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日本型社会民主主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西

1990[1]212004[2]

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左派は、マルクス主義の強い影響下にあった。社会主義協会など日本社会党内左派勢力は、戦前の労農派の流れをくみ日本共産党とも対立関係にあった。いわゆる労農派マルクス主義である。社会主義協会などは、1950年代まではマルクス・レーニン主義には距離を置いていたが、1960年代から急速にマルクス・レーニン主義を志向し自らも名乗った。




















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評価[編集]

毛沢東は、日本社会党を「世にも不思議な政党である」と呼んだ。

日本社会党を西欧社会民主主義とは異なった社会民主主義としつつ、その相違を肯定的にとらえる分析は清水慎三『日本の社会民主主義』(岩波新書、1961年)から始まった。日本型社会民主主義という用語の直接の初出は、新左翼系の岸本健一(陶山健一)『日本型社会民主主義』(現代思潮社、1966年)といわれるが、岸本も清水の著書に示唆を受けてこの書名を発案したと述べている。

日本社会党自身は、社会民主主義を否定し続けた。1986年(昭和61年)に採択された「日本社会党の新宣言」によって綱領上は西欧社会民主主義政党となったが、西欧型社会民主主義政党への路線変更は中途半端なものに終始し、それ以前に形成された基本政策や運動・組織上の特徴はその後も日本社会党の中で強く残っており、21世紀になってからも新社会党や社会民主党に引き継がれている。

日本型社会民主主義に対しては、清水慎三に代表される肯定的評価と、社会党が高度成長期の新しい社会状況に適応することを妨げ、政権党への脱皮を困難にしたという党外政治学者などの否定的評価が並立している。社会主義協会は、社会党を社会主義政党に強化するという立場から日本型社会民主主義概念に対し評価を避けていたが、近年は社会主義協会内からも日本型社会民主主義を積極的に評価する意見も出されている。[3]

脚注[編集]

  1. ^ 竹内靖雄らが使用
  2. ^ 瀬戸宏「社会主義と社会民主主義の関係-概念整理と日本での状況を中心に」、『社会主義理論研究』第二号(社会主義理論学会、2022年10月5日)
  3. ^ 瀬戸宏「日本型社会民主主義を考える」(社会主義研究会『今日の社会主義を考える-社会主義と社会民主主義をめぐって』えるむ書房、2006年収録)など

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  1961

  2003

  2006

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