舟山正吉
舟山 正吉︵ふなやま しょうきち、1905年2月1日 - 1996年9月20日[1]︶は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。
来歴・人物[編集]
三重県出身。旧制開成中学、旧制第一高等学校を経て、1928年︵昭和3年︶、東京帝国大学法学部政治学科卒業[2]。大学在学中に高等試験行政科に合格。同年4月、大蔵省入省︵預金部配属︶。1932年︵昭和7年︶3月、高崎税務署長。1933年︵昭和8年︶6月、亀戸税務署長。1934年︵昭和9年︶11月、主税局︵兼︶高橋是清大蔵大臣秘書官事務取扱。その後は銀行局調査課長、銀行保険局普通銀行課長、銀行局長などを経て大蔵事務次官に就任した。大蔵事務次官時代の1952年︵昭和27年︶4月、衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[3]。ほかに金融制度調査会長、TASC理事長、中小企業金融公庫総裁、日本輸出入銀行副総裁、日本専売公社副総裁なども務めた。 銀行局長時代、﹁信用金庫﹂の名付け親になったことでも知られる[4]。 長男の舟山正克は日本銀行監事を務めた。主な著書・論文[編集]
- 「ヨーロッパの中小企業 欧州経済動向調査団報告書」
出典[編集]