ビルマ暦
歴史[編集]
起源[編集]
ビルマ年代記︵Burmese chronicles︶は、ビルマ暦の起源について、カリ・ユガの時代が始まったとされた、古代インドの紀元前3102年にまで遡って記述している。不完全だったこの暦は、釈迦の母方の祖父であるアンジャナ王︵အဉ္စန、Añjana︶によって、前691年に再調整され、その後は、紀元前544年を起点とする仏滅紀元に改められていると言われている[1]。仏滅起源は、西暦紀元頃までにはピュー族の都市国家で採用されるようになったという。そして、西暦後78年、インドではシャカ紀元︵サカ時代︶と呼ばれる新時代が始まった。2年後には、ピュー族国家のスリ・クセトラ王国︵Sri Ksetra Kingdom︶で新紀元が採用され、その後、他のピュー国にもこの紀元法が広まった[2]。 年代記によると、パガン王朝は初めこそ当時主流だったサカ紀元やピュー族の紀元に従ったものの、西暦640年3月21日に、ポパ・ソウラハン︵Popa Sawrahan︶王[注釈 2]が再度この暦を調整し、新紀元として西暦638年3月22日を開始日とするコーザー・テッカリッ︵ကောဇာ သက္ကရာဇ်、[kɔ́zà θɛʔkəɹɪʔ]︶[3]を創設・採用した[4][5]。仏教時代は宗教的な暦として使用され続けた一方、市民暦としても用いられた。 学問的には、暦の北インドの起源とビルマでのマハーサカラージ時代までの採用時期に関する年代記の叙述を受け入れている。近年の研究では、グプタ朝時代の西暦320年にもピュー族の国で使われていた可能性があるというが、主流の学説では、調整された暦はスリ・クセトラで開始され、その後、新興国だったパガン朝が採用したとされている[6][7]。ただし、1993年に発見されたピュー族の石碑は、ピュー族の国家がグプタ時代も使用していた可能性を示しており、さらなる研究が進められなければならないという[8]。広がり[編集]
1044年、アノーヤターが王として即位する形で国として成立したパガン王朝が11世紀から13世紀にかけて台頭すると、同国の治めた他の地域でもこの暦が採用されるようになった。西はアラカン︵Arakan︶、東は現在のタイ北部やラオスのシャン族諸国家に至るまで、ビルマの新年に関わる民間伝承とともに暦が採用され、その周辺地域や近隣諸国でのビルマ暦の運用が始まった[9]。チエンマイ年代記とチエンセーン年代記によると、チエンマイ、チエンセーンとタイの中・上流︵ランプーンのハリプンチャイ王国、スコータイ朝を除く︶にあったその属国がアノーヤターに服従し、11世紀半ばにクメール王朝の標準暦マハーサカラージ︵Mahāsakaraj︶に代わってこの暦を採用したとされている[10]。しかし、学問的には、現代のタイにおけるビルマ暦使用の証拠は、最古のものでも13世紀半ばのものまでしかないとされている[11]。 その後、ビルマ暦は南はスコータイ朝、東はラオスの国々にまで広まったようである[10]。しかし一方で、さらに南のアユタヤ朝と東のラーンサーン王国が公式に採用したのは、16世紀にタウングー朝のバインナウン王がこれらの王国を征服してからのことである。その後のアユタヤでは、1889年までビルマ暦をチュラ・サッカラート︵パーリ語‥Culāsakaraj︶の名で公式暦として保持していた[12][13]。以後、16世紀から19世紀にかけてタイの属国であったカンボジアでも、アユタヤのビルマ暦採用を受けて、同暦を使用することとなった[14]。また、15世紀から17世紀にかけてアラカンのムラークー王国が支配していたベンガル地方のチッタゴンでも暦が普及した[1]。発展・変遷[編集]
ビルマ暦の計算システムは、もともとトゥーリヤ・テイッダンタ︵英‥Thuriya Theiddanta、ビルマ語‥သူရိယသိဒ္ဓန္တ、[t̪ùɹḭja̰ t̪eʲʔdànta̰]︶という概念を基としていた。これは主に古代インドのスーリヤ・スィッダーンタ︵Surya Siddhanta、Ardharatrika学派︶という﹁原型﹂に基づいていると考えられている[15]。インドとの大きな違いは、先述の通りビルマ暦がメトン周期に従っているところである。ヒンドゥー教の場合は、古代インドの天文学者が確かにメトン周期を知っており、概念として東南アジアに伝えたかもしれないながらも、恒星をベースにしたヒンドゥー暦とは相容れないために採用されなかったし現在も使われていないという[16]。ただメトン周期がいつから、またどこから取り入れられたのかは定かでなく、場所に関しても中国からヨーロッパまで様々な説がある。ヨーロッパ説に関しては1998年に記述したものがある[17]が、2001年にはこれを否定し、﹁東南アジアの天文学にヨーロッパの影響の痕跡は他に見あたるところがない﹂と述べ[16]、むしろ中国がメトン周期の源流であった可能性を示唆する研究がある[18]。 以上のことから、ビルマ暦はヒンドゥー暦の恒星年に基づくシステムと、メトン周期の概念を組み合わせた奇妙な方式をとっており、この方式は閏日や閏月の不定期の挿入を要することとなった[19]。加えて、ビルマ暦に進化したインドの恒星年の計算機構が取り入れられたのは19世紀中頃である。アーウィン︵A.M.B. Irwin︶は、1738年までに暦はオリジナルのスーリヤを適応させたマカランタ・システム︵Makaranta system︶になっていたと指摘する[20]が、イード︵J. C. Eade︶はアーウィンの調査を疑い、少なくともパガン朝時代の碑文までにおいて東南アジア本土に残っているオリジナルの暦体系との相違を見いだせなかったと述べている[21]。ビルマ暦がタイで公式に採用されたのは1564年であり、その後タイの暦はまだスーリヤ・システムを使用しているので、ビルマ暦も16世紀まではスーリヤに従っていたはずである[21]。仮にその後ビルマでマカランタ・システムが使われるようになったとしても、ビルマのものは﹁サウラ派に従うマカランダのよく知られた西暦1478年のインドサンスクリット天文表︵マカランダサラーニ︵Makarandasarani︶とは異なるだろう﹂との見解もある[22]。ただし元あったスリヤ・セイダンタは後のヒンドゥー暦のそれより1年あたり0.56秒遅く、その分より正確である[23]。 ビルマ暦の変更の試みに関わる、記録上残る最初期の記録は表面的なものであった。ビルマ暦が︵コーザー・テッカリッの起算日から︶丁度800年となった1438年3月29日に、モーフニン・タドー︵Mohnyin Thado︶王は暦を同年がビルマ暦2年︵1436年3月18日よりビルマ暦0年とする︶となるようにに再調整した[24]。しかし、この方策を打ち出してから1年余りでサドは亡くなり、この新紀元は数年後に消滅した。その次の変更案は、1638年3月にアユタヤ王朝のプラーサートトーン王︵在位‥1629年 - 1656年8月7日︶から出されたもので、来る千年祭︵1638年4月10日︶に備えて、各月の動物に変更を加えたいと考えていた[25]。ビルマではこの慣習が浸透していなかったため、この提案はタールン︵Thalun、在位‥1629年 - 1648年︶というタウングー王朝の王によって却下された。 一方、太陽暦と太陰太陽暦のズレが積み重なり大きくなりつつあったことに注目が向けられるようになった。ビルマ暦1100年祭︵1738年︶には、元あった計算体系の誤りを修正することを目的とした新しい計算体系が提案されたが、タウングー朝は何ら措置も講じなかった。1786年にコンバウン朝にて導入された現在のスーリヤ・スィッダーンタ︵Surya Siddhanta、﹁サウラ学派﹂の意味︶は、約50年後にビルマ語に翻訳されることとなった[15][26]。そしてついに、ビルマ暦1200年︵西暦1838年︶に仏教僧ニャウンガン・サヤードー︵Nyaunggan Sayadaw︶によってタンデイッタ︵Thandeikta︶という新しい体系が提唱された[27]。 新体系は、元のスーリヤ派と新スーリヤ派の混成であった。新スーリヤ派と異なり、タンデイッタは推測を採用せず、平均太陽年の概念を引き続き用いる。また、閏月をワーソー[注釈 3]の次に、閏日︵イェッ=ルン︵ရက်လွန်︶もしくはイェッ=ンギン︵ရက်ငင်︶︶をナヨン[注釈 4]の最後に置き、閏月のある年にのみ閏月を置くという慣習も残っている。しかし、タンデイッタは新スーリヤ派に従って、年と月の長さに少し変更を加えている。主流だったメトン周期に基づくが変更され、太陽年と太陰太陽暦の年の間にこれ以上ズレが生じないように、閏月のシステムが修正されたのである。タンデイッタは、後にミンドン王︵Mindon Min︶の王妃となるセッキャ・デウィ︵Sekkya Dewi︶王女の支持を得て、1853年に全面採用された。当時存在したメトン周期の最初となる調整として、ビルマ暦1201年、つまり西暦1839年に閏月が置かれた[26]。 タンデイッタは、一見、この暦の採用する太陽年と太陰年の差を縮めたように見えるが、実際の太陽年と比較してみると、暦の精度が上がったわけではなく、むしろ元の制度より僅かではあるが悪くなっており、太陽年の長さはマカランタでは約23分50秒8704秒進んでいるが、タンデイッタでは約23分51秒4304秒進んでいる[28]。その結果、暦は実際の太陽年からどんどん離れていってしまった。その結果、暦は実際の太陽年からどんどんずれていってしまった。遅れを取り戻すために、見かけ上の計算に基づく閏日・閏月挿入の予定を定期的に変更することにしたが、その犠牲として、数年以上先の暦を発表することはほとんど不可能になった。 纏めると、ビルマ暦は様々な時代に、閏日・閏月の挿入時期の設定方法を異にした、少なくとも3つの似通った計算方法を用いてきた。時代 | 意味 | 説明 |
---|---|---|
スリャ・スィッダンタ | ビルマ暦1215年(西暦1853年)まで | メトン周期により閏日と閏月の挿入時期が決まる。 |
タンデイッタ | ビルマ暦1215年 - 1311年(西暦1853年 - 1950年) | 修正メトン周期の採用。4月までのズレに応じて閏日と閏月を挿入するか否かを定める。 |
現行のビルマ暦 | ビルマ暦1312年1月より施行 | ミャンマー暦諮問委員会(Myanmar Calendar Advisory Board)が使用している現在のシステム。さらに修正されたメトン周期を使用。8月までのズレに応じて閏日と閏月を挿入するか否かを定める。 |
現在における重要性[編集]
暦法[編集]
日と日界[編集]
ビルマ暦には天文日︵astronomical day︶と市民日︵civil day︶の2種類の日がある。天文日は正午を日界とし[注釈 7]、朔望月の30分の1、つまり23時間37分28秒08に相当する。市民日は2つの部分から成り、前半は日の出から、後半は日の入りから始まる。実用上は、この2種類の日の端点となる4点︵日の出、正午、日没、正子︶が基準点として使われた。市民日はめいめいが3時間にあたる8つのバホー︵ဗဟို[注釈 8]、[bəhò]︶または24分にあたる60ナーイー︵နာရီ、[nàjì]︶に分けられ、1バホは7.5ナイに相当する[注釈 9]。かつては、ナーイごとにマウン︵မာင်း、[máʊɰ̃]︶というどらのような打楽器を打ち、バホーごとにスィー︵စည်、[sì]︶という太鼓とカウン・ラウン︵ခေါင်းလောင်း、[kʰáʊn láʊɰ̃]︶という鐘を打ったという[30]。まとめると以下の通り。タイプ | 時間 | ビルマ名 | 説明 |
---|---|---|---|
日 | 1時 | နံနက် တစ်ချက်တီး | 日の出と正午の中間 |
2時 | နေ့ နှစ်ချက်တီး | 正午 | |
3時 | နေ့ သုံးချက်တီး | 正午と日没の中間 | |
4時 | နေ့ လေးချက်တီး | 日没 | |
夜 | 1時 | ည တစ်ချက်တီး | 日没と正子の中間 |
2時 | ည နှစ်ချက်တီး | 正子 | |
3時 | ည သုံးချက်တီး | 正子と日の出の中間 | |
4時 | နံနက် လေးချက်တီး | 日の出 |
バホーやナーイー以外の単位が広く使われることはなかったが、暦自体はミリ秒単位の時間単位で構成されている。
単位 | 相当する期間 | 時間 | 単位 | 相当する期間 | 時間 |
---|---|---|---|---|---|
イェッ
ရက် |
8バホー | 1日 | ピャン
ပြန် |
10カヤー | 4秒 |
バホー
ဗဟို |
7.5ナーイー | 3時間 | カヤー
ခရာ |
12カナ | 0.4秒 |
ナーイー
နာရီ |
4パッ | 24分 | カナ
ခဏ |
4ラヤ | 0.03333秒
(1/30秒) |
パッ
ပါဒ် |
15ビザナ | 6分 | ラヤ
လယ |
1.25アヌカヤー | 0.00833秒
(1/120秒) |
ビザナー
ဗီဇနာ |
6ピャン | 24秒 | アヌカヤー
အနုခရာ |
基本単位 | 0.00667秒
(1/150秒) |
このうち暦の計算で用いられるものに絞ると一覧は以下の通り。
単位 | サブユニット | おおよその等価時間 |
---|---|---|
イェ | 60ナーイー | 1日 |
ナーイー | 60ビザナー | 24分 |
ビザナー | 60カヤー | 24秒 |
カーヤ | 60アヌカヤー | 0.4秒 |
アヌカヤー | <基本単位> | 0.00667秒
(1/150秒) |
西暦の時間、分(minute)、秒(second)に相当するのは以下の通り。
単位 | 同等のビルマ暦における単位 |
---|---|
1時間 | 2.5ナーイー |
1分 | 2.5ビザナー |
1秒 | 2.5カヤー |
週[編集]
数値表記 | 名前 | IPA | 相当する曜日 |
---|---|---|---|
0 | サネー
စနေ |
[sənè] | 土曜日 |
1 | タニンガヌウェ
တနင်္ဂနွေ |
[tənɪ́ɴɡənwè] | 日曜日 |
2 | タニンラー
တနင်္လာ |
[tənɪ́ɴlà] | 月曜日 |
3 | インガー
အင်္ဂါ |
[ʔɪ̀ŋɡà] | 火曜日 |
4 | ボウッダフー
ဗုဒ္ဓဟူး |
[boʊʔdəhú] | 水曜日 |
5 | チャーダバデー
ကြာသပတေး |
[tɕàðəbədé] | 木曜日 |
6 | タウッチャー
သောကြာ |
[t̪aʊʔtɕà] | 金曜日 |
月[編集]
名称 | スリャ・スィッダンタでの平均日数 | タンデイッタでの平均日数 |
---|---|---|
朔望月စန္ဒရမာသ လ | 29.530583 | 29.530587946 |
恒星年နက္ခတ္တမာသ လ | 27.3216574 |
ビルマ語名称 | モン語名称 | 日数
(閏日除く) |
---|---|---|
タグー(Tagu)
တန်ခူး |
セ(Ce)
စဲ/coa/ |
29 |
カソン(Kason)
ကဆုန် |
パス(Pas)
ပသာ်/pəsaik/ |
30 |
ナヨン(Nayon)
နယုန် |
ヘ(Hje)
ဇှ်ေ/cèh/ |
29 |
ワーソー(Waso)
ဝါဆို |
ダギン(Daguin)
ဓဂိုန်/həkɜ̀n/ |
30 |
ワーガウン(Wagaung)
ဝါခေါင် |
スレスィ(Sresi)
သ္ဍဲသဳ/hədoasɔe/ |
29 |
トーダリン(Tawthalin)
တော်သလင်း |
バト(Bhat)
ဘတ်/phòt/ |
30 |
タディンギュッ(Thadingyut)
သီတင်းကျွတ် |
ヴァ(Hva)
</br> ဝှ် 、/wòh/ |
29 |
タザウンモン(Tazaungmon)
တန်ဆောင်မုန်း |
ガートゥイン
ဂထိုန်/kəthɒn/ |
30 |
ナドー(Nadaw)
နတ်တော် |
ムレッガウティ(Mreggatui)
မြေဂ္ဂသဵု/pəròikkəsɒ/ |
29 |
ピャードー(Pyatho)
ပြာသို |
プー(Puh)
ပုဟ်/paoh/ |
30 |
タボドゥエ(Tabodwe)
တပို့တွဲ |
マ(Ma)
မာ်/màik/ |
29 |
タバウン(Tabaung)
တပေါင်း |
ファウラグイン(Phawraguin)
ဖဝ်ရဂိုန်/phɔrəkɜ̀n / |
30 |
年[編集]
天文年の種類[編集]
ビルマ暦には、太陽年、恒星年、近点年の3種類の天文年がある[30]。年名 | 説明 | 元のスーリヤによる平均太陽日数 | タンデイッタによる平均太陽日数 |
---|---|---|---|
ターワナマータ・フニッ
သာဝနမာသနှစ် |
太陽年 | 365.25875 | 365.2587564814 |
ネッカッタマータ・フニッ
နက္ခတ္တမာသနှစ် |
恒星年 | 365.2729132 | |
トゥーリヤマータ・フニッ
သူရိယမာသနှစ် |
近点年 | 365.2770951 |
閏年[編集]
月名 | 平年 | ワネダ・ニ | ワージーダッ・フニッ |
---|---|---|---|
タグー | 29 | 29 | 29 |
カソン | 30 | 30 | 30 |
ナヨン | 29 | 29 | 30 |
ワーソー | 30 | 30 | 30 |
ワ・ダ(閏ワーソー) | (挿入なし) | 30 | 30 |
ワーガウン | 29 | 29 | 29 |
トーダリン | 30 | 30 | 30 |
タディンギュッ | 29 | 29 | 29 |
タザウンモン | 30 | 30 | 30 |
ナドー | 29 | 29 | 29 |
ピャードー | 30 | 30 | 30 |
タボドゥエー | 29 | 29 | 29 |
タバウン | 30 | 30 | 30 |
合計 | 354 | 384 | 385 |
システム | 19年周期の閏年となる余り年数 |
---|---|
1740年以前 | 2、5、8、10、13、16、18 |
1740年 | 2、5、7、10、13、15、18 |
1892年 | 1、4、7、9、12、15、18 |
1990年以降 | 1、4、6、9、12、15、18 |
新年[編集]
年周期[編集]
かつての暦は、太陰月の名称を年号に置き換えた12年周期のジョヴィアン︵Jovian︶式が採用されていた[40]。ビルマ暦における周期は、より馴染みのあるインドの60年を周期とするジョヴィアン周期とは異なり、この慣習はパガン朝時代にはあったが、17世紀には廃れていた[41]。余り(年÷12) | 名前 |
---|---|
0 | プシャ(Hpusha)
ပုဿနှစ် |
1 | マーガ(Magha)
မာခနှစ် |
2 | ファルグニ(Phalguni)
ဖ္လကိုန်နှစ် |
3 | チトラ(Chitra)
စယ်နှစ် |
4 | ヴィサカ(Visakha)
ပိသျက်နှစ် |
5 | ジャイスタ(Jyeshtha)
စိဿနှစ် |
6 | アサダ(Ashadha)
အာသတ်နှစ် |
7 | スラヴァナ(Sravana)
သရဝန်နှစ် |
8 | バドラパハ(Bhadrapaha)
ဘဒ္ဒြသံဝစ္ဆိုရ်နှစ် |
9 | アスヴィニ(Asvini)
အာသိန်နှစ် |
10 | クリチカ(Ktittika)
ကြတိုက်နှစ် |
11 | ムリガスィラス(Mrigasiras)
မြိက္ကသိုဝ်နှစ် |
時代[編集]
ビルマ暦には時代の概念がある。仏教時代とカウザ時代は現在でもなお、ミャンマーで使われている。
ビルマ名 | 説明 | 0年の日付 |
---|---|---|
マハー・テッカリッ(Maha Thekkarit)
မဟာ သက္ကရာဇ် |
アンジャナサカラージ | 西暦前691年3月10日 |
タータナー・テッカリッ(Thathana Thekkarit)
သာသနာ သက္ကရာဇ် |
仏教時代 | 西暦前544年5月13日[注釈 10] |
ピュー時代(サカ時代)
ပျူ သက္ကရာဇ် |
シャーリヴァーハナ時代(タイのマハサカラージ) | 西暦78年3月17日 |
コーザー・テッカリッ
ကောဇာ သက္ကရာဇ် |
現在のビルマ暦
チュラ・サッカラート(タイ) |
638年3月22日[注釈 11] |
モーフニン・テッカリッ(Mohnyin Thekkarit)
မိုးညှင်း သက္ကရာဇ် |
1436年3月18日 |
精度[編集]
再三述べた通り、ビルマ暦は太陰暦を使用しながら、太陽年とペースを合わせんとしている。現在のタンデイッタにおける太陽年は、実際の平均太陽年である365.241289日よりも約23分51.43秒進んでいる。先述の通りこれより古いマカランタの方がわずかに正確で、実際の年より23分50.87秒進んでいた[28]。以下にこの2つの体系におけるズレの詳細を示す。
マカランタ | タンデイッタ | |
---|---|---|
19太陽年(メトン周期) | 6939.91625日 | 6939.9163731466日 |
235朔望月 | 6939.687005日 | 6939.68816731日 |
差異 | 0.229245日 | 0.2282058366日 |
19年間で0.0010391634日(89.78371776秒)、つまり1年で約4.72546秒の差が表れることになる。しかし、タンデイッタは、その後より正確な平均朔望月と、朔望月と比べると比較的不正確な太陽年を再定義することでこの差を生んでいるため、錯覚的なものとなっている。下の表は、2体系の太陽年を実際の平均太陽年と比較したものであり、ここから分かる通りタンデイッタはマカランタより1年当たり0.56秒精度が低い[28]。
マカランタ | タンデイッタ | |
---|---|---|
19太陽年の相当日数 | 6939.91625日 | 6939.9163731466日 |
実際の19太陽年の日数 | 6939.601591日 | |
実際の太陽年とのズレ | 0.314659日 | 0.3147821466日 |
1年あたりのズレ | 23.84784分
(1430.8704秒) |
23.85717322分
(1431.430393秒) |
星座[編集]
季節[編集]
ビルマの星座は、西洋占星術における星座と同様に、12の﹁ヤーディー︵yathi、ရာသီ、[jàðì]︶﹂に分かれている。これらはインド、ひいては西洋の星座から派生したものなので、概念はインドや西洋のものと同一である。各ヤーティーは30度︵インダー、အင်္သာ、[ʔɪ̀nðà]︶に、各度は60分︵レイッター、လိတ္တာ、[leʲʔtà]︶に、各分は60秒︵ウィレイッター、ဝိလိတ္တာ、[wḭleʲʔtà]︶に分かたれる[45]。経度အင်္သာ | ヤーディー
ရာသီ |
梵語名称 | ラテン語名称 | 該当惑星
ရာသီခွင် |
---|---|---|---|---|
0° | メイッター
မိဿ |
Meṣha
मेष |
白羊宮(Aries) | 火星 |
30° | ピェイッター
ပြိဿ |
Vṛiṣabha
वृषभ |
金牛宮(Taurus) | 金星 |
60° | メートン
မေထုန် |
Mithuna
मिथुन |
双児宮(Gemini) | 水星 |
90° | カラカッ
ကရကဋ် |
Karkaṭa
कर्कट |
巨蟹宮(Cancer) | 月 |
120° | テイン
သိဟ် |
Siṃha
सिंह |
獅子宮(Leo) | 太陽 |
150° | カン
ကန် |
Kanyā
कन्या |
処女宮(Virgo) | 水星 |
180° | トゥー
တူ |
Tulā
तुला |
天秤宮(Libra) | 金星 |
210° | ビェイッサー
ဗြိစ္ဆာ |
Vṛścika
वृश्चिक |
天蝎宮(Scorpio) | 火星 |
240° | ダヌ
ဓနု |
Dhanuṣa
धनुष |
人馬宮(Sagittarius) | 木星 |
270° | マカーラ
မကာရ |
Makara
मकर |
磨羯宮(Capricorn) | 土星 |
300° | コン
ကုံ |
Kunbha
कुम्भ |
宝瓶宮(Aquarius) | 土星 |
330° | メイン
မိန် |
Mina
मीन |
双魚宮 | 木星 |
月宿[編集]
日数 | ビルマ暦での名前 | 梵語名称 | 該当する角度の大きさ | 該当経度範囲 |
---|---|---|---|---|
1 | アターワニー
Athawani အဿဝဏီ |
Asvini | 18° | 350°–8° |
2 | バラニー
Barani ဘရဏီ |
Bharani | 10° | 8°–18° |
3 | チャッティカー
Kyattika ကြတ္တိကာ |
Krittika | 16° | 18°–34° |
4 | ヨーハニー
Yawhani ရောဟဏီ |
Rohini | 12° | 34°–46° |
5 | ミガティー
Migathi မိဂသီ |
Mrigasiras | 14° | 46°–60° |
6 | アドゥラ
Adra အဒြ |
Ardra | 5° | 60°–65° |
7 | ポンナプクシュ[訳語疑問点]
Ponnahpukshu ပုဏ္ဏဖုသျှု |
Punarvasu | 27° | 65°–92° |
8 | プシャ
Hpusha ဖုသျှ |
Pushya | 14° | 92°–106° |
9 | アタレイッター
Athaleiktha အသလိဿ |
Aslesha | 12° | 106°–118° |
10 | マーガ
Maga မာဃ |
Magha | 11° | 118°–129° |
11 | ピョッバー・バラゴンニー
Pyobba Baragonni ပြုဗ္ဗာ ဘရဂုဏ္ဏီ |
Purva Phalguni | 16° | 129°–145° |
12 | オッタラー・バラゴンニー
Ottara Baragonni ဥတ္တရာ ဘရဂုဏ္ဏီ |
Uttara Phalguni | 9° | 145°–154° |
13 | ハターダ
Hathadaဟဿဒ |
Hasta | 10° | 154°–164° |
14 | セイットラ
Seiktraစိတြ |
Chitra | 15° | 164°–179° |
15 | トゥワーティ
Thwatiသွာတိ |
Svati | 13° | 179°–192° |
16 | ウィターカー
Withaka ဝိသာခါ |
Visakha | 21° | 192°–213° |
17 | アヌヤーダ
Anuyada အနုရာဓ |
Anuradha | 11° | 213°–224° |
18 | ゼータ
Zehta ဇေဋ္ဌ |
Jyeshtha | 5° | 224°–229° |
19 | ムーラ
Mula မူလ |
Mula | 13° | 229°–242° |
20 | ピョッバー・タン
Pyobba Than ပြုဗ္ဗာသဠ် |
Purva Ashadha | 15° | 242°–257° |
21 | オッタラー・タン
Ottara Than ဥတ္တရာသဠ် |
Uttara Ashadha | 5° | 257°–262° |
22 | タラウン
Tharawun သရဝဏ် |
Sravana | 13° | 262°–275° |
23 | ダナテイッダ
Danatheikda ဓနသိဒ္ဓ |
Dhanishtha | 12° | 275°–287° |
24 | タッタベイッシャ
Thattabeiksha သတ္တဘိသျှ |
Satataraka | 26° | 287°–313° |
25 | ピョッバー・パラバイッ
Pyobba Parabaikပြုဗ္ဗာ ပုရပိုက် |
Purva Bhadrapada | 10° | 313°–323° |
26 | オッタラー・パラバイッ
Ottara Parabaikဥတ္တရာ ပုရပိုက် |
Uttara Bhadrapada | 16° | 323°–339° |
27 | イェーワティー
Yewatiရေဝတီ |
Revati | 11° | 339°–350° |
曜日[編集]
7日からなる週に8つの区分を設けている。
方角 | ビルマ語 | 梵語 | 日本語 | 星 | 象徴 |
---|---|---|---|---|---|
北東 | タニンガヌウェ(Taninganwe)
တနင်္ဂနွေ |
アディティア | 日曜日 | 太陽 | ガルダ ဂဠုန် |
東 | タニンラー(Taninla)
တနင်္လာ |
チャンドラ(Chandra) | 月曜日 | 月 | 虎 ကျား |
南東 | インガー(Inga)
အင်္ဂါ |
アンガラカ | 火曜日 | 火星 | ライオン(Chinthe[注釈 13])
ခြင်္သေ့ |
南 | ボッダフー(Boddahu)
ဗုဒ္ဓဟူး |
ブッダ | 水曜日午前 | 水星 | 牙のある象
ဆင် |
北西 | ラーフ(Rahu)
ရာဟု |
ラーフ | 水曜日午後 | 月の交点 | 牙のない象
ဟိုင်း |
西 | チャータバデー(Kyathabade)
ကြာသပတေး |
ブリハスパティ | 木曜日 | 木星 | 子ကြွက် |
北 | タウッチャー(Thaukkya)
သောကြာ |
シュクラ | 金曜日 | 金星 | モルモット
ပူး |
南西 | サネー(Sanay)
စနေ |
シャニ | 土曜日 | 土星 | ナーガနဂါး |
ミャンマー外の派生暦[編集]
ラカイン暦︵アラカン暦︶[編集]
ラカイン族︵Rakhine people︶の伝統によると、ダニャワディ王朝︵Dhanyawaddy Dynasty︶のトゥリヤ・テータ︵Thuriya Thehta︶という王が制定したとされるものである。ビルマ暦は19世紀半ば以来タンディクタに移行していたが、少なくとも20世紀初頭までマカランタを適用していた。アラカンの暦では、大閏年のタグ月︵Tagu︶に閏日が入る[26]。また、アラカンの伝統によると、元日のみが祝祭日となっている[47]。バングラデシュのマグ族は、マギ=サンという名前で現在でもラカイン暦を使っている[26]。チュラ・サッカラート[編集]
暦法 | 通常(日) | 小閏年(日) | 大閏年(日) |
---|---|---|---|
ビルマ暦 | 354 | 384 | 385 |
チュラサッカラト | 354 | 355 | 384 |
タイ暦[編集]
中国のシーサンパンナのタイ族のタイ暦は、中国の影響を受けている可能性もあるが、主にはビルマ暦に基づいている[15]。現在の利用[編集]
祝日[編集]
ビルマ暦は、ミャンマーの祝日︵Public holidays in Myanmar︶の数を決定するために今でも使用されています。イベント名 | ビルマ暦の日付 | 西暦における日付 |
---|---|---|
タバウンの満月(万仏節) | タバウンの満月 | 3月-4月 |
ティンジャン(新年祭) | 概ねタグ月、稀にカソン月 | 4月13-17日 |
仏陀の日(ウェーサーカ祭) | カソンの満月 | 5月-6月 |
ヴァッサ(Vassa)の始まり | ワーソー月の満月 | 6月-7月 |
ヴァッサの終わり | タディンギュッの満月 | 10月-11月 |
タザウンダイン祭(Tazaungdaing festival) | タザウンモンの満月 | 11月-12月 |
建国記念日(National day of Burma) | タザウンモンの下弦10日 | 11月-12月 |
生年月日[編集]
公文書での取り扱い[編集]
法律、通知、文書など、政府による公式発表のビルマ語版には、ビルマ暦と西暦︵グレゴリオ暦︶の両方の日付がつけられている。ビルマ暦の日付を最初に、それに相当するグレゴリオ暦の日付が括弧内に続き、いずれも年、月、日の順で書かれる。例として、2017年3月29日の日付の表記を下に示す。 ၁၃၇၈ ခုနှစ်၊ တန်ခူးလဆန်း ၂ ရက် (၂၀၁၇ ခုနှစ်၊ မတ်လ ၂၉ ရက်)脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c Irwin 1909: 2
- ^ Htin Aung 1970: 8–9
- ^ Hmannan Vol. 1 2003: 216
- ^ a b Eade 1989: 39
- ^ Hall 1960: 8–10
- ^ Hall 1960: 8
- ^ Aung-Thwin 2005: 35
- ^ Aung-Thwin 2005, p. 334 - 335.
- ^ Htin Aung 1959: 38–39
- ^ a b Oriental 1900: 375–376
- ^ a b Eade 1989: 11
- ^ a b Smith 1966: 11
- ^ Htin Aung 1967: 127
- ^ Eade 1989: 9
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- ^ a b Ohashi 2001, p. 398 - 399.
- ^ Chatterjee 1998, p. 151.
- ^ Ohashi 2001, p. 401 - 403.
- ^ a b Ohashi 2001: 398–399
- ^ Irwin 1909, p. 2 - 3.
- ^ a b Eade 1996, p. 17.
- ^ Ohashi 2007, p. 354 - 355.
- ^ a b Irwin 1909: 7
- ^ Eade 1995: 17
- ^ Rong 1986: 70
- ^ a b c d e f Irwin 1909: 2–3
- ^ Clancy (1906:58)
- ^ a b c Irwin 1909: 26–27
- ^ Simms and Simms, 2001 & 204 - 210.
- ^ a b Clancy 1906: 57
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- ^ a b c Irwin 1909: 8–9
- ^ Irwin 1909: 5
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- ^ Eade 1995: 15
- ^ a b c Eade 1989: 9–10
- ^ Chatterjee 1998: 150–151
- ^ Eade 1989: 135–145, 165–175
- ^ a b Luce Vol. 2 1970: 330
- ^ Eade 1995: 23-24
- ^ Kala Vol. 1, 2006 & 38.
- ^ Luce Vol. 2 & 1970 336.
- ^ Eade, 1989 & 39.
- ^ Irwin 1909: 7–8
- ^ Irwin 1909: 10–11
- ^ Parise 2002: 190
- ^ Eade 1995: 28–29
- ^ Eade, 1995 & 28-29.
- ^ Eade 1995: 22
- ^ Eade 1989: 20
参考文献[編集]
- Aung-Thwin, Michael (2005). The mists of Rāmañña: The Legend that was Lower Burma (illustrated ed.). Honolulu: University of Hawai'i Press. ISBN 9780824828868
- Chatterjee, S.K. (1998). “Traditional Calendar of Myanmar (Burma)”. Indian Journal of History of Science 33 (2): 143–160.
- Clancy, J.C. (January 1906). T. Lewis. ed. “The Burmese Calendar: A Monthly Review of Astronomy”. The Observatory XXIX (366).
- Eade, J.C. (1989). Southeast Asian Ephemeris: Solar and Planetary Positions, A.D. 638–2000. Ithaca: Cornell University. ISBN 978-0-87727-704-0
- Eade, J.C. (1995). The Calendrical Systems of Mainland South-East Asia (illustrated ed.). Brill. ISBN 9789004104372
- Hall, D.G.E. (1960). Burma (3rd ed.). Hutchinson University Library. ISBN 978-1-4067-3503-1
- Htin Aung, Maung (1959). Folk Elements in Burmese Buddhism. Rangoon: Department of Religious Affairs
- Htin Aung, Maung (1967). A History of Burma. New York and London: Cambridge University Press
- Htin Aung, Maung (1970). Burmese History before 1287: A Defence of the Chronicles. Oxford: The Asoka Society
- Irwin, Sir Alfred Macdonald Bulteel (1909). The Burmese and Arakanese calendars. Rangoon: Hanthawaddy Printing Works
- Kala, U (1724) (Burmese). Maha Yazawin Gyi. 1–3 (2006, 4th printing ed.). Yangon: Ya-Pyei Publishing
- Luce, G.H. (1970). Old Burma: Early Pagan. 2. Locust Valley, NY: Artibus Asiae and New York University
- Ohashi, Yukio (2001). Alan K. L. Chan. ed. Historical Perspectives on East Asian Science, Technology, and Medicine (illustrated ed.). World Scientific. ISBN 9789971692599
- Ohashi, Yukio (2007). “Astronomy in Mainland Southeast Asia”. In H. Selin. Encyclopaedia of the History of Science, Technology, and Medicine in Non-Western Cultures (2, illustrated ed.). Springer. ISBN 9781402045592
- Oriental Institute; East India Association (1900). The Imperial and Asiatic Quarterly Review and Oriental and Colonial Record. London and Working, England: Oriental Institute
- Parise, Frank (2002). The Book of Calendars. Gorgias Press
- Rong, Syamananda (1986). A History of Thailand (5 ed.). Chulalongkorn University
- Simms, Peter; Sanda Simms (2001). The Kingdoms of Laos: Six Hundred Years of History (illustrated ed.). Psychology Press. ISBN 9780700715312
- Smith, Ronald Bishop (1966). Siam; Or, the History of the Thais: From 1569 A.D. to 1824 A.D.. 2. Decatur Press