電話の歴史
電話の歴史︵でんわのれきし、英: history of telephone︶は19世紀に始まったと考えられている。
日本語では電話と呼ぶが、英語では﹁telephone︵テレフォン︶﹂[注 1]、つまり﹁音声での通信﹂を意味する単語があてられており、離れた場所にいる人と音声で会話をするための仕組みを意味する。これは、電話より前に、文字を伝える通信の仕組みである﹁telegraph︵テレグラフ︶﹂[注 2]が実用化していたので、それと対比させて﹁音声で﹂という特徴を際立たせた概念であった。
音声による通信に関しては、電気的な方式が実現する前に、電気以外の物理的な手法を組み合わせて遠隔の音声通信を行う方法が試みられていた。しかし、後発して開発された電気式の音声通信の方が実用性が高かったため、そちらが爆発的に普及したという経緯がある。
電気的な音声通信は、1人の人間によって発明・実現されたものではなく、19世紀にヨーロッパやアメリカの多くの発明家による複数の実験や試行錯誤によって生み出されたものである。最初に電気的に遠隔通話アイディアを論じたのはイタリアのMazettiであり1844年のことであったが、19世紀中頃から19世紀末にかけて多くの人々が、同時並行的に﹁導線で電気的に声を伝送する﹂という実験を行い、異なる方式の特許がそれぞれの国で申請され、やがて米国などの方式が広まった。これが後になって日本に紹介され、日本語では﹁電﹂話という、﹁電気﹂が強調された訳語が定着した。
前史[編集]
電話の歴史を語る場合、それ以前に実現していた、非電気的な音声通信や、電気を用いるが音声ではできなかった通信について触れる。19世紀なかばの発明家たちは、そうした音声通信やそうした電気通信がすでにあることは踏まえたうえで、それらの限界を乗りこえるような、電気的な音声通信のしくみの開発を行っていった。伝声管と糸電話[編集]
音声通信には、ひとつには、管を用いて物理的に音声通信を実現する伝声管があった。これがいつごろ発明され使われるようになったか、どこまで遡れるかと言った歴史は明確ではないが、少なくともフランシス・ベーコンが1627年刊行の著書﹃ニュー・アトランティス﹄で提案したことが知られている。1782年にはフランスのDom Gautheyが行政などの分野で伝声管を使うことを科学アカデミーで提案した。これはベンジャミン・フランクリンにも支持され、パノプティコンに導入され、その後、軍事利用などにも広がって行った。19世紀、20世紀では広く用いられ、現在でも船舶内での音声通信ではしばしば使われている。 糸電話は、もともとは使うのは糸とは限らずワイヤーを用いたものもあり、現在では、まるで玩具扱いされているものの、かつては大真面目に音声通信の手段として実験・検討されていた時代があり、たとえばロバート・フック[注 3]によって1664~1685年に実験が行われ、ワイヤーを用いた方法も行われていた[1]。19世紀後半には、電話と並んでこの原理を用いた装置が、大人が使用する実用的な製品として販売されていた。電信[編集]
電信は1800年代の初めごろから多くの人々による様々な試みがあり、米国ではサミュエル・モールスが装置の開発を行い彼の助手のアルフレッド・ヴェイルがアルファベットを表すモールス符号の考案に貢献し、この2人の電信技術がその後の電信の発展に大きな役割を果たしてゆくことになった。1838年にはモールスが米国のフランクリン協会でデモンストレーションを行い、1843年にはアメリカ議会がワシントンD.C.とボルチモア間の︵実験的︶電信線の敷設のために3万ドルの予算を計上し、1844年5月1日までにワシントンD.C.からアナポリスまで開通し、1844年5月24日には全線が開通。実際に通信に活用されるようになり、2人の電信システムはその後20年ですみやかに米国に広まっていった。電話、電気式の音声通信の登場[編集]
上述のように19世紀なかばに電信が実用化、急激に普及し、世の中の通信方法に一種の革命が進行してゆく時代に、電話の発明が行われてゆくことになった。 なお英語圏では、ことさら米国のベルの成果だけを強調し、他の国の成果を意図的に無視した時代が長かったが、実際にはイタリア人による発明のほうが先行した。 電話の初期の歴史に関与した人は多いが、その中でも現在よく知られているのは、アントニオ・メウッチ、イライシャ・グレイ、アレクサンダー・グラハム・ベル、トーマス・エジソンである。 発明の先発/後発という点では、イタリアのほうが先であったが、米国のベルの電話機の特許から派生させる形で様々な機器や機能に関する特許が成立してゆき、こちらのほうがその後の電話技術に大きな影響を与えた。「電話訴訟」も参照
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アントニオ・メウッチ。イタリアの発明家で、1854年にほぼ電話と呼んでよい装置を実現した。
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ヨハン・フィリップ・ライス。ドイツの発明家で、1860年にライス式電話と呼ばれる電話を発明。
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アレクサンダー・グラハム・ベル。スコットランド出身・米国の発明家で、米国における最初の電話機の特許を1876年に取得。
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イライシャ・グレイ。1876年にウォーター・マイクロフォンを用いた電話を開発。
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ティヴァダル・プシュカーシュ。ハンガリーの電話機の発明家のひとりで、1876年に電話回線を交換する方式を提唱・発明。
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トーマス・エジソン。カーボン・マイクロフォンを発明し、電話の音声信号の強化に貢献。
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アントニオ・メウッチの電話機
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ヨハン・フィリップ・ライスの電話機
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フランスのGower電話(1912年のもの)。パリの博物館所蔵。
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ベルの電話機(1876年に公開)を後年、別の人が触っているところ
年表[編集]
●1844年 - イタリアの発明家インノチェンツォ・マンチェッティが世界初の﹁音声電信﹂︵電話︶のアイデアを論じた。 ●1854年8月26日 - フランスの発明家シャルル・ブルサールがパリの雑誌﹃L'Illustration﹄に、"Transmission électrique de la parole"︵音声の電送︶という記事を掲載。 ●1861年10月26日 - ドイツの発明家ヨハン・フィリップ・ライスがフランクフルト物理学会でライス式電話を公開。 ●1871年12月28日 - イタリアの発明家アントニオ・メウッチが "Sound Telegraph" と題した特許保護願を申請。2人の人間の間で導線を使って通信する方法を記述したものとされる。 ●1874年 - メウッチは上記の特許保護願の延長のための料金を支払えず、失効した。 ●1875年4月6日 - スコットランドの発明家アレクサンダー・グラハム・ベルの特許︵米国特許161,739号︶"Transmitters and Receivers for Electric Telegraphs"︵電信の送信機と受信機︶が発効。 ●1876年 ●2月11日 - アメリカの発明家イライシャ・グレイが電話用の液体抵抗型送話機を考案するが、実物を作らなかった。 ●2月14日 ●グレイが電信回路を使った音声伝送について特許保護願を申請。 ●ベルが電流の波形による電磁式電話の特許 "Improvements in Telegraphy" を申請。 ●2月19日 - 米国特許商標庁からグレイに彼の特許保護願とベルの特許出願の内容が重なっているという連絡が入る。グレイは特許保護願についてあきらめることを決めた。 ●3月7日 - ベルの特許 "Improvement in Telegraphy"︵意味:テレグラフの改善︶が成立︵米国特許174,465号︶。 ●3月10日 - ベルが液体抵抗型送話機を使った実験をしていて音声の送受信に成功。 ●5月 - ベルがフィラデルフィア万国博覧会に電話機を出展、金賞を受賞。 ●ハンガリー人技師ティヴァダル・プシュカーシュが電話交換機を発明[2]。 ●ボストンに留学中していた伊沢修二と金子堅太郎がベルの下宿先で通話を体験。英語以外の言語による初の通話。 ●1877年 ●1月30日 - ベルの永久磁石と鉄製振動板と振鈴装置を使った電磁式電話の特許︵米国特許186,787号︶が成立。 ●4月27日 - エジソンが炭素︵黒鉛︶送話機についての特許を出願。この特許︵米国特許474,230号︶は1892年5月3日に成立。15年もかかったのは間に訴訟が行われていたため。エジソンは1879年にこれとは別な炭素顆粒送話機の特許︵米国特許222,390号︶を既に取得している。 ●アメリカ合衆国から初めての輸出先として、日本に2台の電話機を送る。 ●11月 - 工部省、電話機を初めて輸入し、工部省電信局本局と横浜局との間で試用[3]。 ●12月21日 - 工部省と宮内省との間19町32間︵約2130 m︶に電線を架設し、日本で初めて電話を実用化[3]。 ●1878年 - アメリカ各地で電話会社が148社開業。 ●5月17日 - 日本初の警察電話開通。 ●6月 - 工部省電信局製機所、ベル式の電話機2個を初めて製造[4]。 ●1880年12月1日 - 日本初の鉄道電話開通。 ●1883年 - 工部省電信局長石井忠亮、国営電話事業の必要性を強く訴え、建議書を政府に提出。 ●1889年 - アルモン・ブラウン・ストロージャーがステップ・バイ・ステップ交換機を発明。 ●1890年 - 東京・横浜で電話サービス開始 ●1906年 - 太平洋横断の海底ケーブル布設電話による男女の会話風景︵1910年︶ ●1913年 - 日本の電話加入者20万271件[5]。 ●1920年 - ヴェツランデル (G. A. Betulander) が、スウェーデン電気通信管理庁でクロスバ自動交換方式を始めて実現。日本で電話の需要が急増し、市価が東京で3450円、大阪で3500円に騰貴した、戦前の最高値[5]。 ●1926年 - 1979年 - 自動化︵ダイヤル式︶への移行 ●1937年 - リーブス (A. H. Reeves) が、パルス符号通信 (PCM) を発明 ●1952年 - 日本電信電話公社が設立 ●1962年 - AT&Tが、PCM ディジタル有線伝送方式実用化 電話24回線時分割多重︵T1方式︶ ●1969年 - プッシュホン登場 ●1976年 - ベル研究所が、ディジタル交換機 No.4 ESS 実用化 ●1984年 - ITU の CCITT︵現 ITU-T ︶がISDNに関する標準勧告作成 ●1985年 - 電気通信事業の自由化開始 ●1988年 - ISDN方式デジタル電話INSネット64開始 ●2001年 - マイライン開始 ●2002年6月11日 - アメリカ合衆国議会の決議案269でアントニオ・メウッチが電話の最初の発明者として公式に認められる。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 「tele=離れた」と「phone=音声」を組み合わせた造語。
- ^ 「tele=離れた」と「graph=文字」を組み合わせた造語。日本語では電信という訳語があてられた。
- ^ イギリスの自然哲学者・博物学者でアイザック・ニュートンの仲間でライバル。
出典[編集]
(一)^ McVeigh, Daniel P. An Early History of the Telephone: 1664–1866: Robert Hooke's Acoustic Experiments and Acoustic Inventions Archived 2013-06-18 at the Wayback Machine., Columbia University website. Retrieved January 15, 2013. This work in turn cites: ●Richard Waller and edited by R.T. Gunther. "The Postthumous Works of Robert Hooke, M.D., S.R.S. 1705. Reprinted in R.T. Gunther's "Early Science In Oxford", Vol. 6, p. 185, 25 (二)^ “Puskás, Tivadar”. Omikk.bme.hu. 2010年5月23日閲覧。 (三)^ ab﹃帝國大日本電信沿革史﹄逓信省電務局、1892年10月19日、271頁。 (四)^ 日本電信電話公社関東電気通信局 編﹃関東電信電話百年史﹄電気通信協会、1968年3月25日、146頁。 (五)^ ab逓信事業史4逓信省編関連項目[編集]
外部リンク[編集]