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戸田 忠余︵とだ ただみ︶は、下野宇都宮藩の第2代藩主。宇都宮藩戸田家5代。
元禄2年︵1689年︶1月20日、宇都宮藩戸田家分家で7000石を領した大身旗本・戸田大学忠章︵宇都宮藩戸田家3代・戸田忠昌の五男︶の長男として江戸で生まれる。元禄14年︵1701年︶8月29日に初代藩主・戸田忠真の養子となる。元禄16年︵1703年︶12月21日に従五位下・越前守に叙任される。正徳4年︵1714年︶9月7日に日向守に遷任する。第8代将軍徳川吉宗の日光社参が行なわれた際、養父の忠真は老中として江戸にあったため、代理として宇都宮城に宿泊した吉宗に謁見している[1]。
享保14年︵1729年︶、忠真の死去により家督を継いだ。延享3年︵1746年︶6月16日に死去。享年58。先代・忠真の六男で養子の忠久が早世したため、家督は次男の忠盈が継いだ。
父母
●戸田忠章︵実父︶
●高閑院 - 正室︵実母︶
●戸田忠真︵養父︶
側室
●芳春院
●小川氏
子女
●秋元喬求︵長男︶ 生母は芳春院
●戸田忠盈︵次男︶ 生母は芳春院
●戸田忠寛︵四男︶ 生母は芳春院
●木下俊胤︵六男︶ 生母は小川氏
●板倉勝澄正室、後に岩城隆恭正室
●青山忠高正室
養子
- ^ 坂本俊夫『宇都宮藩・高徳藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2011年9月、64頁。
戸田家 宇都宮藩2代藩主 (1729年 - 1746年) |
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