「琴恵光充憲」の版間の差分
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祖父は元十両の[[松恵山邦治|松惠山]]である<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2014年9月号(秋場所展望号) 77頁</ref>。現役時代は立浪部屋に所属し、引退後は宮崎県でちゃんこ料理店を営んでいた。父親は祖父亡き後に店を継いでいる。小学生時代は地元の松恵山相撲道場<ref>祖父の名前を冠してはいるが、祖父の教え子が興した相撲道場であり、祖父の指導を直接受けたわけではない</ref>で相撲経験を積み、6年次には[[わんぱく相撲全国大会]]でベスト8の成績を残している。[[延岡市立岡富中学校]]時代は柔道部に所属し、団体戦メンバーとして宮崎県中学校柔道大会での団体優勝に貢献した。 |
祖父は元十両の[[松恵山邦治|松惠山]]である<ref>[[ベースボール・マガジン社]]刊 『[[相撲 (雑誌)|相撲]]』 2014年9月号(秋場所展望号) 77頁</ref>。現役時代は立浪部屋に所属し、引退後は宮崎県でちゃんこ料理店を営んでいた。父親は祖父亡き後に店を継いでいる。小学生時代は地元の松恵山相撲道場<ref>祖父の名前を冠してはいるが、祖父の教え子が興した相撲道場であり、祖父の指導を直接受けたわけではない</ref>で相撲経験を積み、6年次には[[わんぱく相撲全国大会]]でベスト8の成績を残している。[[延岡市立岡富中学校]]時代は柔道部に所属し、団体戦メンバーとして宮崎県中学校柔道大会での団体優勝に貢献した。 |
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[[2007年]]3月場所で[[佐渡ヶ嶽部屋]]から初土俵。当時の四股名は琴柏谷で、同期生には[[土佐豊祐哉|土佐豊]]、[[徳真鵬元久|德真鵬]]、[[丹蔵隆浩|丹蔵]]、[[大翔湖友樹|大翔湖]]、[[千代嵐慶喜|千代嵐]]らがいる。この場所は2連勝で一番出世した。[[2008年]]7月場所で三段目に昇進して、その場所は負け越して序二段に陥落したが、1場所で三段目に復帰すると今度は定着。[[2011年]]5月技量審査場所で、祖父の四股名から一字取った琴恵光に改名すると、2場所連続勝ち越しで幕下に昇進した。[[2013年]]以降は幕下でも安定した成績を残せるようになり、同年中は幕下中位へ、[[2014年]]に入ってからは勝ち越しを続けて |
[[2007年]]3月場所で[[佐渡ヶ嶽部屋]]から初土俵。当時の四股名は琴柏谷で、同期生には[[土佐豊祐哉|土佐豊]]、[[徳真鵬元久|德真鵬]]、[[丹蔵隆浩|丹蔵]]、[[大翔湖友樹|大翔湖]]、[[千代嵐慶喜|千代嵐]]らがいる。この場所は2連勝で一番出世した。[[2008年]]7月場所で三段目に昇進して、その場所は負け越して序二段に陥落したが、1場所で三段目に復帰すると今度は定着。[[2011年]]5月技量審査場所で、祖父の四股名から一字取った琴恵光に改名すると、2場所連続勝ち越しで幕下に昇進した。[[2013年]]以降は幕下でも安定した成績を残せるようになり、同年中は幕下中位へ昇進。しかし地元九州で行われた同年11月場所で負け越してしまい、次に九州へ帰るまでには十両に昇進することを決意。これがきっかけとなり[[2014年]]に入ってからは勝ち越しを続けて幕下上位へ進出。東幕下3枚目だった9月場所で5勝2敗の成績を挙げると、場所後の番付編成会議で11月場所での新十両昇進が決定した。宮崎県出身の関取誕生は[[草竹幸一|草竹]]以来32年ぶりとなった。<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20141001-1375729.html </ref>
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== 主な成績 == |
== 主な成績 == |
2014年10月1日 (水) 07:53時点における版
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基礎情報 | ||||
四股名 | 琴柏谷 → 琴恵光 | |||
本名 | 柏谷 充隆 | |||
生年月日 | 1991年11月20日(32歳) | |||
出身 | 宮崎県延岡市 | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 119kg | |||
BMI | 38.42 | |||
所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東幕下3枚目 | |||
最高位 | 東幕下3枚目 | |||
生涯戦歴 | 172勝136敗(45場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 2007年3月場所 | |||
備考 | ||||
2014年9月28日現在 |
琴恵光 充憲︵ことえこう みつのり、1991年11月20日 - ︶は、宮崎県延岡市出身で。佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は柏谷 充隆︵かしわだに みつたか︶。身長176cm、体重119kg、血液型はO型[1]。自己最高位は東幕下3枚目︵2014年9月場所︶。
来歴
祖父は元十両の松惠山である[2]。現役時代は立浪部屋に所属し、引退後は宮崎県でちゃんこ料理店を営んでいた。父親は祖父亡き後に店を継いでいる。小学生時代は地元の松恵山相撲道場[3]で相撲経験を積み、6年次にはわんぱく相撲全国大会でベスト8の成績を残している。延岡市立岡富中学校時代は柔道部に所属し、団体戦メンバーとして宮崎県中学校柔道大会での団体優勝に貢献した。 2007年3月場所で佐渡ヶ嶽部屋から初土俵。当時の四股名は琴柏谷で、同期生には土佐豊、德真鵬、丹蔵、大翔湖、千代嵐らがいる。この場所は2連勝で一番出世した。2008年7月場所で三段目に昇進して、その場所は負け越して序二段に陥落したが、1場所で三段目に復帰すると今度は定着。2011年5月技量審査場所で、祖父の四股名から一字取った琴恵光に改名すると、2場所連続勝ち越しで幕下に昇進した。2013年以降は幕下でも安定した成績を残せるようになり、同年中は幕下中位へ昇進。しかし地元九州で行われた同年11月場所で負け越してしまい、次に九州へ帰るまでには十両に昇進することを決意。これがきっかけとなり2014年に入ってからは勝ち越しを続けて幕下上位へ進出。東幕下3枚目だった9月場所で5勝2敗の成績を挙げると、場所後の番付編成会議で11月場所での新十両昇進が決定した。宮崎県出身の関取誕生は草竹以来32年ぶりとなった。[4]主な成績
2014年9月場所終了現在- 通算成績:172勝136敗(45場所)
- 幕下成績:51勝40敗(13場所)
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2007年 (平成19年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口14枚目 3–4 |
東序ノ口14枚目 5–2 |
西序二段96枚目 5–2 |
東序二段53枚目 4–3 |
2008年 (平成20年) |
西序二段28枚目 4–3 |
西序二段5枚目 3–4 |
東序二段23枚目 5–2 |
西三段目89枚目 3–4 |
西序二段5枚目 5–2 |
西三段目68枚目 4–3 |
2009年 (平成21年) |
西三段目51枚目 3–4 |
東三段目67枚目 3–4 |
東三段目84枚目 5–2 |
東三段目54枚目 5–2 |
東三段目28枚目 2–5 |
東三段目50枚目 4–3 |
2010年 (平成22年) |
東三段目36枚目 4–3 |
東三段目22枚目 3–4 |
西三段目37枚目 3–4 |
東三段目57枚目 5–2 |
東三段目27枚目 3–4 |
西三段目40枚目 3–4 |
2011年 (平成23年) |
東三段目61枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
西三段目45枚目 5–2 |
西三段目5枚目 4–3 |
西幕下54枚目 2–5 |
西三段目19枚目 3–4 |
2012年 (平成24年) |
東三段目35枚目 2–5 |
東三段目64枚目 6–1 |
西三段目9枚目 3–4 |
西三段目25枚目 5–2 |
西幕下60枚目 4–3 |
西幕下52枚目 3–4 |
2013年 (平成25年) |
西三段目2枚目 5–2 |
西幕下40枚目 4–3 |
西幕下31枚目 3–4 |
西幕下42枚目 5–2 |
西幕下26枚目 3–4 |
東幕下33枚目 2–5 |
2014年 (平成26年) |
西幕下46枚目 6–1 |
西幕下19枚目 6–1 |
東幕下8枚目 4–3 |
東幕下5枚目 4–3 |
東幕下3枚目 5–2 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
四股名履歴
- 琴柏谷 充隆(ことかしわだに みつたか)2007年3月場所 - 2011年1月場所
- 琴恵光 充憲(ことえこう みつのり)2011年5月技量審査場所 -
脚注
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年5月号(夏場所展望号)別冊付録 『平成26年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑』 25頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年9月号(秋場所展望号) 77頁
- ^ 祖父の名前を冠してはいるが、祖父の教え子が興した相撲道場であり、祖父の指導を直接受けたわけではない
- ^ [http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20141001-1375729.html