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| 主原料=[[モルト]]、[[グレーン]]<ref group="注釈">[[1970年代]]以前の主原料はモルト、ブレンド用アルコール(スピリッツ)</ref><br/><small>※グレーンウイスキーのみ国産品を使用</small> |
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'''サントリーホワイト'''は、[[サントリースピリッツ |
'''サントリーホワイト'''は、[[サントリー]]︵二代目、旧・サントリースピリッツ、サントリービール、サントリー酒類等その他サントリーグループ関連各社︶が製造・販売する[[ブレンデッド・ウイスキー]]{{Refnest|group="注釈"|name="blend"|2024年︵令和6年︶現在、製造・販売されている商品はモルト原酒の一部に海外産の原酒も使用されているため、日本洋酒酒造組合の定めるジャパニーズ・ウイスキーの表示基準に合致しないワールドブレンデッドウイスキー、またはジャパンメイドウイスキー扱いの商品となる<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ164LF0W1A210C2000000/ ﹁ジャパニーズウイスキー﹂の定義 業界団体が作成] - [[日本経済新聞]] 2021年2月16日︵2021年3月2日閲覧︶</ref>。}}の一つである。
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サントリーウイスキーの定番銘柄として、「'''シロ'''」などの愛称を持ち、[[1929年]]に発売された「国産ウイスキー第1号」として、その名を知られている。[[ |
サントリーウイスキーの定番銘柄として、「'''シロ'''」などの愛称を持ち、[[1929年]](昭和4年)に発売された「国産ウイスキー第1号」として、その名を知られている。[[2024年]]([[令和]]6年)に発売開始から'''95周年'''を迎えた。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 前史 === |
=== 前史 === |
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壽屋の創業者、[[鳥井信治郎]]は[[1907年]]([[明治 |
壽屋の創業者、[[鳥井信治郎]]は[[1907年]]([[明治]]40年)に「[[赤玉スイートワイン|赤玉ポートワイン]]」を発売し、同社の土台を築き上げると、さらに事業の拡大を狙い、海外から入手した模造アルコールを葡萄酒用の樽に入れて、長い期間を置いて寝かせると、熟成したウイスキー<ref group="注釈">詳しくは[[トリスウイスキー]]の項目を参照。</ref>になることを知った鳥井は、新たな事業の立ち上げとしてウイスキーを選ぶと共に、当時は未踏の国産ウイスキー製造に乗り出すことになった。 |
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[[スコットランド]]で本場の[[スコッチウイスキー]]の製造を学んだ[[竹鶴政孝]]を招聘し、[[1924年]]([[大正]]13年)よりウイスキーの製造を開始する。当時まだ規模の小さな洋酒メーカーに過ぎなかった壽屋は、社外から多数の出資者より投資を受けていたこともあり、出資者に対して、製造から販売まで時間がかかることを説明してはいたが、まだ原酒の熟成度合いや、ブレンド等、市場のニーズを十分把握できていなかった中で、資本投下ばかりが続き、出資者から収益が出ないことに批判が上がったこともあり、[[1929年]]([[昭和]]4年)に国産ウイスキー第1号となる製品を「'''[[サントリー白札]]'''」と名付けて出荷、販売される。 |
[[スコットランド]]で本場の[[スコッチウイスキー]]の製造を学んだ︵後の[[ニッカウヰスキー]]の創業者で知られる︶[[竹鶴政孝]]を招聘し、[[1924年]]︵[[大正]]13年︶よりウイスキーの製造を開始する。当時まだ規模の小さな洋酒メーカーに過ぎなかった壽屋は、社外から多数の出資者より投資を受けていたこともあり、出資者に対して、製造から販売まで時間がかかることを説明してはいたが、まだ原酒の熟成度合いや、ブレンド等、市場のニーズを十分把握できていなかった中で、資本投下ばかりが続き、出資者から収益が出ないことに批判が上がったこともあり、[[1929年]]︵[[昭和]]4年︶に国産ウイスキー第1号となる製品を﹁'''[[サントリー白札]]'''﹂と名付けて出荷、販売される。
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鳥井が高額を払って招き入れた[[コピーライター|アドライター]]、[[片岡敏郎]]の手による「醒めよ人! すでに舶来盲信の時代は去れり 酔わずや人 我に國産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」とのコピーが書かれた広告が全国紙に掲載されるなど、その宣伝展開ぶりが評判を呼ぶなどした。 |
鳥井が高額を払って招き入れた[[コピーライター|アドライター]]、[[片岡敏郎]]の手による「醒めよ人! すでに舶来盲信の時代は去れり 酔わずや人 我に國産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!」とのコピーが書かれた広告が全国紙に掲載されるなど、その宣伝展開ぶりが評判を呼ぶなどした。 |
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満を持して発売された白札だったが、市場からの反応は「[[泥炭|ピート]]臭が強く、飲みにくい」といった不評が多数を占め、壽屋へは白札の返品が相次いだ。国産ウイスキー第1号は見る影もなく、失敗に終わることになった。鳥井と竹鶴はこの失敗にもめげずに、この1年後の[[1930年]](昭和5年)に、ブレンドを変えた廉価版ウイスキーとして「'''[[サントリー赤札]]'''」( |
満を持して発売された白札だったが、市場からの反応は「[[泥炭|ピート]]臭が強く、飲みにくい」といった不評が多数を占め、壽屋へは白札の返品が相次いだ。国産ウイスキー第1号は見る影もなく、失敗に終わることになった。鳥井と竹鶴はこの失敗にもめげずに、この1年後の[[1930年]](昭和5年)に、ブレンドを変えた廉価版ウイスキーとして「'''[[サントリー赤札]]'''」(後の[[サントリーレッド]])を発売するも、これも空振りに終わり、赤札は製造中止となった。 |
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=== 試行錯誤を重ねて === |
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=== 戦後を経て === |
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これと共に、かねてから発売されていた白札も、山崎蒸溜所の原酒が熟成されてきたことで改良が進み、発売当初のピート臭の強過ぎた味から、甘味を感じさせないシャープでキリッとした味を基本としている。[[1962年]](昭和37年)に[[佐治敬三]]が壽屋の2代目社長に就任し、サントリーに社名変更が成された2年後「サントリーホワイト」へと商品名が変わり、時代が移り変わってゆく中にあっても、「角瓶」や「[[サントリーオールド|オールド]]」と同じく現在に至るまでサントリーの定番製品として存続し続けている。 |
これと共に、かねてから発売されていた白札も、山崎蒸溜所の原酒が熟成されてきたことで改良が進み、発売当初のピート臭の強過ぎた味から、甘味を感じさせないシャープでキリッとした味を基本としている。[[1962年]](昭和37年)に[[佐治敬三]]が壽屋の2代目社長に就任し、サントリーに社名変更が成された2年後「サントリーホワイト」へと商品名が変わり、時代が移り変わってゆく中にあっても、「角瓶」や「[[サントリーオールド|オールド]]」、果ては「[[トリスウイスキー|トリス]]」と同じく現在に至るまでサントリーの定番製品として存続し続けている。 |
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== ラインアップ |
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;現行品 |
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*サントリウイスキーホワイト |
*サントリウイスキーホワイト |
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* ボトルは現在に至るまで640mlの茶色瓶で発売され続けているが、[[1980年代]]に一時「ホワイトエクストラ」で販売されていた際は、当時のサントリーウイスキーの「向獅子マーク」を擁したモダンなラベルで発売されていたことがある。また瓶も茶色瓶ではなく、緑色の瓶で発売されていた。[[1989年]]([[平成]]元年)4月の酒税法改正(ウイスキー級別廃止)に伴い発売された新ホワイトはグリーンボトル720mlであった。 |
* ボトルは現在に至るまで640mlの茶色瓶で発売され続けているが、[[1980年代]]に一時「ホワイトエクストラ」で販売されていた際は、当時のサントリーウイスキーの「向獅子マーク」を擁したモダンなラベルで発売されていたことがある。また瓶も茶色瓶ではなく、緑色の瓶で発売されていた。[[1989年]]([[平成]]元年)4月の酒税法改正(ウイスキー級別廃止)に伴い発売された新ホワイトはグリーンボトル720mlであった。 |
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* 現在に至るまでアルコール分は40%と変わらないが、[[2000年]](平成12年)にクリアボトルにモダンラベルのパッケージで発売された「サントリーウイスキーホワイト スーパークリーン」のみ、アルコール分が37%で販売されていた<ref>この商品が発売された2000年当時、競合メーカーの[[ニッカウヰスキー]]から発売された既存の「[[ブラックニッカ|ブラックニッカ クリアブレンド]]」([[2011年]]8月より「ブラックニッカ クリア」に改称)を意識した商品コンセプトとなっていたが、その後「ホワイト・スーパークリーン」は[[2002年]]に同社から同じアルコール分が37%の「[[トリスウイスキー|トリス〈ブラック〉]]」が発売されると存在意義を失い、[[2005年]]頃に販売終了となった。</ref>。 |
* 現在に至るまでアルコール分は40%と変わらないが、[[2000年]]︵平成12年︶にクリアボトルにモダンラベルのパッケージで発売された﹁サントリーウイスキーホワイト スーパークリーン﹂のみ、アルコール分が37%で販売されていた<ref group="注釈">この商品が発売された2000年当時、競合メーカーの[[ニッカウヰスキー]]から発売された既存の﹁[[ブラックニッカ|ブラックニッカ クリアブレンド]]﹂︵[[2011年]]︿平成23年﹀8月より﹁ブラックニッカ クリア﹂に改称︶を意識した商品コンセプトとなっていたが、その後﹁ホワイト・スーパークリーン﹂は[[2002年]]︵平成14年︶に同社から同じアルコール分が37%の﹁[[トリスウイスキー|トリス︿ブラック﹀]]﹂︵後の﹁[[トリスウイスキー|トリス︿クラシック﹀]]﹂︶が発売されると存在意義を失い、[[2005年]]︵平成17年︶頃に販売終了となった。</ref>。
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* [[1970年代]]に[[サミー・デイヴィスJr.]]が出演し、スキャットを歌いながら、最後に﹁ウ~ン、サントリー!﹂とつぶやくCMなどが放映されていたことで知られる。1979年 |
* [[1970年代]]に[[サミー・デイヴィスJr.]]が出演し、スキャットを歌いながら、最後に﹁ウ~ン、サントリー!﹂とつぶやくCMなどが放映されていたことで知られる。[[1979年]]︵昭和54年︶9月、[[日野皓正]]が自作曲﹁シティ・コネクション﹂と共に起用された<ref>{{Cite book |和書 |author=日野皓正|authorlink=日野皓正 |year=1985 |title=ニューヨークエクスプレス |chapter=コマーシャル |page=74 |publisher=[[講談社]] |location= |isbn= |quote= }}</ref>。これらのCMを発端として、[[1980年代]]に放映されたCMには[[ロン・カーター]]の﹁ダブル・ベース﹂﹁36414﹂<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2003-11-06 |url=https://www.cdjournal.com/main/research/-/1034 |title=ベスト・オブ・サントリー・ウイスキー・CM、発売!|website=CD Journal |accessdate=2018-12-29}}</ref>や[[ハービー・ハンコック]]、エルス・マルサリスと[[ブランフォード・マルサリス]]親子の﹁スティープス・イーク﹂<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2012 |url=https://www.alsoj.net/sax/magazine/view/92/158.html |title=様々な音楽と接点を持つブランフォード・マルサリス |website=ALSOJ NET |accessdate=2018-12-31}}</ref>、他にも[[クラーク・テリー]]と[[ジョン・ファディス]]、また[[スティーヴ・ガッド]]、[[リチャード・ティー]]、[[コーネル・デュプリー]]、[[エディ・ゴメス]]らによって組まれた[[ザ・ガッド・ギャング]]が出演していたCMに加え、[[山下達郎]]がCM用に書いた﹁THE GIRL IN WHITE﹂を[[ニューヨーク]]を本拠に活動する[[ア・カペラ|アカペラ]]グループ、14カラットソウルがコーラスするCMや、日本のジャズプレイヤーでもや[[伊東たけし]]などのアーティストが出演するなど、一流[[ジャズ]]ミュージシャンによるセッションならびに、[[ブラック・コンテンポラリー]]系アーティストが多数出演したCMが放映されていた。この他にも、[[レイ・チャールズ]]が出演して﹁[[いとしのエリー]]﹂をカヴァーし、ナレーションに原曲を歌う[[サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]を起用したCMも知られており、現在でもジャズ<ref group="注釈">この他[[1998年]]︵平成10年︶の[[酒税法]]改正に伴う新価格による販売告知のCMでは、サックスを吹く[[マイルス・デイビス]]、[[ナット・キング・コール]]が歌う﹁L-O-V-E﹂などがフィーチュアリングされた[[クレイアニメ]]によるCMが放映されていた。</ref>ならびにジャズ・ミュージシャンとのイメージが深いウイスキーとして知られる。
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* ﹁イメージが崩れる﹂と長くCM出演を拒否していた[[菅原文太]]が1982年に[[ギャラ]]1億円で<ref>[[日刊スポーツ]]、2014年12月2日</ref>サントリーホワイトのCMに出演した<ref>{{Cite web|publisher=[[日刊スポーツ]]|url= |
* ﹁イメージが崩れる﹂と長くCM出演を拒否していた[[菅原文太]]が[[1982年]]︵昭和57年︶に[[ギャラ]]1億円で<ref>[[日刊スポーツ]]、2014年12月2日</ref>サントリーホワイトのCMに出演した<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[日刊スポーツ]]|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20141202-1403598.html |date=2014-12-02|title=CMは広島弁﹁朝日ソーラーじゃけん﹂ - 芸能ニュース : nikkansports.com|accessdate=2014-12-03}}、[https://www.excite.co.jp/news/article/00091151522360/ 夢か現か、日曜早朝、シブすぎる菅原文太の世界 - Excite Bit ]</ref>。﹁あんたも発展途上人﹂などのコピーで、数シリーズ流されたが、中でも菅原の当たり役である﹃[[仁義なき戦い]]﹄の広能昌三イメージで[[広島弁]]を喋る﹁社長さんも..大臣も..飲むときは、タダの人じゃけえ....のう!﹂などは強い印象を残した。
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* [[1995年]](平成7年)にはアルコール分を[[焼酎|焼酎甲類]]と同等の25%におさえ、税制上[[リキュール]]扱いとなる「サントリーホワイト25」が発売された。当時放映されたCMには[[小林旭]]が出演していた。 |
* [[1995年]](平成7年)にはアルコール分を[[焼酎|焼酎甲類]]と同等の25%におさえ、税制上[[リキュール]]扱いとなる「サントリーホワイト25」が発売された。当時放映されたCMには[[小林旭]]が出演していた。 |
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* [[2014年]]後期の[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[マッサン]]』では、サントリー白札のモデルとなる「鴨居ウイスキー」が劇中で登場した。鳥井信治郎がモデルである「鴨居欣次郎」(演:[[堤真一]])が開発した国産初のウイスキーという設定で、広告のキャッチコピーも「目醒めよ日本人、舶来品の時代は去りぬ! メイドインジャパンここに極まれり!」と本家を彷彿させる物となっていた。 |
* [[2014年]](平成26年)後期の[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[マッサン]]』では、サントリー白札のモデルとなる「鴨居ウイスキー」が劇中で登場した。鳥井信治郎がモデルである「鴨居欣次郎」(演:[[堤真一]])が開発した国産初のウイスキーという設定で、広告のキャッチコピーも「目醒めよ日本人、舶来品の時代は去りぬ! メイドインジャパンここに極まれり!」と本家を彷彿させる物となっていた。 |
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* [[イアン・フレミング]]の小説[[ジェームズ・ボンド]]シリーズ『[[007は二度死ぬ#出版|007号は二度死ぬ]]』(1964年)第5章で、ボンドの協力者ディック・ヘンダーソンが「白ラベルは1本15[[シリング#イギリス|シリング]]ぐらいで他の二種類より安いが一番うまい」と言っている。 |
* [[イアン・フレミング]]の小説[[ジェームズ・ボンド]]シリーズ『[[007は二度死ぬ#出版|007号は二度死ぬ]]』(1964年)第5章で、ボンドの協力者ディック・ヘンダーソンが「白ラベルは1本15[[シリング#イギリス|シリング]]ぐらいで他の二種類より安いが一番うまい」と言っている。 |
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2024年5月9日 (木) 03:29時点における最新版
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サントリーホワイト | |
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![]() サントリーホワイト | |
基本情報 | |
種類 |
ウイスキー (ブレンデッドウイスキー) |
度数 | 40% |
主原料 |
モルト、グレーン[注釈 1] ※グレーンウイスキーのみ国産品を使用 |
原産国 |
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製造元 | サントリー(二代目) |
販売元 | サントリー(二代目) |
詳細情報 |
歴史[編集]
前史[編集]
壽屋の創業者、鳥井信治郎は1907年︵明治40年︶に﹁赤玉ポートワイン﹂を発売し、同社の土台を築き上げると、さらに事業の拡大を狙い、海外から入手した模造アルコールを葡萄酒用の樽に入れて、長い期間を置いて寝かせると、熟成したウイスキー[注釈 3]になることを知った鳥井は、新たな事業の立ち上げとしてウイスキーを選ぶと共に、当時は未踏の国産ウイスキー製造に乗り出すことになった。 スコットランドで本場のスコッチウイスキーの製造を学んだ︵後のニッカウヰスキーの創業者で知られる︶竹鶴政孝を招聘し、1924年︵大正13年︶よりウイスキーの製造を開始する。当時まだ規模の小さな洋酒メーカーに過ぎなかった壽屋は、社外から多数の出資者より投資を受けていたこともあり、出資者に対して、製造から販売まで時間がかかることを説明してはいたが、まだ原酒の熟成度合いや、ブレンド等、市場のニーズを十分把握できていなかった中で、資本投下ばかりが続き、出資者から収益が出ないことに批判が上がったこともあり、1929年︵昭和4年︶に国産ウイスキー第1号となる製品を﹁サントリー白札﹂と名付けて出荷、販売される。 鳥井が高額を払って招き入れたアドライター、片岡敏郎の手による﹁醒めよ人!すでに舶来盲信の時代は去れり 酔わずや人 我に國産至高の美酒 サントリーウヰスキーはあり!﹂とのコピーが書かれた広告が全国紙に掲載されるなど、その宣伝展開ぶりが評判を呼ぶなどした。 満を持して発売された白札だったが、市場からの反応は﹁ピート臭が強く、飲みにくい﹂といった不評が多数を占め、壽屋へは白札の返品が相次いだ。国産ウイスキー第1号は見る影もなく、失敗に終わることになった。鳥井と竹鶴はこの失敗にもめげずに、この1年後の1930年︵昭和5年︶に、ブレンドを変えた廉価版ウイスキーとして﹁サントリー赤札﹂︵後のサントリーレッド︶を発売するも、これも空振りに終わり、赤札は製造中止となった。試行錯誤を重ねて[編集]
こうした失敗に怖気づくこともなく、その失敗で得た経験を踏まえながら、鳥井は竹鶴に長男・鳥井吉太郎をウイスキー製造の責任者として、教育を任せる[注釈 4]と共に、休むことなく原酒の仕込みを続けてゆく。ピートの焚き方、蒸溜の仕方など試行錯誤を繰り返しながら、1932年︵昭和7年︶には﹁サントリー十年ウヰスキー 角瓶﹂、1935年︵昭和10年︶には﹁サントリー特角﹂などのウイスキーを発売し、徐々に手応えをつかんでゆく。そして1937年︵昭和12年︶10月8日に、満を持して発売された﹁サントリーウイスキー12年﹂︵現・サントリー角瓶︶で遂に成功を手にすると共に、誰もが無理だと信じていた国産ウイスキー事業を成し遂げることになる。戦後を経て[編集]
これと共に、かねてから発売されていた白札も、山崎蒸溜所の原酒が熟成されてきたことで改良が進み、発売当初のピート臭の強過ぎた味から、甘味を感じさせないシャープでキリッとした味を基本としている。1962年︵昭和37年︶に佐治敬三が壽屋の2代目社長に就任し、サントリーに社名変更が成された2年後﹁サントリーホワイト﹂へと商品名が変わり、時代が移り変わってゆく中にあっても、﹁角瓶﹂や﹁オールド﹂、果ては﹁トリス﹂と同じく現在に至るまでサントリーの定番製品として存続し続けている。ラインアップ︵2024年(令和6年)現在︶[編集]
現行品 ●サントリウイスキーホワイト ●640ml瓶 ●1,920mlペットボトル ●2,700mlペットボトル ●4,000mlペットボトル 過去に存在していた製品 ●サントリーウイスキーホワイト エクストラ ●640ml瓶 ●サントリーウイスキー新ホワイト ●720ml瓶 ●サントリーホワイト25︵リキュール︶ ●640ml瓶 ●サントリーウイスキーホワイト スーパークリーン ●640mlその他[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/Suntory_Whisky_Shirofuda_revival_version_2014.jpg/250px-Suntory_Whisky_Shirofuda_revival_version_2014.jpg)