堺利彦(読み)サカイトシヒコ

デジタル大辞泉 「堺利彦」の意味・読み・例文・類語

さかい‐としひこ〔さかひ‐〕【堺利彦】

 
18711933  

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精選版 日本国語大辞典 「堺利彦」の意味・読み・例文・類語

さかい‐としひこ【堺利彦】

退

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百科事典マイペディア 「堺利彦」の意味・わかりやすい解説

堺利彦【さかいとしひこ】

 
()退1901190319061920192216
 

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改訂新版 世界大百科事典 「堺利彦」の意味・わかりやすい解説

堺利彦 (さかいとしひこ)
生没年:1870-1933(明治3-昭和8)


使退18991901︿退0311︿10620862

 19109︿︿141︿︿1722712728296

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「堺利彦」の意味・わかりやすい解説

堺利彦
さかいとしひこ
(1870―1933)


31125()()退()()()189932()190134()()()退03111()()062()086()

 19109()1431159227()236272()28()()姿8123



61970195591978

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朝日日本歴史人物事典 「堺利彦」の解説

堺利彦

 
8.1.23(1933)
3.11.25(1871.1.15)
3,,退22(1889),,,32,,36退,(1906),40調(1908),,,8(1919)9,111,,,(1927),,,<著作>  
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堺利彦」の意味・わかりやすい解説

堺利彦
さかいとしひこ

 
[]3.11.25. (1871.1.15. )
[]1933.1.23. 
 1899 1903退06106  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堺利彦」の解説

堺利彦 さかい-としひこ

1871*-1933 明治-昭和時代前期の社会主義者。
明治3年11月25日生まれ。「万(よろず)朝報」で日露非戦論を展開。明治36年幸徳秋水らと平民社を創立し,週刊「平民新聞」を創刊。大正9年日本社会主義同盟を組織し,11年共産党初代委員長となる。のち無産大衆党,全国労農大衆党などに属し,反戦活動にたずさわった。昭和8年1月23日死去。64歳。豊前(ぶぜん)豊津(福岡県)出身。第一高等中学校(のち第一高等学校)中退。号は枯川(こせん)。
【格言など】社会主義の世は公園に弁当をひらきて桜をみる一家族のごとし(明治38年の街頭デモで配った「社会主義の檄」の冒頭)

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旺文社日本史事典 三訂版 「堺利彦」の解説

堺利彦
さかいとしひこ

 
18701933

 () 退 () 1908'10'20'22'29  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「堺利彦」の解説

堺利彦
さかいとしひこ


1870.11.251933.1.23

()()退1903(36)()22(11)

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世界大百科事典(旧版)内の堺利彦の言及

【解放】より


︿稿239

【新社会】より

…1915年9月,売文社から堺利彦によって創刊された社会主義啓蒙雑誌。月刊。…

【日本共産党】より


[党創立]
 第1次世界大戦後の社会運動の高揚とロシア革命の影響が波及するなかで,社会主義も新たな台頭をみせ,1920年12月に日本社会主義同盟が結成された。このころ,ロシア革命の成果を吸収した堺利彦山川均らによるマルクス=レーニン主義の普及とコミンテルンからの働きかけがあいまって,21年4月には堺,山川らが中心となって日本共産党準備委員会を組織し,〈日本共産党宣言〉と〈日本共産党規約〉を採択した。22年1月から2月にかけてコミンテルン主催の極東民族大会に,アメリカから入露した片山潜らとともに日本から徳田球一,高瀬清,吉田一らが参加したことが契機となり,同年7月15日,正式の創立大会がもたれ,堺利彦が委員長となった。…

【日本社会主義同盟】より


︿︿2085︿

【売文社】より

…堺利彦設立の代筆業兼出版社。堺は1910年赤旗事件の刑期を終えて出獄した際,大逆事件の弾圧下で生活難にあえぐ社会主義者たちを支えるために売文社を創立した。…

【平民社】より

…日清戦争後,日本の朝鮮進出と軍事力の強化の中で日露関係は切迫し,対露同志会や七博士の対露強硬意見書(七博士建白事件)が口火となり各新聞論調も挙国一致・主戦に傾いていった。1903年10月堺利彦と幸徳秋水は〈退社の辞〉を掲げて《万朝報》と決別し,約1ヵ月後《平民新聞》(週刊)を発行した。創刊号で〈平民主義,社会主義,平和主義の理想郷に到達せしむるの一機関〉と宣言し,世論に向かって日露非戦の活動を開始した。…

【平民新聞】より

…明治末期に発行された週刊および日刊の新聞。(1)週刊《平民新聞》 1903年11月15日,日露戦争に反対して《万朝報》を退社した幸徳秋水と堺利彦によって創刊された。後に石川三四郎,西川光二郎らが参加したほか,安部磯雄,加藤時次郎,木下尚江,斯波貞吉らが社外から協力した。…

【へちまの花】より

…1914年1月,堺利彦が売文社より創刊した月刊誌。16号まではタブロイド判で発行された。…

【マルクス】より

…また,07年には山川均によって《資本論》第1巻の紹介が行われている。しかし,マルクスの思想が本格的に紹介されるようになったのはロシア革命(1917)以後であり,22年には〈日本共産党〉(委員長堺利彦)が結成され,コミンテルン第4回大会において承認された。 昭和に入ると,福本和夫,三木清,河上肇などによるマルクス論が左翼的インテリのあいだで強い影響を及ぼすようになり,28年(昭和3)には世界で最初の改造社版《マルクス・エンゲルス全集》の刊行が開始された(全27巻30冊,補巻1,別巻1。…

【ユーモア】より

…フランスのH.テーヌ,H.ベルグソン,前述のカザミアンなど,多くの学者,思想家は,イギリスこそ世界で最も優れたユーモリストを,最も多く生み出した国だと認めているが,その理由は上記により自明のこととなったであろう。 日本でも夏目漱石,坪内逍遥などの文学者,堺利彦などの社会主義者は,正しい意味でのユーモリストと呼ぶに値するが,彼らはイギリスの文学や文化に深い関心をもち,それから影響を受けた人たちであった。《吾輩は猫である》の著者漱石は,けっしてただ笑ったり,笑わせるだけの人ではなく,1905年東京帝国大学での18世紀英文学講義(後に《文学評論》として公刊)の中で,〈ヒューマーとは人格の根柢から生ずる可笑味〉と断言した。…

【老壮会】より

…会としての一定の主義・方針はなく,内外の諸問題について意見を交換し研究することを目的としていた。満川や大川周明をはじめとする後年の国家主義運動の指導者ばかりでなく,堺利彦,高尾平兵衛などの社会主義者,高畠素之などの国家社会主義者や,大井憲太郎,嶋中雄三,下中弥三郎,権藤成卿,中野正剛など多彩な人々が参加したことに特色があった。満川が猶存社の活動に力を入れるにしたがって老壮会の活動はしだいに衰えたが,22年まで44回の会合を開き,500名をこえる参加者があったといわれる。…

※「堺利彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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