粟屋仙吉
粟屋仙吉 | |
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生年月日 | 1893年(明治26年)11月7日 |
出生地 | 宮城県仙台市 |
没年月日 | 1945年(昭和20年)8月6日 |
死没地 | 広島県広島市 |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
親族 | 井上勝(大叔父) |
第31代 大分県知事 | |
在任期間 | 1937年 - 1939年 |
第18代 広島市長 | |
在任期間 | 1943年 - 1945年 |
粟屋 仙吉︵あわや せんきち、1893年︿明治26年﹀11月7日 - 1945年︿昭和20年﹀8月6日︶は、日本の内務官僚、政治家。ゴーストップ事件時の大阪府警察部長、広島市への原子爆弾投下時の広島市長として知られる。東京府士族[1]。
被爆市長官舎跡の碑 2008年7月撮影
1945年8月6日、原爆により同市水主町の市長公舎で三男、孫︵長女の子であり、数日前から預けられていた︶とともに即死。女中とともに公舎裏手の台所で被爆し重傷を負った妻の幸代も翌月死亡し、この母を看病しに広島へ駆けつけ最期を看取った次女もその年の11月に二次被爆の影響でこの世を去った[4]。墓所は多磨霊園。
現在、公舎跡に近い広島市中区の加古町の元安川に架かる万代橋西詰め南側の堤防上の緑地帯に、同市により﹁被爆市長公舎跡﹂の石碑とその説明板が建てられている。