源兼昌
源 兼昌 | |
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小倉百人一首の読み札に描かれた源兼昌の肖像 | |
時代 | 平安時代後期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下、皇后宮少進 |
主君 | 堀河天皇→鳥羽天皇 |
氏族 | 宇多源氏 |
父母 | 父:源俊輔、母:不詳 |
子 | 昌快、前斎院尾張 |
源 兼昌︵みなもと の かねまさ︶は、平安時代後期の貴族・歌人。宇多源氏、美濃介・源俊輔の子。官位は従五位下・皇后宮少進。
経歴[編集]
官位には恵まれず従五位下・皇后宮少進に至るが、その後出家。没年については不詳であるが大治3年︵1128年︶頃には生存していたようである。康和2年︵1100年︶の国信卿家歌合以下、永久3年︵1115年︶、元永元年︵1118年︶、同2年︵1119年︶の内大臣忠通家歌合などに出詠しており、堀河院歌壇の下部集団である忠通家歌壇で活躍した。永久4年︵1116年︶の﹁堀河次郎百首﹂の作者の一人。 ﹃金葉和歌集﹄﹃詞花和歌集﹄﹃千載和歌集﹄﹃新勅撰和歌集﹄﹃新千載和歌集﹄の勅撰和歌集に和歌作品が計7首入集している[1]。家集は伝わらない。系譜[編集]
- 父:源俊輔
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:昌快
- 女子:前斎院尾張
脚注[編集]
- ^ 『勅撰作者部類』