利用者:Cyclops/特別書庫-2
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空中衝突︵くうちゅうしょうとつ︶とは、空中︵基本的に地球の大気空間、空の空間︶を移動する物体︵大きさは微粒子から小天体までを含む︶同士が構造的破壊に至る強い接触︵衝突は激しい接触︶をすること。一方が移動しない物体の場合、そこが空中であっても単なる﹁︵上空での︶衝突﹂であって﹁空中衝突﹂と呼ぶことは無い︵ただし、アドバルーンのような半ば移動物体とも言える物の場合は例外であってもおかしくはない︶。
宇宙空間における同様の接触については、これを表す特別な語は俗語・専門用語ともに現在のところ︵少なくとも日本語では︶確認できない。
概説[編集]
航空の分野では、飛行中の複数の航空機が接触する航空事故を指し、英語で "mid-air collision ︵空中衝突︶"と言えば﹁航空機の空中衝突﹂を意味するが︵※本項にて節を設けて詳述する︶、これには、空中体当たり攻撃︵cf. 体当たり攻撃#航空戦︶や自殺行為による﹁航空機を使った故意の空中衝突﹂は含まれない。![]() | この節の加筆が望まれています。 |
航空機の空中衝突[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3a/North_American_XB-70A_Valkyrie_just_after_collision_061122-F-1234P-038.jpg/250px-North_American_XB-70A_Valkyrie_just_after_collision_061122-F-1234P-038.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/39/ANT-20.jpg/250px-ANT-20.jpg)
古くは1920年代からこの種の航空事故は度々発生していたが、特に第二次世界大戦後の旅客機の普及に伴う航空路の過密化に伴い、1950年代から1960年代のアメリカで多発した。
主な原因として、航空管制のミスやパイロットによる周辺確認の不十分の他、空軍などの軍用機の訓練空域と民間航空機の航空路が接近しすぎていることなどがあるが、近年は、航空管制技術や航空機の衝突防止警告機能の性能向上に伴い、アメリカやヨーロッパなどの航空先進国における発生件数は減少傾向にあるものの、CIS諸国や発展途上国などの、航空需要の急増にインフラストラクチャーの整備が対応できない国々においては減少する傾向にはない。
また、一般の航空事故とは別に、航空ショーでのアクロバット飛行時などに発生することも多い。このような事故の場合、基本的に乗客を乗せての飛行ではないため、犠牲者数は抑えられることが多いものの、稀に地上の観客を巻き込むなど、二次的な被害を生むことがあり、そのような場合被害は大きなものとなる。
航空機の空中衝突事故[編集]
航空機の空中衝突事故のうち、歴史的に特筆すべきものをここに記載する。1930年代-1950年代[編集]
●1935年5月18日‥モスクワ上空をデモンストレーション飛行していたソビエト軍のツポレフANT-20﹁マクシム・ゴーリキー﹂が、同じくデモンストレーション飛行していたツポレフI-5戦闘機と空中衝突し墜落、45人が死亡した。 ●1938年8月24日‥日本飛行学校のアンリオHD.14複葉機が訓練飛行中に、東京市大森区森ケ崎町上空150mで、日本航空輸送のフォッカー スーパーユニバーサル旅客機と衝突した。50名死亡。これが日本で初めての民間航空機同士による空中衝突事故である。︵大森民間機空中衝突墜落事故︶ ●1942年10月23日‥アメリカン航空28便︵ダグラスDC-3︶、アメリカ陸軍航空隊のロッキードB-34ベンチュラ爆撃機と空中衝突し、カリフォルニア州チノキャニオン付近に墜落。12人死亡。 ●1956年6月30日‥トランス・ワールド航空2便︵ロッキード コンステレーション︶とユナイテッド航空718便︵ダグラスDC-7C︶、アリゾナ州上空で空中衝突し、両機とも墜落。︵グランドキャニオン空中衝突事故︶ ●1958年4月21日‥ユナイテッド航空736便︵ダグラスDC-7︶とアメリカ空軍のノースアメリカンF-100Fスーパーセイバーがネバダ州スローン市で空中衝突し両機とも墜落した。44人死亡。1960年代[編集]
●1960年12月16日‥ユナイテッド航空826便︵ダグラスDC-8-11︶とトランスワールド航空266便︵ロッキード-1049スーパーコンステレーション︶がニューヨーク州郊外のミラー空軍基地上で空中衝突し両機とも墜落。134人死亡。(1960年ニューヨーク空中衝突事故) ●1963年2月1日‥MEA航空265便︵ビッカース・バイカウント754D︶とトルコ空軍のダグラスC-47が、トルコ・アンカラ上空で空中衝突し両機とも墜落した。乗客乗員と住人の合計87名が死亡した。 ●1965年12月4日‥イースタン航空853便︵ロッキード1049Cスーパーコンステレーション︶とトランスワールド航空42便︵ボーイング707︶がニューヨーク上空で空中衝突。イースタン航空機は緊急着陸に成功し乗員乗客58名に怪我はなく、トランスワールド航空機も不時着に成功したものの乗員乗客54名のうち4名が犠牲となった。旅客機同士での空中衝突事故としては人的犠牲は最小にとどまった。(1965年ニューヨーク空中衝突事故) ●1966年6月8日‥アメリカ合衆国のエドワーズ空軍基地近辺でゼネラル・エレクトリック製エンジン搭載の軍用機を集めて同社の宣伝用フィルムを撮影する編隊飛行が行われたが、撮影終了後にF-104戦闘機がXB-70試作戦略爆撃機の垂直尾翼に激突。F-104は空中爆発し、XB-70も操縦不能に陥り墜落。戦闘機と爆撃機のパイロット2名が死亡した。 ●1969年9月20日‥エア・ベトナムのダグラスDC-4とアメリカ空軍のF-4EファントムII戦闘機が南ベトナムのダナン空港上空で空中衝突し、エア・ベトナム機が墜落。77人死亡。戦闘機のパイロットは脱出。1970年代[編集]
●1971年6月6日‥ヒューズ・エア・ウエスト706便︵DC-9-32︶がロサンゼルス国際空港を離陸直後に、低空飛行していたアメリカ海兵隊所属のF-4Bファントム戦闘機と空中衝突。旅客機の49名全員と戦闘機のパイロットが死亡。唯一、戦闘機のレーダー迎撃士官がパラシュートで脱出して生還した。双方の見張り不足が直接の原因であるが、戦闘機のトランスポンダーが故障していたうえに、航空管制センターに空域進入を通報していないなどの不手際が重なったためとされた。︵ヒューズ・エア・ウエスト706便空中衝突事故︶ ●1971年7月30日‥全日空︵ANA︶58便︵ボーイング727︶が、岩手県雫石町上空ジェットルート内で[1]航空自衛隊松島基地︵宮城県︶所属のF-86F戦闘機と衝突し墜落︵全日空機雫石衝突事故︶。 ●1973年3月5日‥イベリア航空504便︵DC-9-32︶と、スパンタックスのコンベア990"コロナド"が、管制ミスによりフランスのラ・プランシュ上空で空中衝突し、イベリア航空機が墜落し計68名が死亡した。 ●1976年9月10日‥ブリティッシュ・エアウェイズ476便︵BAeトライデント3B︶とイネックス・アドリア航空550便︵DC-9-32︶が、管制ミスによりユーゴスラビア︵現‥クロアチア︶のザグレブ上空で空中衝突し、両機とも墜落した。この事故両機の乗客乗員全員と地上の住民1名の計177名が死亡した。︵ザグレブ空中衝突事故︶ ●1978年9月25日‥パシフィック・サウスウエスト航空182便︵ボーイング727︶がサンディエゴ国際空港︵リンドバーグ・フィールド︶に着陸進入中、教練中の小型機と衝突しサンディエゴ郡ノースパークの住宅街に墜落。142名死亡。ボーイング727の事故としては最悪といわれている。1980年代[編集]
●1984年7月31日 兵庫県明石市上空で毎日新聞社の取材ヘリコプターと朝日放送がチャーターしたヘリコプター︵大阪エアウェーズ︶が空中衝突。両機住宅街に墜落し朝日機の3人が死亡。毎日機の3人が負傷した。 ●1986年8月31日‥アエロメヒコ航空498便︵マクダネル・ダグラスDC-9︶、ロサンゼルス国際空港へ着陸進入中に空路へ侵入してきた自家用機︵パイパーPA-28︶と衝突。82人死亡。︵アエロメヒコ航空498便空中衝突事故︶ ●1988年8月28日‥︵空中衝突︶イタリア空軍 の曲芸飛行隊フレッチェ・トリコローリのアエルマッキ MB-339が、ドイツのラムシュタイン空軍基地で開催されていた航空ショーで飛行中3機が空中衝突を起こし墜落。 そのうち1機が観衆の中に墜落したため、地上の観客とパイロット合わせて75名が死亡、346名が負傷した。この惨事以降はドイツ国内のアメリカ空軍基地の航空ショーは開催されなくなった。1990年代[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Su-24_Fencer_Right_side_gear_down.jpg/220px-Su-24_Fencer_Right_side_gear_down.jpg)
2000年代[編集]
●2001年4月1日‥南シナ海上空で中華人民共和国に対する無線信号傍受の偵察活動をしていたアメリカ海軍所属の電子偵察機 EP-3E と中国人民解放軍海軍航空隊所属の J-8II 戦闘機が空中衝突。中国海軍機が墜落しパイロットが行方不明になった。︵海南島事件︶ ●2001年5月19日‥三重県桑名市上空を訓練飛行していた、ともに中日本航空︵﹁中日本エアラインサービス﹂=現在の﹁エアーセントラル﹂の前身=とは別会社︶所属のセスナ172P︵JA4201︶とヘリコプター︵JA6787︶が空中衝突。双方の乗員6人死亡、地上の1人が負傷した。また民家2棟も全焼した。原因は双方の見張り不足で、上空640mでヘリコプターのローターにセスナの主翼が接触し破損。双方が墜落した。 ●2002年7月1日‥バシキール航空2937便︵ツポレフTu-154M型機︶とDHL611便︵ボーイング757-200貨物機︶が、ドイツのユーバリンゲン上空でスイス管制官の管制ミスにより空中衝突し墜落。71人が死亡した。︵バシキール航空2937便空中衝突事故︶ ●2006年9月29日‥ブラジル国内線として運航中のボーイング737-800と、発注先へ納入するためにアメリカに向かっていたビジネスジェット機︵エンブラエル・レガシー600︶がアマゾン上空で空中衝突し旅客機が墜落。154人が死亡。︵ゴル航空1907便墜落事故︶ ●2009年8月8日‥ニューヨーク、ハドソン川上空で上昇中だった観光用ヘリコプター(AS350)に後方から飛来してきた離陸直後の小型飛行機(パイパーPA32)の右翼が衝突、両機ともハドソン川に墜落した。観光用ヘリコプターには乗員1名と乗客5名(乗客はいずれもイタリア人)、小型飛行機には乗員1名、乗客2名が搭乗していたが全員死亡した。[2] ●2009年8月16日‥ロシアのモスクワ郊外で同年8月18日に行われる予定だった国際航空ショー(MAKS)のリハーサルのためアクロバット飛行を行っていたスホイ27戦闘機2機が空中衝突し墜落。うち1機が民家に墜落し3軒が炎上した。パイロット3名は脱出したがうち1名が死亡、1名は重傷を負った。また民家の住民ら5人も火傷等で負傷し、うち1人は重傷を負った[3]。死亡したパイロットは脱出中にパラシュートが炎上したとの報道もある[4]。2010年代[編集]
脚注[編集]
- ^ 全日本空輸株式会社ボーイング式727-200型JA8329および航空自衛隊F-86F-40型,92-7932事故調査報告書
- ^ ニューヨーク市内・ハドソン川上空で観光ヘリと小型機衝突、9人死亡 - IBTimes(アイビータイムズ) 2009年8月9日
- ^ ロシア軍のアクロバット戦闘機が墜落、航空ショーのリハーサル中 AFPBB News 2009年8月17日
- ^ 航空ショー練習中の2機墜落、1人死亡…ロシア YOMIURI ONLINE 2009年8月17日
関連項目[編集]
- 衝突
- 航空機の空中衝突
- 空中体当たり攻撃(cf. 体当たり攻撃#航空戦)
- 航空機の空中衝突事故