レフチェンコ事件

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KGB1982714

経緯[編集]

亡命[編集]


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西

24西[2]


証言内容[編集]

レフチェンコの活動[編集]


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エージェントの分類[編集]


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KGB



KGB



KGB



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レフチェンコのエージェント[編集]


10

933

1979

9

CIA[9]

[9]

[10]

調

また、エージェントと接触するKGB側の工作員として、イワン・コワレンコ元KGB中佐・当時ソ連共産党中央委国際部次長、イェローヒン、グリヤノフ両KGB東京駐在部長(1975 - 79年当時)ら8人の名前を挙げた。

一方で、日本人協力者は積極的にソ連の指示に従って対日工作に協力していた者だけではなく、ソ連の術中に嵌って無自覚に謀略に協力していた者も含まれる[1]

スパイの暗号名[編集]

代表的な暗号名一覧[11]
暗号名 職業・肩書
アトス  「社会主義協会事務局長」
アレス  「共同通信社勤務。公安関係の友人から膨大な秘密情報を入手し、KGBに渡していた。〝情報の宝庫〟と呼ばれていた人物」
ウラノフ  「社会党国会議員」
カミュ  「東京新聞の記者で韓国問題のスペシャリスト」
カメネフ
カント  「サンケイ新聞編集局次長。社長と親しい」
ギャバー  「社会党中道派のベテラン指導者」
キング  「社会党の有力なリーダーで国会議員。レフチェンコから選挙資金を受取った」
クラスノフ  「財界と実業界で著名な人物で、日本のビジネス・リーダーの間に逆情報を流しうる」
グレース  「社会党国会議員で党中央執行委員会の重要なメンバー」
サンドミー  「日本対外文化協会事務局長」
シュバイク  「アレスの友人の公安関係者。アレスに渡した情報の中には、公安当局が作成したレフチェンコの身上調書の抄訳のコピーも含まれていた」
ズム  「ウラノフの優れた秘書」
ツナミ   「億万長者で財界の実力者。ソ連の影響力が日本の財界や実業界に及ぶのを助けている」
ティーバー  「社会党員で党の政策に影響力を持つ」
デービー  「サンケイ新聞東京版勤務。カントを〝補強〟しうる人物」
ドクター   「経済的に苦しいフリーのジャーナリストで熱狂的マルキスト。以前は共産党員。事務所、家屋、接触予定地点を撮影するなどして、KGBの工作活動に不可欠な、秘密のバックアップ活動を展開した」
トマス  「一流新聞のベテラン・ジャーナリストで、レフチェンコの執筆依頼に応じていた」
ナザール  「外務省職員。各国の日本大使館から発信された通信文を同省の電信課で入手し、撮影もしくはコピーして、自分のケース・オフィサー(KGBの担当官)に渡していた」
バッシン 「ジャーナリストでニューズレターの編集者」
フェン・フォーキング  「自民党の党員で、党内の一派閥の指導陣に影響を及ぼしうる人物」
フーバー 「自民党国会議員。元労働大臣で日ソ友好議員連盟会長」
マスロフ  「内閣調査室関係者で中国問題のアナリスト」
ムーヒン 「テレビ朝日の役員」
ヤマモト  「インテリのエージェントより成るグループの指導者で大学教授。学会で活発に活動中で、ソ連の意思に従った各種著作物を発表している」
ラムセス  「社会党党員」

積極工作の具体例[編集]

レフチェンコは具体的な積極工作の例をいくつか挙げた。

日本の防諜体制の弱さに対する指摘[編集]


KGB

外国による世論誘導やスパイ活動に対する危機感が皆無かつ情報管理が杜撰でだらしない日本社会の現状に、時の総理中曽根康弘の口からは「スパイ天国」の言葉が突いて出たという。この事件は、後のスパイ防止法案の審議や特定秘密保護法の制定に大きな影響を与えた。

日本の捜査[編集]


198332調

11調

11



調5

1983524525[12]
警察といたしましては、レフチェンコ証言の内容につきまして犯罪の存否を確認いたしますために、彼が政治工作担当のKGB機関員として直接運営しておった十一名の者につきまして、必要と判断しましたそのうちの数名の人から事情を聴取するなど所要の調査を行ったわけでございます。また、公務員が絡むとされておるケースも二、三ございました。これはレフチェンコ氏が直接取り扱わなかったものでありましても、事柄の性質上、同様に必要な調査を行ったわけでございます。その結果、いずれも捜査の端緒は得られず、立件には至らないという結論に達したわけでございます。
こうしたことは捜査上の課題でございますが、それとは別に、レフチェンコ証言の信憑性について触れますと、同証言において述べられた政治工作活動はいろいろあるわけでございますが、これと、警察はレフチェンコ氏在日中も彼はKGB政治工作担当機関員の容疑ありということで視察しておりましたが、そうしたレフチェンコ視察の結果あるいは他のKGB機関容疑者の視察結果と照合するとき、また裏づけ調査のプロセスで判明したことの結果、そういうものの照合の結果多くの点で一致するところがありますので、その信憑性については全体として高いと判断いたしております。以上が、一昨日調査結果ということで発表いたしました内容でございます。

ソ連の対応[編集]

ソ連の法廷は1981年にレフチェンコを「売国者、嘘つき」と徹底的に非難した他、ソ連共産党国際部日本課長のイワン・コワレンコはその著書内でレフチェンコを「精神的に問題がある嘘つき」と非難した。

さらにKGBエージェントのスヴェトラーナ(Svetlana Ogorodnikov)とニコライ(Nikolai Ogorodnikov)はアメリカでレフチェンコを探し出そうとしたが、これらの試みは「リチャード・ミラー・スパイ事件英語版(Richard Miller spy case)」で露見することとなった。

脚注[編集]

出典[編集]



(一)^ abc97   1 571213. .  . 20191221

(二)^  |   2022/12/08  

(三)^  INTELLIGENCE MIND Wedge ONLINE()  2022/01/08 06:00:00

(四)^    |  2022/03/04 7:00

(五)^     202277  Foresight() | 

(六)^  -  202248

(七)^   -  16 Sept 2022

(八)^   3/4 - zakzak 2022-04-21T00:00:00.0000000

(九)^ abp.410 - 411

(十)^   . . (2014214). 2014222. https://web.archive.org/web/20140222220750/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014021302000146.html 2014215 

(11)^ Levchenko, Stan (1984). KGB no mita Nihon : Refuchenko kaisōroku. Tōkyō: Nihon Rīdāzu Dajiesutosha. ISBN 4-8213-1020-1. OCLC 34571964. https://www.worldcat.org/oclc/34571964 

(12)^ 9810

[]


1984

2007ISBN 97841220480032000

[]


 KGB : 1983310NDLJP:11934412 

 : 198361NDLJP:11931316 

 1983830NDLJP:11931359 

A.KGB : 1984NDLJP:11931357 

KGB2020

    2017 551 p. 29-45 - J-Stage

[]






КГБ/СВР

ГРУ

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098  10 -