交響曲第4番 (マーラー)
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Mahler:Symphony 4 - Kaleidoscope Chamber Orchestra他による演奏。Kaleidoscope Chamber Orchestra公式YouTube。 | |
MAHLER Symphonie Nr.4 Satz_1Satz_2Satz_3Satz_4 - Elisabeth Fuchs指揮Philharmonie Salzburg他による演奏。Philharmonie Salzburg公式YouTube。 | |
MAHLER Symphony No.4:I.II.III.IV. - Keith Lockhart指揮Brevard Music Center Orchestra他による演奏。Brevard Music Center公式YouTube。 |
概要[編集]
マーラーの全交響曲中もっとも規模が小さく、曲想も軽快で親密さをもっているため、比較的早くから演奏機会が多かった。マーラーの弟子で指揮者のブルーノ・ワルターは、この曲を﹁天上の愛を夢見る牧歌である﹂と語っている。 歌詞に﹃少年の魔法の角笛﹄を用いていることから、同様の歌詞を持つ交響曲第2番、交響曲第3番とともに、﹁角笛三部作﹂として括られることがあるが、後述する作曲の経緯を含めて、第3番とは密接に関連しているものの、第2番とは直接の関連は認められず、むしろ音楽的には第5番との関連が深い。古典的な4楽章構成をとっており、純器楽編成による第5番以降の交響曲群を予告するとともに、一見擬古的な書法の随所に古典的形式を外れた要素が持ち込まれ、音楽が多義性を帯びてきている点で、マーラーの音楽上の転換点にも位置づけられる。 また、﹁大いなる喜び︵歓び︶への賛歌﹂という標題で呼ばれることがあるが、マーラー自身がこのような標題を付けたことはない。第4楽章の﹁天上の喜び﹂を歌った歌詞内容が誤ってこのように呼ばれ、さらに全曲の標題として誤用されたと考えられる。演奏時間は55分前後。作曲の経緯[編集]
﹁天上の生活﹂[編集]
マーラーは1892年に﹃少年の魔法の角笛﹄の歌詞に基づいて﹁天上の生活﹂(Das himmlische Leben) を作曲、1893年に他の﹁角笛﹂作品5曲をまとめて﹁フモレスケ﹂としてハンブルクで初演していた。3年後の1895年から着手した交響曲第3番の構想では、﹁天上の生活﹂は第7楽章﹁子供が私に語ること﹂として位置づけられていた。しかし、翌1896年には最終的に第3交響曲から切り離された。また、時期ははっきりしないが、これと前後してマーラーには﹁天上の生活﹂に基づく6楽章構成の﹁フモレスケ﹂交響曲の構想もあった。これについては後述する。﹁天上の生活﹂が再び交響曲の楽章として取り上げられるのは、さらに3年後の1899年であった。ウィーン時代の幕開け[編集]
この間、1897年4月8日に37歳で念願のウィーン宮廷歌劇場指揮者に就いたマーラーは、5月11日、ワーグナーの歌劇﹃ローエングリン﹄を指揮してデビューを飾った。10月8日には、ハンス・リヒターに代わって、同歌劇場の音楽監督となる。1897年は、﹃魔笛﹄や﹃さまよえるオランダ人﹄を新演出によって上演、1898年には﹃ニーベルングの指環﹄︵9月︶、﹃トリスタンとイゾルデ﹄︵10月︶をそれぞれ初めてノーカットで上演して大成功を収めた。1899年には﹃ニュルンベルクのマイスタージンガー﹄をウィーン初演している。 さらに1898年9月24日、マーラーはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者にも就任する。1901年4月1日に辞任するまでの3年間、古典派音楽からマーラーと同時代の作品に至るまで、幅広いレパートリーを指揮した。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番︵ヘ短調作品95︶を弦楽合奏用に編曲して上演、賛否両論を巻き起こしたほか、交響曲第5番︵1899年︶や交響曲第9番︵1900年︶を改訂して上演し、非難を浴びた。また、1900年6月には同楽団を率いてパリ万国博覧会に参加している。 マーラーは自身の理想を追求する精力的な活動と音楽的実力によって楽団を掌握し、多くの人材がマーラーを慕って集まった。一方、会場を盛り上げる﹁サクラ﹂など旧来の慣習を廃し、楽団員に対しては専制君主的に接したことによって、保守的でプライドが高いウィーンの歌手や演奏者との軋轢︵あつれき︶が生じるなど波紋も広がった。交響曲第4番の着手・完成[編集]
1899年の夏、マーラーはアルタウッセ湖畔で過ごすが、その年には、ヴェルター湖畔のマイアーニックに土地を購入し、翌1900年から同地で夏の休暇を過ごすようになった。マイアーニック滞在中は、ドロミテの美しい南チロル地方の旅行なども楽しんだりもしている。 1899年、アルタウッセにおいて、﹃少年の魔法の角笛﹄から﹁死んだ鼓手﹂を作曲、8月20日からは交響曲第4番に着手する。﹁第4番﹂は、前述の歌曲﹁天上の生活﹂を第4楽章に置き、これを結論としてそのほかの楽章がさかのぼる形で作曲された。この年に第1楽章と第2楽章が、翌1900年に第3楽章ができあがり、8月5日、マイアーニックで交響曲第4番が完成する。その後、初演前の補筆改訂は1901年10月まで行われている。初演と出版[編集]
1893年10月27日に第4楽章のみが﹁天上の生活﹂としてハンブルクで初演。このときはまだ交響曲として構想されていなかった。交響曲としての全曲初演は1901年11月25日、ミュンヘンにて、作曲者自身の指揮でカイム管弦楽団︵ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身︶による。初演は不評で、多くの聴衆からブーイングが浴びせられたという。なおマーラーは同じ1901年の夏、マイアーニックにて交響曲第5番作曲に着手していた。また、﹁第4番﹂初演前の11月7日にアルマ・シントラーと出会い、12月に婚約している。初版楽譜は1902年にウィーンのドブリンガー社から出版された。出版後の改訂、1911年完成稿の受容[編集]
初演と楽譜の出版を終えてもマーラーはこの作品の出来に満足していなかったため、最晩年に至るまで︵特にオーケストレーションについて︶常に改訂を続けた[1]。このことを示すエピソードとして、1903年頃にマーラーがこの作品について﹁この世の喜びを少しも知らない継子﹂と言及している[1]ことや、晩年の彼が1910年7月15日付の書簡で、当時専属契約を結んでいたウニヴェルザール出版社との追加契約条項として﹁翌年1月にニューヨークで自らの指揮によって披露されるバージョンを交響曲第4番の完成稿とする﹂旨を盛り込むつもりだと書いている[2]ことなどが伝わっている。しかし、1911年初頭のニューヨークでなされた――そして同地での演奏会で披露されたと思われる――最終的な改訂の結果は、同年5月にマーラーが急逝したために、出版社に届けられることはなかった[1]。その後、遅くとも1929年には研究者によってこのバージョンの存在が示されていた[2]が顧みられるはことなく、改訂の成果は生前マーラーと親しかった一部の指揮者などによって部分的に取り入れられるのみとなる時期が続いたのである。 1911年完成稿の初演と作曲者の急逝から50年以上を経過した1963年になってようやく、国際マーラー協会による第1次全集の一環としてエルヴィン・ラッツによる校訂版がウニヴェルザール出版社から刊行されたことにより、1911年完成稿が国際的に広く認知され、用いられるに至る[3]。しかし、ラッツ校訂版には多くの誤りや問題点が含まれるため、カール・ハインツ・フュッスルとラインホルト・クービクによる後年の研究成果を反映した修正版が1995年に刊行されたが、校訂の不備やスコアの誤植は依然として残っており、パート譜にも膨大な数の誤植︵修正忘れ︶が存在していた。第1次全集の他の作品にも存在するこれらの問題点を解消すべく、クービクを中心に進められている国際マーラー協会の第2次全集の一環として、レナーテ・シュタルク=フォイトによる校訂版が2022年に刊行された[1]。2019年にはこれに先駆け、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社の300周年記念企画であるマーラーの交響曲全曲出版プロジェクトの一環[4]として、クリスティアン・ルドルフ・リーデルによる校訂版も刊行されている。これら後発のエディションは、すべて1911年完成稿に基づく学術的批判校訂版である。楽器編成[編集]
木管はほぼ3管編成に準じる。 第4楽章のソプラノ独唱は、通常女性のソプラノで歌われるが、ボーイソプラノを起用する場合もある。 バーンスタインはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との録音でボーイソプラノを起用している。 ●フルート4︵第3・第4奏者はピッコロ持ち替え︶、オーボエ3︵第3奏者はコーラングレ持ち替え︶、クラリネット3︵第2奏者は小クラリネットに、第3奏者はバスクラリネットに持ち替え︶、ファゴット3︵第3奏者はコントラファゴット持ち替え︶ ●ホルン4、トランペット3 ●ティンパニ、バスドラム、トライアングル、鈴、グロッケンシュピール、シンバル、銅鑼 ●ハープ ●弦五部︵コントラバスは第5弦を持つもの︶ ●ソプラノ独唱楽曲構成[編集]
第2番︵5楽章︶、第3番︵6楽章︶と楽章増加の傾向から一転して、古典的な4楽章構成に戻っている。以下、本章におけるドイツ語の楽章名︵楽章冒頭のテンポ表記︶と譜例は第1次全集1995年版[5]による。第1楽章 Bedächtig. Nicht eilen[編集]
中庸の速さで、速すぎずに。ト長調 4分の4拍子 ソナタ形式。 フルートと鈴によってロ短調の序奏で開始される。この部分をテオドール・アドルノは﹁道化の鈴﹂と呼んだ。序奏は3小節で直ちにト長調に転じて第1主題︵譜例1︶がヴァイオリンで奏されるが、装飾音的な動きも含んだハイドン風なものである。第2主題︵譜例2︶はチェロがゆったりと歌う。 譜例1譜例2
第2楽章 In gemächlicher Bewegung. Ohne Hast[編集]
落ち着いたテンポで、慌ただしくなく。スケルツォ ハ短調 8分の3拍子 三部形式。 長2度高く調弦したヴァイオリン・ソロが、﹁フィドルのように﹂と指示された、とりとめのない、一面おどけた旋律︵譜例3︶を演奏する。マーラーは、ここで﹁友ハイン︵死神︶は演奏する﹂と書いたことがあった。マーラーのパロディ的な要素がよく現れた音楽である。 譜例3第3楽章 Ruhevoll (poco adagio)[編集]
譜例5
第4楽章 Sehr behaglich[編集]
「フモレスケ」交響曲[編集]
録音[編集]
初録音[編集]
欧米での初期の録音[編集]
歌詞[編集]
第4楽章Das himmlische Leben |
天上の生活
(﹁少年の魔法の角笛﹂より)
我らは天上の喜びを味わい
それゆえに我らは地上の出来事を避けるのだ。
どんなにこの世の喧噪があろうとも
天上では少しも聞こえないのだ!
すべては最上の柔和な安息の中にいる。
我らは天使のような生活をして
それはまた喜びに満ち、愉快なものだ。
我らは踊り、そして、飛び跳ねる。
我らは跳ね回り、そして、歌う。
それを天のペテロ様が見ていらっしゃる。
ヨハネは仔羊を小屋から放して、
屠殺者ヘロデスはそれを待ち受ける。
我らは寛容で純潔な
一匹のかわいらしい仔羊を
死へと愛らしいその身を捧げ、犠牲にする。
聖ルカは牛を
ためらいもなく、犠牲にさせなさる。
天上の酒蔵には、
ワインは1ヘラーもかからない。
ここでは天使たちがパンを焼くのだ。
すべての種類の良質な野菜が
天上の農園にはある。
それは良質のアスパラガスや隠元豆や
そして、その他欲しいものは我らが思うがままに
鉢皿一杯に盛られている!
良質な林檎や梨や葡萄も
この農園の庭師は何でも与えてくれる。
牡鹿や兎や
みんなそこの辺りを
楽しそうに走り回り
獣肉の断食日がやって来たら
あらゆる魚が喜んでやって来る!
ペテロ様が網と餌とを持って
天上の生け簀︵す︶へと
いそいそといらっしゃる。
マルタ様が料理人におなりになるのだ。
地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
1万1千人もの乙女たちが
恐れも知らずに踊りまわり、
ウルズラ様さえ微笑んでいらっしゃる
地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
チェチリアとその親族たちが
すばらしい音楽隊になる!
天使たちの歌声が
気持ちをほぐし、朗︵ほが︶らかにさせ
すべてが喜びのために目覚めているのだ。
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