ドル - GDP(PPP)
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合計(2019年) 5198億3200万[4]ドル(45位) 1人あたり 5万8679.726[4]ドル - 成立[注釈 1]
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オーストリア辺境伯領 976年 オーストリア公国 1156年 オーストリア大公国 1453年 オーストリア帝国 1804年 オーストリア=ハンガリー帝国 1867年 第一共和国 1918年 アンシュルス(ドイツによる併合) 1938年 第二共和国 1945年以降 オーストリア国家条約(連合軍の軍政より独立) 1955年5月15日調印/同年7月27日発効
通貨 ユーロ (€)(EUR)[注釈 2][注釈 3] 時間帯 UTC+1 (DST:+2) ISO 3166-1 AT / AUT ccTLD .at 国際電話番号 43 -
- ^ 南部ドイツ語のうちオーストリアドイツ語、バイエルン・オーストリア語(公文書などは標準ドイツ語使用)
- ^ Bevölkerung zu Quartalsbeginn seit 2002 nach Bundesland|1 - Statistik Austria
- ^ “UNdata”. 国連. 2021年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月14日閲覧([1])
概要 編集
国名 編集
正式名称はRepublik Österreich ︵ドイツ語: レプブリーク・エースターライヒ︶。 通称 Österreich︵エースターライヒ︶['ø:stəraiç] [1]。Ö は正確には日本語の﹁エ﹂ではなく、丸めた﹁オ﹂の口をしながら﹁エ﹂を発音する音[øː]だが、日本語では﹁エ︵ー︶﹂で表記する慣習があるほか、日本人には﹁ウ︵ー︶﹂のように聴こえることもある。 公式の英語表記は Republic of Austria。通称Austria、形容詞はAustrian︵オーストリアン︶。日本語の表記はオーストリア共和国、通称オーストリア。漢字表記では墺太利または澳地利︵略表記‥墺︶と記される。ドイツ語の表記や発音︵および下記オーストラリアとの混同回避︶を考慮した日本語表記はエースタ︵ー︶ライヒ、エスタ︵ー︶ライヒ、または舞台ドイツ語的表記によるエステ︵ル︶ライヒであり、専門書や各種サイトなどで使用されている。由来と「狭義のオーストリア」 編集
オーストリア家︵ハプスブルク家︶との関係 編集
オーストリアを統治してきたハプスブルク家およびハプスブルク=ロートリンゲン家は﹁オーストリア家︵独: Haus Österreich, 西: Casa de Austria, 仏: Maison d'Autriche, 英: House of Austria︶﹂とも呼ばれ、同家の成員はハプスブルク、ハプスブルク=ロートリンゲンの家名の代わりに﹁オーストリアの﹂を表す各国の言語で呼ばれる︵e.g. Marie-Antoinette d'Autriche、マリー=アントワネット・ドートリシュ︶。﹁オーストリア家﹂にはスペイン・ハプスブルク家も含まれることがあり、たとえば、フランスのルイ14世の王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ︵スペイン語‥マリア・テレサ・デ・アウストリア︶はフランス語、スペイン語でそれぞれ﹁オーストリアの﹂とあって、スペイン・ハプスブルク家の王女である。日本語版Wikipediaでは、ハプスブルク家がドイツ系の家系であることから、記事名にはドイツ語の﹁フォン・エスターライヒ﹂︵e.g. カール・ルートヴィヒ・フォン・エスターライヒ︶を使用している。オーストラリアとの混同 編集
オーストリアはオーストラリアと間違えられることがある。﹁オーストリア﹂はドイツ語 Österreich﹁東の国; オーストリア﹂の Oster-﹁東﹂を同源のラテン語 auster-﹁南﹂で置き換えた呼び方であり、﹁オーストラリア﹂はラテン語 terra australis﹁南の地﹂に由来する。すなわち﹁オーストリア﹂と﹁オーストラリア﹂は共にラテン語 auster﹁南﹂に由来する。 日本では、オーストリア大使館とオーストラリア大使館を間違える人もおり、東京都港区元麻布のオーストリア大使館には、同じく港区三田の﹁オーストラリア大使館﹂への地図が掲げられている[2]。 2005年日本国際博覧会︵愛知万博︶のオーストリア・パビリオンで配布された冊子では、日本人にオーストラリアとしばしば混同されることを取り上げ、オーストリアを﹁オース鳥ア﹂、オーストラリアを﹁オース虎リア﹂と覚えるように呼びかけている。 両国名の混同は日本だけではなく英語圏、ロシア語圏、トルコ語圏など多くの言語で見られ、聞き取りにくい場合は﹁ヨーロッパの﹂を表す形容詞が付け加えられる場合もある。しばしばジョークなどに登場し、オーストリアの土産物屋などでは、黄色い菱形にカンガルーのシルエットを黒く描いた﹁カンガルーに注意﹂を意味するオーストラリアの道路標識に、﹁NO KANGAROOS IN AUSTRIA︵オーストリアにカンガルーはいない︶﹂と書き加えたデザインのTシャツなどが売られている。フランス語︵オーストラリア: Australie /オストラリ/, オーストリア: Autriche /オトリシュ/︶やチェコ語︵オーストラリア: Austrálie, オーストリア: Rakousko︶のように、両国を問題なく区別できる言語もある。オーストリー表記 編集
2006年10月に駐日オーストリア大使館商務部は、オーストラリアとの混同を防ぐため、国名の日本語表記を﹁オーストリア﹂から﹁オーストリー﹂に変更すると発表した[3]。オーストリーという表記は、19世紀から1945年まで使われていた﹁オウストリ﹂という表記に基づいているとされた。 発表は大使館の一部局である商務部によるものだったが、署名はペーター・モーザー大使︵当時︶とエルンスト・ラーシャン商務参事官︵商務部の長︶の連名︵肩書きはすでに﹁駐日オーストリー大使﹂﹁駐日オーストリー大使館商務参事官﹂だった︶で、大使館および商務部で現在変更中だとされ、全面的な変更を思わせるものだった。 しかし2006年11月、大使は、国名表記を決定する裁量は日本国にあり、日本国外務省への国名変更要請はしていないため、公式な日本語表記はオーストリアのままであると発表した[4]。ただし、オーストリーという表記が広まることにより、オーストラリアと混同されることが少なくなることを願っているとされた。 その後、大使館商務部以外では、大使館、日本の官公庁、マスメディアなどに﹁オーストリー﹂を使う動きは見られない。たとえば、2007年5月4日の﹁朝日新聞﹂の記事では、同国を﹁オーストリア﹂と表記している[5]。 大使館商務部の公式サイトは、しばらくは一貫して﹁オーストリー﹂を使っていた。しかし、2007年のサイト移転・リニューアルと前後して︵正確な時期は不明︶、大使館商務部のサイトでも基本的に﹁オーストリア﹂を使うようになった。﹁オーストリー﹂については、わが国の日本語名はオーストリア共和国であると断ったうえで ●オーストリーの使用はそれぞれの企業の判断にゆだねる ●マーケティングで生産国が重要な企業にはオーストリーの使用を提案する ●﹁オーストリーワイン﹂がその成功例である などと述べるにとどまっている[6]。 日本では雑誌﹃軍事研究﹄がオーストリーの表記を一部で用いている。歴史 編集
オーストリアの成立 編集
ハプスブルク家支配の成立 編集
マリア・テレジアと二元主義 編集
神聖ローマ帝国の解体と二重帝国 編集
第一次世界大戦と共和制への移行 編集
ファシズムからアンシュルスへ 編集
第二次大戦後 編集
ドイツと同様にオーストリアもイギリス、フランス、ソ連、アメリカによって分割占領され、オーストリア連合国委員会によって管理された︵連合軍軍政期︶[33]。1943年のモスクワ宣言のときから予測されていたが、連合国の間ではオーストリアの扱いについて見解の相違があり[30]、ドイツ同様に分断されるおそれがあった。結局、ソ連占領区のウィーンに置かれた社会民主主義者と共産主義者による政権は、レンナーがスターリンの傀儡ではないかとの疑いがあったものの、西側連合国から承認された。これによって西部に別の政権が立てられ国家が分断されることは避けられ、オーストリアはドイツに侵略され連合国によって解放された国として扱われた[34]。 冷戦の影響を受けて数年かかった交渉の末、1955年5月15日、占領4か国とのオーストリア国家条約が締結されて完全な独立を取り戻した。1955年10月26日、オーストリアは永世中立を宣言した[35]。1995年に欧州連合へ加盟し[36]、間接的な憲法改正は加えられている[35]。政治 編集
行政 編集
立法 編集
政党 編集
司法 編集
司法権は最高裁判所に属している。
国際関係 編集
日本との関係 編集
国家安全保障 編集
国軍として陸軍および空軍が編制されている。徴兵制を有し、18歳に達した男子は6か月の兵役に服する。名目上の最高指揮官は連邦大統領であるが、実質上は国防大臣が指揮をとる。北大西洋条約機構には加盟していないが、欧州連合に加盟しており、それを通じた安全保障政策が行われている。
地理 編集
オーストリアの地理的名所 編集
●アルプス山脈 ●ドナウ川 ●イン川 ●ライタ川 ●ボーデン湖 ●ノイジードラー湖 ●ザルツカンマーグート ●ウィーンの森 ●ヴァッハウ渓谷 ●グロスグロックナー山気候 編集
気候は大きく3つに大別される。東部は大陸的なパンノニア低地気候、アルプス地方は降水量が多く、夏が短く冬が長いアルプス型気候、その他の地域は中部ヨーロッパの過渡的な気候である。地方行政区分 編集
9つの州が存在する。このように8つの州とウィーンからなるために、9角形の硬貨が発行されたことがある[41]。なお、9角形とはいっても、辺は直線ではなく曲線、すなわち、曲線多角形の硬貨である。
名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
---|---|---|---|
ブルゲンラント州 Burgenland |
277,569 | アイゼンシュタット Eisenstadt |
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ケルンテン州 Kärnten |
559,404 | クラーゲンフルト Klagenfurt |
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ニーダーエスターライヒ州 Niederösterreich |
1,545,804 | ザンクト・ペルテン St. Pölten |
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オーバーエスターライヒ州 Oberösterreich |
1,376,797 | リンツ Linz |
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ザルツブルク州 Salzburg |
515,327 | ザルツブルク Salzburg |
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シュタイアーマルク州 Steiermark |
1,183,303 | グラーツ Graz |
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チロル州 Tirol |
673,504 | インスブルック Innsbruck |
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フォアアールベルク州 Vorarlberg |
372,791 | ブレゲンツ Bregenz |
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ウィーン Wien |
1,550,123 |
主要都市 編集
人口順 | 都市 | 州 | 人口(2022年) |
---|---|---|---|
1 | ウィーン | 1,931,593 | |
2 | グラーツ | シュタイアーマルク州 | 292,630 |
3 | リンツ | オーバーエスターライヒ州 | 207,247 |
4 | ザルツブルク | ザルツブルク州 | 155,331 |
5 | インスブルック | チロル州 | 130,585 |
6 | クラーゲンフルト | ケルンテン州 | 102,618 |
経済 編集
観光 編集
観光はオーストリア経済において最も重要な産業であり、同国の国内総生産のほぼ9%を占めている。
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交通 編集
鉄道 編集
ÖBB(オーストリア国鉄)が主要幹線を網羅しており、山岳部ではゼンメリング鉄道をはじめとする登山列車なども運行している。ウィーンでは地下鉄やSバーン、路面電車なども運行され、インスブルックやリンツなどの主要都市にも路面電車がある。
航空 編集
ウィーン、インスブルック、ザルツブルク、グラーツ、クラーゲンフルトの各都市に国際空港がある。ウィーン国際空港では、ドイツ語の案内放送のあと、英語で案内放送がある。
国民 編集
民族 編集
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言語 編集
- Kategorie:Österreichische Sprache - オーストリアのドイツ語に関するリンク集。
婚姻 編集
宗教 編集
宗教は、553万人(66.0%)がローマ・カトリックに属している(2009年)。プロテスタントのうち、約31万人(3.7%)がルター派のオーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派に、1万4,000人(0.165%)が改革派のオーストリア福音主義教会スイス信仰告白派に属している。51万5,914人(6.2%)がイスラム教に属している(2009年)。さらに、ユダヤ教もいる。
教育 編集
義務教育は9年となっている。
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保健 編集
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医療 編集
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治安 編集
2023年02月時点で外務省は、「オーストリアの治安状況は一見すると安全に思えますが、スリや置き引きなどの犯罪が頻繁に発生しており、日本の生活感覚のまま行動すると犯罪被害に遭いかねません。特に、観光地や空港、駅、公共交通機関の車内、ホテルのフロント、レストラン、カフェなどで貴重品の入ったカバンや財布が盗まれる被害が多数発生していることから、これらの場所や人混みの中を移動する場合は、所持品に十分な注意を払って行動してください。また、近年、夜間に駅のトイレなどで女性が強姦されるなどの性犯罪事件も増えています。人通りの少ない場所は昼間でも避け、また、夜間に外出する際は十分に注意してください」としている[51]。
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人権 編集
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マスコミ 編集
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文化 編集
食文化 編集
文学 編集
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音楽 編集
クラシック音楽 編集
美術 編集
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映画 編集
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建築 編集
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世界遺産 編集
ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件存在する。さらにハンガリーにまたがって1件の文化遺産が登録されている。
祝祭日 編集
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | Neujahr | |
1月6日 | 公現祭 | Heilige Drei Könige | |
移動祝日 | 復活祭の日曜日 | Ostersonntag | |
移動祝日 | 復活祭の月曜日 | Ostermontag | |
5月1日 | メーデー | Tag der Arbeit | |
移動祝日 | 主の昇天 | Christi Himmelfahrt | 復活祭から40日目の木曜日 |
移動祝日 | 聖霊降臨祭 | Pfingstsonntag | |
移動祝日 | 聖霊降臨祭の月曜日 | Pfingstmontag | |
移動祝日 | 聖体の祝日 | Fronleichnam | 聖霊降臨祭から12日目の木曜日 |
8月15日 | 聖母の被昇天 | Mariä Himmelfahrt | |
10月26日 | 建国記念日 | Nationalfeiertag | 1955年に永世中立国宣言をしたことによる |
11月1日 | 諸聖人の日 | Allerheiligen | |
12月8日 | 無原罪の聖母の祝日 | Mariä Empfängnis | |
12月24日 | クリスマスイブ | Heilig Abend(Weihnachten) | |
12月25日 | クリスマス | Christtag | |
12月26日 | 聖ステファノの祝日 | Stefanitag |
スポーツ 編集
サッカー 編集
ウィンタースポーツ 編集
冬季オリンピックで数多くのメダルを獲得することから分かるように、オーストリアでもその寒冷な気候と山がちな地形を利用したウィンタースポーツが盛んに行われている。中でも、アルペンスキーは絶大な人気を誇り、冬季オリンピックで計4個のメダルを獲得しているヘルマン・マイヤーは国民的スターでもある。2006-2007年シーズンでは男女計12種目のうち、実に7種目をオーストリア人選手が制覇している。ライフル射撃競技とクロスカントリースキーを組み合わせたバイアスロンの強豪国でもあり、国際スキー連盟とは独立している国際バイアスロン連合は、その本部をオーストリアのザルツブルクに置いている。 ノルディックスキーもオーストリア国内で人気が高く、ノルウェー、フィンランド、ドイツとともに強豪国として名高い。アンドレアス・ゴルトベルガー︵ジャンプ1993年、1995年、1996年FIS・W杯総合優勝︶、フェリックス・ゴットヴァルト︵ノルディック複合2001年FIS・W杯総合優勝︶、トーマス・モルゲンシュテルン︵ジャンプ2008年FIS・W杯総合優勝︶といった有名選手を輩出している。近年では2006年トリノオリンピックのジャンプ競技で金メダルを獲得している。モータースポーツ 編集
自転車競技 編集
自転車ロードレースでは、ゲオルク・トーチニヒやベルンハルト・アイゼルがツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアといった世界最高峰のレースで活躍した。現在はパトリック・コンラートやマティアス・ブレンドレなどが知られている。オーストリア最大のステージレース︵複数の日数にわたって行われるレース︶﹁エースターライヒ・ルントファールト﹂はUCIプロシリーズという上から二番目のカテゴリーに分類されており、ツール・ド・フランスと同時期の7月に開催されるが、その年のツール・ド・フランスに出場しない大物選手が数多く出場している。著名な出身者 編集
脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
参考文献 編集
- Brook-Shepherd, Gordon (1998). The Austrians: a thousand-year odyssey. New York: Carroll & Graf Publishers, Inc. ISBN 0786705205
- Johnson, Lonnie (1989). Introducing Austria: a short history. Riverside, Calif.: Ariadne Press. ISBN 0929497031
- Schulze, Hagen (1996). States, nations, and nationalism: from the Middle Ages to the present. Cambridge, Mass.: Blackwell. ISBN 0631209336
関連項目 編集
外部リンク 編集
- 政府
- オーストリア連邦大統領府 (ドイツ語)(英語)
- オーストリア連邦首相府 (ドイツ語)(英語)
- 在日オーストリア大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - オーストリア (日本語)
- 在オーストリア日本国大使館 (日本語)
- 観光その他
- オーストリア政府観光局 (日本語)
- JETRO - オーストリア
- Austrian Cultural Forum - オーストリア文化フォーラム (日本語)
- 『オーストリア』 - コトバンク