コンテンツにスキップ

横山勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横山よこやま いさみ
生誕 1889年3月1日
日本の旗 日本千葉県
死没 (1952-04-21) 1952年4月21日(63歳没)
日本の旗 日本東京都豊島区巣鴨プリズン
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

  18892231 - 195227421

[]


51[1][* 1][* 2][1]

1909425218/418123191541227

19198419241381925141192723

19276192838192944251932748

19338826193712311939148911941161041942171211

1943181119441911西16西6[2]19452010

194621719482381950257117[3]1952421

[]


1[4][4]191245[5]

栄典[編集]

位階
勲章等

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 横山新治は同郷の幼年学校生徒の学費の世話をしていた。生徒の祖母が横山家の出身であったが、生徒は父を失っていたのである。この生徒は後の元帥陸軍大将畑俊六である。
  2. ^ 1908年8月22日死去(『官報』第7556号、明治41年9月1日)。
出典
  1. ^ a b 『続 現代史資料 (4) 陸軍 畑俊六日誌』(みすず書房)536頁
  2. ^ 別冊歴史読本『日本本土決戦』(2002年)
  3. ^ 「七戦犯に減刑 絞首から終身に」『日本経済新聞』昭和25年7月12日
  4. ^ a b 財団法人 稚松会名簿』
  5. ^ 『稚松会会員名簿』(1912年3月調べ)
  6. ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
  7. ^ 『官報』第216号「叙任及辞令」1913年4月22日。
  8. ^ 『官報』第1738号「叙任及辞令」1918年5月21日。
  9. ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
  10. ^ 『官報』第535号「叙任及辞令」1928年10月5日。
  11. ^ 『官報』第1709号「叙任及辞令」1932年9月8日。
  12. ^ 『官報』第3101号「叙任及辞令」1937年5月8日。
  13. ^ 『官報』第7776号「彙報-陸軍省-生徒卒業」1909年5月29日。
  14. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献[編集]

  • 梅谷芳光『忠鑑 畑元帥』国風会本部、1964年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 財団法人 稚松会名簿』、1937年12月発行。