フィンランド独立宣言

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独立宣言書

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フィンランドの人々は自らの手でこの一歩を、運命を勝ち取った。この一歩は現状に対して正当で、現状に要求されているものである。フィンランドの人々は自らの国家を持たず、自治を持たなければ国際的義務を果たせないと深く感じている。自由に関する願望をもって一世紀、我々はようやく願いをかなえることが出来た。フィンランドの人々は自由な国家として世界の他の国々との間で歩を進めていく。

(中略)

フィンランドの民衆は世界の他の国々が彼らの独立と自由の中で、フィンランド民衆が文明的な人々の間に自らの場所を勝ち取り、目的を満たすために最善を尽くすという事をどのように認識するか、確信をもってあえて待っている。

としている。

宣言後[編集]

一般の人々は窮乏に苛まれ、これらの結果は一般人の中に非常な対立化を促した。そして、フィンランドは内戦へと突入していくのである。独立宣言も実際にこの問題を述べている。

政府は、我々の政治的独立の認識を求めるために外国と交渉する。現在の対外的孤立から起こる全ての紛糾、飢饉、失業によって政府が即刻外国との直接的接触をすることを危急の課題としている。緊急の課題は具体的には生活と工業に必要物質を形作る支援をする事であり、これは差し迫る飢饉と産業停止に対してできる我々の唯一の援助である。

12月6日に議会は独立宣言を採用した。この日は現在においてもフィンランドの独立記念日であり祝日となっている。

各国の独立承認日[編集]

ロシア・ソビエト共和国 1918年 1月4日
フランス 1918年 1月4日
スウェーデン 1918年 1月4日
ドイツ帝国 1918年 1月4日
ギリシャ 1918年 1月5日
ノルウェー 1918年 1月10日
デンマーク 1918年 1月10日
スイス 1918年 1月11日
オーストリア・ハンガリー帝国 1918年 1月13日
オランダ 1918年 1月28日
スペイン 1918年 2月21日
オスマン帝国 1918年 2月21日
ブルガリア 1918年 2月27日
アルゼンチン 1918年 5月11日
ペルシャ 1918年 7月23日
シャム 1918年 10月9日
ポーランド 1919年 3月8日
イギリス 1919年 5月6日
アメリカ合衆国 1919年 5月7日
日本 1919年 5月23日
ベルギー 1919年 6月10日
チリ 1919年 6月17日
ペルー 1919年 6月23日
イタリア 1919年 6月27日
ウルグアイ 1919年 8月18日
リヒテンシュタイン 1919年 10月27日
ポルトガル 1919年 12月19日
ブラジル 1919年 12月26日
コロンビア 1919年 12月31日
ルーマニア 1920年 4月8日
ベネズエラ 1920年 4月18日
パナマ 1920年 5月17日
エクアドル 1920年 6月25日
ハンガリー 1920年 8月23日
パラグアイ 1921年 6月3日
ルクセンブルク 1921年 10月25日
ユーゴスラビア王国の旗 ユーゴスラビア 1922年 7月27日
アフガニスタン 1928年 7月17日
アルバニア 1928年 12月1日

独立後[編集]

バルト三国エストニアラトビアリトアニアもほぼ同時期にロシア帝国からの独立を宣言している。しかし、バルト三国の独立は少し遅れ、ドイツとロシア・ソビエト共和国との間に問題が起こったため、独立に際してエストニア独立戦争ラトビア独立戦争リトアニア独立戦争が起こっている。また、これらの3国は後世においてソ連に占領され、併合された。

一方フィンランドは冬戦争と、継続戦争の二度に渡りソ連と戦争状態に陥り、幾らかの土地をソ連に奪われるも、その後の独立を維持していった。

現在[編集]

2007年、フィンランド独立宣言90周年で、主なモチーフとして高価値の記念発行硬貨に近年選ばれた5ユーロ硬貨が造幣された。裏には岩面彫刻美術が表されており、表面にはフィンランドの特徴である共同作業のシンボルとしてこぎ手と9つのオールがかかれたボートが書かれている。また100ユーロ金貨も製造された。こちらは音符が目立っており、フィンランドのzitherin stringsがコインに書かれている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]